第五十話 「異世界バトロワ」
少し前……シダルタと梅垣が激戦を繰り広げている頃別所でも戦火が舞っていた。
「サァ、初手はこれだ。」
野村がその言葉とともに掌を掲げると、デジタル世界の水色の輪郭を持つ黒ブロックが、まるで命を宿したかのように脈動を始める。電子音が世界を震わせ、ブロックの輪郭が明滅し始めると、まるでキャンバスに色が流れ込むように、それらは風景へと姿を変えていった。
「これは……」
「何よこれ……」
呆然と見つめるアウロナとサラの眼前で、黒ブロックは次々と現実の構造物に置き換わっていく。まず地面が現れ、それは枯れ木の生える森へと変貌し、続いて荒れ地のような乾いた大地へと移り変わる。そして、無機質なコンクリートの建物——工場と住宅が無数に立ち並び、圧倒的な密度で“ゲームの世界”が完成していく。
「サァ……2対1でいいぜェ。俺に勝てたらこの先通してやるよ。」
野村は不敵な笑みを浮かべると、こちらの返答を待つことなく踵を返し、まるで自分の縄張りに帰るかのように軽やかに工場へと駆けていった。
静寂の中に残されたのは、アウロナとサラと、意識のない奎だけだった。
「なんなのここ。見たことない建物ばっかり。」
アウロナの視線が周囲を素早く泳ぎ、警戒を怠らないまま吐き出される言葉は、戦場に放り込まれた少女の戸惑いと苛立ちが入り混じっている。
「不思議ですね……あっあそこに落ちているものはなんでしょうか。」
サラは大蛇のまま腹を地面に這わせながら滑るように移動し、目を凝らす。そこには黒く鈍い金属製の器具が一つ、無造作に転がっていた。
「何よこれ。」
「魔導器でしょうか?」
サラとアウロナが首を傾げる。だが、それは彼女らとは無縁の兵器——アサルトライフルだった。野村が創造した世界は、銃撃戦を模したバトルロワイヤルゲームの仮想戦場。いわばサバゲーだった。
アウロナたちがしどろもどろしていると背後から、鋭く怒鳴るような声が飛ぶ。
「おい何突っ立ってんだよ!早く銃取って遮蔽物に隠れろよ!!」
アウロナたちが振り向くと、野村が工場の屋根に登っており、その手には見覚えのない長い金属の筒——アサルトライフルが握られていた。
「銃?なんですかそれは。」
「は?………あっ!そっかァ。お前ら異世界人だもんな。」
野村は呆れたように鼻で笑うと、気だるげに指を鳴らした。瞬間、ビリリと鋭い感電のような衝撃がアウロナとサラの脳内を突き抜ける。
「っ!」
「!!」
目を見開いた二人は、一瞬で“理解”する。それが「武器」だということ。どう扱うか、どう使えば人を殺せるか。流れ込んだ知識は容赦がなかった。
「これがアサルトライフルってこと?」
「そうですね。脳内に武器説明が流れ込むとはどんなスキルなんでしょうか。」
野村が嗤う。
「ハッ!ゲームは公平でないと面白くなくなるからな!!」
その言葉に応じるように、アウロナは即座にライフルを手に取り、スライドを引いて弾を装填する。滑らかな動作には迷いがない。彼女の瞳に宿るのは、狩人の光。
「敵ながら気持ちの良い方ですね。」
「ええ。でもこれで撃ち合わなきゃいけないんだから変な情は沸かせないでね。」
まるで訓練されていたかのように、アウロナは腰を低くして狙いを定めると、工場の屋根にいる野村に向かって引き金を引く。
動体視力。こればかりは戦闘など無縁の地球人ではなく戦闘が身近にある異世界人に軍配が上がるのかもしれない。
乾いた銃声が虚空を裂き、閃光のように弾丸が飛ぶ。
「おぉぉおおおっっ!!!急激だナァ!!」
野村は驚愕と快哉を入り混ぜた声を上げ、弾丸を紙一重で回避すると、そのまま屋根の影へと滑り落ちた。
「お嬢様その判断の速さ流石です。」
「ふふん!やってみれば意外と出来るものね!」
しかし油断したのは束の間だった。
「油断するなよォ!!!ババババババーン!!!」
同時に火を吹くマシンガンの銃口。金属の猛嵐が炸裂し、空気を唸らせながら降り注ぐ。だがそのとき、サラが瞬時に動いた。
「当たりませんよ!」
その巨体とは裏腹に、大蛇の身体が地を滑るように走る。アウロナと奎を乗せたまま、サラは弾幕の狭間を縫うようにして迂回し、着弾予測地点を正確に回避する。
「スダダダダダーン!!」
野村がなおも喚きながら狙いを変えるが、サラの動きは予測不能。獰猛に波打つ蛇の如き軌道が、全ての弾丸を無力化する。
「仕返しよ!」
アウロナの叫びとともに、新たな閃光が走る。
「アサルトじゃ無理……って追跡グレラン!?」
野村の顔が引きつる。アウロナはサラが弾を避けるために動く最中に巧みに追跡型グレネードランチャーを拾い、すでに装填を済ませていた。機械音と共に放たれたグレネードが、蛇のようにカーブを描きながら野村へと迫る。
「チィィィイイッッ!!」
野村は叫び、屋根から転がり落ちるように飛び降りた。
直後、グレネードが屋根に激突し、爆風と共に鉄骨と瓦礫を吹き飛ばす。火花が夜空のように舞い、工場の屋根は破壊されていた。
「お嬢様素晴らしいです!」
「サラも弾を全部躱わしててすごいわよ!」
互いの功績を讃え合う笑顔が、その場に咲いた。
「ではノムラ様が復帰される前に武器を集めましょう。」
アウロナとサラは慎重に周囲を巡回しながら、瓦礫の中や倉庫の裏に落ちていた武器を一つひとつ拾い上げていった。
デジタルに生成されたこの戦場には、現実には存在しない違和感のある空気が漂っていた。音の反響が奇妙に遅れ、足音すらノイズ混じりに響く。それがますますこの異様な戦場の緊張感を高めていた。
◇
野村はまるで姿を消したかのように沈黙し、攻めてくる気配を完全に断っていた。
アウロナは与えられた時間を冷静に利用し、装備の整理を始める。拾い集めた武器の中から、有効と思える5つを選び出し、携行スロットに装着していく。
—ショットガン。
—アサルトライフル。
—追跡型グレネードランチャー。
—スナイパーライフル。
—そして、回復薬。
「ここ魔術は使えないわよね。」
アウロナは肩の力を抜くように呟いた。
「そうですね。ですが私のスキルが使えるだけでもかなりありがたいですね。」
サラが静かに答える。蛇の尾で地面をなぞりながら、周囲の気配を絶えず探っている。
「それにしてもヨケイは起きないのね。」
サラの背に乗せられた奎は、まるで深い眠りに落ちているかのように動かない。爆音が轟こうとも、地面が揺れようとも、まったく意識の気配を見せない。アウロナが彼の身体を片手で押さえながら小さく首を振るそのとき——
「ッ!来ました!!」
サラが緊迫した声で叫ぶ。次の瞬間、彼女の視線が閃光のように一点を捉えた。
家の窓。その隙間から、わずかに覗く顔。野村だ。
「あそこね!」
アウロナの指が即座にトリガーを引いた。
ダダダダダダッ!!
アサルトライフルから迸る銃火が、空気を切り裂く。弾丸は怒涛の勢いで窓を撃ち抜き、硝子が雨のように砕け散る。ガラスの破片が閃光のように宙を舞い、野村の顔面や腕を切り裂いた。
「ぉぉおおおお!!!」
悲鳴とも歓声ともつかない声を上げながら、野村が扉を蹴破って飛び出してくる。手に握ったアサルトライフルを乱射しながら、狂気の笑みを浮かべて突進するその姿はまさに暴走機関車。
だが——狙いはメチャクチャだった。
めちゃくちゃながらも、凶弾は確実に殺傷力を持つ。
数を打てば当たるというのも案外馬鹿にはできなく本当に不規則に数発がサラたちに向かい飛来する。しかし、それを——
「……っ!」
サラの身体が雷光のごとき軌道で舞う。
滑るように地を這い、鋭角に体を反転させ、すべての弾丸を紙一重で回避。獣の直感と緻密な計算を融合させたかのような動きが、殺意を無効化する。
「一撃必殺よ!」
アウロナの声が響いた。
彼女の手にはすでに、スナイパーライフルが握られている。全神経を集中させて照準を定め、視線の先、突進してくる野村の額を捉えた。
「終わりよ!!!」
ドンッ!!
乾いた衝撃音とともに弾丸が放たれ、マズルフラッシュが眩い閃光を放つ。狙撃の反動でアウロナの身体が跳ね、サラの背から転げ落ちる。同時に、奎の身体もアウロナと一緒に地面へ。
そして発射した弾は——
「グ………」
野村の頭蓋を正確に撃ち抜いていた。
額に食い込んだ弾が一瞬の遅れで爆発的な力を発し、野村の身体はまるで映像がノイズで崩れるように青い光の粒子へと変わっていく。
崩壊。
データの死。仮想世界での死。
「いたた………」
「お嬢様お怪我は!?」
サラは即座に尾で奎の身体を拾い上げ、続けてアウロナのもとへと駆け寄る。そして彼女を己の腹の上に丁寧に乗せる。
「大丈夫よ。それよりあいつは?」
「お嬢様の一撃により倒れました。私たちの勝ちです!」
サラが誇らしげに報告する。
しかしそのとき——
サラの背後で、キラリと何かが閃いた。
アウロナが目を見開く。
「……っ!」
だが、完全勝利を確信した者の油断は、咄嗟の回避行動という選択肢を奪っていた。
「デコイだぜ。異世界人!!」
鋭く、汚れた声が空気を裂く。
建物の屋根の影から現れた“本物”の野村。その肩に担がれたスナイパーライフルがサラの頭部に照準を合わせていた。
なんとアウロナが脳天を撃ち抜いた野村はデコイというアイテムによって精巧に作られた偽物の野村だった。
「二人まとめて終わりだ!!」
バァァン!!
凶弾が大気を裂いて走る。
サラの脳天を正確に捉えたその弾は、瞬く間に彼女の頭部を貫通し——
青い粒子と化す。
「お嬢さ……」
彼女の最後の言葉は、データの崩壊とともに途絶えた。
「サラ!!」
アウロナが絶叫する。その瞳には怒りと、絶望と、反射的な防御の意志が宿る。
だがそれすら——間に合わなかった。
サラを貫いた弾丸は、そのまま直進し、次に狙ったのはアウロナの額。
「なっ!!」
バンッ。
閃光と共に、アウロナの脳天もまた正確に撃ち抜かれた。
「あっ!ケ……」
スローモーションのような静寂の中で、彼女の身体が後ろへ倒れ、サラと同じく粒子となって、風に溶けていった。
そして——
荒廃したデジタル都市に残されたのは、まだ目を覚まさない、奎だけだった。
その身体に静かに砂埃が積もっていく。喧騒の終わった戦場に、風だけが寂しく吹いていた。