香り
雪と白木蓮、菫と小梅は、将軍の寝室の近くで、不意に漂ってきた花の香に足を止めた。
座敷の奥から漂っているようだ。
皆目配せし、白木蓮は油断なく身構えながら部屋へ踏み込む。
「これは――・・・」
白木蓮は刀から手をおろした。
そこには、桜色の布に包まれた細長い箱が置かれていた。おそらく、女性の棺桶だ。
たくさんの色とりどりの生花が飾られている。棺桶の蓋は開いていた。
「露ちゃんのものかしら・・・?」
雪は胸に手を当てておずおずと見つめる。
棺の中まで、花がぎっしり詰まっていた。花畑にいるようだ。
(上様の愛情が詰まっているわ・・・)
雪はほろりと来るものを感じて、瞼を伏せた。
「死ぬときはせめて、『桜の花の下で死にたい』。母の願いでした」
露姫は将軍、龍胆へ語り始めた。
「父、芍薬はお祖父様の政敵でした。お母様を手に入れるため、十六夜家の勢力を拡大するために、お祖父様は芍薬に殺されたのです。――母は自分の親を殺した憎い敵に嫁がされ、無理やり抱かれ、わたくしを生みました」
「――露のそういう話は、初めて聞く」
将軍は相槌を打ちながら聞いている。龍胆は空気を読んで中座し、廊下のふすま越しに話を聞いた。
露はどこかぼんやりとした瞳をしている。そのまま、続けた。
「芍薬は母を手に入れると、気が済んだのかほとんどほったらかしでした。わたくしが生まれたときも、抱くことは愚か部屋を訪れることさえなかったそうです」
母は春が来ると、日が暮れるまで桜を見上げていた。
「遺言は、桜の下に弔ってほしい、でした。花の下に死ねるならば、皆に忘れ去られようとも、花に包まれていられるからと。花に死後の幸福を求めたのです」
「――」
龍胆は廊下の窓辺に立ち、障子を開け放った。夜風が白髪を梳く。鬼の目で見る夜桜には、美しさとどこか虚しさを掻き立てるものがあった。
気づけば、露は泣いていた。将軍は妻を抱き寄せ、その頭に顎を乗せる。燭台の明かりがゆらゆらと揺らめいた。
龍胆は窓に背を向け、壁により掛かる。
(死後のことなど、考えたことすらなかったな・・・)
人を殺して、殺して、殺し続けて――・・・。そんな人間が、まともな死に方ができるわけがない。だから考えなかった。
弔ってくれる者が、どこにいようか?
(雪――・・・)
龍胆は拳を握った。
雪は人殺しのこんな自分と結ばれるという、修羅の道を選んだ。小梅が言う通り、引きずり込んだのかもしれない。
だからせめて、まともな死を迎えられるかわからない雪へ、龍胆は誓う。
(俺はお前より先に、死んだりしない)
雪の墓守は、自分の役目だ。
亡くなったあともさみしくないように、四季折々の花束を捧げ続ける。ずっと、ずっと、ずっと――・・・。
「龍胆さま?」
雪の声がした。龍胆は目を丸くした。考えにふけって全く気づかなかった。
白木蓮も小梅も菫も、戻ってきていた。
「考え事か? 龍胆さん」
「まあ、そんなところかな。――今、取り込み中だから、部屋の戸は開けないでくれたまえ」
白木蓮は頷き、窓から夜景を眺める。雪は、龍胆の表情が気になり、隣へ立つ。
「龍胆さま?」
覗き込む雪から、龍胆はぷいっと視線をずらした。
「・・・」
雪は、龍胆の腕に自らの手を絡めた。腕を抱きしめる。
龍胆はどきっとした。
「なんだね、雪?」
「龍胆さま。――・・・雪は死にませんよ」
また心臓が跳ねた。
龍胆はおずおずと雪を見つめる。雪の漆黒の濡れた瞳には、なんの迷いも見られなかった。
「雪は龍胆さまのおそばにおります。ずっと、ずっと・・・」
だから。――雪はほのかに耳を染めて言った。
「だから、雪に『恋』するの、やめないでくださいね?」
「っ!」
今度は龍胆が頬を染める番だった。雪に『恋』とは何たるかを教えた白木蓮は素知らぬ顔で夜景を見ている。
(雪に何を吹き込んだんだ、こいつ!)
龍胆は逃げようともがき・・・、途中で諦めた。振り払うなどできるはずもない。
雪のやわらかさ、甘い髪の香りがいやでも伝わってきて、幸せのぬくもりに包まれて――死後のことなど、完全に忘れた。
小梅がなにか言おうとしたが、菫が口をふさぐ。
子どもたちの葛藤をよそに、龍胆は雪を抱き寄せた。
「恋なんて、ずっとしている。やめられるはずがないだろう?」
「っ」
龍胆の声はどんどん甘くなっていく。雪はくらくらしてきて、よろけた。力強い腕が、それを支える。雪は(男の人の手だ・・・)と初めて気づいた。
今の龍胆は見たことのない顔をしていた。
青い瞳は熱く濡れている。桜色の薄い唇は、夜の光に妖艶に艶めいていた。
――互いの吐息が混ざり合う。
その時だった。
露姫の悲鳴が、夜気を切り裂いた。
龍胆と白木蓮は襖を開け、ぎょっとした。
露姫が、巨大な鏡に吸い込まれそうになっていた。異国のものだろうか。金具の装飾が目を引く。穢土にここまではっきり姿を映す技術はない。
(鏡など、この部屋にはなかったはず!)
将軍と手を握り合っているが、きっとものすごい力なのだろう。将軍の剛腕をもってしても、姫はみるみる吸い込まれてゆく。
「露っ!」
手汗で滑ったのかもしれない。握り合っていた手が離れる。姫の右手は最後にとぷんと水に沈むように音を立て、鏡の中へ吸い込まれていった。
鏡はフッと消える。
「龍胆さまぁっ!?」
廊下からも悲鳴が上がった。雪の声だ。将軍は剣を取り、龍胆は廊下へ飛び出す。
雪も同様に、突如出現した大きな鏡に吸い込まれていた。銀色のおぞましい手が、雪の身体を鏡の中へと攫ってゆく。
龍胆は手を伸ばしたが、間に合わなかった。
鏡はフッと消えた。
「あれ? どら猫は!?」
小梅が叫ぶ。菫の姿がない。
「雪について行ったのか? ・・・クソッ!」
龍胆は歯噛みした。こんなに近くにいたのに。一瞬でも手を離したのが間違いだった。
菫のいない今、匂いで雪を探すことは不可能だ。
男ばかり取り残され、廊下には冷たい夜風が吹き抜けていった。
「お困りかな? 諸君」
死神のゆったりした声がした。窓の方からだ。龍胆と将軍、白木蓮はなぜか逆さまに窓から顔をのぞかせる死神に渋面した。
「お姫様たちが攫われて、大変だろう? 私が助けてあげようか? 対価はもらうけどね、フフッ!」
「――対価とは、なんだ?」
將軍が尋ねた。死神は笑う。
「もちろん、君たちの中の誰かの『寿命』さ。三分の一はもらうよ」
「なにっ!?」
「私も命がけだからね。譲歩してる方だよ?」
一同、沈黙した。
やがて、一人が手を上げた。白木蓮だ。
「俺の寿命をくれてやる。それでどうだ、死神」
「早まるな、佐々木。罠かもしれんぞ」
「白木蓮。君が犠牲になることない。ここは鬼の俺が――・・・・」
「駄目だ」
白木蓮は龍胆を制した。
「あんたには借りがある。あんたのお陰で結婚生活をおくれたんだ。ここは俺に任せてほしい」
「――・・・っ」
龍胆は唇を噛む。逆さまに顔を出す腹立たしい死神の襟を鷲掴みにすると、室内へ引きずり込んだ。
「ここで貴様の指を一本一本落としてゆく、という手もあるぞ、死神?」
「やってみるといい婿殿。私はその程度の拷問じゃ口は割らないし、なにより時間がないよ?」
「――」
龍胆は襟から手を離した。刹那、死神のみぞおちを膝で蹴り上げる。
アバラが折れる、嫌な音がした。
「ぐっ」
死神は呻く。
龍胆は、死神を見下ろした。――無慈悲な青い瞳を光らせて。
「貴様はなにか、勘違いしているようだ」
「・・・な、に?」
「俺に取引など通用しない」
龍胆はするりと黒い手袋をはめた。血で汚れる合図だ。
「命がけなのは『今』だということを、たっぷり教えてやるよ。死神くん?」
龍胆は氷のような凍てついた笑顔を向ける。死神は顔を引き攣らせた。
後ろを向いた小梅は、響き渡る死神の絶叫に、溜息をついた。
鏡の中に吸い込まれた露姫は、きょろきょろと辺りを見渡した。
明かりのいない真っ暗闇。その中で、自分の身体だけが光っている。
「露お姉ちゃん」
あどけない声。露はぎょっと飛び上がった。
「菫ちゃん・・・? まさか一緒に吸い込まれたの?」
「雪お姉ちゃんと一緒だったんだけどね。はぐれちゃった!」
二人は困り顔で、とりあえず手を繋ぐ。
「ぼく変身できないの。ここ、狭いから」
「わたくしには広く感じるけれど・・・?」
菫は露姫の手を引いて歩き出す。小さな背中はなかなか頼もしい。
「雪お姉ちゃんの匂いは、もうちょっと先かな? ――ん!?」
菫は立ち止まると、露姫を背にかばった。
見知らぬ男が、ぼんやりと白い光を放ち、立っていた。姿はよくわからない。
(異国の香水の匂いがする。――だれだ?)
男は口を開く。
「この鏡の中が、今は一番安全でござんすよ。――もっとも、朝日が登るまでに脱出できなければ、永久にこのままだがね」
「む・・!」
菫が間髪入れずに男を蹴る。しかし霧のように男は揺らめくだけだった。
「おつきの猫くん。せいぜい姫のそばを離れないこった。従兄妹に会いたくないならね」
「い、いとこ・・・っ!?」
突然、露姫は震えだす。男は言うだけ言ってゆらり消え去った。
菫と露は、ぽつんと暗闇に放置された。
「どうしましょう? これから・・・」
露姫はまだ震えている。菫は首をかしげた。
「いとこって、雪お姉ちゃんの他にもまだいるの?」
「たくさんいます。薔薇さまはお子がたくさんおられましたから」
露はうろたえ、やがてその場に崩れるように座り込んだ。




