第十七話 しあわせ、ヒヤアセ
カズマはまだ九時にもならない時間に、アパートを出た。
待ち合わせ場所は渋谷の映画館の前だ。
平日で、その映画の封が切られてから三週間が経っているので、できていた列は行列と言うほどではなかった。
チケットは真夏がアルバイト先で入手したタダ券だ。
だから気軽に誘いに乗れたという面もある。
その代わり昼飯はおごろう、それで行って来いでトントンだ、カズマは映画館の前でそんなことを考えていた。
そうしていると、真夏が来た。
「何分くらい待った?」
「五分か、それくらい。大丈夫。俺、待つのってそんなに苦にならないひとだから」
スマホで時刻を確認し、真夏がごめんと言いだす前にカズマは答えた。
それじゃあとふたりは映画館に入り、席に着き、映画を見(エンターテインメントで若年層をターゲットにしたアニメ映画だ)、映画館を出た。
「映画、タダで見られたお礼に、俺、昼飯おごるよ。何食べたい?」
とカズマが訊いた。
「フグ」
と真夏は答えた。
「よし、じゃあフグ食いに行こうっておい。無茶言うわあ」
「ハンバーガー、食べ行こう」
真夏が笑い、カズマも笑った。
昼前ではあったが、そこも混んでいた。
注文し、ハンバーガーとドリンクを受け取り、二階に上がった。
空席を見つけ、ふたりで座った。
周りもカズマたちと同年代の男女ばかりで、みな話しながら笑いながら食べたり飲んだりしていた。
とてもにぎわっていた。
「面白かったね」
と真夏が言った。
「うん。よかった」
カズマが簡潔に答えたのは、何かの意図があってではなく、そういう話し方しかできないからだ。
そしてそれは学校の仲間の間では周知の事実で、だから真夏も、
え、それだけなの?
とは思わずに二の句を待った。
ハンバーガーとともに質問を咀嚼し、カズマは続けた。
「やっぱさあ、心が真っ直ぐなところって、いいよね」
「うん。少年漫画の王道なんだけど、新しかった。二回泣いちゃった」
「うん。気がついてた」
またふたりで笑った。
その後も映画の感想を言いあいながら昼食のハンバーガーを食べ、食べ終えてドリンクも空になると、席を立った。
真夏が先に階段を下りたのだが、店を出ると振り返って言った。
「私、服みたいんだけど、つきあってもらってもいいかな?」
もちろんいいよとカズマは微笑み返した。
が、まさかってことにはならないよな、と冷たいものを感じた。
中学生だったころに、真っ暗な学校の廊下で、後ろを振り向いたら妖怪のような老婆がいたらどうしようと悪寒が走るような類の冷たさだ。
そしてそれは現実になってしまうのだった。
その店は、アユミの勤めている洋服店だったのだ。
9
過去にアユミが来るなと言ったことがあるだとか、カズマが顔を出したらそれが地雷で激怒されただとかがあったわけではない。
匂わせたこともない。
店に行くとアユミはこちらに背を向けて何か服をたたんでいた。
真夏が入店するとほかの店員がいらっしゃいませと声をかけ、それに合わせてアユミも振り返り声をかけ、あっと口が動いた。
カズマと真夏を交互に見た口元が意味ありげだった。
もちろん、真夏は知らない。
お気に入りの店なのか、服を見ている。
アユミが近づいてきて、真夏に声をかけた。
真夏も慣れた感じで返事をした。
どうやら顔見知りになっているくらいこの店に通っているようだった。
こうなってしまったらカズマはまな板の鯉だ。
真夏はカズマに服をあてがって見せた。
答えないわけにもいかない。
知らん顔なんてできるはずもない(する気もない)。
真夏のすぐそばまで来て、よく似合っていると答えた。
脇に汗をかいているのがわかった。
「この服はシーズンも過ぎそうだから、十パーオフでもいいよ」
「え、いいんですか。うわあ、買っちゃおうかな。この値段からさらに十パーオフか」
真夏は服を見て値札を見た。
アユミはカズマに目配せした。
関係を明らかにするのか、隠して赤の他人の客と店員としてふるまうのか。アユミがどちらを望み、カズマがどちらを選ぶのか。
「まなったん、この店によく来るの?」
「うん。いま着てるこの服も、ここで買ったんだよ。どう?」
「よく似合ってる」
勘弁してくれよと溜息をつきたい心境で、カズマは無理に笑った。
どちらを選べばよいか、まったくわからない。
どちらを選んでも失敗であるようで、まさに針のむしろだ。
しかしカズマがアユミとの関係を話すとして、いったい何と紹介すればよいのか?
まずそこからわからないのだ。
「つきあってください」
「はいよろこんで」
といったやり取りはいまだないままなのだ。
月に何回か食事をし、月に何回かセ○○○をしてはいるが、厳密に言えば、彼氏彼女の関係ではないのだ。
正直に話すとして、どう紹介したらよいものか?
初対面のふりをして、それが災いを呼びはしないか?
カズマは大いに頭を悩ませた。
「まなったんってあだ名なんだ」
とアユミが言った。




