序章
血の花びらが散る。
大輪の血は艷やかな黒髪を、べったりと汚した。
(ああ、今頃、自覚するなんてバカだ・・・)
――わたしはこの人に、恋していた。
愛している。
とうの昔に。
誰よりもわたしを見てくれるその眼差し。繋いでくれる手のぬくもりに。
わたしは何度だってこの人に恋をする。
「雪は、龍胆さまに、『恋』しておりました」
ゆき、ゆき、と何度も揺さぶり、名を呼ぶ声がする。
雪は、満足げにまぶたを閉じた。
「え~とっ。お二人は病めるときも健やかなるときも、なかよくすると誓いますか?」
菫はたどたどしい口調で白無垢を着た雪と龍胆へ尋ねる。
今日は雪と龍胆の結婚式だ。
と、言っても互いに両親がいない。式というには簡素なものだった。
仲立人は菫。一生懸命にお決まりの文句を読み上げている。
「つぎは『さんさんくど』だよ、子猫ちゃん」
菫は、もたもたしている子ども――小梅を横目でせかす。
「お前に言われずとも順番くらいわかってますよ、どら猫」
負けじと言い返しながら、小梅はおずおずと花嫁の前に腰を下ろした。
震える手で朱色の盃へ酒を注ぐ。
花嫁――雪は「ありがとう」と涼やかな声でほほ笑んだ。
小梅が緊張するのも無理はない。それほどに今の雪は視線を釘付けにさせる美貌を持っていた。
綿帽子の隙間からこぼれ落ちる濡れ羽色の髪。めったにしない化粧を施した頬はほんのりと赤く染まり、赤い唇は椿の花びらのように艷かだ。彼女の名を象徴するように、白無垢姿は雪の結晶のごとく美しかった。
いや、釘付けになっているのは子どもたちだけではない。
新郎――龍胆はそれ以上に花嫁に見とれていた。
式が始まる前、互いに着替え終わって対面したとき、龍胆は金縛りにあったように身体が動かなくなってしまった。
頬を染めて恥じらう仕草も、自分の名を呼ぶ声も、今までとはまるで違って感じた。
『ゆきはね、りんどうちゃんのお嫁さんになるの』
まだ幼い頃、雪はたしかにそう言った。そのつど、はいはいと受け流していたが、まさかこんな――絶世の美女に成長するなんて。
龍胆は声も出さず、いや出せず、屍食鬼の姿のままでの結婚式になった。
カチコチになりながら、眼だけはとろけるような眼差しで花嫁を見つめ続ける。
幸せだ、と幸福で胸が一杯になる。
男娼になって人を殺め、『お父さま』に暗殺者として育てられた日々。鬼になり、この世のすべてを呪っていた自分に幸福を与え続けてくれたのは、まぎれもなく雪だ。
その雪と、今宵、夫婦になる。
「ゆき」
「はい」
龍胆は雪の手に自分の手を重ねた。
(かわいい、かわいい俺の雪。もう二度と、離れはしない)
龍胆はその白い手に口付けを落とした。
ふと。
何を思ったのか、小梅は席を中座した。逃げるように、その場をあとにする。
「小梅ちゃん?」
「お手洗いに、行ってきます。すぐ戻りますよ」
小さな背中は遠ざかってゆく。
――そして、そのまま、小梅が戻ることはなかった。




