白桜の夢
わたしが愛した人は、『人殺し』と呼ばれる人だった。
雪は夢を見ていた。
――十年前。
龍胆と暮らすあばら家の戸を、乱暴に開ける音が響いた。
「雪っ! てめえ、白桜様の枝を折ったな!?」
開口一番に村の男は怒鳴る。龍胆は不在だった。
雪はさっと桜の枝を背に隠した。竜胆に喜んでもらおうと、苦心して手に入れたものだ。
「親はどこだっ!? あのいけ好かねえ優男はどこに行った!? 答えろ雪!」
「ひ・・・っ。あ、あ・・・」
龍胆と出会ってまだ数日だ。雪はまだ声が出ないままだった。
村の男達は舌打ちした。数名の中年の男が乱暴にずかずかと土足のまま入ってくる。
雪から桜の枝をむしり取ると、勢いもそのままに雪を拳で容赦なく殴った。
「ガッ・・・!」
思い切り殴られ、雪はその場に昏倒する。男たちはその襟を掴むと、猫の子をさらうように雪をあばら家から連れ出した。
――お父さんは、いない。
――お母さんも、いない。
禁忌を犯した罪人を引き回すため、雪は竹駕籠に入れられ白桜のもとへ連れて行かれる。
やっと龍胆がくれた瞳の輝きが、鈍く霞んだものになっていく。
(――龍胆ちゃん。きちゃ駄目だよ。)
雪は膝を抱えて、村人の罵詈雑言に耐える。ぎゅっと両手を握った。
(死ぬのは、雪だけでいい。龍胆ちゃんは、いいひとだから。こんなわたしを拾ってくれた、いいひとだから。死なせたくないの。)
やがて駕籠は、桜の巨木の前で止まった。
雪は駕籠から出されると、両手を後ろ手に縛られ、首を突き出す体制にされた。
首を切るつもりなのだ。
「白桜さま。――咎人の、命を持って、償わせます」
気づけば、村中の人間が集まっていた。ひそひそと頷きあう女たち。小石を投げつける子供。それを咎めもせず、静かに雪の死を待つ男たち。
雪はぽろぽろと涙を流した。声は出ない。泣き叫ぶことも叶わなかった。
「薄気味悪いガキだね。泣きわめきもしないなんて」
「糞の役にもたたない穀潰しなんて、さっさと殺したほうが村のためだよ」
子供が投げつけた石で、雪のこめかみから血が滴り落ちる。
刀を抜く気配がする。農民は帯刀は禁じられているから、誰かが隠し持っていたものだろう。
(龍胆ちゃん。拾ってくれたのに、勝手にいなくなってごめんね。)
ざあっと風が吹いた。白桜の花がさわさわとゆれる。
刀が振り下ろされる、その時だった。
男の美声が、びゅうっと花びらとともに、わんわんと響き渡った。
『我は枝を手折った程度で子の命は奪わぬ。――愚か者ども』
介錯人の手が止まる。刀を取り落とし、ぶるぶると震え始めた。
それは村人たちも同じ。皆震え上がってその場にぬかずいた。
老人が叫んだ。
「祟りじゃ! 白桜さまのお怒りに触れてしまった!」
雪は瞬いた。
(さくらが、しゃべった?)
皆、老人の声を皮切りに、いっせいに我が家へと逃げ出した。
赤い夕日が桜を照らす。ひとり、ぽつんと取り残された雪は、桜を見上げた。
小さな地蔵が、ほほ笑むのみだ。
ふと、雪は抱き上げられた。
「雪っ! 無事か!?」
龍胆だった。彼は雪の縄を解くと、逃げ出さなかった人間――雪を殴った男に近づく。
男は、桜の枝を持ったまま震えていた。
「・・・桜が一歩、早かったな」
龍胆は男の手から桜を取り上げると、雪に「もとの枝に戻しておあげ」と手渡した。
雪はうなずく。
不思議なことに、折れた枝を戻すと、枝は光を放ちつながった。
「ぎゃああっ!」
男の悲鳴。雪は龍胆の方へ振り向く。
「!」
雪は息を呑んだ。
龍胆が、男の右腕を斬り落としたのだ。
龍胆は見たこともない顔をしていた。
もと人斬りの殺気は、龍胆の体中からほとばしる。雪でさえ、足がすくんで動けない。
腕を切られた男は、その殺気に悲鳴さえあげられず、口をパクパクしていた。
龍胆は血振りすると、刀を収めた。
「村の者たちに言っておけ。次、雪に指一本でも触れたら殺すと。右手で触れたなら右手を、足で蹴ったなら足を斬り落とすとな」
――その時、雪は悟った。
龍胆は雪を再び抱き上げると、坂道を降りてゆく。
再び風が吹いた。
雪にしか聞こえない声で、桜は語った。
『雪。お前が愛した男は、人殺しだ』
赤い夕日があっという間に沈んでゆく。
雪はそっと目を閉じた。
(わたしが愛したひとは、人殺しと呼ばれる人だった)
眼の前で腕一本斬り落としたのに、まったく動じない雪を、龍胆はちらりと横目で見た。
「・・・」
竜胆は何も言わない。血の匂いをまとわりつかせた自分に、しっかりしがみついて眠る雪は、信じがたいほど優しく見えた。




