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スマイル  作者: 小町翔石
11/29

第十一話  地雷、ついてもいいウソ

 取り立てて言うほどのこともなく二日が過ぎ、水曜日になった。

 太陽が沈み、遊びに行く人が駅に入り、帰宅する人が駅を出た。


 約束は七時だ。

 待ち合わせの基本の五分前ではなく、きっかり七時。

 テレビの時刻表示でタイミングを見計らってカズマは部屋を出る。

 確認しなくても車の往来がないのはわかっている。

 とととと道路を横切りアユミのアパートへ向かい、インターフォンを押す。

 入って、と短い返事がくる。

 声色で機嫌がいいとわかった。

 ドアを開けて言う。


「お邪魔します」

「靴、脱がないでいいわよ。スーパーに行きましょう」


 エコバッグをふたつ、カズマに突き出して、アユミはスニーカーを履いた。

 青と緑のチェックのシャツの下に白のTシャツを着て、ワイドなカーゴパンツを合わせていた。

 ポニー・テールにした髪はとても似合っていて、可愛らしかった。


「じろじろ見るな」

 と叱られるほどに見入ってしまった。

「可愛いなあと思って」

「ちらちら見るな」

 そう言いながら、しかし頬を赤らめているアユミは、たしかに可愛いという言葉がぴったりだった。


 並んで歩きながら、飲食店にはときおり変わった客が来るが、洋服屋には変わった客というのはそれほど来ないということがわかった。

 変わった客より、困った客のほうが多いらしい。


「試着するだけして、結局何にも買わないとか、残り香がプンプンつくくらい香水つけてる人とか。悪気はないんだろうからこっちも注意はできないんだけどさ、やっぱりそういう人には来てほしくないって思っちゃうわね」


 カズマが同意すると、アユミはにっこりとした。

 いい雰囲気だと、カズマは満足した。

 これからスーパーで食材を選ぶのだが、アユミはカズマが弁当やたまの昼食、夕食を作るようになる最初に、

「メニューはお任せするわ。そのほうがワクワクするし、私がリクエストするより、カズマが考えたほうが幅が広がるじゃない。私がどうしてもあれ食べたい、とか、カズマが何作るか迷ったときとか、そういうときは別だけど、それ以外の場合は、お任せ」

 と自由をくれたので、アユミの仕事のシフト表を眺めながら、カズマは献立を考えるのが楽しみになった。


 こうして一緒にスーパーに買いに来られないときには、メモを渡す。

 アユミが弁当箱を入れるときにわかるように、郵便ポストの蓋の裏側、開けたときにちょうど垂れ下がって見えるように、セロハンテープで貼っておくのだ。


 カズマは学生のひとり暮らしとは思えない大きいサイズの冷蔵庫を買っている。

 いろいろな食材を買って、いろいろな料理を作るためだ。

 アユミと知り合ってからは、アユミの弁当とたまの昼食、夕食の食材の六十六から七十五パーセントをしまってある。

 だからカズマが使うエコバッグも、学生のひとり暮らしとは思えないサイズの大きさだ。


 弁当やふたりで食べる昼食、夕食代はアユミ持ちだが、それ以外の食材は各々が各々で払う。

 カズマはどうせスーパーに行くのだから、自分の分の買い物も一緒に済ませてしまおうと考えていた。 アユミは弁当などの食材以外に自分の分の食材も買っている。だから二台のカートに籠はみっつだ。

 食材を籠に入れながら、アユミは訊いた。

 

「最近、忙しかったの? 買い物に行く時間がないくらい」

「いや、どうせスーパーに来るんだからそのときにと思って、やめといた」


 アユミは口をつぐんだ。それから目も合わせなかった。



    5



「どうしたの?」


 カズマが教室に入ると、絵に描いたような二度見を、複数名がした。

 席に着き、話の輪に加わると、開口一番、質問された。

 カズマが顔に傷(それは腫れや青あざだ)をつくってくることはそれまでにも幾度かあったが、過去一番のひどさで、さすがに笑いながら訊けるような状態ではなかったのだ。

 ある者は軽く、ある者は重く、引いていた。


「また喧嘩したんだよ。でも今回は相手が悪かった。三対一でぼっこぼこにされちゃったんだ。でも俺は悪くないんだよ。男三人が女三人と口喧嘩してて、そしたら男のひとりが女の髪の毛掴んで引っ張りだしたから、あ、やばいかも、と思って止めに入ったら、なんだてめえなんてキレだして、見てた男ふたりも止めに入るのかと思ったら、混ざってきて三対一で。相手もだいぶ酔ってたみたいだけど、誰か観てた人が警察に通報してくれたみたいで、警察が走ってきて、割って入って相手を取り押さえくれて、交番で事情聴取って言うの? されて。慰謝料っていうのか、示談金っていうのか、貰えることになったんだけど、痛え痛え。ズキズキする」


 本当に?

 と訊かれたのだが、

 うん、本当。

 と嘘をついた。

 嘘の臭いがプンプンとするのだが、嘘であるという確証がないので、みんなそれ以上突っ込んでは訊けなかった。


 しばしの沈黙の後、輪のひとりが話題を変えて話し始めたのだが、カズマの顔があまりに痛々しいので、取ってつけた感の拭えない話し方になっていた。


 輪の中に、カズマの顔を見て、思いを巡らせている女性がいた。

 そのひとはそのとき、何も言い出せなかった。

 いや、ある考えを持って、わざと言い出さなかった。


 教師が来て、授業を始める前にカズマの顔を見て、またか、今度のはひどいな、と笑い話にした。

 それだけで、特に労わるでもなく、授業に入った。

 屋上からロープを使って降りてきた作業員が窓の掃除を始め、授業は一時中断された。


 そこでみなが雲間から光が差してきたことに気がついた。

 予報では午後までは曇ると言われていたのだ。


 カズマが東京に来て驚いたことのひとつに、ゲリラ雷雨がある。

 地元でも雷雨や夕立や通り雨に降られたことは多々あるが、初めて体験したゲリラ雷雨は一味違ったのだ。

 履いていたローカットのバスケット・シューズはぐっしょりと雨水を吸い込み、歩くごとに靴下を通して水が滲み出るのがわかった。

 折り畳みの傘を持ってはいたので、頭部や上半身は濡れずに済んだのだが、足元まではカバーできなかったのだ。

 二度目のゲリラ雷雨からは、靴と靴下を脱ぎ、チノパンやジーンズの裾を膝までまくって裸足で歩くようにしている。

 恰好は悪いし笑われることもあったが、靴を傷めるよりはマシだからだ。

 よかった、ゲリラ雷雨にはならなそうだ。

 赤黒く腫れあがった顔で、カズマは胸を撫で下ろした。


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