目覚める龍胆
「――龍胆さま。起きてください」
大人になった雪の声がした。
龍胆は寝返りを打った。なんだかとても眠かった。そのまま溶けてしまいたいほどの睡魔・・・。
「もう丸一日寝ています。死なないで・・・」
雪が泣いている。起きねば。
「あの頃のように、おぶってあやしてやろうね、ゆき・・・」
「なにをおっしゃるのですか? 龍胆さま。雪はもう大人ですよ」
やはり龍胆さまはおかしくなってしまったのだわ、と雪は慌てふためく。
「大人――?」
龍胆は目を開ける。雪の泣きそうな顔がこちらを覗き込んでいた。妙にやわらかいと思ったそれは、膝枕だったらしい。
「雪。きれいになったね」
龍胆は雪のやわらかい頬を撫でる。
「雪お姉ちゃん。そんなひと僕が食べちゃうから心配いらないよ」
菫の薄情な声がした。
「こら。菫ちゃん。なんてこと言うの」
「ぼくを追い出して、雪お姉ちゃんに口づけした挙げ句、人間に戻るなんて。ずるいにも程がありますっ!」
そこでやっと、龍胆の脳は覚醒した。
「俺は死んだはずじゃなかったのか?」
「だいじょうぶですよ龍胆さん。これから僕のお腹の中に入るんですから。すぐ死にます」
菫がふんと鼻を鳴らした。
雪はおもむろに、説明してくれた。
「龍胆さまがわたしにく、口づけをなさったあと、黄金の光に包まれて・・・。そうしたら、雪にはならず、髪が黒くなられたのです」
「髪が黒く?」
龍胆は毛先をつまんでみる。以前は灰色がかっていた髪は、人間らしい黒髪へと変貌している。
「はい。なにより、お体が温かくなられて」
――身体があたたかい?
龍胆は自分の手を見た。長かった爪は短くなり、血行が良い桜色になっている。口の中も、野良犬のようだった犬歯が短くなっていた。
龍胆はあわてて飛び起きた。勢いもそのままに二階へ駆け上がり、雪のためにと購入した鏡を手に取る。
そこには、もう見ることはないはずの、消えた人間の男が映っていた。
濡れ羽色の艷やかな髪。薔薇色の頬と、痩せているが以前のように骨が浮き出ることもない身体。二十歳のまま止まっていた時間が動き出し、二十九歳らしい大人の顔が映っていた。
龍胆は鏡を持ったまま、ばたばたとせわしなく階段を降りる。そのままの勢いで、雪を抱きしめた。
「ゆき」
「はい」
「俺の雪――・・・!!」
愛している。大好きだ。ずっと言いたかった、そのどちらの言葉も、この奇跡の前ではすぐに出てこなくて。
――どちらにも染まらない。その贅沢な苦しみを享受するのが、お前さんの生き方なんだろうなあ。
龍胆は少し笑う。
「?」
「なんでもないよ、雪。なんでもない――・・・」
とろんとした瞳で見上げる雪を何度も抱きしめ、口づけをおとした。
(人間の子どもの匂い・・・?)
菫は喜びに湧く二人をよそに、ふと外を見た。隙間風から、子どもの匂いがするのだ。
今は夕方。こんな時間に、こんな場所を子どもがうろつくのは不自然だ。
(迷子にでもなったのかな?)
菫はとことこ玄関まで走ると、再び外へ出ていった。
外は猛吹雪だった。菫の粗末な着物の隙間という隙間から、体温が奪われていく。
人間には風の音しかしなくとも、獣には誰がどこで何をしているか、手に取るようにわかった。
(あそこだ)
道中、菫は首をひねった。吹雪の先にいる遭難者の匂いは、取り乱した人間の息遣いではなかった。
ただ、そこに立っているといった感じだ。
やがて、桃色の大きな布が見え、菫は息を呑んだ。
自分と歳のそう変わらない男の子が、奇妙な出で立ちで立っていた。
桃色のベールを頭からかぶっている。みずらに結った髪の、赤い紐が愛らしい。菫の瞳はつぶらだが、この子の瞳はずっと大きい。狩衣に身を包み、一本下駄を素足で履いている。男の子の足は、寒さで真っ赤に腫れていた。
菫を見つけると、男の子はニコっと笑った。
「ねえ、なにしてるの? こんなところで」
「――ふふっ」
菫は問うが、男の子は答えない。
嫌な予感がした。
菫は密かに逃げの体制へ入る。獣の勘とでもいうべきか。
(このボウズ、ぼくより強い・・・!!)
菫のこめかみを、冷や汗がすべる。
男の子はおもむろに、竜笛を唇に添えた。
刹那、すさまじい爆発音が大地を揺るがした。




