穢土城
鬼の足は早い。馬で5日はかかる道を、数刻で駆けぬけた龍胆は、白木蓮とともに、穢土に着いていた。
夕日が赤く照らす町並み。
酔ったと吐き気をこらえる白木蓮の横で、龍胆は瞼を伏せていた。
「変わらないな。この街は」
穢土は、龍胆が人斬りをしていた場所だ。
これから先に待つものは、きっと地獄だろう。
「――」
「――龍胆さん」
白木蓮はその様子をうかがいながら、言葉を選んで口を開く。
「遣い文を俺によこした奴は、夜がいいと言ってた。行こうぜ」
「そうだね」
龍胆は再び、白木蓮の肩に手を置く。彼はぎょっとした。
「またさっきの突風で移動するのかよ」
「今の俺は屍食鬼だ。目立つだろう?」
龍胆はにこりと笑うと、白木蓮を連れて穢土城へ向かった。
城に到着した頃には、夕日はどっぷりと沈んでいた。
鬼の目で見る夜の穢土城は、ほのかな光を帯びている。松明の火に虫がたかり、見張りが閉ざされた門を見張っていた。
侍の意地で吐き気をこらえる白木蓮。
一方、龍胆はこの門をくぐれるのかと思案していた。鬼になったことは報告済みなのだろうか?
恐る恐る、門へ歩を進める。すると小姓だろうか。明かりを手に、少年が二人を待っていた。
少年は鬼の姿を見ても動揺しなかった。
「あなたのことは報告が入っています。上様がお待ちです」
「なぜ俺が鬼になったことを知っている?」
「怪異討伐隊――。彼らの生き残りから話を伺いました。あなたが鬼になったこと。もう人を殺めないこと。雪という女性と恋仲だということも伺っております」
淡々と喋る小姓だ。だが龍胆にとってはそれくらいでいい。
身内を殺されたものもいるはず。龍胆を恨んでいる者は大勢いる。将軍とて例外ではない。部下を殺されたのだから。
小姓はどうぞ、と龍胆と白木蓮をいざなう。
龍胆は後ろ向きな考えはここで捨てた。
許されるとは思っていない。許されたいとも思わない。
死体を喰らう鬼となった現在の浅ましい姿。人殺しの成れの果ての姿を、将軍になんと思われようと。
――俺には雪がいる。雪が生きて良いと言ってくれたこの人生を、捨てるつもりはない。
人気のない穢土城の中はしんと静まり返っていた。
通されたのは、謁見の間ではなく茶室だった。
「中で上様がお待ちです」
それだけ言うと、小姓はふっと明かりを消す。闇の中で茶室の戸の隙間から光が漏れている。
「・・・」
「・・・」
龍胆と白木蓮は顔を見合わせた。茶室は昔から、腹を割って話す場所でもある。人斬りの鬼を通すにはちょうど良い場所ということか。
茶室の周りにも人の気配はない。護衛もなしに鬼と向き合うとは、随分と将軍は肝が座っている。
(いや、ただのうつけ者という線もある)
龍胆が将軍に謁見したのは一度きり。それもずいぶん距離が離れていた。人となりを知るのは今日が初めてかもしれない。
すると、茶室の中から呼びかけられた。
「いつまでそこにいるつもりだ。早く入れ」
龍胆は白木蓮と頷きあう。「失礼仕りました」と戸を開けた。
茶のほのかに甘い香りが漂う小部屋。茶坊主と向かい合うのは三十路くらいの男だった。
白い軍服を着ている。髪を後ろになでつけ、オールバックと呼ばれる髪型をしていた。切れ長の瞳は、鬼を見る目ではなく、穏やかな色をしていた。
だが、形の良い唇はどんな言の葉を紡ぐのか得体が知れず、その言葉一つで何人もの人生を動かしてきたのだろうと想像できる威圧感があった。
茶坊主は茶を3つ点て終わると、「ではこれで」と別の戸から出ていった。
残されたのは、将軍と白木蓮、そして龍胆の三人だ。
意外にも将軍から口を開いた。
「なにをしている。茶が冷める。はやく座れ」
「はっ」
龍胆より先に返事をしたのは白木蓮だった。龍胆は末席に座った。――もう、怪異討伐隊の隊長ではない。人ですらないからだ。
「鬼は茶を飲めるか?」
急に気遣われ、龍胆は目を見開いた。「はい」と答える。
「人とは味覚が異なりますが、飲むことは可能です」
「ほう? それは面白い。飲んでみよ」
龍胆と白木蓮は威圧感に耐えながら一口飲んだ。
二人が嚥下したのを見て、将軍は、ほがらかに笑った。
「実はこの茶は毒入りでな。死ぬかどうか見てみたかったのだ。――死ななかったな」
ブッ! と白木蓮は吹き出した。激しく咳き込む。
将軍は楽しそうに白木蓮の肩を叩く。
「案ずるな。おまえの茶に毒は入れておらぬ」
一方、龍胆は無言で茶を置いた。
舌先が痺れる。胃が燃えるように熱い。
これは――・・・・・。
(俺の茶に毒を入れたのは本当のようだ)
竜胆は指で唇を拭う。やはり鬼の姿で来て正解だった。
この男――。
殺気すら感じさせず、人を葬り去る。――人斬りと何も変わらない。
鬼相手でも臆することなく毒を盛る。
「怒ったか? ――だが余も怒っていることも忘れるな」
将軍はすっと笑みを消した。この男、真顔はかなり恐ろしい。
「龍胆。おまえのことは――実を言うと信用はしていなかった。朝廷からの間者であることはうっすらわかっていた。だが功績を上げ、穢土市中を護るおまえの背中を見て余は己を恥じたのだ。疑ってかかるべきではなかったと。だが結果として、おまえは裏切った。余の忠臣を何人も殺した。俺は己の無能ぶりに打ち据えられた」
(上様の本音を聞いたのは初めてだ)
白木蓮は蚊帳の外だが、密かにそう思った。それは龍胆も同じ。
(俺に毒を持ったのは、怒らせることで口を割りやすくさせるためか?)
龍胆はしばし思案した後、
(俺も、ありのままの姿を見せよう)
と考えを改めた。
この漢に、遠慮はいらない。
龍胆のその瞳は満月のごとき青に輝いていた。
将軍は「それでよい」とうなずいた。
「あれから貴様は地方に落ち延び屍を喰らう鬼になったそうだな。数多の命を奪った代償にしては、美しい瞳を持っている」
「俺はもう人間ではない。鬼だ。身分に縛られた人間の物差しは、もう俺には関係ないこと。だからあえて言わせていただきます。」
龍胆の桜色の唇は、密かに三日月のように弧を描いた。獰猛で甘美で、底しれぬ笑みを浮かべ、将軍とは名ばかりの漢を見つめ返す。
「上様。あなたは『鬼』と変わらない。そのお言葉一つで何人葬ってきたのですか?」
「ふ。直言されたのは久しぶりだ」
将軍はにやりと笑った。
「その通り。俺はこの唇で幾万の命を動かし、時に死に至らしめてきた。家臣はみな俺の駒にすぎない。民のためなら誰であろうと排除する。『鬼』のおまえと何も変わらない。俺はおまえを責める資格はない。だから、おまえを呼んだのだ。おまえたちにしか頼めない」
余から俺に変わった。こちらが素なのだろう。
白木蓮は、
「なぜ龍胆だけでなく、俺もお呼びになったのですか?」
「怪異討伐隊の隊長だろう? あやかし方面については詳しいと思ったのだが?」
「怪異、が起きたのですか?」
龍胆が言った。ようやく、本題に入る。
「俺の家で朝廷から匿っていた小梅という子どもが連れ去られました。あれを隠したのは上様なのですか?」
「子ども?」
将軍は怪訝な顔をした。
「俺はなにもしていない。・・・だが、朝廷の仕業である線が濃厚だ。此度の怪異も、朝廷が深く絡んでいる」
将軍は、語り始めた。
「一週間前、正室の露姫が亡くなった。急に体調を崩し、あっという間だった。」
「初耳です。正室ならば民におふれが回るはず」
白木蓮が言う。将軍はうなずいた。
「我妻は確実に亡くなった。――だが、亡くなった日の晩、棺から抜け出し、城を徘徊するようになったのだ」
露姫の姿を見たものは、邪気にあてられ、その場で死んでしまう。緘口令を敷いたが、時間の問題だろう。
「露姫は毎夜、俺の寝所を訪ねてくる。襖越しに、開けてくれと俺にささやくのだ。口の固い坊主に何度も祈祷させたがだめだった。坊主いわく、その戸を開けた瞬間、俺は死ぬらしい」
おかげで、ここ一週間ろくに眠れていない。
そう言った将軍の横顔は、憂いと愛情がこもった顔をしていた。
「愛しておられたのですか?」
龍胆は尋ねる。
「ああ。愛していた」
将軍はポツリと言った。白木蓮は将軍とそっくりな眼をしていた。妻を亡くした男の眼だ。
「露姫は朝廷から政略結婚で嫁に来た女だ。なれない土地で、苦労をかけた。俺は忙しく、その身を犯す病にも気づいてやれなかった」
顔を上げ、将軍は龍胆と白木蓮を見つめる。
「あれがこれ以上苦しまぬように、成仏させてくれ。俺へ何が言いたかったのかも、教えてくれると助かる」
朝廷から嫁に来たのだ。このことが公になると朝廷との関係が悪化する。
龍胆と白木蓮は「御意」と命を受けた。




