鏡の中
無理やりな場面があります。苦手な方はご遠慮ください
「雪? 目ぇ覚めたか?」
「っ!?」
雪は真っ暗な世界にいた。露たちと変わらず、身体だけ光っている。一つ違うのは、見覚えのある顔が間近に迫っていること。
骸屋のあぐらをかいた膝の上で、雪は目覚めた。
雪は短い悲鳴を上げる。甘い香水の香りが全身にまとわりつくように漂っていた。
逃げようともがくが、許されるはずもなく。
雪はあっさり骸屋の腕に抱き込まれてしまった。
「おひさしぶり、雪さん。クククッ! また一段と美しくなったな!」
「な、なんのようですか!」
雪はこれでもかと暴れるが、両手と両足には重い鎖が巻かれ、立つことすらままならない。
骸屋はひょうひょうと、
「聞くまでもねぇ。おいらの花嫁にするためさ」
雪はゾッとした。
「まさか・・・死神さんが言っていた悪魔って・・・・!」
「そ。おいらのこと」
色眼鏡の奥の瞳は満月の如き金色に輝く。全身から不気味な色香を放っている。
「あんたに会うために、めかしてみた。以前より男前になったはずだが?」
「知りませんそんなこと! 離してください。わたしはあなたと結婚なんてする気ありませんから!」
「ほーお? いいのかぃ? そんな態度取って」
骸屋はそう言うと、雪の耳元へ唇を寄せた。
「城中の人質、一人一人殺なぶり殺しにしてやってもいいんだぜ?」
「!」
雪の暴れる手が止まる。骸屋は「いい子だ」と囁くとそのまま流れるように雪を押し倒した。
「ひっ!?」
「ここじゃ、おたくの旦那は助けにこられない。おいらに抱き潰される覚悟決めろ。――愛しの花嫁」
雪の顔を包み込む両手。のしかかってくる体重。どれも竜胆と違う。雪は恐怖でかすれた声しか出なかった。
「龍胆、さまぁ・・・!」
「今その名を呼ぶな!」
骸屋は急に怒鳴った。そらした顔の無防備にさらされた耳に噛みつく。血が滲み、激痛に雪は首を振って嫌がった。
(甘い血・・・)
歯型がついた耳。滲む血を骸屋は舌で舐め取る。砂糖でできているのかと疑うくらい、この女は髪の香りも、肌も、すべてが甘い。
これが龍胆のものだなんて許せなかった。
骸屋は舌打ちすると、雪の顎を強引に掴み、雪の赤い唇へ自らの唇を寄せる。
「わ、わたしに口づけたら、死にますよ・・・・!?」
「どうかな? おいらは亡霊じゃないし」
「あやめさんは消えました。あなたも同類のはず」
「龍胆と同じく、おいらも元人間さ。死ぬかどうかは、あんたを気が済むまで抱いたあと存分に試してやる」
雪の頬に口づける骸屋。妖艶な唇は頬から首筋へと滑る。その一つ一つが心身を汚されていく気がして、雪は身をひねり、耐える。ぽろぽろと涙を流した。
「う・・・」
「――」
雪の涙を見た悪魔は、ふと動きを止める。雪の涙を唇で吸い取った。
「――」
骸屋は苦痛に耐えるような、泣きそうな表情をしていた。
(なぜ・・・? そんな顔をするの・・・?)
雪は泣いた。涙が溢れて止まらない。男は雪を押し倒したまま、ぎゅっと抱きしめてきた。
「クソッ!」
怒っているのか、失望しているのかわからない声。けれど抱き締める手は優しくて。雪はわけもわからず泣き続けた。
「泣き止めよ・・・」
ポツリと耳元で言われる。雪は首を振った。
骸屋は顔を上げ、雪の濡れた頬を包み込む。
「どうやったら泣き止む?」
「離れてください・・・!」
「それは無理な注文だ」
骸屋は今度はまぶたに口づけた。いつも龍胆はそうやって雪をあやしてきた。その思い出まで汚されてしまう気がして。もう龍胆に合わせる顔がなくなってしまった気がして。――雪は絶望した。
口づけるたびに、雪から表情が消えていく。
(――なぜだろう、な・・・)
骸屋はまたぎゅっと抱きしめた。髪の香りをめいいっぱい吸い込む。
雪を我が物にすると決めたとき。雪が泣こうが喚こうが、気にせず抱くつもりだった。
それなのに、泣き顔を見たくないと思っている。
――雪が笑顔を向けるのは、決まってあの鬼だけだ。
(なんで、おいらじゃないんだ・・・)
人殺しのあいつと、死体を売りさばく悪魔の自分。何も違わない。――違わないのに・・・。
雪はぼうっと霞んだ瞳をしていた。骸屋は唇を噛む。
「雪、おいらを選べ。選んでくれ・・・!」
返事は、返ってこない。
「――くそっ」
ヤケになって、赤い唇へ口づけようとした。――その時だった。
露姫の悲鳴が、雪の耳に届いた。菫の咆哮も聞こえる。
「露ちゃん・・・?」
雪の瞳に光が戻ってゆく。骸屋は舌打ちした。
「今くらい、おいらに集中しろ! 雪」
腹いせに首筋に吸い付く。チクッとした痛みが広がって、雪は短い悲鳴を上げた。
白い首筋には、赤黒い鬱血根が残った。骸屋はにやりと笑う。あの龍胆の反応が楽しみだった。
――そうだ。焦ることはない。
じっくり、たっぷり。時間をかけて。
(そうして、あの鬼の心を粉微塵にしてやる!)
骸屋は身体を起こす。ひょいと雪を抱き上げ、歩き始めた。
「ど、どこへ・・?」
「露姫が心配なんだろ? 連れてってやるよ」
急な心境の変化。雪は戸惑う。
「なんで・・・っ?」
「あのまま続きをしても、あんたの心は奪えそうにないんでね」
雪は瞬く。骸屋はニヤリと笑った。
「どうした? 惚れてくれるのか?」
「ま、まさかっ!」
「・・・だろうな」
骸屋はため息を付く。つまらないことこの上ない。
「せっかく着物も眼鏡も新調して、香水までつけたってのに。あんたは見向きもしない。冷たい女だね」
「以前と変わらないように見えます・・・」
ポツリと言えば、ギロッと睨まれ、雪は身を小さくした。
やがて、光が見えてきた。出口だ。
眩しさに目を細め、視界が開けると――・・・・。
雪はぎょっとした。
青畳に横たわる菫の身体からは、血が流れていた。露を探し、雪はひゅっと息を呑む。
翁の面をつけた人間が、血刀を手に、露の髪を鷲掴みにしていた。
「場所は大広間か」
血に濡れた手袋を外し、床に放る龍胆は、乾いた声で言った。
床には、子どもには見せられない状態の死神が転がっている。小梅は白木蓮の膝裏に隠れていた。
(雪お母さんのことになると、分別がないな・・・)
苛烈な拷問でも平然とやってのける。異常とも呼べるその行動力は、愛ゆえか?
将軍は苦笑いし、白木蓮は口を抑え、吐き気をこらえていた。
虫の息だが、死神は生きている。ニヤッと笑って言った。
「教えてあげたんだから、早く行きなよ。あのお姫様たち、散々な目に合ってるだろうから。――ぐはっ!」
龍胆に蹴られ、ついに死神は気を失う。小梅はここに残るよう言われ、将軍と龍胆、白木蓮は瞬速で行ってしまった。
取り残された小梅は、死神を笛でつついて遊ぶ。
ふと。
笛が熱を持った。
小梅はほほ笑んだ。
――その大きな瞳の色は、青に輝いていた・・・・・・。




