第二十四話 届かないイノリ
カズマのアルバイトとアユミの仕事の休みが重なった水曜日に、スーパーに買い物に出た。
夕方から深夜零時近くまで、ふたりで過ごせる貴重な日だ。
その日、カズマは黄緑色のTシャツと、ストレートでベーシックなカラーのジーンズにハイ・カットの白を基調にして赤色のラインが入ったバスケット・シューズを合わせていた。
Tシャツは「お気に入り」と「おしゃれ」と「近所に買い物に行く用」と「パジャマ替わり」とでわけて着ているのだが、アユミと一緒に過ごせる日だからと気を張って「お気に入り」ばかりを着ていると、当然偏りが生まれ、三枚ほどしかTシャツを持っていないファッションセンスの悪い子と思われてしまう危険性があり、それを避けるために「おしゃれ」から、その中でも「お気に入り」に近いものを着ていた。
アユミはノースリーブの上品な緑色のワンピースに白のサンダルを履いていた。
髪をまとめているために見えるうなじがとても白かった。
アユミはカズマを意識して服を選ぶということはしていなかった。
ひとの目にどう映るか? より、自分が気に入った、自分に似合う服を身にまとい、いつも自分が可愛いと思う自分でいる、それが服を着るときのアユミの基本であった。
洋服店で働いているだけあって、アユミのファッションは洗練されていた。
そんなに高値ではないのだが、同性にも好感を持たれる服の選び方をしていた。
エコバックを持ってふたりはスーパーに行き、いつものように弁当の食材を中心に籠に入れていった。
五時のスーパーは七時台より混み合っていた。
何の料理に使うのか、一袋に三本入りの人参をこっちにするか、こっちにするかと吟味している五十代の主婦らしき女性の横で、カズマは大根をじっくりと見た。
味噌汁の具にしてもいいし、鶏もも肉と大根の照り煮も美味しい。
吟味を終えた主婦らしき女性が移動すると、人参も籠に入れた。
野菜を買い肉を買い果物を買い、さあレジへ、となる前に、ケーキも買おうよとカズマが言った。
「何でケーキ? 太っちゃうわよ」
とアユミは訊いた。
「だってもうすぐ一年になるでしょ。コンビニ帰りに一緒に飯食ってから」
記念に、とカズマはにっこりとした。
たまにならケーキ食べてもお目こぼししてもらえるかもね、とアユミは言った。
薄い表情の裏でアユミはとても嬉しかった。
でもそれを面に出すことは、しなくもあったし、上手にできない性分でもあった。
その帰り道、アユミから手を伸ばし、カズマと手をつないで歩いた。
気づけば陽は延びていて、まだ夕暮れにもならない東京の閑静な住宅街に満ち足りた顔の若い男女がいた。
夕食はポテト・サラダが少し残っただけだった
。カズマは簡単に空になった茶碗と皿を片づけて、買ってきたケーキを運んできた。
アユミのためにワインボトルとワイングラスも持ってきた。
出会って一年の記念に、と言った。こういうことはきちんと言わないといけないのだ。
ふたりでケーキを食べて、アユミはワインも味わい、その後で食器を洗うのと拭いてしまうのとを分担して台所に立った。
食器洗いを終わらせてから歯磨きをして、それから並んでソファに座った。
軽い食休みをとってからセックスをするのが一連の流れであったし、アユミも少し休んでから、セ〇○○しようかと言うつもりだった。
だが、その食休みの間に、カズマはまたもや地雷を踏んでしまったのだ。
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今回の地雷は何か?
カズマが咳き込んだのだ。
ゴホとひとつ咳が出たら、ふたつ、三つと止まらなくなり、バッグからマスクを取り出し、その間も断続的に咳をして、そしてマスクをつけたときには咳は止まっていたのだ。
それの何が地雷足りえるのか?
三年ほど前、橋爪も同じことをしたのだ。
そのときに微笑ましく思っていたアユミは、どうしても苛立ちを抑えられなかった。
もちろん、カズマがそれを地雷だとは思いもしない。
気づけるはずもない。
「マスクする前に止まっちゃった」
カズマは暢気に笑った。
アユミの怒りの炎にガソリン入りのポリタンクが投げ込まれ、勢いを増してますます激しく燃え上がった。
アユミは心の中で呪文のように繰り返した。
治まれ怒り。
苛々するな。
カズマに罪はない。
悪いのは私でありあいつだ。
どうか治まってください。
苛々なんてしたくはない。
だからお願いだからこの感情よ、消えてくれ。
橋爪はあのとき、風邪かもしれない、うつしたらいけないから、キスはしないでおこうか。
そう言った。
アユミはそれを優しさだと思い、橋爪への感情を愛だと思った。
この男を愛していると、そう思っていた。
祈りは届かなかった。




