オペラハウスにて
一方、菫は露姫を背に乗せたまま、だいぶ数が減ってきた死人と格闘していた。
(雪お姉ちゃんを探さなきゃ)
城からは人の気配がしない。皆、外へ避難したのか。
「露お姉ちゃん。お外に出るよ?」
「は、はい・・・!」
露姫は必死に菫の毛にしがみつく。あっさりと壁をぶち抜き、化け猫は外へと飛び出した。
「そうか。露は人間に戻れたのか・・・!」
雪から事情を聞いた将軍はそれきり口をつぐんだ。
ステージの上で、縄でぐるぐる巻きにされた死神を取り囲み、龍胆、雪、白木蓮、将軍は互いの状況報告を行っていた。
大奥から逃げてきた女中や側室たちは、客席に集まっていた。初めて見るあやかしの龍胆たちに頬を染めている。
「あの青い瞳・・・。不気味だけど美しいわ」
「奥方の手をずっと握ってるのね。美しい奥様ね。美男美女なんてうらやましい・・・」
「上様も素敵でしてよ? 大奥まで護りに来てくださるなんて、わたくし感動しましたわ」
「わたしは佐々木様に救われましてよ」
「あそこに転がされてる偉人の方も綺麗なお顔をしていますわね?」
「でも若干、笑顔が残念でいらっしゃいますわ」
好き放題楽しそうに話す女性陣。今は身分も関係ないらしい。今なら露とも打ち解けられるかもしれないと、雪は密かに期待した。
「雪といったか。では、露はお前の飼い猫と一緒なのだな?」
「はい。頼りになるいい子です」
雪は事のあらましを語る。自分は十六夜家の出身であり、露と従姉妹であること、呪詛返しをして露が蘇ったこと、死神が雪だけさらっていったこと――・・・・。
最後の部分を聞くと、将軍と龍胆は思い切り死神を蹴った。
「ぐはっ!」
哀れ、ミノムシのように縄でぐるぐる巻きにされた死神は再び顔中傷だらけになった。
将軍は冷ややかな顔で抜刀する。
「此奴、斬ってもよいか?」
「なりません、上様。これでも『神』だそうです」
白木蓮が静かに言った。
将軍は舌打ちすると、刀の鞘で死神の頬をぐりぐりとなぶる。
「貴様が取り残してきたせいで、露の居場所がわからずじまいだ。ヘラついた顔をしおって。体中切り刻んでも足らぬわ」
「将軍さま。私と取引しませんか? ねえ?」
「なに?」
突然、死神が笑顔ですり寄ってきた。将軍は不快だと眉を寄せる。
「朝廷は第六天魔王と契約を結び、その咒術のせいであんたの城は崩壊寸前だ。日が昇れば、城での出来事は市中まで広がるよ。そうなる前に、私と契約を結べばいい。なに。悪いようにはしないさ。魔王には劣るが、魔王が懐柔した悪魔からは護ってあげられるよぉ? フフッ」
再び、将軍の鞘が飛んできた。みぞおちを突かれ、再び死神は咳き込む。
将軍は呆れ顔をしていた。
「お前ごときの加護などいらぬわ。余には歴代の将軍たち――先祖の加護がある。この国の神々を舐めるなよ」
将軍は死神から興味をなくした。つぎには、雪と龍胆へ、厳しい顔を向ける。
「お前たちが取り戻そうとしている小梅とかいう小僧だが・・・。ここまで城をめちゃくちゃにした罪は重い。強制されているかも疑問だ。あの小僧はおそらく朝廷のものになにか吹き込まれ、みずから加担しているのだろう。捕らえた暁には、ひっぱたくだけでは収まらんぞ」
「――」
雪は押し黙った。いざとなれば小梅の身代わりで罰を受けるつもりだ。
龍胆は雪の手を強く握った。
「上様。小梅はまだ七つです。ものの善悪がわかっておりませぬ。この手に取り戻したときには、俺を代わりに打ち据えてください」
「そんな、龍胆さまっ! 駄目です、罰するならわたしを・・・!!」
「雪の子どもは俺の子どもだ。かなり嫌われているのは自覚があるが・・・。――俺は別に、『父親』ぶる気はない。これからも『龍胆さん』のままでいい。だが、いざとなったら盾となりあの子を守るよ」
ふと、ステージのカーテンが揺れた。
将軍と白木蓮、龍胆は(そこにいるのか)と苦笑いする。小梅は雪の周りに付かず離れずいるらしい。
将軍は「それならば」と背筋を正した。
わざと大声で言う。
「すべてが終わったら、十六夜龍胆、貴様の右腕をもらうこととする」
龍胆は頭を垂れた。
「上様に、感謝申し上げます」
雪は小梅の存在に気づかない。激しく狼狽した。
「龍胆さま! 罰はわたしが受けます!」
「雪。今は黙ってろ」
龍胆は顔を上げずに言う。雪はぐっと言葉を飲み込んだ。
――龍胆さまがここまで言っているのだから。
と雪も同じく頭を垂れた。自分も同じ罰を受けるつもりだ。
カーテンは激しく揺れた。だが、それでもなお、小梅が姿を表す様子はない。
(なにか、小僧を縛り付けている物があるな)
将軍に目配せされた白木蓮はさっと立ち上がると、カーテンをめくった。
顔を上げた雪は、息を呑んだ。
テーブルの上に座った小梅は、首に首輪のような呪具をつけられていた。鼻を真っ赤にして、ぽろぽろと涙を流している。
――おかあ、さん・・・!
声にならない。だが雪には、その顔だけで充分だった。
立ち上がるも、雪はころぶ。先に龍胆が追い越していった。
「小梅っ!」
龍胆が手を伸ばす。小梅も手を伸ばした。
だが小梅の意に沿わず、身体はみるみる透けてゆく。梅の花びらが小さな体を取り巻いてゆく。
小梅は雪へふわりと笑った。まるでお別れのようだった。
「っ!」
雪は死に物狂いで立ちあがった。
――もうどこにも行かせない!
雪は駆け寄り、小さな身体を抱きしめる。半透明になった小梅の頬に口づける。途端、首輪の呪具が外れた。
パキン・・・。
「あ・・・」
半透明だった身体が戻ってゆく。小梅の小さな首には、痛々しい首輪の跡が残るのみだった。
小梅はきょとんとした。雪の腕に包まれ、その匂いを嗅ぐと、途端に涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「おかあさん」
「小梅ちゃん・・・!」
「おかあ、さん・・・っ!!」
小梅はぎゃあぎゃあと、赤子のように、大声で泣いた。
雪は小梅を抱き上げる。ぎゅうっと抱きしめ、何度も口づけ、頬ずりをする。
将軍と白木蓮は微笑ましそうにそれを見ている。龍胆はおずおずと小梅の頭を撫でた。
「りんどうさん」
「・・・なんだね?」
「・・・やっぱりあなたは、『龍胆さん』のほうがしっくりきます」
龍胆はコケた。
小梅は次々と不満をあらわにした。
「まずあなたには甲斐性がありません。薬売りだけで生活するには厳しすぎます。お母さんを幸せにする覚悟はあるようですが、きちんと収入がないとこの先やっていけませんよ」
とても七歳とは思えない。白木蓮は口を抑え、密かに爆笑する。将軍はため息をついている。すっかり忘れ去られた死神は、こそこそと逃げる準備をしていた。
龍胆は(そう来たか・・・)とがっくりうなだれた。雪は目が点になっている。
やがて、龍胆は膝を折り、雪の腕の中の小梅と視線を合わせた。
きゅっとその小さな鼻をつまんだ。
「ぎゃっ」
「いいかい、小梅殿。お金を稼ぐというのは、そう簡単なことじゃないのだよ」
とくとくと龍胆は言って聞かせる。小梅は一語一句聞き漏らすまいと真剣に聞いていた。
「朝廷で暮らしてきた君は、まだ外の世界を知らなすぎる。『おとうさま』はたくさんの使用人を抱え、食事も風呂も豪華だっただろう。だがあれは普通ではないのだよ。公家だからこそできたことだ」
「・・・」
「俺達一般庶民は、日銭を稼ぐだけで手一杯。菫に雪に小梅、君を養っていくには、金はどんどん飛んでいく。だから貯蓄は難しいのだよ」
わかるかね? そう問われ、小梅はむくれた。
「でもぼくは、お母さんに楽をさせてあげたいです・・・」
龍胆はうっと胸をおさえる。近場で聞いていた白木蓮は、龍胆から血しぶきが飛んだ気がして再び爆笑した。
「小梅ちゃん・・・」
雪はちょっと胸がきゅんとした。
すると将軍が「ならば」と口を開いた。
「余のもとへ来るか? 露が正室なのは変わらんが、俺が面倒を見てやってもいいぞ」
客席の大奥から苦情が飛んだ。
「そんな、上様っ! こんな美しい方が来ては負けてしまうわ」
龍胆は唇を引きつらせ、空笑いした。
(揃いも揃って・・・!)
自分はどこまで苦労すればいいのだろう。そう思いながら、やけくそで雪の肩を抱く。
「上様。雪は俺の妻です」
「わかっている。冗談だ」
将軍は片手を上げて制した。
龍胆は、小梅を見下ろし、
「大きくなってから、せいぜい稼ぎたまえ。そのときに俺の偉大さがわかるだろう」
「今は偉大じゃないんですか?」
「やかましいっ!」
龍胆はさっさと踵を返す。「上様、着替えてきます」とステージを降りる。
気づけば、死神はいなくなっていたが、気に留めなかった。
龍胆はオペラハウスを出ると、近場の井戸を見つけた。
頭から水をかぶる。
こびりついた血は簡単には落ちない。
龍胆はその場で軍服のシャツを脱ぎ捨てた。小梅の手を引いてついてきた雪は、初めて見る龍胆の裸に目を逸らした。――そっとさりげなく見つめ、息を呑んだ。
筋肉が引き締まり、でも痩せているきれいな肌には、いくつもの古傷が残っていた。
――刀傷・・・。
小梅も食い入るように傷を見つめている。
龍胆はザバザバと水をかぶる。返り血を洗い流し、ほう・・・と息を吐いた。
雪は胸が苦しくなった。
いつもこうやって血を洗い流してきたと察せられる、慣れた手つきだった。
「龍胆さま」
雪は後ろからそっと両手を背中に添えて寄り添う。
「っ!?」
龍胆の体が跳ねた。
「ど、どうしたのだね・・・?」
「雪は、お金なんて気にしませんよ」
「まだ気にしていたのか。その話はもういいよ」
「そうですね。――あなたの今が幸せなら、雪は幸せです」
「――っ」
龍胆は頬がほんのりと染まった。龍胆の苦労を、雪は痛いほどわかっている。
――この人の今が幸せでありますように。
雪は祈りを込めて頬ずりした。
龍胆は、金縛りにあったように動けなくなってしまった。
「ゆき。くすぐったいから離れて」
自然と甘い声になってしまう。
「いやです」
(困ったな・・・)と龍胆は振り向けない。
「ゆき。子供の前だよ・・・」
「龍胆さん。手ぬぐいはありますよ」
小梅の冷ややかな声がした。逃げ道を見つけた龍胆は、(心臓が止まるかと思った!)と密かに深呼吸した。
雪は寂しそうにほほ笑む。まだまだ、二人きりにはなれそうもなかった。
雪はオペラハウスに残ることになった。
城の事情をよく知る小梅を抱いて、龍胆は再び城へと戻った。
手近な着物と袴を失敬して着替える。
軍服とはまた違う。藍染の着物と白袴は武士らしく、龍胆の白髪や青い瞳によく映えていた。
小梅はちょっと見とれた。
白木蓮の分の着替えと小梅を左手に抱き上げると、龍胆は城の中を軽く見て回る。
(上様は相当、成敗されたようだ・・・)
無数の屍の山を踏み越える。傷口は見事な太刀筋で斬られていた。白木蓮とはまた違う。
(どこで修行されたのかは知らんが、頼りがいがある御仁だな)
小梅は黙って抱かれている。
瞳はぼうっと霞んでいる。手には、幻術を操る竜笛を握りしめていた・・・。




