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スマイル  作者: 小町翔石
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第十五話  久しぶりのデート

                    7



 カズマとアユミは渋谷の街を歩いていた。

 先日の約束どおり、デートをしていたのだ。

 アユミは笑いながらぼやいた。


「まったく、どんなプレゼントがいいかなんて、送る相手のことを何にも知らないんだから、わかりようもないじゃないの」

「ごめん。でも俺ひとりで選ぶよりもさ、いろいろアドバイスもらいながらのほうがさ、間違いようがないじゃない?」

「わかってる。だから手伝ってるんじゃない」


 アユミは言葉上ではわかりづらいが、楽しんでいた。


 ふたりはいま、エメラルドのアルさん、マリーさん夫婦に贈る開店記念日祝いを探している。

 従業員の間で予算と送る品物は決めていた。

 それぞれがそれぞれに探してスマホで写真を撮り、後日持ち合って一番いいものを選ぶ。

 つまりいまは下調べだ。


 それでデートと言えるのか?

 地雷を踏みはしないか? 


 カズマは少し躊躇った。

 が、それで怒る人物だと評価することのほうが失礼だからと、頼んでみたのだ。


 平日の夜の街をふたりで歩くのはなかなかないことだった。

 匂いが、まず違う。

 昼間の渋谷はもっと冷気をはらんでいる。

 それはもちろん気温にかかわらず、だ。

 大勢のひと、車がどれだけひといきれを発していても、どこか寒々しい。

 少なくともカズマにはそう思える。

 大量の笑顔、大量の会話と騒音、大量の視覚情報。

 あれだけの喧騒の中にいても、ときにカズマは何も聞こえなくなって周囲を見渡すことがある。


 自分以外はホログラムで、これは夢か幻なのではないか?

 もしくは自分自身がホログラムで、ゲームの世界の町人Aでしかなく、人格と思っている自分自身の考えや行動はすべて誰かによって決められたプログラムどおりなのではないか?


 そんな馬鹿げたことを考えてしまう日も、あるのだ。

 夜でも人の多さは変わらない。

 多くなっているくらいかもしれないし、昼間よりもにぎやかになっているのかもしれない。

 しかし昼間に温められた道路やビルが熱を放出するせいか、ひとの体から発せられる匂いに昼と夜とで何かしらの影響で変化があるからなのか、それとも思いを寄せる人物と親密に街を歩いているからなのか、昼間とはまた違う夜の街の匂いに、カズマのテンションは上がっていた。


 宇宙から見ても夜の都会は光っているくらいだから、そこに立っているカズマとアユミも、その光を受けて本来なら深い闇に飲まれて前の見えない夜の街でも、お互いの顔を確認できている。

 これは当たり前ではあるが、当たり前ではないのだと、カズマは思った。

 

 手をつないで歩きたいとも、カズマは思った。

 強引に手を伸ばしてアユミの手を握ることだって、できなくはない。

 カズマの男としては小さい手で、アユミの女性としては平均的な大きさの柔らかくて温かい手を、乱暴だと表現されるくらいの力で握りしめることも、やろうと思えばできる。

 街灯や車のライトやネオンに照らされながら、カズマはそんな欲求でムラムラしていた。


 次の目的地であるビルにたどり着き、目的の店が何階かを確認し、ふたりは入っていった。

 陳列されている目当ての品物を前にして、ふたりの意見は、

「いいものが多いから、どれにするか迷う」

 で統一された。


 店員の目を盗み(展示されている品物の写真を撮ることは、特別な場合を除いてしてはいけないことだからだ)、目ぼしい品物の写真をスマホで撮った。

 その後、逃げるようにしてその場を離れるのも不自然なので、興味がありますよという体で、ふたりはぐるりと品物を見て回った。

 

 その年の開店記念日に贈るプレゼントは「絵画」だった。

 壁に掛けられている絵は、値が張るだけあって趣がよく、見て歩いても飽きることはなかった。

 カズマがひとつの絵の前で足を止めて見入っていると、

「カズマ、こういうの好きなの?」

 とアユミが肩を寄せてきた。

 肩を寄せて、耳元で囁いてきたのだ。


 それはこういう場で通常の会話のボリュームで話すのが失礼に当たるからという理由からだが、カズマの胸は高鳴った。


「うん。この絵、何か惹かれるものがある」


 名も知らぬ画家の、犬の絵だ。

 輪郭をぼやかしてあって、柔らかで温かみのある色使いだった。

 もちろんカズマは絵画の良し悪しなどわからない。

 カズマが素晴らしいと思う絵は審美眼を持った人間からすれば駄作なのかもしれない。

 ただ、芸術に触れ心を動かされる、それはひとそれぞれでよいことであって、良いだ悪いだと云々されるものではない。

 

「まあ、欲しいかいらないかで言ったら、いらないけどね」


 カズマがそういうとアユミはくすくすと笑った。

 

 ふたりでしばらく見て回り、それから退店した。

 ビルの外に出ると、やはり街はがやがやとしていた。

 カズマはそれを気にも留めなかったし、アユミは雑踏の中にいるのも嫌いじゃないと思った。

 十時に近づいていて、目的を果たしたふたりはアパートに帰ることにした。


「こうして歩き回るの、思ってたよりずっと楽しいんだ。久しぶりだから思い出した」


 最初、カズマは自分に向かって言われたものだと思った。

 だから何と返事をしたらよいのかと思案した。

 したのだが、アユミを見ていても、アユミはカズマのほうを見はしなかったのだ。

 どうやら返事を待っているようではないらしい。

 そう気づいて、芋づる式に独り言だったのだという結論に達した。

 そしてそれは正解だった。

 先ほどのアユミのそれは独り言だったのだ。


 しばしば、アユミは独り言を言う。

 それは言葉どおり、つぶやきだ。

 そしてそれはもちろん、大半の独り言がそうであるように、誰か第三者の返事を期待しているわけではない、自分の中だけで完結する確認作業のようなものなのだ。

 

 カズマはアユミの横顔を見て、何だ、独り言かと安心した。

 だから黙っていた。

 アユミも独り言を続けるでもなく、黙っていた。

 カズマとアユミは、ふたりでいるからと言って、少しの空白もなくしゃべり続けるというわけではない。

 居心地がいい沈黙、少なくとも居心地が悪くはない沈黙の中で、心を通わせているのだ。


 また、アユミはときおりつぶやくように話しかけることもある。

 カズマが独り言か話しかけられたのか判断に困ってしまう場合だ。

 困っているときに、アユミが少しすねたように、または少し苛立っているかのようにカズマの目を覗き込んだのならば、それは話しかけたのだ。

 そんなときのアユミの黒目は潤んでいて美しく、桜の花びらで彩られた水面のようになると、カズマは思う。

 

 しかし、カズマがアユミの目をまじまじと見ることなど、そうはない。

 そしてカズマがアユミの目をまじまじと見たときはいつも、綺麗だ、と思うのだ。

 つまり、何も目を覗き込まれたときに限ったことではないのだ。


 アユミの隣に座ると、ソファのバネが軋んだ。

 二週間以上も間が空くと、それすら新鮮だった。


「二週間、何してた?」


 アユミは訊いた。

 カズマの左手をそっと握って。


「特別変わったことはしてなかった。学校に行ってバイトに行ってスーパーに行って。そんなののくり返し。そして原チャリに撥ねられた。撥ねた奴に逃げられた」

「まだ痛む?」

 くすりと笑ってから、また訊いた。

「ううん。もちろん、強く押したらまだ痛いけど、痛み止めもいらなくなったし、普通に歩くぶんには問題なくなった」

「じゃあ、セ○○○もできるわね」


 何か言おうと動きかけたカズマの唇をアユミの唇がふさいで、ふたりは寝た。


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