露姫
真夜中――・・・。
龍胆と白木蓮、将軍の三人は、将軍の寝所に来ていた。
龍胆は廊下で待機する。鬼であるゆえ、姫がもし現れても、その邪気で死ぬことはないからだ。
将軍は寝所だが横にならず、軍服姿のまま、刀を抱いていた。
刀は、龍胆と白木蓮にも腰にさす許可が特別に降りている。三人とも、刀は御神刀だった。神の力がなければ鬼は斬れない。
龍胆は、刀を抱いたまま思案していた。
将軍の妻の首を斬ることになる。そう告げれば、将軍は覚悟を決めていたのだろう、「かまわぬ」とうなずいた。
成仏させるためなら、なんだってしてやる。――そんな覚悟なのだろう。
昔の龍胆であれば、なんのためらいもなく命令に従っていた。だが今はもう、『愛』を知ってしまった。
(これがもし雪だったら。俺は上様と同じことをするだろうか・・・?)
姫は夫を邪気で殺す目的で夫のもとを訪れている。生前では考えられない行為だ。
(雪の気持ちを、俺はどこまで理解できているだろうか)
すると、白木蓮が襖を少し開けて顔をのぞかせた。
姫が現れるにはもう少しかかる。白木蓮はポツリと言った。
「すまないな。結婚式をだめにしてしまって」
「君のせいじゃない。気にすることはないよ」
「結婚式?」
将軍が話に乗ってきた。
「恋仲の女がいるとは聞いていたが。鬼と人が結婚するのか?」
興味深そうだ。龍胆は内心舌打ちした。雪のことは極力、誰にも言いたくない。だが答えないわけにもいかず、しぶしぶ口を開く。
「俺も、妻も、訳ありなのです。人にもあやかしにもなれる、半端な存在・・・。半端者同士なら、結婚も可能です」
「もっと愛情を込めたらどうだ? その言い方では合理的すぎるぞ」
「上様。勘弁してやってください。結婚に至るまでも大変だったのですから」
白木蓮が気づかう。将軍はほがらかに笑った。
「今の俺は妻を亡くしたばかりだ。惚気話は殺意がわくが、十六夜龍胆、おまえの話はいくら聞いても興味深い」
「――・・・」
龍胆は羞恥で耳だけほんのり染まる。白木蓮も将軍も、妻を亡くしている。心の中は複雑であろうに、若い娘のごとく他人の惚気話に興味が尽きないようだった。
「上様。そろそろ時間です。閉めますよ」
と、龍胆は無理やり、未亡人(?)二人を寝所に押し込めた。
誰もいなくなると、龍胆は長い長いため息をはいた。
(雪に逢いたい・・・!)
切実にそう思う。あのやわらかい体を抱きしめて、甘い髪の香りをかぎたい。そうすればきっと、このむしゃくしゃした感情も、愛おしさも、きっと全て浄化される。
寝所に押し込められた将軍は不服そうだったが、白木蓮は「龍胆は変わりました」と言った。
「俺を暗殺に巻き込まないようにしてくれたのも、余命わずかな妻と結婚できたのも。あの人のおかげです。――俺の分まで幸せになってほしいと思っております」
――人を愛するとは、どういう感情だ?
穢土に血の雨が降る前、彼は確かにそう言った。
愛などまったく理解できない様子だったあの頃とは、明らかに違う。心底幸せそうな、とろけるような視線を、ときどき見かける。
「ふん。佐々木、おまえの惚気はつまらん」
将軍はにやりと笑うと、その場にどさっと座った。あぐらをかく。
「申し訳ありません」
白木蓮は形だけ取り繕うと、ふすまに張り付くように片膝をついた。いつでも抜刀できるよう、身構える。
龍胆は懐中時計を見ながら、あやかしの訪れを今か今かと待っていた。
やがて、時計の針は、一時を回った。
ふと。
じゃら・・・。
重い金属を引きずるような音が真っ暗な廊下に響いてきた。
龍胆は襖越しに言う。
「白木蓮。――露姫さまが参られた。上様を頼んだぞ」
鬼の目は暗いところほどよく見える。
規則的な音を立て、金属のじゃらりと鈍い音が近づく。やがて、おぼろげに白い死に装束を着た女の姿がはっきりと見えてきた。
やがて、姿が見えた龍胆は目を見開いた。
(なんだ、これは――!?)
雪とそう歳の変わらない娘が、手足と首を、大振りな鎖に繋がれていた。姫が歩くたび、鎖は音を立てる。
周りには子鬼が三十匹ほどむらがり、姫は巻かれた鎖をぐいぐい引っ張られ、歩くように強制させられていた。
それにとどまらず、顔や身体中に呪詛と見られる文字が書かれていた。姫が歩むのを辞めると、呪詛は真っ赤な焼きごてのように姫の肌を焼く。
ムチを持った子鬼が姫の背を打ち据えた。
姫は憔悴しきっているのだろう、もはやか細い悲鳴しかあげられない。
姫自ら将軍を訪ねたのではなく、強制させられていたのだと容易にわかった。
姫はふと、眼前の龍胆と目があった。
――た、たすけて・・・・・・!
姫の頬を涙が伝う。涙が床に落ちるその瞬間、龍胆は駆け出していた。
あっという間に姫と距離を縮めると、ムチを振るう子鬼の首を跳ねる。龍胆にとっては最弱なあやかしだ。次々と子鬼を斬り捨て、残るは姫だけになると、まずはそのぶ厚い鎖を斬った。
重い鎖がなくなると、姫の身体はぐらりと地面へ倒れ込む。床で頭を打つ前に受け止めた龍胆は、子鬼の残骸へ視線を投げ、首をひねった。
(この子鬼、どこかで見た気が・・・?)
姫を横抱きにすると、近場の壁によりかからせる。姫の身体は腐敗が進み、死臭を放っていた。哀れ、鎖の締付けが強かったのか、手足は皮膚が裂け、肉が見えている。
龍胆は眉をしかめた。今の龍胆は屍食鬼。死体が何よりのごちそうだ。本能的によだれがあふれてくる浅ましい己に、龍胆は軽く失望した。
「龍胆さん! 御台さまはどうなった!?」
白木蓮が襖越しに声を掛ける。龍胆はため息を付いた。
姫が何者かに虐待されていたこと、今も呪詛が離れないことを淡々と説明する。
「今姫を斬っても、呪詛は姫を蝕み続けるでしょう」
(雪の口づけなら、可能かもしれないが・・・)
ふと、袖を引っ張られ、龍胆の思考は中止された。露姫が、呪詛に焼かれながらも懸命に何かを伝えようとしている。
龍胆は正座し、姫の手を取った。
「いかがされましたか?」
『助けてくれて、ありがとう。――上様は、そこにおられるの?』
「おられますよ。ずっとあなたのことを案じておられました」
姫の瞳から涙があふれる。その様子は、雪に似ている気がして、龍胆はどきっとした。
『ならば伝えてください』
――上様の命が狙われています、と。
龍胆は目を見開く。すると、ふすまが開いた。
将軍が、白木蓮の静止を振り切り、そこに立っていた。
愛する妻の変わり果てた姿。同時に痛めつけられた体の傷を見ている。
今の将軍は、将軍ではなく、一人の夫の顔をしていた。
姫は慌てて袖で顔を隠す。
『見ないでくださいませ。このような姿――・・・!』
「俺の妻だ。醜いなど思わぬ」
歩み寄る将軍に、龍胆は静かに告げた。
「幸い、邪気は薄くなりましたが、姫の身体は呪詛がかけられております。触れないほうが御身のためかと」
「わかっている。――礼を言う。妻を助けてくれた」
「それはまだです」
すっと龍胆は立ち上がった。隣に駆けつけた白木蓮も同じく刀に手をかける。
気配がする。
朝廷で嫌と言うほど経験してきた、呪詛の気配だ。
(やはり、利用されていたか!)
甘く切ない、竜笛の音色が聞こえてきた。
その笛を操るのは、ただ一人。
突如、梅の花びらが廊下に吹き荒いだ(ふきすさいだ)。
花嵐の中から現れたのは、攫われた少年――小梅だった。




