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第四十六話 「2日目、昼」

昨夜の奎の発作は、サラの全力の介抱によってなんとか収まり、彼は静かに再び眠りへと落ちていた。

そして迎えたその朝――今日の奎の見張りは、アウロナの番だった。


重い雲ひとつない青空に、昼前の太陽が柔らかく降り注ぎ、教会の小さな一室の窓辺から、光がすっと差し込んでいた。

その光は、奎の顔の輪郭をやさしくなぞり、汗の気配も残るその額にほのかな輝きを乗せていた。


アウロナはそんな奎の横顔をちらりと睨みつけるように一瞥しながら、ため息混じりに呟いた。


「サラったら昨日お兄ちゃんの分まで見張ってたのに結局朝までコイツにかまって……倒れちゃったらどうするのよ。」


彼女はベッドの横にある簡素な木製の椅子に腰掛けていた。

今日のアウロナは、金髪を高く束ねてポニーテールにしていた。毛先がゆるく揺れ、差し込む光に淡く透けている。

その表情は、どこかむくれたような、不機嫌とも取れる仄かな苛立ちを帯びていたが、それも長く続かなかった。


「………あんたは早く元に戻りなさいよね。あんたがこのままだとお兄ちゃんが心配して帝都にいるあんたの知り合いを助けに行けないんだから。あたしは早くナフタリに戻りたいのよ。こんな治安の悪い国に留まりたくないの。」


言葉の節々には、相変わらずツンとした調子があったが、その瞳はふとした拍子に伏し目がちになり、どこか不安の色も混じっていた。

無理に強がっているような、その姿は――誰もいない部屋の静けさに紛れるように、あまりに人間らしかった。


アウロナは、返答のない奎の方をちらと見やり、もう一度ため息をついた。


「ねぇ今起きてくれたらあんたが聞きたがってたあたしたちのギルドについて教えてあげるわよ?」


当然、返事はない。けれど、アウロナはそれに傷つくこともなく、小さく笑った。


「………」


「ふふ。まあそうよね。」


自嘲とも照れ笑いともつかないその笑みのあと、彼女はすっと姿勢を正すと、少し誇らしげな口調で語り始めた。


「ディシウカトル。ナフタリの三大盗賊ギルドの一つって言われてるの。ナフタリは詭術の国って呼ばれてて盗賊がたくさんいるのよ。あっ治安は悪くないわよ?ナフタリの盗賊は盗賊としての美学を守ってるんだから!」


その瞳に、ほんの僅かに誇りのような光が宿る。

幼少から育った場所。自分の居場所。自分自身が肯定される場所――アウロナの語りには、確かな芯があった。


「ふふっ普段は名乗る時以外はギルドのことギルドの人以外に言っちゃダメだからこうやって言うのは新鮮ね。」


彼女はふと笑い、少しだけ姿勢を緩めた。どこか、奎が聞いていなくても語りかけること自体が嬉しそうで、彼の眠るベッドを何度か振り返る。


「ナフタリにはシルヴァリックっていうすっごい盗賊がいるのよ?噂で聞いただけだけど名乗る時に『怪盗』って言うんだって。」


その瞬間、アウロナの表情がぱっと明るくなる。

目を細め、少し前のめりになって身振り手振りで語り出す彼女は、まるで観客のいない舞台で一人ショーをしているかのようだった。


「シルヴァリックはね盗む前に予告状を出すんだって。そんなことをしたらバレちゃうって思うんだけどシルヴァリックの盗みを止められた人はほとんどいないの。シルヴァリックはお金持ちの人しか狙わないから界隈では『シルヴァリックの予告状が来たらおしまいだ。』って言われてるの。すごいわよね。」


その声には本当に憧れが滲んでいた。

尊敬と、未来の自分に対する希望――アウロナの胸の内には、そんな色とりどりの感情が渦巻いていた。


「あとねあたしがギルドに入ったばっかりの頃に教育係であたしに色々教えてくれたのがファリシーナっていう猫型の獣族の人なの。すごい美人なのよ?」


そう言って、アウロナは両手をぴょこんと頭に置き、猫耳のジェスチャーをした。

その仕草はあまりに幼く、しかしどこか生き生きとしていて、年齢不詳のような可愛らしさを感じさせる。


ちょうどその時、背後の扉が控えめにノックされ、少しすると開く音がした。けれどアウロナは気づかない。

完全に一人話に夢中になっていたのだ。


「お嬢様。昼食の時間ですよ。」


その声と同時に入ってきたのはサラ。

両手には、いつも通りの軽食――サンドイッチが丁寧に乗った皿を携えていた。


そして、その足音の無さから、アウロナは最後の最後まで彼女の接近に気づかず、まだ猫耳のジェスチャーをしたまま固まっていた。


沈黙。

数秒ののち、アウロナはそろりと首だけを動かし、ぎこちない動きでサラの方を振り向く。


「そ、そこに置いといて……」


耳まで真っ赤に染まりながら、彼女はうつむき加減に、サラへと恨めしそうな視線を投げた。


その様子を察したサラは、柔らかく一礼すると、静かに一言。


「失礼しました。」


そう言って部屋をあとにする。

けれどサラの足音は一切無く、アウロナはその背後の気配が完全に消えるまで、確信が持てずにじっとしていた。


そして、やがてそっと息をつき、何事もなかったかのように椅子に深く腰を下ろし、

静かにサンドイッチを手に取った。


パンの柔らかな匂いが、わずかに鼻をくすぐる。けれど、その温もりも、この時間の穏やかさも、あと数時間のうちに――


教会襲撃まで、あとわずか。

静かな昼前の光の中で、刻一刻と迫る闇の気配だけが、何も知らない彼女たちに静かに忍び寄っていた。

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