一年後期 『怒り』
「う、うわあああ! な、なんだこいつら!」
「ま、待て! これ、先輩たちだ。このバーの店長たちだよ!」
今田の言葉に、サークルのメンバーは息を飲んだ。
それもそうだろう。今から自分たちが踏み入れようとしていた店内から、あんな人たちが出てきたんだから。
「せ、先輩! なにがあったんですか?」
「中になにかいるのかよ!」
「落ち着け! とりあえず救急車を」
慌ただしい声が、ヘンゼルを通じて車内に流れている。
僕たちは身構え、状況を睨みつけていた。これでも、みんなで何度か修羅場を潜り抜けたりもした。なにかあれば、すぐにでも飛び出し戦闘になっても遅れをとらない緊張感が漂っている。
しかし、それはふらりとやってきた。
視界の端に、動く人影があった。
みんな従業員のほうに気を取られていたのか、首を動かしたのはぼくだけだった。
店の隣にある駐車場に、従業員用の出入り口から現れた。表情は微笑み、いつもみたいに軽い足取りで歩く。
何食わぬ顔で、何も知らぬように。
何も驚かず、すべてを知っているかのように。
なぜか声が出ず、体も動かない。
あまりに自然で、彼がいることを当たり前に感じる。そんなこと、ないはずなのに。
そして、なんの迷いもなく集団にふらりと近づき。
陽気に声をかけ、振り向いた面々に笑顔を見せて。
ルイは眼鏡を外し、呪いの瞳を晒した。
「フォトンボール!」
やっと動けた僕は、みんなの目にフォトンボールを配置した。
同時にルイの方にも飛ばしたのだが、そちらは間に合わなかった。集団がルイに群がり始めている。
「行くぞ!」
「おぉ!」
衛を先頭に、ヨイチ・小太郎が続いた。
「マイケルさん、アキラちゃんたちを頼みます。アメ!」
僕は飛ばしたフォトンボールを転移に切り替え、信二と共に飛んだ。
「ぬおっ!」
「おぉ!」
「いってぇ!」
三人はルイに飛びかかったが、桃色の魔力に遮られてしまった。
よく見ると、ルイを中心に防御壁が発生している。呪いの力だろうか。
「やぁ、みんな」
ルイは微笑んだ。
いつもと変わらず、なに考えているのかわからない。
でも、なにか笑顔の奥に潜んでいる気がしてならない。
「お前、なにしてんだ?」
衛が唸った。
ルイの体は、愛をささやく人たちで囲まれ、すでに顔しか見えなくなっている。
「あははは。まぁまぁ、落ち着いてよ。でもひどいなぁ、いきなり襲いかかるんだもん」
「全然効いてねぇけどな」
信二が小太郎を撫でながら、悔しそうに言った。
「あははは。まぁ、女神さまの力だしね。この防御結界は破られたことないよ」
「……かコントロールできるのか」
睨みつける僕と目が合うと、ルイは少しだけ俯いた。
「うーん、そうだね。でも、ボク一度もできないなんて言ってないよね? 眼鏡がないと困るとは言ったかもしれないけど」
ルイの困ったような顔に、思わず舌打ちが出た。
「そんな顔しないでほしいな。ボクはみんなと、本当に仲良くしたいんだから」
「この状況で?」
待っていてほしかったのだが、耐えられず走ってきたのだろう。
アキラちゃんといづみちゃんが息を弾ませて、ルイを睨んでいた。後ろには、守護霊のように身構えるマイケルさんもいる。
「うん、そうだよ。ほら、見てよ」
ルイは正面を指さした。
そこでは部長の今田や谷口に桜庭。その他男性部員と食堂で見た三人の女性部員が、腰を抜かしていた。
「な、なんだよお前ら! っていうか、ルイ! なにしてんだお前!」
今田が、女子部員の一人の肩を抱きながら吠えた。
どうやら、呪いの影響を受ける人間まで選別できるらしい。
ルイの周りには他の女性たちしかおらず、先日の騒動のように暴れることもない。まるで甘い夢でも見ているように、とろけた顔でルイを触っていた。
「どうも、第一テニス部&ボラ部所属の永犬丸っす」
今田を見下しながら、信二が適当な返事を返した。
「第一? あぁ、あの根暗テニス馬鹿のとこか。部員の女子返せとか、片思いの女を寝取られたとかって、逆恨みしてきた奴だろ? うるせぇんだよ。恋愛なんて、先に行動したほうが勝ちに決まってんだろ。彼女でもなかったくせによ。あの子はよ、俺のラケットのほうがいいって言ったんだよ!」
今田は心底腹の立つ笑顔で、腰をへこへこと動かした。
「っていうかさ、こんなことしてただで済むと思ってんの?」
谷口がスマホを構えて言った。
動画を撮っているようだ。
「そ、そうだ! お前ら、俺の親に言って地獄見せてやるからな! ま、まぁ、そこの二人は俺たちに尽くすって言うなら考えてやってもいいぜ?」
桜庭が最低な視線をアキラちゃんにたちに向けた。
なにが面白いのかわからないが、他の男たちも桜庭と同じように笑った。
「クズが」
アキラちゃんは、心からの侮蔑がこもった言葉を吐き出した。
「あははは、余裕だね。もしかして、帰れるとでも思っているのかい?」
ルイはいつものように笑ったが、聞いた瞬間不気味な悪寒が走った。
「な、なんでだよ! ルイ、今日はお前の歓迎会だったんだぞ! なんだよ、この状況は!」
「そ、そうだよ! 私たちも、ルイくんに会うの楽しみにしてたんだよ? いっしょにたくさん、楽しいことしようよ」
女子部員もいっしょになって、命乞いなのか怒りなのかわからない言葉を投げ始めた。
「そ、それに、俺たちはお前にはなにもしてねぇだろうが!」
「嘘だね」
空気が凍った。
実際に気温が下がったわけではない。
ただ、凍り付いたように重く冷たい何かに満ち、呼吸すら意識しないと上手くいかない。さらに、頭から足の先まで誰かに見られているような気配が全身の自由を奪っていった。
「きみは、きみたちはやっちゃいけないことをした」
ルイは静かに語る。
「乙女を弄んだ。欲に溺れた。共存を捨てた。慈愛を忘れた。愛を笑った。愛を疎かにした。愛を侮辱した。愛を馬鹿にした。愛を蔑んだ。愛を捨てた。愛を否定した」
なんだ?
ルイの声が違う。
だんだん高く澄んだ声になっていく。
「そして」
まとわりつく女性たち。
その中から唯一見えていたルイの顔。
それが、変異した。
「女神フレイヤの怒りに触れた」




