魔王の娘
雪は鏡の中から菫と露の名を呼んだ。
菫は耳がピクリと動き、「おねえ、ちゃん・・・?」とうわ言のようにつぶやくと、また動かなくなった。
雪は今すぐ駆けつけたいが、骸屋がおろしてくれない。大声で名前を呼ぶことしかできなかった。
露姫は菫よりもっと悲惨だった。
だいぶ殴られたのだろう、顔が半分腫れ上がっている。蹴られたのか腹を抑え、掴まれた髪はブチブチと抜ける。頭皮には血が滲んでいた。
これでもかと暴れる雪を、その人間は露の髪を掴んだまま顔を上げ、見つめてきた。
黒髪は長い。しかし女にしては背が高い。白い狩衣を着ている。ふらりと裸足で立っている。
顔には、翁の面をつけていた。
「紅葉・・・! ようやく我が前に現れたか」
激しい怒気を含んだ声。雪はゾクッと全身の肌が粟立った。
骸屋が耳元で囁く。
「ゆき。今は何も言うな。怒らせないように気をつけろ。――俺のそばから離れたら、殺されるぞ」
「何をコソコソしている。魔物ふぜいが、連れてくるのが遅すぎるぞ!」
男の声。青年の若い声だ。
しゅるり。男は翁の面の赤い紐を解く。
ゆっくりと、顔から外した。
露姫は、ひゅっと息を呑んだ。
痛ましい火傷が、顔半分を覆い隠すように広がっていた。髪を結えないのは頭皮まで焼かれたからか。袖から覗く右手も同じく焼けている。身体の方も相当な怪我をしていることは明白だった。
露姫は、震える声で言った。
「夕顔、さま・・・? そのお顔は」
「露姫。とことん使えぬ。十六夜家の恥さらしめ! 誰のせいでこんな顔になったと思っている!?」
「夕顔・・・?」
わからない様子の雪へ、骸屋は言う。
「雪。お前の実の兄貴だよ。十六夜薔薇の長男坊さ」
今度は雪が目を丸くした。おずおずと火傷の男を見つめる。
(夕顔・・・? わたしの兄さま?)
言われてみれば、顔は雪と瓜二つだ。
すると夕顔はニタァッと笑った。
「どうだ、愚妹よ。兄の顔を傷物にした気分は?」
「傷物・・・? わたしがなにを?」
わからない顔の雪に、夕顔は突如激昂した。
「お前が露の呪詛返しなどしたせいでこうなったのだっ!!」
男は翁の面を投げつける。雪にぶつかる前に、骸屋は面を払い落とす。
「自業自得だろ」と言った。
「人を呪わば穴二つ。咒術を扱うものなら、そんくらい皆心得ていることだ」
「黙れ! 十六夜家の『犬』ふぜいがっ!」
「犬だと?」
骸屋は癇に障ったらしい。足元には、無数の子鬼が群がり始めた。満月の如き黄金の瞳はらんらんと光る。
「わきまえろよ人間。誰のお陰でここに来られたと思っている?」
夕顔は舌打ちして「わかっている」と忌々しげに雪へと視線を移した。
「紅葉を渡せ」
「やだね」
骸屋はひょうひょうと言う。
「渡せと言っているだろうっ!!」
夕顔は露の華奢な身体を持ち上げると、骸屋めがけて投げ付けた。骸屋は避ける。哀れ、露姫は柱にぶつかり、頭から血を流した。
「露ちゃんっ!」
雪はとうとう、骸屋の腕の中から身をくねらせ、畳に落ちた。手足はまだ縛られたままだ。そのままどうにか畳を這い、かばうため露姫に覆いかぶさる。
「ゆき、ちゃん・・・?」
呼吸が浅い。意識が朦朧としているのだろう。
骸屋は雪を抱き上げようとして、こちらへものすごい勢いで向かってくる数名の足音に気づく。
(あの鬼・・・。よくこの場所がわかったな)
龍胆に鉢合わせれば、今度こそ殺される。
案の定、現れた龍胆は凄まじい殺気を全身に帯びていた。将軍と白木蓮もあとに続いて大広間へ入ってくる。
「ゆきっ!」
龍胆は雪のそばに立つ骸屋を敵と判断したらしい。夕顔そっちのけで走ってくる。
骸屋は軽く舌打ちすると、雪の頬へちゅっと口づけた。
「じゃあな。雪・・・」
骸屋の姿はゆらりと掻き消えた。足元に群がっていた子鬼も消える。龍胆の刀は空振りに終わった。
(露姫様を打ち据えていた子鬼はあれか)
白木蓮は冷静に現場を見る。
龍胆は露姫から離れない雪を抱き上げ、将軍は顔中血まみれの妻を抱き起こした。
「うえ、さま・・・」
露姫はかすれた声で言う。将軍はぎゅっと抱きしめた。
「――遅れて、すまなかった」
「いいえ・・・」
露姫ははにかむ。そのまま気絶した。
将軍は妻を白木蓮へゆだねる。ここから逃げるよう命じた。
振り返り、夕顔を睨みつける将軍は、怒りで白眼が充血していた。激しい怒気をぶつける。
「貴様――・・・!!」
それは龍胆も同じこと。
雪の鎖を解いた龍胆は、雪から漂う香水の香りに指がぴくりと動き、石のように動かなくなった。
雪はそれだけで、龍胆が猛烈に怒っていることを察知した。目をそらす。それほど今の彼は怖かった。
夕顔の気が将軍にそれている間に、雪は刺されて動けない菫を確保した。あどけないかわいい声で、菫は笑う。
「雪お姉ちゃん。無事だったんだね・・・。よかった・・・」
「っ」
雪は泣きながら菫に頬ずりをする。傷は浅いようだった。「ぼくうごけるよ・・・?」と立ち上がろうとする子どもを、雪は腕の中に抱き込んで止めた。
龍胆は殺気を帯びたまま、無言で立っていた。青い瞳はじっと雪を観察している。
横に流れた涙の跡。乱れた着物、歯型のついた耳の傷。首筋の鬱血根・・・。
なにより、男者の香水が雪の匂いをかき消していた。
「ゆき」
「は、はい・・・」
「君をそんなふうにしたのは、誰だ?」
雪は顔をそらしたが、それが逆にいけなかったらしい。龍胆は雪の顎を乱暴に掴むと、強引に視線を絡ませる。
「誰だ」
地を這うような鬼の声。龍胆の目はゾッとするほどギラついている。
・・・雪は根負けした。
「む、骸屋さん・・・です」
「・・・口づけは?」
「されてません・・・・」
龍胆はため息を付くと、ゆっくり立ちあがった。
(怒りは収まったかしら・・・?)
雪はほっと息をつく。
「――」
龍胆は、無言で夕顔へと歩を向けた。将軍を追い越し、歩いてゆく。
将軍も夕顔も怪訝な顔をした。――刹那。
ゴッ!!
龍胆の拳は夕顔の顔面にめり込んでいた。
――!?
夕顔は鼻血を流して倒れる。龍胆はバキボキと指の骨を鳴らした。
ニッコリと笑顔で将軍に言う。
「上様。ここはお任せしてもよろしいですか?」
「それでいい。あとは余がやる。――お前はどこに行くつもりだ?」
「悪趣味な死体収集家のところです」
龍胆は雪と菫を抱き上げると、大広間を出て行った。
「舐められたものだな。護衛もつけぬとは」
夕顔は言う。髪は乱れ、鼻血が流れている。唇の端も切れ、死人と大差ない出で立ちだ。
「貴様を暗殺するため魔物と手を組み、死人まで操ったというのに、悪運の強い男めっ! 俺が直々に殺しに来ねばならないとは、屈辱の極みだ!」
「それはそれは。ご苦労だったな」
将軍はすらりと剣を抜いた。
「――よくも『俺』の妻を殴ったな」
将軍は、夕顔の首を鷲掴みにする。剛腕で、天井高く吊し上げた。
「妻を殺し、死後もいたぶった。貴様は俺がこの手で成敗してやる!」
その時だった。
花火玉が暴発したような、凄まじい爆発音が鳴り響いた。
鼓膜が破れそうだ。将軍は思わず、夕顔を手から取り落とした。
龍胆に抱かれ廊下を走っていた雪は、龍胆に庇われ身を伏せた。
恐る恐る目を開け――それから外がやたらと明るいことに気づいた。太陽光ではない。
障子は爆風で吹き飛ばされていた。龍胆は「雪はそのまましゃがんでろ!」と言うと、吹き飛ばされた窓から外を見て、愕然とした。
露姫をかばった白木蓮も窓から外を見る。
全員、息を呑んだ。
オペラハウスが、爆破され炎が燃え盛っていた。
白い風船のようだった建物はあっという間に崩れ、瓦礫の山と化す。建物の内部から爆破されたのか、逃げ出した人間は誰もいなかった。
死神のもとに取り残された小梅は窓によじ登り、どこかぼうっとした瞳で人々が燃えるのを見つめ続けた。
夕顔は咳き込みながら言う。
「異国の建物など、この城にも国にも取り入れるべきではない。愚かな将軍よ」
「っ!!」
将軍は思い切り夕顔を殴った。刀を抜く。
(余が残れと言ったばかりに――・・・・!)
「雪! おぺらはうすの中の人達を助けに向かうぞ!」
「は、はいっ!」
菫は変身する。巨大な化け猫になった。傷が浅いのは本当のようだ。
その背に乗り、雪と龍胆を乗せた菫は壁を突き破りオペラハウスへと一直線に向かう。雪はぎゅっと目を閉じる。瓦屋根を次々に飛び越え、ようやくたどり着いた目的地は、戦場だった。
爆発はまだ続いていた。破壊された隙間から、女や家来たちが這い出ている。
皆這々の体で助けを求めていた。
龍胆は火の粉を避けながら、ぐっと眉を寄せた。
――緑色の炎だった。
近場で見れば、奇妙なことが多かった。
這い出た者たちはどこも火傷していない。だが正気を失った様子でそぞろ歩いている。
水をかける者もいたが火はまったく消える様子がなかった。
(ただの炎じゃない。――なら、一体何の目的で?)
だが考える間もなく、次の爆発がおきた。大奥の女たちの絶叫が中から聞こえてくる。
龍胆は
「菫、雪を守れ!」
と叫ぶと、迷わず中へ入っていった。
建物の中は、逃げ惑う人々でめちゃくちゃになっていた。出入り口は人で溢れかえり、人混みで出られなくなっていた。
龍胆は足で壁を蹴り、破壊して出口を広くする。
ふと、ステージに取り残された女児を見つけた。
(親とはぐれたのか?)
龍胆は客席を飛び越え、娘の元へ向かう。膝を折り娘と視線を合わせた。
「大丈夫かい? 一緒に逃げよう?」
「ふふっ! ふふふふふっ!」
突如笑い出したあどけない声。顔を上げた娘の瞳を見た龍胆はぎょっとした。
白眼がなかった。
真っ黒な瞳は光がなく、宇宙のようだ。小さな唇は紫よりも濃いどす黒い色をしている。
童にもかかわらず、歯にはお歯黒をしていた。
娘は龍胆の腕を掴む。
「つーかまえたっ! ふふっ!」
龍胆は慌てて振り払おうとした。――瞬間、ゴオッと頭から爪先まで全身が炎に包まれた。
(なんだ、この緑色の炎は・・・!)
皮膚は焼けないが、代わりに体の奥が焼かれるようだ。屍食鬼に体温はない。それにも関わらず、炎はどんどん竜胆の身体を熱していく。
身体が熱くなってゆく。
「龍胆さまっ!?」
雪の声。龍胆はぎょっとした。
気づけば、人々は脱出して、龍胆と謎の少女だけになっていた。
「来るな! 雪!」
龍胆は必死に怒声を上げる。動かないはずの心臓が脈打った。
――ドクンッ!!
「ぐ、あ・・・っ!?」
白い爪は真っ黒に染まり、鎌のごとく鋭利な形へ伸びてゆく。桜色の唇は少女と同じくどす黒く染まる。青い瞳は白眼を埋め尽くし、髪の毛は結い紐を引きちぎる勢いで足首の長さまで伸びた。
背中は着物を突き破り、肉は形を変えてゆく。黒い角が背骨から七本ほど生え、四つん這いになった。
異形の鬼が、そこにいた。
「りんどう、さま・・・?」
雪は目を見開き、菫は雪の前に出る。
「雪お姉ちゃん。この炎に触れたらだめだよっ!」
雪の周りを、ぐるり炎が取り巻いてゆく。菫はやむなく雪を抱くと、空中へ跳躍し炎のない客席へと飛び移った。
「でもっ。私が口づけなければ、龍胆さまがっ!」
龍胆だったモノは、雪を見つけると、猛獣のように咆哮した。
ここはオペラハウス。ステージからの音はよく響く。鼓膜が破れそうだ。
「あれはもう、龍胆さんじゃない。雪お姉ちゃん、逃げなきゃ!」
菫は舌打ちする。あの様子では、近づくことすら困難だ。
雪は首を振った。
「わたしは夫の元を離れない。――死ぬときは一緒です」
「それは龍胆さんの本意じゃないよ!」
菫は強引に雪を抱き上げ、小さな体で炎の間をかいくぐり、やっとの思いでオペラハウスの外へ飛び出す。外は変わらず、緑の炎と家来たちが格闘していた。
菫はやっと逃げ出したオペラハウスへ逆戻りしようとする雪の膝にしがみついた。
「菫ちゃん、行かせてぇっ!」
「させない。たとえお姉ちゃんに嫌われても、僕はお姉ちゃんを守るんだ!」
刹那、龍胆――屍食鬼は壁を粉々に粉砕し、突き破ってきた。
人々は消火活動を投げ出し、「化け物が出た!」と逃げ出した。
屍食鬼は雪と菫の前でぐるる・・・と唸る。雪を狙っているのだ。
龍胆の背に乗った女児は変わらず微笑している。この娘が龍胆を操っている。菫は瞳をらんらんと青に輝かせながら、歯噛みした。
一方、将軍は夕顔と対峙していた。
「オペラ会場を燃やしたのは貴様だな!?」
笑い続ける夕顔。
将軍は刃を手の甲に突きたてた。夕顔は絶叫する。生まれてから一度も、殴られたことも刺されたこともなかった。
手の甲を貫通した刀を抜き、将軍は怒りをなんとか抑えようと、長く息を吐いた。
(この男には利用価値がある。今殺すには惜しい)
どこまでも合理的な自分が嫌になる。八つ当たりも兼ねて夕顔の首を蹴った。夕顔は白目をむいて倒れた。意識を刈り取られたのだ。
携帯していた荒縄で手際よく拘束すると、将軍は夕顔の上にどんと座った。
心の中は、オペラハウスに取り残してきた部下と女たちへの罪悪感でいっぱいだった。
突然、懐かしい声がした。
「女郎花よ。今は徳岡葵といったか。久しいな」
老人の声。将軍は顔を上げ、息を呑んだ。
そこに立っていたのは小梅だった。瞳は青く輝いている。表情は老人特有の穏やかな顔だった。
子供の口から、老人が言葉を紡いでいるのだ。将軍は(あやかしか!?)と刀に手をかける。小梅は――老人は片手でそれを制した。
「公家を椅子にする将軍は、お前ぐらいなものだろうなぁ」
「師匠・・・?」
将軍はぎょっとする。話し方、物腰、すべて剣を教えてくれた僧侶のものだった。
小梅の身体を介して、僧侶はニヤリと笑った。
「俺はお前の師匠であり仏敵。――第六天魔王だ」
将軍は息を呑む。子どもはしゃがむと、夕顔の顔へ手を添えた。
夕顔は、ぱちりと目を覚ました。
「貴様っ! この俺にこのような狼藉が許されると思うなっ!」
「夕顔や。愚かな人間よ。――父親の真似事をして楽しかったか?」
子供の口から発せられる老人の声に、夕顔はぎょっとした。
「まさか。あなた様は――・・・?」
「薔薇が残していった呪具をかき集め、ままごとをやったようだが。上手くいったのは『おぺらはうす』の爆破だけ。死人はほとんど骸屋に任せきり。――お前ほど咒術を面の皮厚く利用したものはおるまいよ」
「師匠。あなたは第六天魔王とおっしゃった。俺に剣術を教えたにも関わらず、朝廷の側についておられるのはなぜですか?」
将軍の問に、老人はにやりと笑った。獣のような、獰猛な笑みだった。
「ただの暇つぶしよ」
「なに・・・?」
「この世をひっくり返すのは楽しい。それだけだ」
面食らう将軍に背を向けると、老人は夕顔へ語りかける。
「俺の呪具を契約もせずに勝手に使った罪は重いぞ。さあて、この若造、どうしてくれようか」
「お、俺と契約してくれ!」
夕顔は畳に転がされたまま、唾を撒き散らし叫んだ。――しかし老人は笑うだけだ。
「お前では役不足だ。――愚か者め。薔薇がお前にではなく雪に力を授けたのは、跡取りが人間である必要があったからだ」
「――?」
「将来帝を操るものが、鬼であったならば、この国はさらに混乱するだろう。俺はそのほうが楽しいがな。・・・いや、簡単に滅ぶ国などつまらぬか」
勝手に納得し、老人は立ち上がる。
「さて。そろそろこの童子に身体を返さねば。雪に怒られては俺もこわい」
刹那、小梅の身体から真っ黒な煙が抜けていった。煙は窓から外へと行き、朝焼けの空へと消えていった。
菫は雪をおぶると、屍食鬼の鉤爪を交わした。地面はえぐり取られ、鉤爪の破壊力が見て取れる。
(僕一人でこいつに立ち向かうのは無理だ)
どうしたものか。思案している間に、ふと、笛の音が響き渡った。
屍食鬼にまたがる女の子は唇を噛んだ。
小梅が、優雅に桃色のベールを風に遊ばせ、笛を奏でていた。
「オイタはそこまでですよ、つらら」
「知り合いなの?」
菫が聞く。
「あやかしの妖力を高め操る緑の炎――。『おとうさま』も重用していた小娘です。夕顔さまに連れてこられたのでしょう」
小梅と少女――つららは睨み合う。
つららはおっとりと、
「あら。裏切り者の小梅じゃない。元気そうね?」
「おまえと会話する気はない。さっさと竜胆さんをもとに戻しなさい」
「嫌よ! これはもう私のものだもの。青い目、白い毛並み。気に入ったわ。私のペットにするの」
「ペット、ですって・・・!?」
雪は菫の背から降りると、拳を握りしめた。つららは嘲笑した。
「あら、あなた怒るってこともできたのね?」
「――」
雪の顔を恐る恐る見上げた菫と小梅はゾッとした。
雪は笑顔だった。今まで見たことないくらい。妖艶な赤い舌はぺろりと舌なめずりする。
菫と小梅は「マズイよ!」と顔を見合わせた。
「お母さんは魔王の娘。その能力を開放させたら、穢土が滅びますよ!」
「僕は滅んでも構わないけど・・・。後始末が大変そうだから協力するよ」
つららはというと、
(なに・・・? この女の違和感・・・!)
体がブルッと震える。身がすくむ。手汗をじっくりかいていた。
先に動いたのは、小梅だった。勇ましい曲調で笛を奏でる。一本下駄で軽々と跳躍すると、屍食鬼の背へ飛び乗る。笛が耳障りなのだろう、屍食鬼は暴れた。
つららは再度炎で屍食鬼を燃やす。変怪させようとした。――しかし、小梅の笛は炎をかき消し、屍食鬼にまたがっていた少女は振り落とされた。
「なにすんのよ小梅! ――きゃあっ!」
顔を上げた先に、雪の微笑みが待っていた。
つららは腰を抜かした。それほど、今の雪の笑顔は恐ろしいほど美しかった。
「竜胆さまを、返して?」
雪の瞳は青になったりもとに戻ったりを繰り返している。
(――魔王の娘だ・・・・)
つららは悲鳴を上げる。雪はその頬をゆっくりと包み込む。ちゅっと、おでこに口づけた。
炎が黄金に変わる。オペラハウスを始め、飛び火していた城内の炎はびゅうびゅうと黄金の桜吹雪に代わり、つららの下へ飛んでくると、ジュッと小さなその身を焼き始めた。
呪詛返しだ。
つららは絶叫した。地面を転がりまくる。
小梅は笛を奏でる。その曲に合わせて、つららの炎は鎮火した。
菫は仕返しにとつららに水をぶっかけてやる。小梅は縄でふん縛った。
雪は立ち上がると、黒こげになったつららをまたいで屍食鬼のもとへ――龍胆の下へ近寄っていく。
「りんどうさま」
龍胆は後退りする。雪は「逃げないで・・・」とその獣の大きな顔を包み、抱きしめた。
ガラス細工のような大きな青い瞳へ口づける。
ざあっと、黄金の花嵐が雪の長い髪を梳いてゆく。花びらの中から現れた、白髪の夫は、どこまでも美しかった。
雪はその頬へ手をすべらせる。
龍胆は目を開けた。美しい瞳はとろり濡れている。
「ゆき」
「りんどうさま」
龍胆は雪をぎゅっと抱きしめる。その髪へ顔を埋めながら、
「心配をかけた。――すまない」
雪の瞳は元の黒へと戻ってゆく。おぞましい笑顔も消え去り、いつものふわりとした笑顔に戻った。
「いいえ。竜胆さまはご無事ですか?」
「ああ。問題ない」
雪と龍胆は、互いに頬ずりする。
空はいつの間にか日が昇っていた。
城は朝日に照らされる。
城を包んでいた結界は朝日に溶ける。シャボン玉のように消えた。
城の中に差し込む太陽光は、死人の亡骸を照らす。死人はジュッと音を立てて燃えた。灰すら残さずに――・・・・。
白木蓮は露姫を抱え、オペラハウスの一連の出来事を見ていた。
(龍胆さん、戻れたんだな)
ほっと息を吐く。朝日が差し込む城内、露姫の腫れ上がった顔がより見えるようになり、白木蓮は胸を痛めた。
(頬骨、骨折してないと良いが・・・)
「おやおや。怪我人かい?」
いきなり耳元で囁かれた声。白木蓮はぎょっとした。
「誰だ貴様は!?」
「ん? ただの通りすがりの医者さ」
奇妙な出で立ちの男だった。
異国の白衣を着ている。裸足で大振りな下駄を履いていた。手には、つづらを持っている。
男は警戒する暇もあたえず、ひょいと近寄ってくる。露姫の傷に触り、溜息を付いた。
「こりゃひでえ。顔の形変わっちまうぞ」
「貴様、本当に医者なのか?」
「そうだって言ってんだろ?」
男はつづらの蓋を開けながら言った。白木蓮は姫を抱いたまま、中身をそれとなく確認した。
包帯や綿紗、鑷子。謎の液体が揺れる瓶などなど・・・。
医者を名乗る男は、綿紗に透明な液体を染み込ませると、露姫の顔を拭いていった。
「!」
傷は、綺麗に消滅していた。夕顔に掴まれた髪も、腫れ上がった目も、元通りのつるりとした肌に生まれ変わる。
露姫は目を覚ました。ぱちりと目を開く。――が、腹を抑えてうずくまった。
「御台さまっ!」
「ありゃりゃ。アバラも折れてるのかい?」
姫の身体に触れようとし、白木蓮は刀に手をかけた。
「さわるな」
「俺は医者だっての。部外者は引っ込んでな」
男は真面目な顔で姫の体に触れる。白木蓮はいつでも抜刀できるよう身構えながら、様子を見る。
男はつづらの中の薬箱から丸薬をとりだすと、「あーん」と口を開けるよう迫った。
露はまだ意識が朦朧としている。言われるがまま、口を開けた。
「おい、その薬は大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も。俺に直せねえ病はねぇ。あるとすれば『恋煩い』だけさ」
透明な液体で丸薬を流し込んだ露姫は、力尽きてそのまま眠った。
その額をそっと撫で、謎の医者は立ち上がる。
「これでよし。二三日安静にしていればすぐ元気になる」
「俺は礼を言うべきか? おまえ、人間じゃないだろう?」
「野郎から礼なんざ言われても嬉しかねぇよ」
医者はさっさと歩いてゆく。
「龍胆に、よろしく」
医者はそう言うと、瞬きの間に姿を消した。




