第13話 不埒な教師
友達になった――からといって関係が大きく変わることはなかったが、少しずつ夏凛とは親しくなっていった。授業回数は既に五、六回を数え、そろそろ佐藤家への道順にも慣れてきた頃だ。少し涼しくなった夕方、俺はいつも通り家の前に立ち、呼び鈴を押す。きっと今日も母親が――
『もしもし、佐藤ですが』
「えっ?」
インターホンの向こうから聞こえてきたのは、威厳のある低い声。こんな人はいた覚えがない。……もしかして、夏凛の父親か?
『何かね?』
「あのっ、家庭教師の」
『ああ、そうか。入りたまえ、鍵は開いている』
「は、はい」
がちゃりと音を立てて、玄関の扉を開ける。廊下を見渡す限りでは誰もいないようだが。さっさと靴を脱いで、夏凛の部屋に向かうとするかな――
「君」
「えっ!?」
「ちょっと、お父さん!」
その時、居間の方から父親らしき男が夏凛の母親と一緒に歩いてきた。男は身長180センチメートルはありそうな体格で、甚兵衛に身を包んでいる。やっぱり父親だよな、あんまり似てないけど。
「君が娘の家庭教師かね」
「は、はい」
「もう今日で七回目の授業らしいじゃないか。よく続いているな」
「それが何か――」
「いったい娘に何をしたのだ!?」
「お、お父さんったら!」
声を荒げる父親と、それを必死に止める母親。家に着いたばかりで夫婦喧嘩を見せられてもコメントのしようがない。喧嘩するほど仲が良いと言いますし、オシドリ夫婦で何よりです。とでも言えば良いのだろうか? というか「娘に何をした」って何のことだよ……?
「あのー、僕が何か……?」
「娘はどんな家庭教師でも満足しなかったんだ! それなのに貴様とは続いている! これはいったいどういうことだね!?」
「す、すいません先生! うちの主人が――」
「お前は黙ってなさい! とにかく私は君が娘とうまくやっているのが不思議でならないんだ!」
「べ、別にうまくいっているならいいじゃないですか」
「反論しろとは言っとらん!」
「す、すいません!」
反射的に謝ってしまったけど、俺悪くなくない!? なんで!? おたくの娘さんに勉強を教えているだけなんですけど!?
「とにかく! 私はだね!」
「は、はあ」
本気で何かを言いたげにしている父親。こんなに大声を出してどうするんだ? 俺がいったい何をしたと――
「君が不埒な手段で娘を誘惑しているのではないかと疑っているのだ!!」
「ええーっ!?」
「お、お父さん!」
とんでもないことを叫ぶ父親と、慌てて制止する母親。ちょっと待て、不埒ってなんだよ!? 俺がいやーんな方法で夏凛の心を掴んでるって言いたいのか!?
「本当にすいません先生、主人が失礼なことを……」
「いえ、その……」
「なんだね、心にやましいことがあるのかね?」
「なななな、ないですって!」
というか、この人こわい! 単純に体がデカいからこわい! 迫力も相まってこわい!
「全く、及川先生のお嬢さんから紹介されたというから男の教師でも我慢したのに……」
父親ははあとため息をつき、俺の存在を憂いているようだった。及川先生、というのはメイの父親のことだろうな。医者らしいし、それで夏凛の父親と知り合いってわけだな。医療業界の狭さは恐ろしいねえ。
さて、どうしたものか。このまま汚名を着せられたままというのも困る。そもそも指一本触れてな――というのは嘘か。だけど肩を掴んでチョコやら飴やらを摘発しただけだし。憤慨する父親に気づかれないよう、さり気なく夏凛の部屋に向かうとするか。
「じゃあ、失礼しまーす……」
「待ちたまえ」
「ヒエッ!?」
しかし父親に肩をがっちりと掴まれ、二階に上がろうとするのを阻止されてしまった。やはり一筋縄ではいかないらしい。
「しかしだな、雇っておいて疑うというのは失礼だ。そこで一つ提案したい」
もうだいぶ失礼だけどな!
「な、なんでしょう?」
「今日の授業には私も同席したい」
「……へっ?」
「要するに、授業参観というわけだ」
「えええーっ!!?」
この歳で!? 授業参観!? 冗談じゃない! たしかに俺は不埒なことはやってねえ! だけどあんなふざけた会話を聞かれたら――まずいに決まっている!
「そ、それはちょっと~……」
「まずいのかね? やはり娘と――」
「ななな何もしてないです! どうぞ見てくださいっ!」
「そうか。では見学させてもらおうか」
「は、はあ……」
ちらりと母親の方を見てみると、ものすごく申し訳なさそうな顔をしていた。この親にしてあの娘ありだな。変わり者からは変わり者の娘が誕生するというわけか。メンデルの遺伝法則を恨みつつ、仕方なく父親とともに二階へと上がっていく。ドンドンという父親の足音が俺にプレッシャーをかけているようで、なんだか緊張してしまうな。
父親とともに部屋の前に到着した。……普段は適当に入室してるけど、今日はそんなわけにはいかないか。部屋の前に立った俺は、軽くドアをノックして夏凛に合図した。気づいたようで、夏凛の声が部屋の中から響く。
「はーい?」
「家庭教師の高梨です」
「えっ? ふゆ先生どうしたの?」
「そっ! それはその……」
夏凛が「ふゆ先生」と言った途端、父親がギロリとこちらを睨んだのが分かった。まずい、こんなあだ名で呼ばれていることが伝われば早くも解雇の危機! よく考えればこの時点で仲良しみたいに思われるじゃないか!
「せんせー、早く入りなよ」
「し、失礼しまーす……」
促されたので、キイと音を立てて部屋の扉をゆっくりと開ける。目に入ったのは、机に向かって参考書の問題を解いている夏凛と、相変わらず足の踏み場がない床。
「きょ、今日もよろしくお願いし――」
「夏凛」
「「えっ!!?」」
ドスの効いた声が響き渡り、俺と夏凛は同時にビクついた。夏凛は慌てて参考書から目を上げると、俺の後ろに立つ父親のことに気づいたようだった。
「お父さん!?」
「夏凛、部屋は片づけなさいと言っただろう。家庭教師の先生に失礼ではないか」
「ご、ごめんなさい……」
「お前は医者になるんだろう? 他人への礼節はきちんとわきまえなさい」
人を不埒呼ばわりしてどこに礼節があるんですか、という言葉を飲み込んだ。
「で、なんでお父さんがいるの?」
「なに、ちょっとな。今日は授業を見学させてもらおうと思って」
「えっ?」
「さあ、私に構わず授業を始めたまえ」
困惑する夏凛の隣に座り、鞄から筆記用具を取り出していく。もう今更悩んでも仕方がないし、今日はこのまま授業を進めていくしかない。……うっかり夏凛と親し気な様子を見せたりしたら、間違いなくアウトだからな。
「ちょっと先生、どういうこと?」
「お、俺も分かんねえんだよ。我慢してくれ」
「えー、せっかくの授業なのにい……」
ひそひそと話し合う俺たち。夏凛は頬をぶーと膨らませて不満を露わにしていた。俺だって嫌だよ! ってか、父親はどこで授業参観を――
「ちょっ、お父さんパンツの上に座らないでよ!!」
「なに? 私は気にしないが」
「夏凛が気にするの!」
後ろを振り向くと、父親はベッドの上に座ってこちらを見物していた。……ちゃんと下着をタンスにしまわない夏凛が悪いんじゃないのかなあ。
「全く、お父さんったらデリカシーがないんだから……」
「夏凛が言うなよ、それ」
「ふゆ先生だってパンツ掘り起こしたくせにー!」
「ちょっ、今それは――」
「なんだと貴様!?」
気づけば背後に大男。顔を真っ赤にして今にも殴りかかってきそうである。……やめて! 暴力反対!
「貴様、娘のパンツをどうにかしたのか!?」
「どうにもしてないです! パンツの山から娘さんを発掘しただけで!」
「発掘だと!? いったい何をパンツから発掘したのだ!?」
「変なものは発掘してないです! いい加減に不埒扱いしないでください!」
「ちょっとちょっと、二人とも夏凛のパンツで争わないでくださいっ!!」
「「お前のせいじゃないか!!」」
「ええーっ!!?」
開始早々カオスになってきた授業。いったい何回パンツと言えばいいんだろうか……。ため息を吐きながら、父親からの問い詰めを回避する俺であった。




