夏休み 『本番4』
「……岡村さん」
聞こえたひかりちゃんの声は、どこか悲しげだった。
「あなたは、まだ私が売れていないときから、ずっと応援してくれてましたよね? 握手会にも欠かさず来てくれたし、プレゼントもいっぱいくれた。小さなライブ会場で、お客さんがたった十人しかいないときも、みんなで必死に盛り上げてくれましたよね」
岡村の目から涙が流れた。
「あぁ……そう、そうだよ! そうなんだよ、ひかりん! お、俺のこと、わかってくれてた。や、やっぱり、ひかりんは……俺の……」
岡村は感動と喜びに震え、左手を伸ばしたまま泣きじゃくった。
「あなたの応援、すごくうれしかったです。何度も元気づけてもらいました……でも、それはあなただけじゃないです」
「……え?」
涙と鼻水にまみれた岡村の動きが止まった。
「応援してくれてるファンは、あなただけじゃない。みんなが応援してくれたから、今の私がいるんです」
「ひ……ひか、りん?」
ひかりちゃんは、岡村の目をまっすぐ見つめていた。
「たしかに辛いこともあります。でも、私は夢だったこの世界で頑張ろうって決めたんです。あなたとは、いっしょに逃げません。もう、一度逃げたばかりだから。すぐに泣いちゃう私だけど、この仕事には真剣に向き合おうって決めたんです」
「ま……待って……」
岡村の震えが大きくなった。
「だから、ごめんなさい。あなたの特別になれて嬉しい。でも、アイドルはみんなのものだから。みんなの特別になるのが、私の仕事だから」
ひかりちゃんは目を閉じ、深呼吸をした。
再び岡村を見るひかりちゃんの視線は、冷たく厳しいものに感じた。
「岡村さん。私があなたに望むのは、今すぐこの騒動を終わらせて罪を償うことです。あなたが私のファンだというなら、大切なステージを奪わないで。みんなの特別を奪わないで。私がその手を取ることは、永遠にありません」
十代とは思えない、しっかりとした口調だった。
でも、握ったままの僕の手はぎゅっと強く握られていた。
僕もその勇気を支えるように、小さな手を握り返した。
「な……んで……なんでだよぉ……なんでそんなこと言うんだよぉ! ひかりんは! 違うだろぉ! 天使だろぉ! もう、もう……うわああああああああああああああああああああ!」
奇声を上げて、岡村がバットをめちゃくちゃに振り回した。
「ひかりちゃん、こっち!」
俺はひかりちゃんの手を引き、岡村から距離を取った。
「煙の中から脱出する。アメ!」
十分な距離が取れたことを確認し、光玉を発生させた。
光玉は事前に、会場のいたるところに配置してあった。
その中でも、比較的安全そうなロッカールームに転移すれば、ひとまずの脅威は去るはずだ。
「……あれ?」
アメの光が放たれる。
なのに、肝心の転移が始まらなかった。
「な、なんで」
「晴人さん!」
ひかりちゃんの声で、振り下ろされたバットをなんとか避けることができた。
「走って!」
僕たちは再び走り出した。
「この煙のせいか。中の移動はできても、外には出られない……それなら!」
悔しさに歯を食いしばりながら、ひかりちゃんを抱き寄せた。
「僕から離れないで」
「は、はい」
光玉を右手に集め、左腕でひかりちゃんを守るように抱きしめた。
そして、煙の中から忍び寄る岡村の気配に集中した。
次の瞬間、右後方に荒い息遣いと殺意を感じた。
「いけ!」
振り下ろされる金属バットの根本めがけて、拘束の光玉を放った。
「よし、これで……え?」
拘束には成功した。
だが、その場に留まったのは、野球選手の姿をした等身大人形だった。
「な、これは」
「は、晴人さん」
ひかりちゃんの怯えた声がした。
見ると、僕たちを囲んでカプセルが転がり、中から危険なおもちゃたちが姿を現した。
「くそ……持ってきてたのか」
会場で暴れまわっているのと同じものだろう。
岡村自身が持っている可能性も考えはしていたが、思っていたよりも数が多かった。
「もう、許さない。傷つけてでも連れて行く」
血走った目の岡村が姿を現し、僕に向けてバットを突き出した。
「だが、クソガキ。お前は殺す。チビの友達みたいにカプセルに閉じ込めようかと思ってたけど、もう絶対に殺す。殺してやる」
岡村の言葉に、反応せずにはいられなかった。
「待て! 信二は無事なのか? 無事なんだな?」
僕の慌てた反応が面白かったのか、岡村はへらへらと笑ってみせた。
「とりあえずは無事だよ~。あのチビ、在庫室でカプセルのマジックアイテムに気づきやがったから、そのまま使い魔ごと閉じ込めてやったんだよ。今ごろどっかのガチャガチャに紛れてるんじゃないか? この騒動で潰されてないといいなぁ? あひゃひゃひゃひゃ!」
ぶん殴りたい気持ちが燃え上がった。
素早く右手を岡村に向け、光玉を放った。
「おっと」
もう少しというところでおもちゃが間に入り、岡村を庇った。
「無駄だよ、ばぁーか! 大人しく死ね! っていうか、ひかりんから離れろぉ!」
岡村の奇声に反応して、おもちゃたちが一斉に襲いかかってきた。
僕はひかりちゃんに覆い被さった。
たとえ僕の身がどうなっても、彼女だけは守ってみせる。
覚悟を決め、襲いかかる脅威を睨みつけたそのとき、視界の中に奇妙なものが見えた。
それは、紅に光る一本の糸だった。
燃え盛るときを待つ眩しい火の糸。
おもちゃの間を素早く駆け回る影。
愛らしくも頼りになる、日本犬の姿があった。
「永犬丸流印術。攻火乃技弐式、紡戯!」
必死で探していた声。
次の瞬間、おもちゃたちは一斉に燃え出し、瞬く間に燃えカスとなった。
「な、え、は?」
状況が飲み込めない岡村は、慌てて金属バットを構えながらも、きょろきょろと周囲を見回した。
一方で、僕の胸には安堵と喜びが溢れていた。
思わず、笑みがこぼれた。
「……ったく、なにしてたんだよ」
背後から近づく気配に言った。
「悪い悪い、ちょっとガチャガチャの景品になってたもんで。ま、本当のヒーローは遅れて参上するもんだしな!」
「もんだしな!」
小さいけれど頼れる主と犬の使い魔が、得意げに笑っている。
信二と小太郎が、戻ってきた。




