第6話 私の理解者
「~~~!!」
ふゆ先生を見送ったあと、私は言葉に出来ない感情を背負い、思い切りベッド上の衣服の山を殴りつけた。
「信じらんない!! なんで!? なんで夏凛が負けるの!?」
今まで頭を使うことでは誰にも負けたことがなかったのに、ふゆ先生はたったの三ゲームで私を負かせてしまった。そのことがどうしても信じられず、私は怒りとも悔しさとも分からない気持ちを力任せに発散していた。
「なんで夏凛が負けるのっ!!」
数十発叩きこんだところで、はあはあと息を切らしてパンチするのをやめた。負けて物に当たるなんて子どもみたいだ。なんだか虚しくなり、ジャージの山を除けてベッドに寝転がる。
「はあー……」
家庭教師なんていらない、と思っていた。前にもいろいろな先生が来たけど、その度に私は追い返した。わざとお転婆に振る舞ってみたり、勉強から話題をそらしたり。そうすれば向こうは呆れて、指導するのをお断りしてくれるからね。成績を心配して家庭教師を呼んでくれたお母さんには悪いけど、一人で受験まで乗り切ろうと思っていた。
けど、ふゆ先生は違った。初手でパンツの山を掘り返した先生なんていなかった。そのうえ、私のふざけたお喋りにもちゃんと付き合ってくれた。しかも気づいた時には志望動機まで言わされてたし。初対面なのにあれだけ心を開かされた自分自身に驚いている。
そしてなんとなく、ふゆ先生も私と同類の人間なんだろうという気がした。最初は丁寧な言葉遣いだったのに、すぐに気怠げな言葉に変わってたし。きっと表面的に取り繕っているだけで、本当は他人に興味のない人間なんだろう。
でも、極め付けはやっぱりあのゲームだ。少なくともCPU相手には負けたことがなかったし、何なら日本で一番あのゲームに長けていると思っていた。……それなのに、ふゆ先生にはあっさり負けてしまった。
あの人とは一緒に勉強してみるのも悪くないかもしれない。今までの家庭教師とは明らかに違う雰囲気を感じるもの。話を分かってくれるし、私を変人扱いしたりもしない。
「……よしっ」
私はベッドから起き上がった。そして部屋を出て、下の階にいるお母さんのところに向かう。「あの先生は良い人かも」って、ちゃんと伝えなくっちゃね――
***
夏凛の指導を終えた後、自宅に帰ってくつろいでいると、携帯電話が鳴った。画面を見ると「佐藤夏凛の母」と書いてある。今日の指導のことだろうか? 俺は電話を取って応答する。
「はい、高梨です」
『もしもし、佐藤です。お世話になっております』
「どうかなさいましたか?」
『ええ、今日のことなんですけど』
やっぱりか。さっきはちゃんと話が出来なかったからな。初回の授業後だし、何か言いたいことがあってもおかしくない。まさかもうクビじゃねえだろうな。
『あの……大丈夫でしたか?』
「へっ?」
『うちの子に何か言われたりしませんでした?』
予想外の言葉に戸惑う。パンツは被ってたけど、別に変なことを言われた覚えはない。いや、変わった奴だとは思ったけどさ。どうしてこんなに心配そうなんだろうか。
「いえ、特に問題はありませんでしたよ」
『そうでしたか。実はあの子、家庭教師の先生をからかう癖があって』
「癖?」
『ええ。何というか……自分についてこれない先生を振り払うというか……』
「……なるほど」
夏凛のあの振る舞いは俺を「からかって」いたというのか? たしかにそれなら納得がいく。元の性格は暗いのに、頑張って陽気なフリをしている……という俺の推測とも合致するな。「気難しい」ってのはそういうことだったのか。
『それで、うちの娘が何か先生に失礼なことを申し上げてないかと』
「そんなことはないですよ。とてもいい娘さんです」
『本当ですか? そんなことを仰った先生は初めてです……』
母親は恐縮しきりだった。もちろんお世辞も入ってはいるが、いい子だと思ったのは嘘ではない。優秀な頭脳とそれに見合った立派な目標を持っているんだ。別に悪い子なんかじゃないだろう。
「とにかく、僕の方は大丈夫ですから。ご心配いただきありがとうございます」
『あの、先生?』
「まだ何か?」
『それが、さっき娘から先生についてのお話を聞いて……』
「えっ?」
やっぱりクビか? クビなのか? ……ビクビクしながら母親の言葉を待っていると、聞こえてきたのは意外にも――
『ぜひ今後もお願いしたい、とのことでした』
との言葉だった。いや、さっき夏凛自身が「次も、お願いします」なんて言っていたじゃないか。どうしてわざわざそんなことを伝えてきたのだろう。
「あの、それがどうしたんですか?」
『娘が自分からそんなことを言うのは初めてなんです!』
「は、はあ」
『先生、いったいどんな魔法を使われたのですか!?』
「ま、魔法って言われても……」
ただ素のままに相手しただけ、なのだが。別に特別なことをした記憶はないし、やけにテンションの高い母親の様子が不思議でならなかった。
『とにかく、あの子があんなに人に興味を持っているなんて初めてなんです!』
「そうでしたか……」
『では先生、次回もよろしくお願いします!』
「は、はい。失礼します」
終話ボタンを押して電話を切り、床に寝転がる。やはりどうにも掴めないな。どちらかと言えば他人に興味津々といった感じだったけど、実際には全く興味なしと。俺はまだまだ夏凛の心を知ることは出来ていないということか。初対面だったのだから当たり前と言えば当たり前だが。
だが本心を見せたところもある。志望動機を語っていたときの表情はまさしく真に迫るものがあった。あれが夏凛の本性と考えていいのだろう。内に気高い志を持ち、他人を見ることなくただ邁進していく。そういう人間なのかもしれない。
よっこらしょと身を起こし、ちゃぶ台に置いてあった缶ビールを開けた。これはいつものルーティンだ。酒は体に悪い。そんなことは分かっている。だけど不思議とアルコールを欲する自分がいて、どうにも買うのを止められない。
「……」
缶を手に取り、グビリと喉を潤した。志望大学に進学して、真面目に授業を受けて、目標のためにきっちり貯金している。不満な点など何ひとつない。そのはずなのに、心のどこかにぽっかりと穴が開いている気がするのだ。ひょっとして、夏凛に開いているのも同じ穴なのかもしれない。……そんなわけないか。女子高生と己を重ね合わせた自分自身に苦笑しつつ、もう一口ビールを飲み、まだ少し明るい窓の外を見つめた。