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第五十三話 「和解」

少し前——


西園寺の介入により野村の手から辛くも逃れた奎、アウロナ、そしてサラの三人は、森の奥深くをひた走っていた。日差しは木々の隙間からまだらに地面に落ち、息をつく暇も与えないほどに緊迫した空気が三人の周囲を包んでいる。木々がざわめき、風が枝葉を鳴らすたびに、どこかで誰かが見ているのではないかという錯覚さえ覚える。


「ねぇ、あれじゃない?」


先頭を走っていたアウロナが急に足を緩め、指を前方に伸ばした。彼女の金色の髪が陽光に照らされ、まるで松明のように輝いている。その指先の先には、数人の人影があった。遠くからでもはっきりと視認できる制服のデザイン——それは、明らかにこの異世界には存在しない“日本”の学生服だった。


「ああ。円道寺たちだ。」


奎が声を低くして答える。けれどその表情には喜びの色はなく、むしろわずかな苦味と警戒心が滲んでいた。かつての自分が過ごしていた過去、それ自体はもはや乗り越えた。

けれど彼が真に警戒していたのは、その集団の中にいるであろう、ある少女の存在だった。


円道寺陽菜。彼女の内に宿る“異常”とも言える狂気の気配が、奎の本能を警鐘のように鳴らしていた。


「みんなの前だしまぁ、大丈夫だろ。」


奎はそう自分に言い聞かせるように呟いた。円道寺は表では完璧に猫を被る少女。温和で美しく、誰にでも優しい“理想のヒロイン”を演じている限り、今はまだあの“裏の顔”は出てこないはずだ、と。


だが——


「ねぇ!離してってば!!」


「え……」


不意に、森の奥から鋭く響き渡る叫び声がした。それは明らかに怒りと混乱、そして怯えの入り混じったもので、その声の主が円道寺であることは疑う余地がなかった。


「ケイ様、あれは……?」


サラが走る速度を緩め、不安そうに問いかけてくる。その視線はすでに事態の異様さを感じ取っていた。


「円道寺だ。一応知ってるだろ?あれがあいつの本性なんだよ。何であんなになってるかまでは分からないけど。」


奎の目が鋭く細められ、前方に視線を注ぐ。森を抜け、視界が開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。


円道寺は遠山叶葵に羽交い締めにされて暴れていた。制服は乱れ、髪も乱雑に揺れており、彼女の顔からはいつもの優しい微笑みなどは欠片も残っていなかった。あるのは狂気と怒り、むき出しの憎悪だけだった。クラスメイトたちはその異様な光景を直視できず、ただ立ち尽くしている。


その様子を見たアウロナが表情を引き締め、一気に走る速度を上げる。彼女の目が怒りに燃えていた。


「あんた……何してんのよ!!」


怒声とともに、アウロナはその小柄な体からは想像できない跳躍を見せ、一直線に円道寺へと飛びかかった。次の瞬間、彼女の拳が円道寺の頭に振り下ろされ、気絶させた。


その一撃には、ほんのわずかに“個人的な恨み”のようなものが込められていたのかもしれない。


突然の行動に驚いたサラが慌てて走る速度を上げアウロナを諭そうとする。


「お嬢様!!理由も聞かずに武力行使は——私も言えたものではありませんでしたね……」


サラは、自分がかつてアウロナと口論していた奎を本気で殺しかけた過去を思い出し、少し気まずそうに言葉を濁した。そして走る速度を戻すと奎と共にアウロナの元へ向かった。


現場は、凍りついたように静まり返っていた。


「……フン。」


アウロナは腕を組み、倒れた円道寺を見下ろす。そしてその視線は心配と呆れの入り混じったものだった。円道寺を羽交い締めにしていた遠山を一瞥するが、すぐに視線を逸らす。


沈黙の中、ゆっくりと口を開いたのは相澤晴翔。


「君、ありがとう。円道寺さんには少し困らされていたものだからね。それと、神代君……だよね?」


丁寧な言葉遣いに、どこか恐縮したような表情を浮かべながら話しかけてくる。アウロナは相澤の礼に興味がないとばかりに顔を背け、無言で受け流す。


「うん。相澤君……だったよね?」


「うん。覚えてくれていてありがとう。あの…失礼を承知で一つ書きたいのだけど、僕たちは神代君と一緒にいて良いのかな?僕たちは許されないことを君にしてしまったから……」


奎は穏やかに相澤に声をかける。自分から過去の接点を探り、できる限り敵意を抑えた。そしてそれが功を奏したのか相澤は一縷の希望を持って和解の交渉に似たものを言ってくる。

そしてそれに奎が応えようとした次の瞬間、彼の言葉を遮るようにアウロナの声が飛んだ。


「そうよ。」


その声には、明確な怒りが込められていた。


「あんたたちのせいでヨケイはすごく傷ついたんだから。」


「アウロナ……」


奎が静かに名前を呼ぶ。彼の声には止める気持ちも込められていたが、アウロナは迷いなく言い切った。


相澤は、それを受け止めるように深く頷いた。


「そのことに関しては僕たち一同申し訳ないなんて言葉だけじゃ済ませられないと思っているよ。好きに言ってくれて構わない。ただ一つ聞きたいのだけどそのヨケイってなんなんだい?」


「それはヨケイと初めて会った時……」


アウロナの言葉がふいに途切れる。


彼女の脳裏に浮かんだのは、異端収容所で初めて出会った時の奎。シダルタから教えられた「カミヨケイ」というフルネーム。その中にあるヨケイと余計な存在であったことをかけて名付けたのだった。


けれど——今、果たして彼は本当に“余計な存在”なのか。いつの間にか彼の存在は、自分にとって“大切な何か”になっていることに、アウロナは気づきかけていた。


「………」


言葉が出ないまま、視線が彷徨う。そんなアウロナを見て、相澤は気遣いを込めて話題を切り替えた。


「えっと……答えを聞くのはまた今度でいいよ。話を戻すけど僕らは神代君と行動を共にしていいのかな?」


奎はそれに、堂々とした姿勢で胸を張って応える。


「ああ。今まで突っぱねてごめん。これからは協力して柊たちを討ち倒そう!」


その言葉に、相澤の顔が明るくなった。これまでの苦い関係に、一つの和解が訪れた瞬間だった。


それを見たクラスメイトたちも、一斉に奎の元へ駆け寄ってくる。


「神代君!!これから一緒に頑張ろう!そして帝都に捕まってしまったみんなを助け出そう!!」


大きな声でそう叫んだのは遠藤。まるで昔と変わらない、無邪気で元気な彼の声だった。


続いて、小山と寺岡と東雲が口を開いた。


「神代君、一緒に頑張ろう。」


「神代……俺と共にこの世界を救世しようではないか……」


「神代、頼りにしてるぜ。」


奎は微笑みながら力強く頷く。


「ああ。頑張ろう。」


その後、木の陰に円道寺を寝かせて戻ってきた遠山が、少し照れながら言った。


「あっ……その…あたしは遠山叶葵。……知らないよね?」


その問いに、奎は穏やかに、しかし確信を持って返す。


「いや、知ってるよ。一応クラスメイトの名前と顔は大体覚えてるんだ。」


月一でしか登校しなかった奎だったが、教室で下を向きながらも、クラスメイトの顔と名前は頭に叩き込んでいた。ただ、実際に話しかけられると誰が誰か分からないことも多かったが


そんなやり取りを、少し距離を置いた場所で眺めていたアウロナがふいに呟く。


「なんか変な感じがするわね……」


その言葉に、隣に立つサラが首を傾げながら返す。


「そうでしょうか?今のところ殺気のようなものは感じられませんが。」


「なんか……胸がモヤモヤするの。なんなのこれ。」


アウロナは自分の胸元を押さえ、不安げに呟いた。その姿を見たサラの表情が一変する。


「そう、ですか。それは不思議ですね。でもそれはまだケイ様に言ってはなりませんよ。」


「?なんでよ。まあ言うつもりもないけど。」


アウロナが怪訝そうに聞き返すと、サラは黙ったまま視線を落とし、静かに心の中で祈るように想った。


「(お嬢様……まだ自覚されていないのでしょうね。若しくはまだ新芽なのでしょうか。いずれにせよ時が来るまでは私だけが相談役になるべきですね……本当に成長されました。)」


優しく、そして強くサラの胸に去来したのは、主君の一人の確かな成長を慈しむ、心からの想いだった。

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