第三十一話 「ドミニク・フェルマータ」
なぜだ……なぜ、なぜなんだ……!!
どうしてこんなことになった!?
なぜ私が、私がこんな目に遭わねばならないんだ……!!
私は……私はただ、音を求めていただけだったのに!
作曲をしていただけだったんだ!
ただ、己の趣味に没頭していただけなんだ!
道具を集め、楽譜を探し、ただ良い音を——美しい音を生むためだけに、ほんの少しだけ……ほんの少しだけ、手伝ってやっていただけだったのに……!!
それの何がいけない!? どこに罪があるというのだ!?
私が何をした!? いや、何をしていないというのだ……!!
私は、生まれついての天才だった。
物心ついた頃から音が見えた。音が触れられた。音が話しかけてきた。
周囲は勝手に私を称え、崇め、ひれ伏し、耳を傾けた。
だったら……だったら黙って、私の音に身を任せていればよかったのだ。
私の言うことだけを聞いていれば、世界はもっと幸福に、もっと正しく響いていたはずなのに……!
私は、音楽家であり——音楽そのものだった。
作詞し、作曲し、奏でたすべての旋律は、人々の心を震わせ、魂を揺らした。
それは当然だ。私は誰よりも音に愛された。
いや、私は音だったのだ。人間などではない。人の姿を借りた、旋律そのものだったのだ。
私の音は、民衆を酔わせ、貴族を跪かせ、修道士を涙させた。
誰もが私の音に魅了された。
それなのに……なのに、なぜ!? なぜ私は、こんな不遇を味わわねばならんのだ!?
どうして、どうして私は追われ、蔑まれ、邪魔されねばならぬ!?
私は……ただ、天才としての責務を果たそうとしただけなのに。
この世のすべての音を知りたかった。
美しき旋律、心地よい音などは既に尽くした。
だからこそ私は、聞いたことのない音を——誰もが一生をかけても届かぬような、刺激的で、魂を焼く音を——求めた。
私はアスフェリアの紛争地帯を訪れ、戦場に身を投じた。
命が燃ゆる音、消え去る音、再び燃え上がる音……あれは至高だった。
人間が死の瞬間に奏でる最後の音は、どんな交響曲よりも純粋で、澄んでいた。
それを耳にしたとき、私は確信した。
これは正しい。これが真の音楽だと。
しかし、ただ聞いているだけでは……足りなかった。
私は自ら剣を取り、刃を振るった。
命を賭け、死を回避するために人間が必死に発する音は、それはもう、凄まじい旋律だった。
初めて斬ったときの感触、噴き出す血の音、骨が砕ける音、悲鳴と絶叫と嗚咽のハーモニー……
あれは……あれは、忘れられない。
だが、どれだけ素晴らしいものにでもいつか飽きはくる。
もっと、もっと深く、濃く、強烈な音が欲しくなった。
そして私は、積み上げた戦績を使いアスフェリアの異端審問官となった。
異端者の女を「楽譜」として集め、その肉体を楽器とし、その断末魔を音符とした。
私は作曲に勤しんでいた。最高の音楽を、この世の誰もが震えるような音を、生み出していた。
なのに……それを、邪魔する者が現れた!!
許せない……! 許せない……!! 許せるわけがない!!
そのような不協和音は……即刻、断ち切らねばならぬ!
包帯男……! 貴様だ!!
貴様だけは、生かしてはおけぬ!!
無惨という言葉すら、生ぬるい! 貴様は、削り、潰し、擦りつぶし、何千もの音に刻んで殺してやる!!
そして……金髪の女……!
あの乳房をもぎ取り、その場で焼き、焼け爛れる音を聴かせる。
その後で私は、それを咀嚼してやる。咀嚼音を、女の耳に叩き込んでから——殺す。
……あのエルフの女。
………そうだ。思い出したぞ。
あれは……あの異常なほどモクロの木が生い茂った森で見つけた、エルフ一家の娘。
あのとき、心が壊れていたから……燃やしておいたはずだった。
なぜ今、あの女が……生きてここにいる!?
復讐だと? 私に? この私に!?
楽譜の分際で!! 私の音に身を任せていれば、それでよかったのに!!
なぜ不協和音を生むんだ!! なぜ私に逆らうんだ!!!!
いいだろう。ならば……次は、お前の耳を引きちぎり、魔獣の耳に付け替えてやる。
それから、片目をくり抜き、魔獣の目を移植する。
心臓も……魔獣のものと入れ替えてやる。
フフ……どんな音が出るのやら。どんな旋律を奏でるのか……今から楽しみで仕方がない……!!
お前たち全員……私の“交響曲”の糧となるのだ!!
逃げ場などない……!
私の“音”は、すべてを支配する!!絶対に絶対に絶対に絶対だ!殺してやる!出せる音全て出させてからーーー
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「ガァァッッッッッッアァァァアアァァ!!!」
ドミニクは豪火に身体中を焼かれ皮膚が焦げて肉が剥き出しになり沸騰した血液が血管から噴出しようとする。しかし次に押し寄せた津波によりその全てが解決された。
しかし津波は新たな苦しみの種を生み出した。
「ゴボッ!!ーー!!ーーーーー!」
体中を苦しみが駆け巡る。生命活動に必要な素材の入手経路を塞がれたドミニクはもがく。しかしいくらもがこうと一向に救いは来ずドミニクの意識が飛ぶ…
「ボハァァッッ!!」
瞬間に津波は終幕し次に吸うと喉が焼けつく熱さの蒸気が押し寄せる。吸えば喉が焼ける。しかし吸わなければ死ぬ。
ドミニクは喉を焼き焦がしながら酸素を肺いっぱいに取り込む。
「何生きようとしてるの。このクソ野郎!!」
「あ……!?」
蒸気の中から現れたのはナターシャ。
通常のドミニクなら視界がなくとも音で何者かの接近を予知できたかもしれない。しかし今のドミニクは耳の穴の奥の奥まで水が詰まっており何も聞こえない。
この状況では今まで脅威とすら思ってなかったナターシャですら十分な脅威になる。そう思ったドミニクはバックステップを踏む…
「チッ!!……!?」
踏めなかった。
シダルタの土魔術による足止めはいまだに健在だった。
「(あんなエルフの女一匹なら手だけでも……)」
そう思いドミニクが手を出して構えようとする。
しかしその瞬間に足元の床が隆起してドミニクの両手を絡め取った。
「あの包帯男がぁぁぁ!!!」
「これなら当たるわ!リーリアとお母さんの恨みよ!!」
ナターシャはドミニクの頬を思いきり2回平手打ちし緩んだ口を手で無理やりこじ開けるとそこに手をかざし、
「アクレイア!!」
と詠唱した。
するとナターシャの手のひらからとんでもない量の水が溢れ出してその全てがドミニクの口から体内へと侵入していく
「ゴボババババババババババッッッッッッッッ!!!!」
ドミニクの肺に残っていた空気はすぐに水に浸食され耐えることすらキツくなったドミニクは何かをしようとするが何もできない。手足が拘束されて耳は聞こえなくなっており体内には永遠と恨みが注がれ続ける。
「……!!…!!…ーーー!!!!んんんんんんん!!!!!!!」
目の前に大量にある物が手に入らないもどかしさ。それがドミニクの心を支配する。
「(クソクソクソクソ!このエルフ私を殺す気なのか!?復讐を完遂させる気なのか!?絶対にそんなことはさせない!絶対に絶対!絶対絶対絶対!!殺す殺す殺す!!)」
ドミニクの顔色は段々と血の気が引き蒼白になっていき目は血走っていき心臓が脈打つ度に全身が酷く痺れる。体が痙攣し始め視界がぼやけ始める。叫んでも声にならない。
「(まずい……意識が……死が……迫っている。この私に!?私という天才を世界から失うんだぞ!?神よ見ていないのか!?私だぞ!?神聖アスフェリア帝国の異端審問官として正義を執行し続けて異端者を裁いた私が女の異端者に下剋上などで殺されるなんて。ありえない!!あぁ祝福を!加護を!そうだスキルを!私は今猛烈に生きたい!!スキルは本気で願ったことが神に届けば得られると聞いたことがある!なら今だ!私に今までスキルが発現しなかったことにも説明が付く!さあ!さあ!さあ!………なぜ!なぜなんだ!私が死ぬぞ?天才音楽家ドミニク・フェルマータが死ぬんだぞ?どうかしてるぞ神!私という指揮者を失えば世界からは音楽が消えると言っても過言ではない!それに私がエルフの女に殺されるなんて!家族の仇である私に復讐なんて!それを成功させるなんて!そらで喜ぶんだろう?そんな音はいらない聞きたくない出させなくもない!だから私は生きる!生きてコイツを殺す!殺す殺す殺す殺す殺す殺す…こ、ろ………)」
必死に暴れて解放されようとしていたドミニクが次第に弱々しくなっていった。力が込められていたて腕もやがて萎んでいった。
彼の体がびくりと痙攣すると瞳から光が消えた。身体がガクンと足元の土に全ての体重を預けた姿勢になるとやがて、動かなくなった。