第十六話 ふたりで映画、それってデート?
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一日の寒暖差が十℃を超える日もまだあるが、日中はもちろん、夜になってもTシャツ一枚でいられるようになった(Tシャツの上に一枚羽織っている者もいるにはいるが)。
暖かくなったからか、夜の街もにぎわい、でもコントで見られるような迷惑な酔っぱらいはテレビの外にはいなかった。
もちろん、日本中を探し回れば毎日どこかに何人かは確実にいるのだろうが、カズマは地元でも東京に来てからもまだ一度も見てはいなかった。
だから、このときがファースト・コンタクトとなった。
初め、カズマは斜向かいから歩いてくるそのひと、男性を「酔っぱらい」だとは思わなかった。
でも電車が揺れたか、船が波にもまれたか、そんなふうにバランスを崩して道路を斜めに横切って、男性はカズマの前方にまでやってきた。
小走りのように転ぶのを堪えるように。
周りにその男性を助けるひとはいない。
つまりひとりだ。
誰かと呑んでひとりで帰るのか、ひとりで呑んでひとりで帰るのかはわからない。
店の壁を支えに、ようやくといった風体で立っている。
カズマはこのような酔っぱらいらしい酔っぱらいに遭遇するのは初めてだった。
少し面白かったが関りあいになりたくはないなとも思った。
しかし、いや、やはりと言うべきか、その男性はカズマに気づき、カズマをじっと見た。
カズマも見たことは見たのだが、一瞥しただけで目を合わせないようにした。
その男性は細身で一八〇近くはありそうで、まだ、と言ってもカズマよりも年上だが、三十代の半ばくらいの若々しいまともな社会人という外見をしていた。
スーツを着ていたので会社帰りなのだろう。
アパートに帰るためには一番近い道を歩いているのだし、わざわざ迂回するなどという面倒くさいことをするのも馬鹿らしいから、カズマは真っ直ぐ歩いた。
二メートルほどに近づくと、
「お兄さん」
と呼び止められた。
面倒だ、と眉根を寄せたが、邪険にして怒らせたらもっと面倒なことになる。
カズマは足を止めた。
「お兄さん、この辺に私の眼鏡、落ちていませんか?」
カズマは困った。
なぜなら、
「いえ、ちゃんと顔にかかってますよ」
そう、鼻根には鼻パッドがきちんと乗り、真っ直ぐなテンプルから伸びた先セルが耳にしっかりとかかり、黒いリムに収められたレンズが、男性の眼球の前でしっかりと街灯を反射していたのだ。
「え! ああ、ありました。ありがとうございます」
そう言って体を起こした男性は、また電車が揺れたか船が波にもまれたかのように、道路を斜め、斜めに小走りで去っていった。
その姿を見送って、カズマは吹き出した。
こんな迷惑なら、いいな。たまになら、だけど。
カズマはまた歩きだした。アルバイトを終えた体を休めて、また明日、学校だ。
「そのひと、ちゃんと眼鏡してるのに、この辺に眼鏡、落ちていませんか? なんて言うんだよ」
昼の学校で、カズマがさっそくと話した。
するとカズマが話した変わった酔っぱらいの話から、僕が私が出会った酔っぱらいの話になり、自分が酔っぱらったときの失敗談、酔っぱらいあるあるの話へと話が膨らんでいった。
そうやってみなと笑いあうのは、いじめられっ子のカズマには、やはり楽しかった。
仲間で集まって輪を作り、誰かがしゃべり、それに誰かが応え、冗談を言い、笑う。
また誰かがしゃべり、応え、漫才師のようにオチをつけて、みなで笑う。
そこにカズマ自身が身を置いていられるのは、初めてとまでは言わないが、十九年余の人生でも特別な部類に入るのだ。
カズマは一歩引いた視点でみなと笑いあっていた。
ただ、このとき、少しの後ろめたさもあった。
原因は何か?
今度のアルバイトと学校の休みが重なる日に、カズマは真夏とふたりきりで映画を見る約束をしていたのだ。
もちろん、ただ映画を見てそれでお終いなわけはない。
一緒に昼食も食べるだろうし、街を散策しもするだろう。
そしてふたりでラブホテルに入って……なんてことはないだろうが、そのことはまだみなには言ってはいないのだ。
報告せねばならない理由もないし、隠して悪いわけでもない。
だが、秘密にすることで心のどこかに生まれた罪悪感は、存在する。
アユミには伝えてある。
カズマにとっては、そうしないことは裏切りとも言える行為だからだ。
表面上のアユミは、軽く受け止めていた。
いいじゃない、デートじゃない、青春ね、その子、きっとカズマが好きなのよ、いっぱい優しくしてあげなさい、セ○○○なんかもしちゃいなさいよ、騎○○なんか、させちゃ駄目よ、カズマが上になるのよ、若いっていやらしいわね。
どこまで本気で、本心はどうなのか、カズマには計り知れなかった。
伝えたことと、許しをもらったことで、カズマの心は軽くなった。
でも、真夏が自分を好きなのだと言われて、それはどうだろうかと、頭をひねった。
だが、そう言われてから、真夏と話すときにわずかな違和感だとか緊張感だとかというものを感じるようになってしまった。
どことなく、奥歯に物が挟まったような態度になってしまうのだ。
それがカズマという人間だ。
その(カズマはそうだとは思ってはいないし、真夏にとってはどうなのか真相はわからないが)デートと呼べるのかもしれない映画の約束は、ついに明日になり、寝て起きて当日になった。




