誰も死なせない
流血表現あります。
「どこへ行ったのですか、猫殿。今なら許してあげますから出ておいで」
芍薬は猫を探す。すると、廊下の先の方で「みゃおん」と鳴き声がした。
「そこにいたのですか。もう私が飼い主です。いい加減にしないとお仕置きしますよ」
「お仕置きか。ならば俺が代わりにやってやるよ」
男の声がした。――そこに立っていたのは。
「白木蓮。まだ生きていたのですか」
体中返り血と自分の血で、軍服を赤黒く染めた白木蓮が、堂々たる構えで道を塞ぐように、廊下に立っていた。
「生憎だが、俺は悪運が強くてね。生き残っちまった。――それと、おたくが飼い始めた猫だが、とても飼いならすのは不可能だと思うぜ」
白木蓮の背後から、青い炎がコ゚ォッと立ち昇る。そこにいるのは化猫――火車となった菫の姿だった。二人の男よりずっと大きな化猫だ。ごちそうを前にヨダレを垂らす。
「なんと」
芍薬は息を呑んだ。
「やっぱり、知らなかったか。・・・あんた、兄貴と違って、妖怪の気配を感じることは愚か、見ることもできねえ一般人だろ。俺の部下に『無能』だなんだと好き放題言ってくれたが、連中のほうがまだ『見えて』たよ」
なあ、黒猫。と白木蓮は猫の顎を撫でる。
「案内ありがとよ。悪いが、こいつの始末は俺に任せちゃくれねえか? 部下の仇を取りたい」
化猫は細目になって思案する。
やがて、炎は消え、小さな少年へと変貌した。
「しかたないですね。どっちが死んでも、僕がおいしくいただくので安心しなさい」
「そりゃあ、結構だな」
菫は雪のもとへ戻る。
少年は、すれ違いざま、あっかんべーをしていった。
龍胆の一撃が重くなる。受け止めきれなかった斬撃を体の外へ受け流していく薔薇だったが、それでも受け流しきれない。刃先は優雅な衣を次々と切り裂き、あちらこちらにやぶれが生じ始める。
薔薇にとって初めてのことだった。目を見開く。
龍胆は歩みを止めず、間合いに踏み込み続ける。神速で刀を振るうその手には、もはや過去への迷いはなかった。愛情も、憎しみも、一切を断ち切り一瞬の隙も与えず刀を振るう。
龍胆の凄まじい突きを受け止めきれなかった薔薇の刃が、ついに折れた。右肩に深く龍胆の剣が突き刺さる。
――っ!?
龍胆はそのまま押し込む。剣先は肩を貫通し、純白の衣を真っ赤に染めた。
痛みに耐えきれず、薔薇は片膝をつく。
龍胆はその正面に立ち、ズッ・・・と傷口からゆっくり刀を引き抜く。
青い瞳で静かにかつての『父親』を見つめた。
「・・・終わりだ」
龍胆は血振りすると、刀を鞘に納めた。
雪のもとへ歩いてゆく。
(終わったんだわ)
雪はへなへなとその場にへたり込んだ。安堵の息を漏らす。
「――とどめを刺せ、龍胆」
薔薇はかすれた声で言った。
「標的の息の根が止まる瞬間まで見届けろと、教えたであろう」
「あなたは・・・、標的ではない」
龍胆は振り向かずに言った。
「あなたは俺と雪の父親だった。――一瞬だったかもしれないが、それでも父親だったころもあった」
薔薇はふっと笑う。その顔は案外穏やかだった。
「だから殺せぬと? 甘くなったな、龍胆」
空から鷹の鳴き声がしてきた。
それは小梅の腕に止まる。小梅は笛を吹くのをやめ、鷹の足に結ばれた密書を開いた。
「朝廷からの命です」
――『第六天の魔王と朝廷がつながるなど前代未聞。あってはならぬこと。龍胆、朝廷にまだ忠義を尽くす気があるなら、直ちに十六夜 薔薇と芍薬を排除せよ』
雪は息を呑む。
薔薇の高らかな笑い声。
雪はゾクッとした。
「これが、政と言うものだ」
薔薇は笑うのをやめ、小梅へ視線を向ける。
「小梅。――貴様、朝廷とつながっていたな?」
「え?」
雪は思わず声が出た。龍胆も小梅を見つめる。
問われた子どもは、およそ大人でもできないような、そら恐ろしい笑みを浮かべていた。
――今頃お気づきですか? 『おとうさま』
小梅は笛を懐にしまう。それが術が解ける合図だった。
屋敷が倒壊し始めた。ぐにゃりと歪み、壁はヒビが走り、床だったところは雪へと変わる。
そこに広がっていたのは。
屍食鬼の館から少し離れた場所。猛吹雪の中だった。
一方。
周りが雪景色になるとともに、白木蓮の刀は、芍薬の心臓を貫いていた。
「部下の、かたきだ」
芍薬は口からごぼっと血を吐いた。がくりと両膝をつき、真っ白な雪の上へ倒れる。
「にいさま・・・」
最後に呼んだ兄への声は、吹雪にかき消されていった。
薔薇は、ゆうゆうと近づいてくる小梅を、忌まわしく見上げた。
「無様ですね。『おとうさま』。いや、今は薔薇さまとお呼びしましょうか」
「その齢にして、俺に手の内をさらさなかったのは、驚嘆に値するぞ」
「お褒めいただき、ありがとう存じます」
うやうやしく頭を垂れる。
「薔薇さまの子どもたちは皆、十六夜家のご長男が新たな『父』となりました。こたびの十六夜家の失態も、ご長男さまがうまく収められるはずです。――残念でしたね、ご長男さまは長女にだけ魔王の力をお与えになったことに大変不満を持っていらっしゃった。雪お姉さんと同じく不死身の力をお与えになっていれば、違っていたでしょうに」
「龍胆。父の最後の教えだ」
――権力とは、こういうものだ。
薔薇はにやりと笑う。
「実の息子でさえ牙を剥く。故に俺は手ずから子どもたちを集めた。自分の子でさえ信用できなかったからだ。それでも、皆この『父』を裏切った」
シャンッ
ふと、刀を抜く殺気じみた音がした。
小梅が、薔薇にとどめを刺そうと短刀を抜いたのだ。
「だめっ!!」
雪は叫ぶが、間に合うはずもない。龍胆が走る。
――だが、子どもは手負いの狼を甘くみていた。
短刀をあっさり奪い返すと、小梅の胸へ振り下ろす。短刀は小さな体を貫き、血の花が咲いた。
「なんて、ことを・・・!!」
雪は口を両手で覆う。小梅の小柄な躰はその場に投げ捨てられる。吹雪に吹きさらしになった。
薔薇は言う。
「龍胆、雪。そなたらは今、俺を助けようとしてくれたな。父は嬉しく思う」
薔薇の肩は出血が止まらない。だが、不死身ゆえ死ぬこともない。
雪は身体中、心まで凍えそうなほど寒かった。
(寒い、寒い・・・。なんで、どうして?)
こんな結末を誰が望んでいただろう。
どうしてこうなるのだろう。
――誰も殺さない。だれも死なせない。それはなんて難しいのだろう。
薔薇は龍胆へ笑いかける。
「俺は隠居する。俺の子どもはお前たちだけだ。お前たちだけ、残ってくれた」
――嬉しく思うぞ。
そう言って、薔薇は吹雪の中を歩んでゆく。――はず、だった。
「薔薇よ。それはならぬぞ」
雪にとっては聞き覚えのない声。龍胆は冷水を背中に浴びせられたような声だった。
「あなたは――・・・!!」
龍胆は叫ぶ。
そこに立っていたのは、ボロボロの衣をまとった僧侶だった。
僧侶は言う。
「俺と契約しておきながら、つまらん隠居生活が許されると思うな」
「なにっ? あなたは屍食鬼ではなかったのか?」
「どういうことですか? 龍胆さま」
「人斬りだった俺に花散里へ向かい、雪を世話するように頼んだのはこの人だ」
初耳だ、雪は首をふる。
「わたし、この方のことは存じ上げません」
「紅葉。――いや、今は雪というのか」
僧侶は、にこやかに笑う。
「きれいになったな」
――この俺、第六天魔王の娘よ。
雪は目を見開く。次第に止んだ吹雪。吐く息は白く、氷のように冷たい大気を漂って消えた。




