死神
(眠れないわ・・・)
雪は布団の中で目を開けた。雪の胸元には、菫が猫らしくぴったりとくっついて寝ている。そのぷくぷくの頬を見ながら、雪は長いため息をついた。
「ねむれないの? 雪お姉ちゃん」
菫はむにゃむにゃと目を擦った。起こしてしまったらしい。
「うん・・・。起こしてごめんね。――ちょっとお水でも飲んでこようかしら」
「僕も付き合うよ」
「いいのよ、無理して起きなくても・・・」
「いまは緊急事態だからね。お姉ちゃんから離れないよ」
「菫ちゃん・・・」
雪はいじらしさに、きゅんと胸がうずいた。その小さな体を抱きしめる。「ありがとう」と耳元で囁いた雪は、こみ上げる涙を我慢して立ち上がった。
二人で階段を降り、厨へ向かう。水瓶から適当な湯呑みに水を注ぐと、雪は一気に飲み干した。ほう・・・と息を吐く。
冷たい水が身体を満たすのを感じながら、ふと、座敷に飾ったままの白無垢が気になった。
雪は湯呑みをおいて、座敷へと向かう。宣言通りついてきた菫は、雪の複雑な感情が入り混じった横顔を見上げた。
着物かけにかけ直した白無垢は、夜の闇でも淡く輝いて見えた。
――こんな事にならなければ、今頃、龍胆と・・・・・。
そんな事を思っているのだろうか? 猫である菫にはわからない。
(人間の女の子は、一生に一度の晴れ舞台だと言うけれど)
菫は雪の手に小さな手を絡ませる。
「ねえ、雪お姉ちゃん」
「ん?」
「じんせいは、長いよ」
「・・・・・・そうね」
雪は膝をつくと、菫の頬を両手で包み込む。「ありがとう」と撫でくりまわした。
その時だった。
「ああ、人生は長い! 晴れ舞台なんてものは、長い人生の中でいくつもある。――だが、私が思うに、人間が行うもっとも大きな晴れ舞台は、お葬式じゃないかねぇ?」
嘲笑の入り混じった男性の声がした。
「――っ!?」
「お姉ちゃん、さがって!」
菫はさっと雪の前に立つ。つぶらなひとみは真っ青な火車の瞳へと変わった。喉を唸らせ、猫特有の威嚇をする。
(いったい、どこから入った!?)
白無垢をかけた着物かけの裏から、男がゆらりと姿を現した。龍胆の結界をものともせず侵入した男は、全身真っ黒な衣に身を包んでいた。
夜目が効く菫は、「なにものっ!」と問う。
「菫ちゃん!」
雪が叫ぶ。男は二人を見やり、くくっと笑った。
「なに、怯えることはない。私は敵ではない。人間ではないのは猫くん、君と同じだけどね。この国に来たのは初めてなんだ、優しい日本語を使ってくれると助かるよ」
言葉通り、発音がたどたどしい男だ。灰色の髪は短く切り揃えられており、日本人にはない真っ白な肌をしている。瞳は黒真珠のよう。整った顔立ちをしているが、下品な笑みがそれを台無しにしている。
異国の立襟のブラウスの上から、僧侶が着る袈裟のような真っ黒な衣を身にまとっている。右耳には長いチェーンの耳飾りをつけていた。
「生憎だがね、『雪おねえちゃん』。君には白無垢より、死に装束のほうがよく似合うよぉ。――幸せの絶頂より、死後の安寧を味わう君のほうが素敵さ」
男は白無垢の袖を手に取ると愛撫するように撫でた。
「きさまっ! 薄汚い手でそれにさわるなっ!」
「菫ちゃん、怒らせたらだめよ・・・!」
慎重に雪は言う。男はくくっと笑った。
「案ずることなかれ。私は『神』だ」
「は・・・?」
「え・・・?」
菫と雪は眼が点になった。菫は怒鳴る。
「こんな下品な神がいてたまるもんか!」
「下品で結構。君の言う通り、私は日本の八百万の神の中には存在しない。私は異国の神だ。――『死神』なんて、聞いたことのない名だろう?」
男はぽいっと白無垢の袖から手を離す。靴を履いたまま畳の上を闊歩する姿は、確かに異人めいている。男はどこからともなく武器を取り出した。
自らの身長ほどもある、大鎌だ。鈍い光を放っている。重量があるであろうそれを、いとも簡単に肩に担いだ。
男は続ける。
「鎖国しているうちは無理だったが、開国してからこの国は異国の文化が花開いた。我々『神』の出入りも多くなるのさ。そして、魔物の出入りも激しくなる」
「魔物――・・・?」
「そう。『悪魔』だよ、化け猫くん!」
男は鎌を菫めがけて振り下ろした。
だが菫もうかうかしていたわけではない。最小限の動きでそれを避ける。
「死体が好物なのは君だけじゃない、悪魔も同じ。死体を食う鬼である君を殺すのは、ボランティアみたいなものさ。この国の神々へ名刺の代わりにさせてもらうよ!」
「雪お姉ちゃんは逃げて!」
菫は雪を廊下へ突き飛ばす。壁に背を打った雪だったが、かまっている暇のない菫は死神の大鎌へと意識を向ける。
「――『ぼらんてあ』だの、『めいし』だの! わけのわからない異神めっ! おまえが小梅をさらったのか!?」
男の大鎌は菫の前髪を数本、斬った。切れ味は折り紙付きのようだ。まともにくらえば真っ二つにされる。
死神は攻撃をやめない。家具は次々と破壊され、雪は必死に廊下を走る。それを追いかける死神を、菫は必死に阻む。
「小梅とかいう少年をさらったのはこの国の魔物だ。私は一足先に君たちものとへ来た。悪魔が狙う『花嫁』の姿を拝んでみたくてねぇ。教えられるのはここまでだ」
「あくまだとっ! 朝廷じゃないのか!?」
「さあ、どうだろうねぇ?」
死神が言葉を切った途端、家がぐらぐらと揺れ始めた。地震のようだ。
雪は、一度体験した事があるからわかる。
(小梅ちゃんの城へ移動する前兆だわ!)
案の定、柔らかな笛の音が鳴り響く。死神は攻撃をやめ、菫は雪の手を掴んだ。
死神はうっとり言う。
「この国の呪術は美しいねぇ・・・。どうやら、時間切れのようだ。――猫くん。君の始末はまた今度にしよう。今は花嫁の安全が第一だ」
(花嫁って。わたしのこと・・・?)
雪は怪訝な顔をしたが、今はそれどころではない。身体が透けてゆく。それは菫も、死神も同じだった。
笛の音はやまない。
やがて、めちゃくちゃになった家の中は、誰もいなくなった。




