一年前期 『暑い季節へ』
僕は自転車を漕いだ。
視界の端に、時折アメの体が見える。
僕が必死で走る道を、こいつは悠々と歩いていく。上り坂のときは、上った先で見下ろしてくるから特に腹が立つが。
使い魔が傍にいるのは当たり前のことなのだが、なにせ入学してから今までいなかったのだ。なんとなく安心感があるし、嬉しくもある。
まぁ、恥ずかしくて、本人には絶対に言わないけど。
日差しは力強く、空気も熱気を帯びている。すっかり夏の陽気だ。
下り坂を下りるときの風はなんとも言えず気持ちがいい。
問答無用で冷やす冷房や、規則的な扇風機の風とはまったく違う。とは言いつつ、教室に着けば冷房のありがたみを痛感するのだけれど。
風を感じていると、見慣れたでかい背中が見えてきた。
「よ、衛」
「晴人か。おはようさん、準備は終わったか?」
「キュー!」
自転車を押して横に並ぶと、アリエッタが胸ポケットから顔を出し、挨拶をしてくれた。
「なんとかね。でも、信二の奴は徹夜して、そのあとどうなったかわからない」
「さっき連絡がきたぞ。徹夜で仕上げて、そのまま学校に行ったそうだ。早めに行って教室で寝てるんだと」
「マジか」
(よお、筋肉にアリエッタ。今日もいい肉体と魔石だな)
頭上からアメが見下ろしていた。
「おす、アメ。今度いいランニングコースがあったら教えてくれ。山道がいい」
(うむ、了解した。晴人、道具を揃えておけよ?)
「僕は走らんぞ!」
話をしていると、あっという間に大学に到着した。
「あ、二人ともおはよう!」
元気な声と共に、コメさんが手を振ってくれた。
体調はすっかり良くなり、明るい笑顔が戻っていた。
となりには当然のようにムギさんがいて、頭の上にはふてぶてしい顔のフォークスが乗っていた。
「おはようございます、先輩」
「おはよう。どうだい、きみたち。ぼくと一緒に単位を落とさないかい?」
ムギさんが言い終わると同時に、コメさんが頭を叩いた。
フォークスが大きく揺れたが、絶妙なバランスで留まっていた。
「なんてこと言うの! あんたは一人で落としなさい。そして、来年後輩と一緒に再履修するのね」
「そんなこと言わないでよ、美礼ちゃ~ん。ね、アイス奢るからノートコピーさせて」
「アイス、クレープ、パフェにシュークリーム」
「……バイト代が入ってからでよろしければ」
「よし、いいだろう。じゃ、ふたりともまたね」
「またな……ボランティアの連絡は今度するから」
嬉しそうなコメさんと対照的に、哀愁漂う背中を残してムギさんは去って行った。
「……あんな風にならないようにしよう」
「……だな」
なんとも言えない気持ちになりつつ、僕たちも戦いの場へと足を運んだ。
(では、晴人。儂は適当にうろついておるぞ)
「わかった」
アメは建物の中には入れないので、基本的に外で待機している。
でも暇なのか、だいたいは勝手にどこかに行ってしまう。ちゃんと近くで待っていた例がない。
「あ、二人ともおはよう」
「おはよ。その感じだと、晴人くんは大丈夫そうだね」
教室に入ると、先に着いていたアキラちゃんといづみちゃんが、机に突っ伏した信二を囲んでいた。
「お~す……あと五分」
信二が絞り出した声で言った。
足下では小太郎が丸まって寝息を立てていた。その上にマイモがちょこんと乗っていて、オレンジ色に光った。
「晴人殿も信二殿もよく頑張ったでござるよ。あとは、今日を睡魔に負けず頑張るだけでござる。これを乗り越えれば夏休み。褒美にお嬢といづみ嬢のムフフな水着が待ってごはっ!」
アキラちゃんのとなりで砂状化を解いていたヨイチが、今期一番の右ストレートを食らって悶絶した。
アキラちゃんは無言のままヨイチをドコツカへと戻した。
「……今、なにか聞いた?」
「「「いえ、なんにも」」」
ヨイチの声に反応して顔を起こした信二も、冷たいアキラちゃんの視線にすっかり眠気が飛んでしまったようだ。
「そ、そんな水着なんてないからね! だよね、アキラちゃん。この前買ったの、べつに普通だったよね?」
完全に余計なことを言ってしまったいづみちゃんを、アキラちゃんが慌てて捕まえ口を押さえた。
だが、時すでに遅し。男子三人はばっちり聞いていた。そして、妄想の段階に入っていた。
「ほ、ほら! 先生来たよ。あんたたちも準備しな! 使い魔戻さないと、追い出されるよ!」
見ると、先生がマイクに電源を入れている最中だった。
女の子二人は足早に席へ戻って行った。
「いいこと聞いたなぁ。よし、最後に頑張るか!」
「水着のために」
「水着のために」
僕たちも、各々の席に着いた。
「えー、ではみなさん。筆記用具と資料、それから学生証以外は机の上に出さないように。使い魔はドコツカへ戻すか、教室の外で待機させてください。なお、不正行為が見つかり次第この授業の単位は無くなりますのでそのつもりで」
スピーカーから、注意事項が反響した。
教室中で使い魔たちがドコツカに戻り、少しづつ静けさが広がっていった。
しばらくして問題用紙が配られた。
ここから集中しなくてはならないのだが、僕の意識はすでに夏休みに向かっていた。
きっと、休みの間もいろんなことが起こるのだろう。
大変なのはわかっているが、僕はどんなことでも楽しむつもりだ。
抑えようとしたが、ダメだった。
ニヤつく顔を、どうしても我慢することができなかった。




