グール
「俺は雪の育ての両親を斬殺した男――あやめを斬り、鬼になったばかりの頃。俺は雪を村人に預けた。養育費まで渡して。信頼できそうな人間だったから。――だが違っていたのか」
「雪お姉ちゃんは、龍胆さんがいなくなってすぐに馬小屋に放り込まれたと言ってたよ?」
菫が言った。小梅も口を開く。
「人間なんて、そんなものですよ。裏切り合い憎しみ合い、騙し騙され・・・。それが人の世というものです」
「おまえ歳はいくつだよ?」
「七歳ですが、なにか?」
小梅はふんと鼻息を荒くする。桔梗は小梅の知能の高さに舌を巻いた。
龍胆は眠る雪の手を握る。
「あやめは不死身だった。俺は雪をあずけたあと、奴の死体を抱えて、生き返る前にどうにかせねばと考えた」
花散里の桜は、一つの親株から植えられている。
「その桜は、寺の住職の桜守が代々管理している由緒正しい御神木だった。俺はその幹の下にあやめの死体を封じたんだ」
それでも、あやめは執念深い男だ。いつ黄泉帰るかわからない。
急いで雪の身体から餓鬼を取り出す霊薬を探す必要があった。
白木蓮が怪訝な顔をした。
「桜の巨木なら、怪異討伐隊が調べたが、女の骸が隠されてたぞ」
龍胆は瞬いた。
「あやめは収集品の死体の隠し場所として、その桜を選んだのか?」
「ならば、その桜は穢されたのでは・・・?」
「桜なんてどうでもいいだろ。――話、進めるぞ」
桔梗が片膝を立て、壁に寄りかかる。めんどくさそうに桃色の唇を開いた。
「俺と龍胆が出会ったのは、花散里からだいぶ離れた、田舎の荒れ寺だった」
雨が降っていた。
編笠を被っているとはいえ、土砂降りの雨には耐えられない。龍胆はやむなく荒れ寺で一泊することにした。
御堂の中もボロボロだった。
床には穴があいている。草が茂り、仏像は金箔が剥がれ、錆びていた。長い間だれも手入れしていないようだ。クモの巣があちこちに張り巡らされている。雨漏りが酷く、そこら中びしょびしょだった。
龍胆は腹を抑えた。
――空腹でたまらなかった。
飯が食えない状況など慣れっこだったはずなのに、屍食鬼の身体は次元が違う。ここに来るまでに野生動物の死骸を喰ったが、喰っても喰っても満たされない。
(人斬りには、相応しい罰だろう・・・)
龍胆は唇を噛む。
雪を連れてこなかったのは、いつ襲いかかるかわからなかったからだ。
龍胆は荷物を下ろすと、本能的に意識が隣の墓地へ向いた。
草が生い茂る墓地は、まるでご馳走の山のようだった。
(駄目だ!)
龍胆は自分を殴った。死体を食い散らかしたい衝動をのたうち回ってこらえる。
(俺はもう、人を傷つけない・・・!)
その時だった。
「おい、テメーうるせぇぞ。酒が不味くなるじゃねぇか!」
天井から、男の不機嫌そうな声が響いた。
龍胆はぎょっとし、思わず仏像を見る。
「バカ野郎、仏がしゃべるわけねぇだろ。――ここだ、ここ」
龍胆は誘われ、天井を見上げる。
そこには、梁にだらりと横になり、手足を投げ出す男がいた。
(白い、髪・・・?)
龍胆は刀を構える。嫌な予感が頭をよぎった。
「貴様、「屍食鬼」・・・なのか?」
すると男は体を起こし、ぐるんと身体を反転させた。コウモリのように逆さまに梁にぶら下がる。
「ああ、そうだ。――その刀。さしずめもと武士ってところか?」
「・・・武士ではない。だが似たようなものだ」
「俺はもと医者だ」
屍食鬼は淡々と逆さまのまま会話する。酒の入ったひょうたんがちゃぷっと音を立てた。
「おまえ、墓地で屍を喰いたくてしょうがねぇんだろ? 飢餓状態で我慢が利くとは、大した武士道だな」
「俺はもと人斬りだ。そんなたいした者じゃない」
龍胆は壁によりかかり、ぜえぜえと荒い息をした。よだれをぬぐう。
「人斬りが、なぜ人を喰うのを我慢する?」
屍食鬼は怪訝な顔をした。
「思うがままに人を殺し、鬼になって後悔でもしてるのか? そりゃ自業自得。今さらってもんだろ」
「俺には護りたい女がいる」
竜胆は腹を抑えながらも、ニヤリと笑った。
「雪のためなら、なんだってしてやる。俺はもう人斬りじゃない。雪が望む俺であるために」
「――女のためか・・・」
屍食鬼は急に沈黙すると、ひょいと一回転して天井から降りてきた。
龍胆はもはや刀を構える力もない。ギロッと殺意を込めた視線をぶつける。
屍食鬼は、つづらを持っていた。
「ちょっと待ってろ。食欲を抑える薬をやるから」
「・・・なんだと?」
「俺は医者だって言っただろ。名は桔梗。これからは先生と呼べ」
桔梗は赤い丸薬を竜胆の手に握らせた。龍胆は瞬く。
「それを飲め。ちょっとはマシになるはずだ」
言われるがまま、龍胆はなんの疑いもなくそれを飲んだ。すっと、胃が落ち着いてくる。湧き上がる食欲はふっと消えた。
「すごいな。――礼を言う。おかげで助かった」
「女のためなんだろ。人を襲わないその意志の強さ、気に入ったぜ」
桔梗は龍胆の白い顔にずいっと白い美貌を近づけた。
「なあ、おまえ。俺の弟子になれよ」
「は・・・?」
龍胆はきょとんとした。
「それが、俺達の馴れ初めさ」
桔梗は再び紫煙を吐き出した。雪の部屋から場所を移動し、一階まで降りてきている。二階では、耳の良い菫が会話を聞きながら雪の看病をしていた。
桔梗はふてぶてしく片膝を立て、半分横になりながら、煙管をくゆらさせる。一方、きちんと正座した龍胆は「煙い」と桔梗から煙管を取り上げた。
「医者の不養生だと言いましたよね? あなたは昔からそうだ。酒は飲むし煙は吸う。俺の家で煙草は厳禁です」
「硬いこと言うなよぉ。それに鬼の身体じゃ、酒にも酔えねぇんだよ」
「子供の僕がいることも忘れないでくださいよ」
小梅はきっぱりと言った。白木蓮も頷く。
「話の続きを聞かせてくれ。なんでこんな奴の弟子になったんだ? 龍胆さんは」
「――不死の霊薬。それらをすべて持っていたからだよ」
荒れ寺で桔梗がつづらの中を見せた。それらはすべて、時の権力者たちが喉から手が出るほど欲しいであろうものばかりだった。
「人魚の肉。月にあるという『をち水』。金丹・・・。それらをすべて網羅していた。俺が欲しかったのは悪霊払いの霊薬だったから、欲しいものはなかったけどね」
桔梗はのほほんと口を開く。
「俺は三百年くらい生きてるからな。鬼になっても医学への好奇心が抑えられず、時間は有り余ってたから、暇つぶしに集めてみたのさ」
「三百年!?」
白木蓮と小梅はすっとんきょうな声を上げた。
桔梗は起き上がると、髪の短い三つ編みをつまむ。
「こんな髪にしてるのも、異国を渡り歩くため。何人にもなれたほうが便利だろ?」
桔梗がだんだんと仙人に見えてきた白木蓮は、規模の大きさに目眩がした。
桔梗は続ける。
「龍胆と俺は、なんやかんやで共に行動することになった。悪霊払いだという仏花のユリは、この国にはない。海を渡った先の、御仏が生まれたとされる場所だと、俺は遠い昔聞いたことがあって、船で行くことになった」
「え。異国まで行ったんですか!?」
小梅が目を丸くする。龍胆は悔しげにうなずいた。
「十年前。この国にやってきた黒船――リコリス合衆国。そこは御仏が数々生み出された極楽浄土の国だと言われている。師匠にとっては何度も行ったことのある馴染みがある国だったが、仏花のユリを見つけない限りは帰れない。・・・まさか十年もかかるとは思わなかった」
さわ・・・。
庭の桜が揺れる。小梅はその幹に腰掛け、風と花びらと戯れ笛を奏でる。
母に届くように。
失った記憶が戻るように。
今はどれだけ抱きしめられても感じられないぬくもりを、追い求めて。
桜はそれを、包み込み、花びらで覆い隠す。
あれから一週間たった。
雪は布団の中でおとなしくしていた。
桔梗から、脱走すれば、す巻きにすると脅されたのもあるが、鎮静剤の効果で頭はぼうっとしていた。
龍胆は雪に触れなかった。
桔梗が診察するだけだ。その効果があったのか、雪はここが安全な場所であると少しずつ理解したようだ。
茶を持ってきた龍胆は、重い足取りで階段を踏みしめ、上がる。襖を開けると、布団に座り、小梅の笛に耳を傾ける雪の姿があった。
開け放たれた障子から、花びらが風とともに入ってきて、雪の長い髪と散らばった。
龍胆はつとめて明るく振る舞った。
「雪。茶と団子を持ってきたよ。食べられそうかい?」
「鬼さま・・・」
雪はゆっくり振り向く。決して龍胆とは呼ばなかった。逃げ出せない状況に置かれた雪の、ささやかな抵抗だ。
龍胆はゆっくり近づくと、お盆ごと雪に差し出した。雪は「ありがとうございます」と茶を受け取り、少しすすった。
雪は湯呑みから唇を離すと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「鬼さまは・・・わたし、を、食べないのですか・・・?」
「なぜ妻を食べる必要がある?」
「わたしはかつて、あなたの生贄に差し出されたと聞きました。・・・なぜ、殺さないのですか?」
「――雪のことが愛しいから」
龍胆はほのかに頬を染め、ほほ笑む。瞳はしっとりと濡れ、雪の手をそっとすくう。
「愛しくて、愛しくて。この髪の毛一筋さえ誰にも渡したくない。――でも、どれだけ愛しても、今の君には届かないのだろうね」
「・・・ごめんなさい」
雪は他人行儀に頭を下げた。手を引っ込める。
「あなたとは夫婦になれない。――他にいい人をお探しください」
「・・・俺は、君以上の女性を見たことがない」
雪は顔を上げた。龍胆は雪の頬へ手をすべらせる。顎を上向かせた。
「凛とした後ろ姿、御仏のような優しい笑み、俺のようなものでさえ受け入れてくれた大きな器の心――・・・」
龍胆は雪の細い腰を、片手で抱き寄せた。
「っ! あ、あの・・・っ」
龍胆の美しい瞳は、雪の視線を絡め取り、離さない。だんだんと近づいてくる桜色の唇に、雪は狼狽した。
「なに、を・・・」
雪は顎を指先でつままれ逃げられない。龍胆はそのまま唇を奪った。
ちゅっと、短い音を立てて離れる唇。
触れるだけの口づけ。
龍胆の髪は黒髪へと変貌してゆく。龍胆は顔を離す。互いの吐息が混ざり合う。
――このまま、すべて奪い去ってしまいたかった。
強引にでも雪を抱けば、すべて思い出すのではと都合よく解釈して。
だがそんなこと、あるはずもないし、できるはずもない。
龍胆はくらくらと目を回す雪の頬を、両手で包み込む。
「すまない。――俺の妻は、雪じゃないと駄目なんだ」
(ごめん)
龍胆は雪を抱きしめ、髪に顔を擦り寄せた。
(逃がしてやれなくてごめん。手放してやれなくてごめん。ごめん、雪――・・・)
こんな自分に捕まったのが運の尽きだろう。幼かった雪の笑顔を思い出し、龍胆は目を閉じた。
龍胆は小梅に雪の世話を任せると、白木蓮、桔梗、菫の集まる客間に顔を出した。
桔梗は髪の色が変わり人間になった龍胆を見て、「おおっ?」と目を輝かせた。
「さっそくイチャついてきやがったか! 新婚め」
「やかましい」
龍胆は真面目な顔で、八つ当たりを兼ねて桔梗を足蹴にする。だらだら横になっていた体を押しのけ、正座した。
「白木蓮。ここまで付き合わせてすまないね」
「構いません。穢土城に呼ばれた時点で、俺は新しい職場はもうクビになっているだろうし」
「なぜ?」
「うどん屋だったが、店主が武士嫌いで。バレたらどの道クビでしたよ」
「そうか。・・・調査のほどは?」
「生憎、よそ者の俺では駄目でした」
白木蓮は首を振った。
菫は「どうしてですか?」と桔梗のあぐらをかいた膝に座って尋ねた。
「怪異討伐隊だったころは協力してくれたが・・・、やめたとわかると途端に話もしてくれなくなった。――閉鎖的な村だ。無理もない」
「よそ者には厳しいからな、田舎は」
桔梗は菫のやわらかい頬をつまんで堪能しながらうなずく。
龍胆は「ならば」と立ち上がる。
「俺は餓鬼――あやめを封じた桜の木を見てくるよ。なにか手がかりがあるかもしれない。菫もついてきてくれ。野生の勘がほしい」
「お姉ちゃんのためなら、しかたありませんね」
菫はポンッと音を立て、普通の黒猫へと変身した。そのまま龍胆の肩に乗る。
歩くのが億劫だったらしい。龍胆は小さなそのもふもふの頭を撫でると、白木蓮と連れ立って玄関へ向かった。
人間に戻った龍胆、白木蓮、猫になった菫は、例の死体が隠してあったという大桜へと向かっていた。
「村中、桜だらけだな」
舞い散る花びらを鬱陶しげに眺め、白木蓮はボヤいた。
「今向かっている大桜が親株でね。御神木だから邪気を払うと信じられ、村中に植えられたのさ。――あやめが人殺しを続け、屍食鬼は葬式をめちゃくちゃにしてきた。この村はさんざんだったから、何かに縋りたかったんだろう」
言いながら、龍胆は菫の頭を指先で小突く。菫は肩に乗ったまま素知らぬ顔をした。
田舎道は続く。
やがて、龍胆たちは足を止めた。
「なにやら、もめている声がするな?」
「行ってみようぜ?」
白木蓮と顔を見合わせ、龍胆は頷く。小走りで現場へと向かった。
――大工仕事の音がする。見れば、半分造りかけの建物がそびえ立っていた。
「この国の建築様式ではないな。・・・大工は皆、リコリス人か?」
リコリス人の特徴は、白い肌、金髪、漆黒の瞳だ。髪の色は黒や茶色と様々だが、男はターバンで、女はベールで隠さなければならない。宗教上決まっている。
大工たちは皆、ターバンを巻いていた。
菫がみゃおんと鳴いた。
「どうした?」
「龍胆さん。僕はこの人たちの香水、嫌いです」
まだ現場から離れた場所にいるが、さすが獣。嗅覚が良い。
「骸屋とおなじにおいがします」
「なに?」
龍胆と白木蓮はぎょっとした。素早く駆け寄り、気配を殺し足音をなるべく立てず群衆に紛れ込む。
もめているのは、村人とリコリス人の女性たちだった。
「悪いことは言わねぇ。さっさとこの村から出てけ! ここはよそ者が住んでいい場所じゃねぇんだ!」
「あらあら。それはなぜデスカ?」
カタコトの発音で返すリコリス人の女性は首を傾げた。
「ここに移住する許可は取ってありマス。なにか問題でも?」
美しい女たちだった。二人で村人に対応している。建物の方にも七、八人の女がいて、大工に指示を出していた。
龍胆と白木蓮は油断なく木の陰に隠れながら様子を見ていた。
「牛みたいにおっきい胸だね」
菫が猫のままささやく。
「雪お姉ちゃんの胸の方が品があってきれいだよ」
龍胆は眉間を抑えた。白木蓮はわかりたくないらしい。他人のふりをしている。
「・・・菫。今は黙ってろ」
だが的を得ている。龍胆はしぶしぶ女たちを観察した。
真っ黒な異国の民族衣装を来ている。鼻と口も闇色のベールで隠しているが、透けるほど白い肌はつやつやしていて、露出度が少なくても目を引いた。切れ長の瞳は黒真珠のよう。美しく穏やかな色をしていた。首から下げた黄金の鎖のペンダントの赤い宝石だけが輝いていた。
村の日焼けやソバカスがある女たちとは、言わずもがな月とスッポンだ。嫉妬心をむき出しに村の女達は言う。
「あんたたち、気味が悪いんだよ。女ばかり十人で住むんだって? それも美人ばかり。うちの亭主をたぶらかす気かい!?」
「そうよ! だいたい、この村は呪われてるの! 鬼の巣窟。あたしたちは白桜さまの加護があるから生きていけるけど、あんたたちは異国の神を祀ってるんだろ? 餓鬼や屍食鬼から護ってもらえるのか、あたしゃ疑問だね!」
「白桜さまとはなんデスカ?」
「この村の御神木だ」
白髪の老人が口を開いた。重々しく語る。
「何百年も前からこの村を守ってこられた御神木だ。一年中、開花し続ける神秘の木だ。――ほれ、そこに咲いている桜も、白桜さまの枝を接ぎ木して育った木だ」
女たちは振り向く。見事な桜が、大輪の花を咲かせていた。心奪われるそれを、リコリスの女はゴミを見るような目で見上げた。
「ああ、この『臭い花』デスか?」
女は顎で大工の男を呼んだ。男は頷くと、斧を手に、ずんずんと桜へ向かって歩き出す。
なんの躊躇もなく、斧を振り下ろした。
桜の幹に鋭い刃が食い込む。メキメキと音を立て、桜は倒れた。
「なんてことをっ!」
白髪の老人は腰を抜かした。
「なんて罰当たりなことを! 天罰が下るぞ!」
村人たちはざわめき、戦々恐々としている。龍胆と白木蓮は頷き合い、潮時だとその場をあとにした。
菫はポンッと音を立て、子供の姿に戻る。
もと来た道を戻りながら、龍胆は首を傾げた。
「――『臭い花』と言っていたが・・・。桜はほぼ無臭だった。どうだね? 菫」
「あの人達の香水よりマシなにおいですよ」
ふと、背後から視線を感じた。
龍胆は振り返る。――女がこちらを見ていた。
一瞬、妖艶な瞳の色が変わった気がした。赤い舌がベールの中で舌なめずりしているような。
(俺は気に入られたようだな・・・)
龍胆は相手にせず歩を進める。もう、女の視線は追ってこなかった。
「花散里の大桜――白桜はこの先だ」
龍胆は言う。
ひときわ見事な枝ぶりの桜が見えてきた頃。後から女が二人、「ちょっと待ってクダサイ」と追いかけてきた。
龍胆と白木蓮は立ち止まる。菫はこそっと龍胆の影に隠れた。
「・・・なにか、ご用でしょうか?」
警戒を解かず、白木蓮は問う。女二人は大きな胸に手を添え、自己紹介を始めた。
「ワタシの名前はサンドローズと申しマス」
「ワタシは妹のデザートローズです」
スカートの裾をつまみ、優雅に膝を折り挨拶する。龍胆は(どちらの名も『砂漠の薔薇』か)と解釈した。
『砂漠の薔薇』は、リコリスの鉱物で、薔薇のような形状をしている。
龍胆はにこりと愛想笑いをした。
「美しい名前ですね。・・・それで、ご用は?」
「あなた方も移住者の方デスよね? 態度でワカリマシタ。村に馴染めていないご様子」
「移住者同士、仲良くしたいのデス」
姉のサンドローズは龍胆の腕に胸を押し付けるように絡ませてきた。龍胆は不快感に眉間にシワが寄るのをどうにか耐える。妹のデザートローズも白木蓮に同じようにぴったり体を密着させている。
菫は「雪お姉ちゃんがいるのに、良いご身分ですね」と目を平べったくした。
龍胆は笑顔のまま、腕を引き離そうと力を込めるが、女は遠慮なく渾身の力で抱きしめてくる。
「すみませんが、俺には妻と子供がいるんです。こういうのはちょっと・・・」
「そうデスか? ならば奥様とも仲良くしたいデスね」
女は瞳を曇らせ、にやりと笑う。
「ワタシはきっと奥様より美しいのでヤキモチを焼かせてしまうかもしれマセンが」
「――」
龍胆はしばし女を見下ろした。金色の髪や美しい瞳。大きな胸、細い腰。どれもリコリスでチヤホヤされてきたであろう。大国でもなかなかいないほどの美人だ。
――だが。
龍胆は膝を折り、女と視線を絡ませた。吐息がかかるほど顔を寄せる。女の頬はベールの下でほのかに染まった。
龍胆ははっきりと言い放った。
「冗談がお上手だ。――ならば俺も冗談を言おう。俺の妻はあなたよりもっと美しい」
「――!?」
女は狼狽した。こんなことを言われるのは初めてなのだろう。白木蓮も同じく、うっとおしそうに手を振り払っている。
女は震える声で尋ねる。
「それは、興味深いです。・・・ぜひ一度、会わせてください」
嫉妬と憎悪さえ見て取れた。龍胆は内心ほくそ笑む。この隙に腕を引っこ抜いた。
女たちはそれでもなお、しつこかった。
結局、白桜を見るどころではなくなり、龍胆たちは帰宅することになった。
「気力をかなり持っていかれたね」
「俺は二度と会いたくない」
龍胆は深々とため息をつき、白木蓮はげんなりしていた。
雪は龍胆に口づけられた唇を指でそっと撫でた。
『俺の妻は、雪じゃなくちゃ駄目なんだ』
――なぜ?
雪はわけもなく涙を流した。ぽろぽろとあふれて止まらない。
――あの人は、誰・・・?
「誰なの・・・?」
口に出すほど切なくて。涙が込み上げてくる。これは――・・・?
恋?
「っ」
一つの答えにたどり着いて、雪はどきっと心臓が跳ねた。
(そんなわけないわ!)
雪はばさっと布団をかぶった。顔が真っ赤に染まっている。
誰にも見られたくなくて、雪はしばらく布団から出てこなかった。
ひとり取り残された桔梗は、これでやっと煙草が吸えると煙管を取り出した。
火種を入れ、火鉢からもらい火しようとした時、ふと、手を止めた。
二階の様子が気になったのだ。
雪の傷は順調に回復している。だが、なにかが気になる。
(普通、そろそろ記憶は戻るよな・・・?)
傷による一時的な記憶の混乱なら、もう乗り越えてもいい頃だ。
「・・・くそっ」
桔梗はめんどくさげにバリバリと頭をかいた。白衣の袖を翻し、どすどすと足音を立て階段を登る。
雪の部屋の、開けたままの襖。――そこから見える景色。
階段から顔を出した桔梗の足は凍った。
桜の花が、所狭しと部屋中に咲いていた。
枝という枝が壁や畳から生え大輪の花を咲かせている。雪を包み込むように、花影に隠してしまうように。
花の多さは並の桜とは桁違いの多さだった。
――神隠し。
その言葉がピッタリ合うような、美しくもゾッとする光景だった。
桔梗は瞬きをする。
刹那、桜は消えた。
桔梗はあわてて雪に駆け寄った。
そこには雪以外誰もおらず、雪は布団の中で丸くなっている。規則正しい寝息を立てていた。
「・・・」
桔梗は目を平べったくすると、桃色の唇から、長々と紫煙を吐き出した。
「龍胆。話は聞いていたが・・・。お前の嫁さん、油断も隙もなくあやかしものに好かれるらしい」
雪の呑気な寝顔を見下ろす。
美しい長髪、長い睫毛、雪のような美しい肌、赤い唇――・・・。
「おっと。俺が魅入られるところだった」
桔梗はさっと目を逸らした。
(この女、この俺でさえ、一歩間違えれば攫ってしまいたくなる。とんでもねぇ上玉だ)
雪はかわいい弟子の嫁なのだ。手を出すわけにはいかない。いかないが――・・・。
「ま、俺のほうが先に出会っていたら、確実に嫁にしてたけどな?」
ニヤリと笑って、桔梗は立ち上がる。雪へ、片目をぱちんとつぶってみせた。獰猛な本性は隠さねばなるまい。
「お母さんは誰の嫁にもなりませんよ」
白けた声がした。小梅が、頬を膨らませて立っていた。
「まったく。男はみんなケダモノです」
桔梗は「さっきの見たか?」と首を傾げる。小梅は頷いた。
「見ましたよ。僕のお母さんはかわいいですからね。男どもが群がってくるのもわかります」
桔梗は首がコケた。二人ともいたって真面目だが、襲われ慣れているせいでふわふわした会話になってしまう。
桔梗と小梅は念のため、雪の部屋を替えることにした。雪を簀巻きにすると、一階の龍胆の部屋へと運んでゆく。
「なにっ? 下ろしてください!」
雪は暴れたが、簀巻きにされれば手も足もでない。
桔梗は細身の体でひょいひょい階段を降りてゆく。
「部屋替えだよ。知らね―男にかどわかされるより、旦那と一緒がいいだろ?」
「わたしに旦那さまなんて・・・・きゃあっ!」
桔梗は龍胆の部屋へ、放り込むように無造作に降ろす。小梅はちゃっかり雪の布団に潜り込む。見張りのためだ。
「ちょっと待って! あっ」
あわれ、完全に自由を奪われた雪は、襖をピシャリと閉められた。
小梅のみが、幸せそうに雪に抱きついていた。
「さて、と・・・」
一人になった桔梗は、雪の部屋を再調査し始めた。
(あやかしの痕跡なら、残っているはず)
伊達に三百年生きてきたわけではない。
畳にしゃがみ込むと、虫眼鏡で先程の怪異の名残を探す。
やがて、桔梗は体を起こした。
「はい。みぃつけた!」
鑷子で摘んでいるのは、まやかしの花びらだ。本体がいなくなったためか、存在を保てなくなっている。ぐにゃぐにゃと、揺れていた。
桔梗は花びらを次々見つけていった。
(外に続いてやがる。――追ってみるか)
桔梗は窓から屋根へ飛び降りると、そのまま突風を巻き起こし消えた。
龍胆と白木蓮、菫は、前方から見慣れたつむじ風が近づいてくるのに気づいた。
「師匠・・・? なんでここへ?」
龍胆たちはつむじ風の後を追う。やがて風の中から桔梗が現れた。桔梗が立っている場所は――・・・。
「白桜!? ・・・これが・・・・」
樹齢五百年といったところか。巨大な幹はごつごつとしている。ところどころ風で折れたまま花を咲かせる枝もあり、悠久を生き抜いてきた強さを感じた。
幹には、あやめが死体を保管するのに使っていたであろう樹洞が空いていた。
「お地蔵様があるよ」
菫が指差す。小さな手が指す先には、赤いよだれかけをつけた、かわいらしい地蔵が祠に安置されていた。
龍胆は桔梗のそばへ寄る。長い付き合いだ。何かを探しているのはすぐ気づいた。
「どうしましたか、師匠」
「ククッ! 聞いて驚け、龍胆」
桔梗は顔を上げると、いたって真剣な眼差しで、弟子へ告げた。
「お前の嫁は記憶喪失じゃねぇ。――『記憶封印』されてるんだ」
――!?
龍胆の指がピクリと動く。
「どういう、こと、ですか?」
龍胆の問を嘲笑うように、風はいっせいに花びらを散らす。ざあっと花のこすれ合う音が、この時ばかりは耳障りだった。




