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浮気して離婚した妻とよりを戻す男の話。

作者: 阿漕悟肋

 別れた妻から連絡があったのは、春の、散り終えた桜の花弁が側溝の溝にしぶとく残る頃だった。

 離婚の原因は、浮気だ。

 どこにでもよくあるようなやつ。同窓会で再開した昔の恋人がどうのこうの。

 どの面下げて連絡してきたのかと思えば、なんと彼女は死ぬらしい。

 どうにかスケジュールに都合をつけて病室を訪ねると、沢山の目が私を出迎えた。

 彼女の両親や親戚、そして私を申し訳なさそうに見上げる彼女の両目。

「久しぶり、元気してた?」

 何年振りかに見た彼女の顔はやつれていて、けれど彼女があまりにも当たり前のように声を掛けてくるものだから、私はつい平凡な挨拶を返していた。

 聞けば、もう何年も持たないのだという。

 早ければ一年もたないかも。そういって、彼女は寂しそうに笑うのだ。

 それは困る、と私は声を上げていた。

 まだ慰謝料が残ってるだろう。大体、最近はずっと返済が遅れていたじゃないか。

 周囲の人間が白い目を向ける中、彼女だけが吹き出して笑う。

 ひきつけを起こして、息も出来なくなるまで。

「……そうだった。アンタはそういう人だったね」

 それは親戚連中が非難の声を押し殺してしまうくらいの快活さで、目じりには涙が滲む。

「でも、ごめんねぇ。ほら、治療費も馬鹿にならなくてさ。逆にお金を借りたいくらい」

 だったら。

 この悲劇を金にしないかと、私は彼女に持ち掛けた。




 知人の編集者は、この計画に一も二もなく賛同してくれた。

 抱えていた売れない作家にゴーストライターを頼み、手際よく出版までの道を整える。プロの仕事というものに、私は感心するばかり。当事者といえどすることはとくになく、いくつかのインタビューを通し、彼女が存命の内にその実録本が書きあがる。

 私たちの出会いから今までを感動的に書き上げた一冊の本。

「はー。いやー感動したね! 特に私が死ぬところ! びっくりしちゃったよ」

 そりゃあ、死んでからだと何の意味もないからな。

 ベストセラーとまではいかないけれど、本はそこそこ売れたらしい。昨今は映像業界もネタ不足で、映画化の話まで舞い込んできた。

「んー……この女優さん、私にしては、ちょっと……。もうちょっとさあ、新垣結衣とか」

 沢山の管に繋がれてそんなことをのたまうあたり、この女もどうかしている。

 印税のおかげで医療保険適用外の治療を受けられたおかげだろう。

 彼女はなんと、三年半も生き延びた。




 彼女が死んで、私には前と同じ日常が帰ってくる。

 当座の悩みは生活資金だ。印税はどうにか彼女の治療費と慰謝料に足りる程度で、仕事を辞めてしまったからむしろマイナス。

 日銭稼ぎの仕事を終えて家に帰ると、ちょうど私が非難されているところだった。

 彼女の親戚が、病室での一幕をマスコミに垂れ込んだらしい。やらせだの金の亡者だのと非難されている私の名前を、私は他人事のように眺める。

 関係者各位には、本当に申し訳ないことをした。けれど、それはそれとして文句を言われてもなぁ。

 見た人は感動し涙を流してすっきり、出版社はそれなりに儲け、彼女は治療費を稼いで寿命を延ばした。別に誰も困ってないだろうに。

 参考VTRとして流される劇場版の映像を流しながら、私はカップヌードルをすする。

 テレビに映る彼女役の女優は本当にきれいだった。掛け値なしだ。目元もすっきりしていて、鼻筋もすらっと通っている。スタイルはモデル寄りで彼女より胸は小さいけど、それくらいご愛敬というものだろう。

 ドラマチックな出会いから、涙なしには語れない最期までのダイジェスト。

 まあ全部嘘だけど。

 実際の出会いは、サークルのコンパだ。酔った勢いでホテルに連れ込んで、そのまま。

 当時は――当時も金はなくて、休憩代は折半。近場にあった自分のアパートで、帰ってからは買いだめしてあったカップヌードルを、

「っあ」

 今更になって、どうして。

 シャツの袖で拭っても追いつかない。

 テレビの音が聞こえなくなり、脳裏には商品価値のない思い出がとめどなく溢れてくる。

 声や肌の匂い、ブリーチした彼女の髪の手触り。

 読者にも、映画の観客にだって売れるはずもない記憶が、溢れて。

 私はただ、彼女に会いたくて。

 どうしようも、なくなっていく。




 やがてマスコミは彼の住居に押し寄せて、けれど彼は一言も語ることはない。

 だって、誰にも決して言えないだろう。

 別れた妻と言葉を交わすための口実に、あんな計画をわざわざ用意したいじましい男の話など。

 マスコミも、観客も、読者も、彼女の親戚すら知る由もない。

 ただ――彼女だけが知っていた。




 そうだった。アンタはそういう人だったね

 病床の彼女は、確かにそう言って。

 きっと、その一言だけで男は満ち足りていた。

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