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屍食鬼との出会い

この村では、健康でなければ餓死を待つのみ。


そう悟ったのは、まだ幼い頃。

相次ぐ農作物の不作。

疫病の蔓延。

親のない子供が口減らしに合うのは、当然の流れだったのかもしれない。

森に放り捨てられなかったのは、村人に最後に残った良心だろう。馬小屋のすみ、藁を敷かれた狭い空間が、私の病床となった。

食事は、村の子供達が情けで分けてくれたものくらい。


それでも、私は生きた。

天から与えられた寿命が、長かったのか。

はたまた、悪運が強いだけだったのか。

今年で、十九になる。


無論祝いなどされるはずもなく、病で死にかけた私にとって、苦痛が伸びただけだ。

カビ臭い湿気った藁の上で、寝返りをうつ。激しく咳き込んだ。口を抑えた手のひらを見れば、ああ、血で汚れている。


「神様。・・・もう、許して・・・・・・・・」


もう助かる見込みのないこの体。

乾いた砂のようなこの干からびた魂を、救う気がないのなら。

いっそのこと、終わりにしてほしい。


しかし、声は、朝の霧の中に溶けていく。

天は聞き入れる気がないようだった。無情にも、朝日が馬小屋に差し込む。

私はうらめしげに目を細め、ゆっくりと目を閉じた。


――神様が受け取らないなら、


「私の魂など、鬼にでもくれてやろうか・・・」



この言霊を、『彼』が聞いていたのかはわからない。


そして私も、このとき吐いた言葉を、次に目覚めたときには覚えていなかった。




穢土えどから遠く離れた村――花散里は、田園風景の広がる田舎だ。


そしてこの村には、『鬼』が出る。


――『屍食鬼』という、死にかけの人間や死体ばかりを食う、化け物が。


昨日、庄屋のオヤジが死んだ。

奔放な男だったから、酒飲みが過ぎたのだろう。

村が貧困にあえぐなか、贅沢で死ねるなんて、と村人たちは皮肉った。それでも、葬式は挙げてやらねばなるまい。皆、準備に取り掛かった。


「今回も出るかねぇ? 『屍食鬼』殿は」

「出るだろうよ。死人が出るたびに、葬式の最中でも死体をかっさらっていく化物だぜ。でっぷり太った男の肉はさぞうまかろうよ」

「ちげえねえ」




一方、病の娘――雪は、穀潰しとそしられながらもまだ生きていた。

梅の花がほころぶ季節だ。甘ったるい香りが鼻をくすぐってきて、雪は目を覚ました。

ボロボロにほつれた着物はドブネズミのようだ。幽霊のような長い黒髪は足首まで伸びている。青白く、痩せた体は枯れ木のようだった。


雪からは悪臭が漂っていたが、馬小屋だったからか、馬のにおいと混ざって、幸いにも指摘されることは少なかった。

・・・・・・でも、今日は違う。


「まあっ、くさい。なんだいこの娘の汚さは。まるで死にかけの猫じゃないか」


初めて聞く女の声。雪はどきっと心臓が跳ねた。

起き上がることすらままならない体、眼球だけで睨むように見上げれば、喪服に身を包んだ中年の女性が、いまわしげにこちらを見下ろしている。


「あ・・・・・・、げほっ!」


雪は声を出そうとして、激しく咳き込んだ。喋る相手ができたのはいつぶりだろうか。

女の正体はおそらく死んだ庄屋の妻だろう。絹の着物を着こなす出で立ちで見当がついた。嫌な女と評判だ。嫌味の一つくらい言ってくるだろう。


だが、気に留めてもらえるだけ、マシなのかもしれない。


――まるで空気のような存在。いてもいなくても気づかれない。それが私だから。


「哀れなもんだね」


女は着物の袖で鼻を覆う。


「親がいなくなった子供の末路は悲惨さ。遊里に売られる娘もいる。それに比べりゃ、お前は幸運な方だよ。・・・病弱だったお陰で人買いにすら相手にされなかった。本当なら山に捨てて獣の餌にするところを、馬小屋でも村においてやったんだ。あたしら夫婦に感謝すべきじゃないかい?」


――なにが感謝だ。


雪は血走った(まなこ)で女を睨みつける。ひゅー、ひゅー・・・と乾いた音の出る喉を押さえた。

言い返すこともできない雪を、庄屋の妻は満足げに見下ろす。

そこには下卑た笑みが浮かんでいた。


「無様だねぇ。お前の人生はせいぜい、そうやって地べたに這いつくばって物乞いするだけ。糞の役にも立たないまま終わるのさ。――だが、お前の返事次第では、死に花を咲かせてやってもいいよ」


(どういう意味?)


雪は怪訝な顔をした。すでに死を宣告されている提案など、飲めるはずがない。

女はよほど確信があるらしい。自身に満ちた声で続ける。


「あたしの旦那――・・・いや、もうただの骸になっちまったけどね。あの男の葬儀を取り仕切らなきゃいけない。屍食鬼に邪魔されたくないんだよ」


(屍食鬼・・・?)


雪は首を傾げる。やがて、女の言わんとすることがひしひしと伝わってきた。

女は構わず続ける。


「まあ、生きてるときはろくな男じゃなかったさ。女を囲って、あたしとはろくに会話すらしない旦那だった。・・・でも、あんなのでも夫は夫。葬式ぐらい、無事に終わらせてやるくらいはしてやってもいいと思ってね」


(・・・それは、つまり?)


奇妙な感じだ。雪のこめかみを、脂汗がすべる。

女はひょうひょうと、なんでもないことのように言った。


「あんた、あたしの旦那の代わりに、鬼に喰われてくれないかい?」


時が、止まった気がした。

場違いな小鳥のさえずりが、うるさいくらい耳につく。だが、不快ではない。


待ち焦がれた瞬間が、ようやく訪れた気がしたのだ。


先程まで、雪は山猫のような眼で女を睨んでいた。その言葉を聞いた今、雪は別人のような顔へ変貌した。


眉間のしわはゆるゆると穏やかになっていく。

蕾がほころぶように、噛み締めた唇が緩んでいく。


わたし――・・・・・・。



雪は、はにかんだ。

ふわり。

それは美しすぎるほど。

子供のような、無邪気な笑顔だった。


――苦しみが、終わる時が、来た。


「承諾、だね」


女は変わらぬ調子で言った。

腕を組み、煙管をふかす様子は、まったく動じた様子もない。


ひょっとしたら、心が冷たい鉄でできているのかもしれない。

女の一声で、村人たちが駆けつける。てきぱきと指示を出すと、動くこともままならない雪をおぶらせ、連れ帰った。




雪は思い出していた。


かつて自分を抱きしめてくれた母のぬくもりを。

褒めてくれた優しい父の手のひらを。


そして、すべてを奪い去った、夕焼けの空を。


花散里は、春になれば満開の桜の花びらが散る。野花がそこら中に咲き、子供らを楽しませてくれる。

遊び疲れ、「ただいま・・・」と家の戸を開けた雪は、ひゅっと息を呑んだ。


両親の骸が転がっていた。


おびただしい返り血は天井にまで飛んでいた。切り傷から見て、獣ではなく、人間に斬られたのだと想像がついた。

母への土産に摘んできた花束が、手のひらから滑り落ちる。血の海に落ちた花びらは、赤く染まっていく。


血のような夕日は、幼い子どもをただひとり取り残し、無情にも沈んでいった。


雪はその日以来、口を利けなくなった。食も細くなり、ただ、朦朧と静かに座り込んでいた。


村人が雪を捨てなかったのも、わずかな同情があったのかもしれない。





庄屋の屋敷。村の女達によって強引に風呂に入れられた雪は、身ぎれいになったものの、病が悪化していた。

一方、真っ白な死装束を着せられた雪の変貌を見た村の男達はどよめいた。


雪は幽霊のような美しい娘だった。

櫛を入れた長い黒髪は絹のようにしっとりと光沢がある。細い首筋やちらりと覗く足首からは、得も言われぬ色香が漂う。

濡れた漆黒の瞳を伏せ、雪は苦しそうに胸を抑えた。


その仕草でさえ、品が良く、見るものの心を奪う。


「さあさ! どきな野次馬どもっ。お前たち、雪を隣の部屋へ運ぶんだよっ!」


庄屋の妻は男どもを蹴散らし、雪を夫の葬式を行う座敷へ連れて行く。

襖で隔てた隣の部屋では、葬式の準備の真っ最中だ。雪は死んだ庄屋の身代わりとして、生贄らしく白い布団が用意された。


枕元には、燭台が一つ置かれた。


この蝋燭の火は、決して絶やしてはならない。火が消えた瞬間、屍食鬼が死体をさらってしまうと伝承されている。

布団に横たえられた雪は、浅い呼吸を繰り返した。

艶やかな黒髪はさらりと揺れ、透けるほど白い肌を彩る。


「それだけの美貌があると知ってたら、あたしの旦那は手ぇ出してただろうね」


女は皮肉げに舌打ちする。


「まあいい。・・・この器量なら、鬼はうちの旦那よりお前を選ぶだろ。――雪。お疲れだったね。もう死んでもいいよ」


女は言い捨て、さっさと隣の部屋へ向かう。野次馬たちはすごすごと退散し、雪はたったひとりぽつんと広い部屋に残された。



話し声で、目が覚めた。

細い燭台の灯りがゆらめく。


どれほど時間が立ったのだろう。雪はうつろな瞳であたりを見渡す。部屋に一本だけの蝋燭がだいぶ溶けている。それなりに眠っていたようだ。

雪は起き上がるどころか、手を動かすのさえ難しくなっていた。いきなり重病人を風呂に入れれば、体調が悪くなるのは承知のはずだろうに。あの女は容赦ない。


いつもなら、人の話し声など聞き流すところだが、不穏な気配を肌で感じた雪は、耳をそばだてた。


「・・・・・・だいじょうぶ、バレねえよ」


男の声。それも、複数いる。


「あんなに美人とは知らなかったぜ」

「もうじき死ぬんだ。口外する前に鬼に喰われるよ」


――暴漢っ!?


雪はぞっと泡肌がたった。死ぬのは承知したが、これは話が違う。

しかし、もう逃げられない。体はどれだけ叱咤しても鉛のように布団に埋もれている。声を上げようにも、子猫のようなか細い悲鳴しかあげられなかった。


・・・・・・なんということだ。


(死ぬことを選んだばかりに、死ぬよりひどい目にあうなんて)


うまい話には裏があるという。鬼に喰われるのがうまい話とは思わないが、簡単に危ない話に乗るべきではなかったのだ。


(――鬼さま。はやく来てください)


雪は、無意識のうちに強く願っていた。


はやく来て。

はやく、わたしを食べて。


(わたしを、この苦痛の『生』から救い出して!!)


襖をそろりと開ける気配がする。はやく、はやくと雪は願い続ける。怖さのあまり、ぎゅっと目をつぶった。

村の男達の無数の汚れた手が、雪の布団を剥がそうと伸びてくる。


蝋燭の火が、フッと消えた。


刹那、暴風が巻き起こった。

閉ざされていた障子は粉微塵に吹き飛ばされる。


――!?


その場に立っていた男どもはあっけなく吹き飛ばされる。雪は地に身を伏せていたから、難を逃れた。風は隣の庄屋のオヤジが横たわる座敷の襖を襲う。


男たちは勢い余って襖を突き破り、死体のそばまで転がり込んだ。


「なにごとだいっ!?」


坊主の教は中断され、庄屋の妻はいきり立った。


「おまえたちっ!! いったいどういう了見で生贄の部屋にいたんだいっ。さては屍食鬼を怒らせたね!?」

「ち、違いまさぁ。お雪が生きてるか確認しようとしただけで・・・!」


言い逃れる男の頬を、庄屋の妻は平手で殴った。


「言い訳は後で聞く! それより今は――・・・!!」


はっとして女は雪の横たわる部屋へ視線を向ける。布団で寝ているはずの雪がいない。


いつの間にか濃い霧のようなものが立ち込める室内は、この世ならざるものの訪れをひしひしと伝える。

女は視線をさまよわせ、ついに見知らぬ男の背中を見つけた。


思わず、息を呑む。


――青い夜の闇。そこにぼうっと浮かび上がる男は、『鬼』というより『亡霊』じみていた。


年の頃は二十歳くらいか。紐で束ねた長い髪は、毛先に行くに従って灰色がかっている。華奢な体つきで、首筋といい骨が浮き出そうなほど痩せていた。

ぞっとするほど美しい『青い瞳』は、ひたとこちらをにらみつけている。


「これで、ようやく開放されるのですね」


か細い声が聞こえた。雪だ。

屍食鬼は視線を腕の中の雪へ向けた。・・・静かに目を見開く。


雪は、ほわり、はにかんでいた。


痛ましい涙の跡が残る頬。痩せこけた体は猫ほど軽い。

はやく、はやくと雪は急き立てる。


「はやく、わたしを食べて。楽にして」

「――」

「この濁世(だくせ)に、もういたくない・・・。生きる理由が見つからない。生きながらえればながらえるほど、ひどい目にばかりあう」


鬼に喰われた魂は、輪廻転生できないと聞く。だがそれも悪くない。

じっとこちらを見つめる、青い、青い瞳を持つ妖かし。彼の一部になるのも、悪くないかもと思ってしまったのだ。


ぽろぽろとこぼれる涙。素直に泣けたのはいつぶりだろう。


「この(ここ)は怖くてたまらないの。――・・・っ!?」


次に続く言葉を、雪は紡げなかった。

唇を塞ぐやわらかい感触。ふれあう肌は、悲しい温度をしていた。


――・・・冷たい。


口づけられたのだと気づいた瞬間、雪はのんきにそう思った。

屍食鬼は、ゆっくり顔を離す。うすい唇はほほ笑んでいるように見えた。


驚いているのは雪だけではなかった。いつの間にか取り残された村人たちは、ぽかんと口を開け、目の前で繰り広げられる甘い口づけに見とれていた。


鬼は、気に留めた様子はない。ひたすらに両腕に抱いた宝物へと目を向けている。


「・・・雪を連れて行く」


雪から目を離さず、鬼は唸るように村人たちへ告げた。

真っ先に声を上げたのは、庄屋の妻だった。


「ど、どうぞ、どうぞっ!! そのために選んだ娘ですから、煮るなり焼くなり好きになさってください。――お前たちっ。グズグズするんじゃない。はやくうちの旦那を棺桶に入れて、蓋をしなっ! 鬼様の気が変わる前にっ!」


・・・・・・ぜんぶ丸聞こえなのだけれど。


雪はぼんやりとそう思った。あの女が言う通り、これから鬼に好きなように喰われる身ゆえ、ほんとうは村の行く末など毛ほども興味はないが。耳に入ってしまったものは仕方がない。


鬼はなにか言いたげにしていたが、ふっと笑った。


「――生者せいじゃかばねねこも。血の宴が好きでこまる」


どういう意味だろう。雪は無気力に瞬いたが、彼はそれ以上何も言わなかった。


突如、男を中心に突風が吹いた。


風はごうごうと音を立て、壁と天井を破壊すると、ひゅるり、あっけなく消えた。



――雪と鬼の姿はない。


「お、終わったのか・・・?」


村の男が恐る恐る、伏せていた体を起こした。

他の者もそれにならい、そろり顔を上げる。


しばしの静寂。・・・・・・やがて、何事もないのを確認すると、村人は歓喜した。


「一時はどうなるかとヒヤヒヤしたぜ!!」

「雪には悪いが、これで旦那さまの骸は諦めるだろ」


庄屋の妻はほっと胸をなでおろした。「酒飲もうぜ、酒ぇーっ」とはしゃぐ男どもへ景気良く言う。


「皆、今夜はよくやってくれた! あたしのおごりだよ!」


わあっと盛り上がる人々。皆、宴会へと頭を切り替えた。

それは先程の恐怖を忘れるための、本能的なものだったかもしれない。


――だが、忘れてはならないことが、まだ、ある・・・。


葬儀の夜は、蝋燭の火を絶やしてはならない。


雪の蝋燭の火は消えた。

だが、庄屋のオヤジの蝋燭は、まだ燃えていたのである。


宴もたけなわ。酒によった男が、女中にぶつかったはずみで燭台にぶつかった。


「おっと・・・」


燭台が倒れる。畳に投げ出された蝋燭の火は、あっけなく消えてしまった。


「ちょっと、なにやってるんだい!!」


すかさず、庄屋の妻は女中の頬を殴った。哀れ、娘はひどく尻餅をつく。


「畳が焦げちまった。・・・来月まで給金はなしだよ! 出ておいきっ!!」


いつものように怒鳴りつけた。――その時だった。


みゃおん。


野太い猫の鳴き声が、娘の口から漏れた。


「――え?」


庄屋の妻は動きを止める。ぞっと泡肌がたった。

不気味な鳴き声は、たしかに娘の喉から発せられていた。


「ばか、な・・・! 生贄はちゃんと出したはずなのに」


焦った顔を満足気に眺め、娘は――化け猫は、にやりと笑った。


その眼は、屍食鬼と同じ、『青』に輝いていた。


女の絶叫がほとばしる。それはやがて、大勢を巻き込んだ。


障子に、大輪の血の花びらが散った。




・・・・・・誰一人、座敷から飛び出してきたものはいない。




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