夏休み 『ロッカーの天国3』
「おーい、高若くんと永犬丸くん。休憩、続き行ってきていいよ」
膨らむと壮大だが、畳まれているとただ重いだけの巨大バルーンを運び終えたところで、長谷川さんが嬉しそうに声をかけてきた。
「え、いいんですか?」
「長谷川さん、まさか勝訴を勝訴ってくれたんすか!」
熱でうなだれた信二が、雑なボケをかました。
「いやいや、僕じゃないよ。今、派遣元の社員さんが様子を見に来ててね。休憩とかちゃんと取ってるか、岡村さんに聞いてたんだ。そしたら『作業の進行に合わせて取らせてます。たとえば、あの二人はさっき十五分休ませて、今やってる仕事を手伝ってもらってます。終わり次第、残った休憩時間分、休ませるつもりです』って、自分で説明してたんだよ。ちょうど終わったでしょ? 今なら社員さんの目があるから、時間いっぱい休めるよ」
長谷川さんがあんまり愉快そうに言うので、僕ら二人も声を出して笑ってしまった。
「あっはっはっは! そりゃあ、リーダーが言うんだったら従うしかないですねぇ」
「んじゃ、ちょっと抜けさせてもらいまーす」
そうして僕らは、汗を拭いながら遅めの昼食に向かった。
外食するお金もないので、最寄りのコンビニでパンやおにぎりを買った。
まるで別世界のように涼しい店内に後ろ髪を引かれつつ、近くの公園で小太郎を遊ばせながら食べることにした。
「ちょっとトイレに行ってくるよ」
「了解。小太郎出して、遊ばせておくよ。パン、預かるぜ」
「勝手に食べるなよ?」
「はっはっはっは」
「答えろや」
僕はイベント会場に戻り、用を足した。
さて空腹を満たしに行こうとしたとき、外に出る曲がり角で僕らはぶつかった。
「きゃっ!」
「うわっ!」
とっさに倒れそうになった肩を掴み、抱き寄せた。
僕の胸の高さほどの少女が、ベレー帽を深めに被り、息を弾ませていた。
そして、謝るよりもなによりも、僕の顔を見上げて言った。
「たすけて!」
そのとき、彼女が来た方向から、男の「そっちだ!」という声が聞こえた。
このとき、熱さや疲労のせいで、冷静な判断なんてできなかったんだと思う。
もしかしたら、前期の間で経験した色んな出来事が脳裏をよぎったのかもしれない。
でも、助けを求める女の子を見逃すなんて、いついかなるときの僕でもしないはずだ。
「こっち!」
咄嗟に僕は、近くにあった従業員用のロッカールームへ手を引いた。
中には誰もおらず、使い込まれたロッカーが静かに並んでいた。
「とりあえず、ここなら関係者以外は来ないはずだよ」
僕の言葉に安心したように、彼女はほっと息をついた。
「ありがとう」
彼女は透き通るような声で言った。
帽子を脱ぎ、微笑みかけた。
汗が流れるその顔は、まだ幼さが残っていた。
だが、漂う雰囲気や目に宿る力は、どこか僕を圧倒するような迫力があり、親しみと近寄りがたさが共存しているようだった。
というか、僕はこの子を知っていた。
「も、もしかして、アイドルのひかりん?」
彼女はハッとして顔を背けたが、僕が間違えるはずがなかった。
だって彼女は今をときめく売れっ子アイドルであり、今回のイベントのメインゲストで、彼女のポスターを嫌になるくらい張り付けたばかりなのだから。
「ち、ちがいましゅよぉ~。人違いじゃないでしゅかねぇ~?」
「いや、急にしゃくれても遅いでしょ」
あごを出しても寄り目をしても、どうしてもかわいいひかりんは、観念したように元に戻った。
「……はい、そうです。私がひかりんです。あ、あの」
「いたか!」
「いえ、こっちにはいません!」
外から聞こえた怒号に、僕らは同時に飛び上がった。
「ね、ねぇ。いったいこれは?」
「その……追われてるの! 悪い奴らに!」
急に潤んだ瞳に、僕は簡単に釘付けになった。
「あの部屋は?」
「従業員のロッカーです!」
「探せ!」
おっかない声と共に、乱暴な足音が近づいてきた。
「ぬお! こっち来る!」
「きて!」
今度はひかりんが僕の手を引いた。
そして、空いていたロッカーに無理やり押し込み、自分も入って扉を閉めた。
「え、ちょっ」
「しー!」
その瞬間、ロッカールームのドアが勢いよく開き、スーツ姿の男が見えた。
「……くそっ!」
男は部屋の中を見ただけで、僕らのいるロッカーまでは調べなかった。
しかし、部屋のドアを開けっぱなしにしてくれたおかげで、出るに出られなくなってしまった。
「よし、なんとか行ったわね。このまま」
「あ、あのさ」
できる限り小さな声で、僕は言った。
「これ、僕は入らなくてもよかったんじゃないかな? それに、ほら。こ、この体勢は……」
どや顔だったひかりんは、やってしまったショックと恥ずかしさが入り交じったような表情で、目に涙を浮かべた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
どうしようもできなくなった状況で、体感で約五分が経過し、現在に至る。




