鬼の医者
「なぜ鬼が、医者などやっている?」
白木蓮は油断なく瞳をスッと細める。桔梗は慣れた質問だったのか、めんどくさそうに頭をかく。
「そりゃ、俺がもと人間の医者だったからさ」
本当に面倒くさいらしい。厨へ降りるとスタスタこちらへ歩いてくる。
さっさと湯を沸かした鍋を持ち上げた。
「そんなことより、片付け手伝え。ガキどもは好きにしろ。その代わり、騒ぐんじゃねぇぞ」
ぬるま湯を作ると、またさっさと厨から消える。白木蓮は釈然としない。
(近頃、あやかしの知り合いが増えている気がする・・・)
怪異討伐隊として、それはどうなのだろう?
首をひねりながら、白木蓮は刀をおさめた。
二階へ上がると、子どもたちは雪まっしぐらだった。
「お母さん!」
「お、お姉ちゃん・・・」
雪は規則正しい寝息を立てていた。出血が多かったにもかかわらず、唇は変わらず赤い。
隣では、まったく心配されない龍胆があぐらをかき、雪の手をぎゅっと握っていた。
龍胆は髪はぼさぼさ。瞳はどこか虚ろだが、説教の効果があったのか、少し覇気がある。
桔梗は湯を持ってくると、手ぬぐいに染み込ませ、絞る。
龍胆の血だらけの顔をごしごし拭った。
「おい、バカ弟子。テメーは血まみれで汚すぎる。風呂入って来い」
「・・・わかった」
龍胆はぼーっとしたまま立ち上がり、ふらふらと階段を降りていった。
桔梗は次に小梅に、
「雪の身体を清めて、着替えさせたい。小梅だっけか? 傷口に触らねーように拭き取れ」
とホカホカの手ぬぐいを渡す。小梅は喜んで受け取った。
白木蓮は「俺はどうする?」と尋ねる。雪は人妻だ。できることは限られている。
桔梗はめんどくさそうに、わしゃわしゃと頭をかいた。
「お前も着替えるんだよ。・・・ったく。どいつもこいつも血まみれで汚ぇ。全員着替えろ! そのあとは・・・、菫と一緒に、一階を人が住める状態にしてくれ」
死神が何もかもメチャクチャにしていった。白木蓮と菫は顔を見合わせると、鼻から長々と息を吐いた。
死神に殺意を抱いたのは、なぎ倒された家具、壁の爪痕を見た瞬間だった。
「あの野郎、この狭い廊下でどんだけ暴れたんだ・・・」
浴衣に着替えた白木蓮は、自分も一発殴っておけばよかったと後悔した。
菫は着物かけに飾られたままの白無垢へ駆け寄る。・・・幸い、汚れもなく無事なようだ。
すると、湯上がりの龍胆が顔をのぞかせた。
「早かったな、龍胆さん」
「俺は鬼だからね。身体は温まらない。洗うだけさ」
そう言うと、龍胆は菫から白無垢を受け取った。
「――」
彼はしばらくそれを撫でていた。白無垢姿の雪の笑顔がよみがえる。雪の結晶のように美しかった。
龍胆はため息を付くと、丁寧にそれを畳んだ。
大切に長持ちにしまう。
蓋を締めると、龍胆の顔はしっかりした。
「すまない、白木蓮。客人にいろいろと手間をかけさせてしまった」
「なに水臭いこと言ってんだよ。俺は今独身だからな。家事とか、手伝えることもあるだろうぜ」
「ぼくもいますよ」
菫は早くもたすき掛けしていた。頭にはハチマキまで巻いている。片付けへの気合が見て取れた。
龍胆は苦笑する。
おもむろに白木蓮と紺色のたすきを手に取ると、
「やるか」
と三人、メチャクチャの家具へ立ち向かった。
「この家は、どうやって建てたんですか?」
菫は剛腕で切り裂かれた箪笥を持ち上げながら、首を傾げた。
「屍食鬼には、いくつか能力があってね・・・」
龍胆は壊れた鏡の破片を拾いながら続けた。
「幻の館を作ることができるんだよ。――この家は以前、小さかった雪と住んでいた家だ。あの頃は畳も壁も今以上にぼろぼろだった。俺が術を解けば、またあばら家に戻るよ」
「ならばその術とやらで、この壁の傷も直るのか?」
「ああ。家具は買ったものだから直らないが、壁や畳なら――・・・」
龍胆は青い瞳をキラリと光らせた。手を合わせる。
すると、壁の破片がゴロゴロと音を立て、宙に浮いた。破壊された壁の隙間を埋め、修復される。
破れた畳はい草が香しい青畳へと変化する。
そこには、新築同然の部屋と廊下が広がっていた。
「こんなものかな?」
龍胆は得意げに笑う。白木蓮は魔法にかかったように口を半開きにして見ていた。
「ぼくはできないんだよ」
菫は頬をふくらませる。片付けは破壊された家具のみとなったのだった。
小梅と白木蓮の食事を、龍胆と白木蓮、菫は作る。菫は踏み台に乗っている。
白木蓮も料理はできるらしい。
「俺も雫の看病してたからな。料理ぐらい作れる」
大根の皮を向きながら、白木蓮はぽつりと言った。龍胆は元部下の意外な一面を興味深げに見ていた。
「龍胆さんは、味覚が違うんだろ。どうやって味見してたんだ?」
「昔の記憶を頼りにね」
「あんた、本当に器用だな」
菫は慣れないおにぎりと格闘していた。
「人間の食べ物はりかいできませんよ」
このおにぎりを食べるのは小梅だ。菫は梅干しを入れ、更に塩を増やす。雪を取られたささやかな嫌がらせである。
一階のもろもろのことが落ち着いた頃、二階では、雪が息を吹き返した。
雪はぱちりと目を開けた。
「ここは・・・どこ・・・?」
ホカホカの手ぬぐいで顔を拭いていた小梅は、思わず取り落とした。
「お母さん! 目を覚ましたんですね!」
布団にぎゅうっと抱きつく。桔梗はというと、雪の表情が少しばかり気になった。
(なんだか、妙にぼうっとしてやがるな・・・)
嫌な予感は当たるものだ。小梅の歓声を聞いた龍胆と菫が階段を駆け上がってくる。
雪は体を起こした。ゆっくりと、泣きじゃくる小梅の頭を撫でる。
そして、首を傾げて言った。
「坊や。どこの村の子・・・?」
全員に激震が走った。
小梅は涙が枯れた。菫はあんぐりと口を開ける。白木蓮は桔梗のそばに寄り、「何事だ?」と囁いた。
「ゆき」
龍胆は、かすれた声で名を呼び、恐る恐る近づいてくる。
雪はゆっくりと龍胆を見上げた。
「・・・どちらさまですか?」
警戒している声色だった。龍胆の歩みが止まる。雪は「菫ちゃん、こっちへおいで」と子どもたちを呼び寄せると、小梅と菫を護るように抱きしめた。
「あなたは、『鬼』なのですか?」
雪は桔梗と竜胆、見慣れない男の白木蓮をキッと睨んだ。
「人か鬼か。どちらでも構いません。この子達には、指一本触れさせませんよ」
龍胆は身体が石のようだった。だがどうにか一歩踏みしめる。怯える子猫を捕獲するような動きで、雪へと手を伸ばした。
「ゆき。怖くないよ。――俺だ。龍胆だ。ここは俺と君の家だよ」
「――っ」
雪は逃げることしか考えてないようだった。男ばかりの部屋だ。無理もない。雪は布団から立ち上がると、小梅を抱き上げ、菫の手を引くと、龍胆の横を素通りして階段を降りた。
「まずい、今あの体で外に出たら、また倒れるぞ!」
桔梗が叫ぶ。龍胆は我に返り、雪の跡を追った。
「雪お姉ちゃん、どうしちゃったの?」
菫が叫ぶ。雪は首を振った。
「菫ちゃん、どうしてあんなお化け屋敷にいたの? 知らない人にはついて行っちゃ駄目だって教えたでしょう」
「・・・うん」
菫はうつむく。とりあえず話を合わせる。
「お母さん。落ち着いてください。傷口が開きますよ!」
小梅が叫ぶ。案の定、雪の肩は血が滲んでいた。
雪は「傷・・・?」と怪訝な顔をした。自分が襲撃されたことすらおぼえていないらしい。
それでも玄関まで裸足で降り、戸を開けようとする雪の小柄な背中を、誰かが抱きしめた。――龍胆だ。
「ゆき。落ち着いて。どこへ行くつもりだ?」
龍胆は泣きそうな静かな声で雪の耳元で囁く。雪は暴れ、もがいた。
「離してくださいっ! わたしには、帰る家が――・・・」
雪の動きが止まった。
(帰る、家・・・?)
「あ、れ・・・?」
――帰る家・・・?
小梅をするりと下ろした。雪はぽろぽろと、涙が止まらない。
「わたしに、帰る家なんて、どこに、も・・・・」
ふらりと身体から力が抜ける。気を失った雪を、龍胆は支えると、横抱きにして部屋へ連れ戻した。
「一時的な記憶の混乱だろうな」
桔梗は鎮静剤を雪に飲ませると、布団の横であぐらをかいた。腕を組む。
「俺のことは忘れていたが、菫のことは覚えていたようだった」
龍胆は静かに言った。
「親を殺されたことも、俺と暮らしていたことも覚えていない。記憶が断片的にしか残っていないんだろう」
「治るのか?」
白木蓮が口を開いた。桔梗は「ううん・・・」と首をひねる。
「戻るかはわからねぇ。大抵は今の状態のまま慣れていくか、ふとした拍子に思い出すか、だな」
「ぼく、他所の村の子って言われました・・・」
小梅がすすり泣く。龍胆も同じ気持ちだ。小梅を抱き上げ、あぐらをかいた膝に座らせる。珍しく、小梅は龍胆の腹に抱きつき、大声で泣いた。
菫は雪の枕元で横になる。体を丸めて、小さな手で雪の頬に触れた。
「お姉ちゃん、たぶん馬小屋で寝ていたときのまま時間が止まってるんじゃないかな?」
「――馬小屋?」
龍胆が目を見開く。菫はなにか食い違いがある気がしてドキッとした。
「知らなかったんですか? 龍胆さん。雪お姉ちゃんは、十年間も馬小屋に寝かされてたんですよ?」
「なにっ!?」
小梅と龍胆は同時に叫んだ。桔梗は煙管を取り出し、火種をつける。
白木蓮は花散里に調査に来たときのことを思い出していた。
「雪さんは生贄に差し出されたとは聞いていたが・・・。馬小屋にいたなんて聞いてないぜ」
一同、沈黙する。桔梗は紫煙をくゆらさせながら、「口減らしだろうな」とつぶやいた。
菫は「はい」とうなずく。
「あの頃、村は飢饉が続いていました。――お姉ちゃんのお世話してたのは僕です。あやしまれないよう、数年おきに姿を変えて。・・・子供の姿でいたほうが、警戒されないから。夜はもとの化け猫の姿になって、おふとんの代わりに温めてました」
龍胆は顔色が真っ青だ。桔梗も眉間にシワを寄せている。
菫は「なんで」と竜胆に問うた。
「なんで、もっとはやく迎えに来てあげられなかったのですか?」
龍胆は額に手を当て、頭を振った。
「俺は、何度か雪を見に来た。遠くからだったが。――仏花のユリの根を探しながら、雪を遠くから見ていたんだ」
「俺もいたぜ」
桔梗は煙を吐き出すと、渋面した。
「確かに、雪の笑い声や子供らと遊ぶ姿を龍胆の隣で見てた。――ありゃあ、幻だったのか?」
白木蓮と小梅は話題についていけない。沈黙を通す。
やがて、桔梗は煙管の灰を火鉢に捨てると、重い口を開いた。
「どうやら、俺達はこの村の何かしらの怪異に騙されてるみてぇだな」
――語らねばなるまい。龍胆と雪の空白の十年間を。
そう言って、桔梗と竜胆は重い口を開いた。




