夏休み 『本番』
『こちら、麦畑・米富。予定位置に到着』
『こちら、本城・鳴水・桃園。同じく予定位置に着きました』
ヘンゼルからムギさんと衛の低い声がした。
人に囲まれているようで、にぎやかな声がしていた。
みんなは、会場の北側に作られたステージの観客席にいる。
急ピッチで完成した派手なステージには、ゲームに登場するモンスターの人形やパネルが建てられ、このイベント限定の世界観を作り出していた。
もうすぐ、ひかりちゃんが登場する。
あのステージで主題歌を披露し、そのあとトークやゲームの実演などを行う予定になっている。
ボランティア部のみんなは、観客の中にストーカーがいないか警戒している。
僕も本来ならすでにステージ裏で待機している予定だったのだが、急に仕事を任されてしまった。
「ごめん、高若くん。ちょっとこれやっててくれるかい?」
頼んできたのは、他でもない長谷川さんだった。
長谷川さんは僕に品物の補充を言い渡すと、慌てた様子で行ってしまった。
でも、僕はその理由を知っていた。
マイケルさんが管理会社を通じて長谷川さんを呼び出し、話を聞くついでに身柄を確保してもらっているのだ。
「ったく、どいつもこいつもクソ忙しいのにどっか行きやがって!」
事情を知らないバイト仲間が、段ボールを開けながら悪態をついた。
「信二くんは熱中症で倒れちまうしよ。お前も無理すんなよな、おれも休むから」
信二は病院に運ばれたことになっていて、仲のいいバイト仲間は心配してくれていた。
思いがけず、信二のコミュ力の高さを見せつけられた。
「ありがとう」
「長谷川さんは、なんか事情あり気だけどよ。岡村の奴、またサボってんだぜ? 信じられるか? 当日だぜ?」
バイト仲間は深いため息をついた。
「おーい、だれかこれ運んでくれ」
このブースで一番年上のアルバイトの男性が、他より大きな段ボールを指さして言った。
「うへぇ、なんですかそれ」
「ガチャガチャの景品だよ。重さは見た目ほどないけど、岡村が詰め込みまくったからこんなことになってる」
その話を聞いて、周りのバイトはみんな嫌な顔をした。
「あ、僕やりますよ。どうせ、他のところ手伝わないといけないし」
時間が迫っていたし、ついでにステージの裏に行こうと思って手を上げた。
「お、マジで? じゃあ、高若くんに決定な。そして、この荷物の運び先はなんと……ひかりんのステージでーす! このあとひかりんに引いてもらう特別なやつでしたー!」
まさかの発表に、バイト全員がざわついた。
「いやいや、もう遅いから。ひかりんを見られる可能性は、嫌なことでも引き受けた高若くんのものだ」
僕としては元々の行き先だったし、可能性どころか確定事項なんですけど。
……なんてこと言ったら、全員にボコボコにされるから絶対に言わないけど。
無駄に大きな段ボールを抱えると、僕は嫉妬の眼差しを受けながら足早に向かった。
到着したステージ裏は、骨組みが剥き出しの状態で少し薄暗かった。
正面の壁には二階に続く扉があり、控え室から降りてきたひかりちゃんが出てくる。その後、カーテンが下りた箇所から、派手な演出で登場する予定だ。
目を光らせる数人の黒服に軽い会釈を済ませると、僕は光球を出した。
「いけ」
ステージに置かれた人形の裏や、ひかりちゃんが座る椅子の側などに配置し、万が一のときには肉壁になる覚悟を決めた。
ガチャガチャの筐体に景品を入れていると、扉が開く音がした。
森さんと並んで、マイケルさんたちに守られながら、ステージ衣装に身を包んだ光ちゃんが現れた。
「かっこいい」
思わず呟いた。
まっすぐにステージを見つめた彼女は、プロの表情をしていた。
恐怖も不安もすべて抑え込み、与えられた仕事に全力を注ぐ。
年下なのに、学生でバイトしか知らない僕にはできない大人の顔だった。
視界の端に僕のことを見つけ、ひかりちゃんは微笑んでくれた。
しかし、真剣な瞳は少しも崩れず、凛々しいままだった。
「時間です。ひかり、行きましょう」
「はい」
森さんにうなずくと、ひかりちゃんは深呼吸をした。
彼女が息を吐き終えると、同時に主題歌のイントロが流れ始めた。
ステージに集まった観客はもちろん、会場のすべてから歓声が上がった。
ただ暑いだけではない、人々が一丸となった熱気が満ちた。
「みんなー! おまたせー!」
輝くような声で、アイドルひかりんは飛び出した。
音楽に乗って踊り、歌をうたって会場中の目と耳を独り占めした。
『全員に緊急連絡! 犯人の疑いがある長谷川が逃げた! 注意を!』
全身に緊張が走った。
『どういうことだ。身柄を確保していたのではなかったのか!』
『すいません! 使い魔が化けてました。気分が悪いと横になってたので、気づくのが遅れてしまいました』
僕は周囲を警戒しながら「まさか」と呟いた。
「おい、なんだよこれ!」
「見えないんだけどー」
歓声が不満の声に変わったかと思うと、ひかりちゃんのいるステージ上に白い煙が噴射されていた。
煙はステージ上のいたる所から出ていて、みるみるうちにひかりちゃんの姿が見えなくなっていった。
「ひかりちゃ」
僕はステージに飛び出ようとした。
そのとき、僕の前に飛び出した人がいた。
運営会社のポロシャツに身を包んで変装していた、長谷川さんだった。