餓鬼
*軽度の残酷描写あり。血が苦手な方はご遠慮ください。
喰い散らかされた肉塊。畳の血の海。
ここは庄屋の家。葬儀に参加していた村人たちは、そのほとんどが化け猫に魂ごと喰われた。
朝になれば、帰ってこない家族を探しに人間たちがやってくるだろう。そうなれば、役人を呼んで大変な騒ぎになるはずだ。
しんと恐ろしいほどの静寂が包む座敷。むせ返るような血臭が漂う室内。
そこへ無遠慮に足を踏み入れる男がいた。
「火車が現れたか。・・・一足遅かった」
暗闇で顔はよく見えない。
背が高い男だ。天井に頭がふれそうなほど。体格もいい。着物の上からでもガッシリとした筋肉が窺える。
声は悔しげではあるが、案外おだやかだ。心地が良い低音で、女性ならばうっとり聞き惚れるだろう。
――暗闇の中、異常な輝きを放つ、『青い目』を除けば。
ふと、男の足元から「うぅっ」と女のうめき声がした。
「おおっ! どうやら生き残りがいたらしいな」
男の声がはずむ。おもむろに膝を折った。
女は血まみれの顔で必死に「た、たすけて・・・!!」と泣き叫んだ。右肩は化け猫――火車に噛み砕かれ、グシャグシャになっている。
男は「うーん」と顎に手を添え、考えるふりをした。
「困ったねぇ。君のその怪我じゃ、もって線香一本といったところかな。長くはないが、短くもない。苦しいだろうねぇ。痛いだろうねぇ」
後半になるにつれ、男の声は嬉しそうに変貌する。
死にかけのネズミをいたぶる猫のようだ。
たっぷりと色気を含んだ唇を開き、男は女へ一歩距離を縮めた。女は「ひぃっ」と悲鳴をあげる。
「いいねぇ、その怯えた顔っ! ゾクゾクするよ」
男は女の顎を掴み、ぐいっと引き寄せる。痛みに耐えきれず歪む汚れた唇。それを覆うように、自らの唇を重ねた。
「っ!?」
女はぎょっとして泣き止んだ。見知らぬ男に口づけられて平気な者はいないだろう。離れようともがくが、顎を捕まれ、背に手を回されれば身動き取れない。
男は、甘美な口づけを繰り返した。
安心をあたえるように。
・・・・・・苦しまぬように。
束の間、女は痛みを忘れて口づけに酔いしれた。
その時だ。
「ゔっ! ――ゔぅぅっ!?」
女はぎょろりと目をむいた。口から、『霧状のなにか』を吸い出されようとしている。
末期の力を振り絞り、女は抵抗した。バリバリと男の服を引っ掻く。指が擦れ、血はにじみ、爪が剥げた。
・・・・・・やがて、ビクッと手は痙攣し、それが最期のあがきとなった。
首は力なくだらりと落ちた。
「・・・ふう。味は『下』だな。いやはや、がっかりだよ」
男は女の骸を、興味をなくしたと言わんばかりにぽいっと捨てた。
血溜まりに無造作に転がされた女の死体は、魂を吸い出され白目をむいていた。
「・・・まったく。君は死に顔まで汚いね。最期くらい、美しく散ったらどうだ?」
男は言い捨て、おもむろに立ち上がった。膝を払い、乱れた襟を正す。
「まあ、いいさ。雑魚に興味はない」
死体の群れをものともせず、男は淀みない足取りで玄関へ戻った。
ゆっくりと、月光の注ぐ青い夜へ姿を現す。
まばゆい白髪はふわり夜風にそよぐ。
白い鼻筋、ふっくらとやわらかい唇。人懐っこいたれ目。
「屍食鬼は死体を喰う鬼。火車はただの化け猫。――死体を愛でる鬼は、『餓鬼』である僕だけかねぇ」
どの鬼よりも残虐なこの鬼には、ちょっとした趣味があった。
――美しい女の、死体の収集。
「雪ほど、魂に汚れがなく美しい女はいない・・・。さて、どこへ連れて行かれたのかな?」
揉み手しながら、男は舌なめずりした。