夏休み 『僕との関係』
あのときから、ずっと疑問に感じていたことがあった。
煙の結界の中で、ひかりちゃんがアメに導かれたという話だ。
アメは建物の中には干渉できない。
だから、僕は光玉で力を借りている。
逆に言えば、アメは光玉以外に屋内に干渉する術を持たない……はずだった。
そのはずなのに、ひかりちゃんはアメに呼ばれたと言っていた。
百歩譲って、術者である僕が相手ならわかるが、ひかりちゃんとは数日前に会ったばかりのはずだ。
「なんで、あのときお前はひかりちゃんを呼ぶことができたんだ。それに三日前、なにを話してた?」
(……安心しろ、儂とあの子になにかあったわけではない。あの子の血筋の問題だ)
アメは僕のとなりに腰掛けて言った。
雨粒のような光の目が、海と空の境界を見つめていた。
「血筋?」
(あぁ……あの子の先祖は、かつて儂の主だった者なのだ)
「……は?」
アメを見上げたまま、ペットボトルを落としてしまった。
(恐らくは、母親のほうだろうな。長谷川という男には、なにも感じんかったから)
「ど、どういうことだよ? 僕より前にも使い魔としての契約を結んでいたってことか?」
僕はひどく慌てていた。
アメの言葉が、頭の中で何度も反響しているようだった。
(そうだ。ひかりの先祖は、お前の三代前に当たる。江戸末期の京にいた旅籠屋の娘でな。あの動乱を気高く生きた女だった。儂の能力で、多くの維新志士たちを逃がしたよ……)
アメは遠い目をしていた。
(儂もその女も、ずいぶんと危ない目に遭った。その故、儂の力をお前以上に使いこなす必要があった。そのとき培った力の名残りというか、縁みたいなものが子孫であるひかりの中に残っておったのだ)
目を細めるアメは、過ぎ去った日々を懐かしんでいるように見えた。
一方僕は、アメの言ったことが信じられなかった。
アメが自分以外と契約していたなんて、想像したこともなかった。
僕はあのダイダラボッチに選ばれた唯一の人間なんだと思っていた。
他がパッとしない僕にとって、それは一番大きな自信であり誇りだった。
自分を支えていたものが揺らぎ、ショックだった。だけど、ふと使い魔の契約を交わしたときの約束が蘇った。
「……なぁ、その女性ってどのくらい生きたんだ?」
アメは僕を見下ろすと、言いづらそうに答えた。
(……二十年だ。それがどうした?)
「もしかして、お前と契約を結んだ人間は短命なのかなって。お前、言ってたろ? できるだけ長生きしてくれってさ」
アメの中の光の粒が、ざわざわと揺れた。
(……そうだ。皆、生きても三十年ほどだった。だがな、昔は今ほど穏やかではなかったのだ! 疫病や飢饉、国や世界の混乱……性格だって関係する。お前の先代の主は、戦争に身を捧げて逝った阿呆だった!)
阿呆と言ったあと、アメが悔しそうな顔をしたのを僕は見逃さなかった。
(だが、今は平和だ! どの時代よりも豊かで、流れる血が圧倒的に少ない。だからな、だから、お前は大丈夫だ。この時代に蔓延る脅威など、昔に比べれば些細なもので)
「わかってるよ。今更、お前との契約をやめたいなんて思わないさ」
狼狽するアメの顔を見ながら、僕は言った。
契約した人間が短命に終わるのは、きっとアメのせいじゃない。
長く生きられなかったのは、きっと歴代の術者たちも僕と同じだったのだろう。
みんな、アメが好きだった。
そして、アメの術者であることを誇りに思っていた。
ダイダラボッチの主として、相応しい自分でありたいと思っていた。
だから、ひかりちゃんのご先祖様はアメと共に幕末を駆けた。
先代の術者は、アメの力を持っていたのに戦場から逃げなかった。
みんな命を燃やし、その人生を誇り高く生き抜いたんだろう。
その生き様を心からすごいと思う。
アメの言う通り、今は昔ほどの危険はないのかもしれない。
それほど強い力はいらないし、必要に駆られることもない。
でも、僕は他の術者に負けたくない。
この時代のアメのパートナーは、誰でもない僕なのだから。
「……約束したろ? 百歳まで生きるって。お前にひ孫まで見せてやるよ」
僕の言葉に、アメは微笑んだ。
光の粒が柔らかく光り、どこか悲しげに感じた。きっと、僕の後ろに今までの術者の姿を見ているのだろう。
(あぁ、ありがとうよ。ま、女房や子供は期待せずに待っている。なにせ、この年まで相手がおらんからなぁ)
「う、うるせぇ!」




