第九話
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リコが目覚めた晩、ハルブは盛況だった。
ジャックとアメリアが同時に海に出たんだ。
乗組員の男たちだけでも相当な大人数である。
連中に祝いの酒に誘われたが、筋肉にもみくちゃにされる趣味はないので、ほどほどで退散した。
夜更け過ぎになっても、連中は飲み明かしているようで街はずっと賑やかだった。
コハナとペロリがスフレの酒を手に飲み屋で連中と大盛り上がりしている隙を見計らって抜け出す。
愛想を振りまくことこそが生きがいみたいなモードに入ったコハナは生き生きとしている。
ハルブが肌に合っているようだ。
あいつは単純にこの街が気に入って居着いたのかもしれない。俺を待ち構えるだけの理由じゃ、あそこまで馴染まない気がする。さっきなんか、アメリアと一緒に歌っていたよ。
アメリアの歌はかなりのものだった。
よほどコハナが気に入ったのか、今は飲み比べをしている。ペロリも混じっていたが、早々に辞退していた。ちびちびがいいと判断したようだ。以前、ハルブで会った子供たちと一緒に盛り上がっていたが、中にはナンパする奴もいた。
片っ端から「興味ない」「ばいばい」って断っていたし、コハナもジャックも、聖女だと崇める連中も大勢いるから心配はしていない。
むしろ心配なのはジャックだな。
あいつははらはらしながらふたりの飲み比べを見守っていたよ。
そりゃあ嫁がいない間に入れあげてた女と嫁が飲み比べするんだから、気が気じゃないよな。
風呂場に行くと受付のおばちゃんがいなかった。
前回、男湯だったところに入ってひと息つく。
身体中の疲れや軋みが溶けてなくなっていくような心地よさに目を細めていたら、ふと潮風が湯船を撫でて……凪いだ時だった。
「あ……」
「え……」
湯気が晴れてすぐそばに、リコがいた。裸でくつろいでいた。
だがその両手は足の間に――
「あちっ!」
ばしゃあ、と湯を目元にピンポイントに投げつけられて身悶える。
その背中に柔らかい身体がのしかかってきた。
「ちょうどよかった。お前で、いいや」
はあ、はあ、と熱に浮かされた声が聞こえる。
アメリアの美貌とジャックの野性味を最適のバランスで引き継いだリコのしなやかな身体が吸い付いて離れない。っていうか、抱きついて絡みついてくる。
「ちょちょちょちょちょお! なにする気!?」
「ナニする気」
「いやああああやめてええ犯されるううう! って、普通そっちの台詞だろ!」
「助けてくれたお礼?」
「頑張ったのは俺の仲間やお前の街の連中で――……待って! マウント取らないで!?」
なにこの子! どうしちゃったの!?
「パパもママも厳しいから、船員の寝込みを襲ってもいっつもいいところで邪魔される。彼氏もいないけど勇者くらい強ければちょうどいいよね。だから食べてあげる」
「な、なぜに上からっ、やめ! ちょ、待って! 久々だから我慢が――あっ-!」
抗えませんでした!
◆
「ふう……すっきりした」
「しくしく……」
はじめてだったのに、はじめてとは思えないくらいの……アレでした。
こういう路線は今回の旅はないと思ってたのに……!
「泣くなよ。もう一回してもいいよ?」
めそめそしている俺の頭を薄いけど確かにあるその胸に抱き寄せて、リコが頭を撫でてくる。
「おかしい。この流れはおかしい」
「あんたってあたしの知ってるどの男よりもガキだもん」
「あ、あのな! ジャックの船の連中からすりゃそりゃあ年下だろうが」
「ママの船の人よりも持久力ないし」
「……う、」
リコさん、ぱねえっす。
「商船の連中よりも頭悪そうだし、港で働くガキたちよりも肝っ玉が小さそう」
今夜、泣いてもいいですか?
「よしよし、泣けばいいよ」
自分を泣かせた女の子の胸で泣いている俺ってなんだろう。
リコはやっぱりただ者じゃない。
ジャックの船の副船長をやったり、この様子じゃアメリアの船で働いてもいそうだ。
二人の代わりに組合いの顔役を務めることもあるしで、正直歳よりだいぶ大人びている。
そういや、こいつ幾つなんだろう。
「リコっていくつなんだ?」
「ママからそろそろ一人前って言われるくらいの年」
それってあれかな。出会ったばかりのクルルと大差ないってことか?
またやっちゃった。
出会った時のクルルが十四なんだよな。ってことはだいたい同い年かって?
いや、違うんだわ。
たぶん、この世界の人間の成長って、俺の世界の成長よりも早いから、クルルやリコで既に俺の世界でいい年だと思うんだよな。
元いた世界の基準で考えるのなら文化水準や平均寿命的な意味もあるかもしれないけど、それにしても早熟。
だから俺は別の仮説を立てている。
元いた世界でいうエルフが長命で、年を重ねるのに時間がかかる種族なら、この世界の人間はその逆な。
早く大人になって、精力溢れる若々しい肉体年齢が長く続くっぽいわ。
逆に言うと、この世界のおじじやおばばは相当のご高齢の可能性が高い。
確かめたことはないが、もしかしたら百なんて余裕なのかもしれない。
「ねえ。もう一回するよ?」
「決定事項かよ」
「おさまりつかねえの! 勇者なら察しろ。英雄色を好む。あんたの種なら十分だ」
「だからってナチュラルに近づいてこないで!? は、はじらいはないのか!?」
「ここいらの海の人間はね、このくらいで驚いてちゃつとまらないの」
やばい。ガチで狙われてしまう! それは困る!
「まあ待て、ちょっと休ませてくれ。いい加減のぼせちまう」
「じゃあ寝ててよ。マッサージしたげる」
前のめりな女子相手に戸惑いしかありません。
浴槽に腰掛けて風を浴びる。
時間帯が時間帯だからなのか、それとも見られて気を遣われたのか誰も入ってこない。
リコは男湯に潜り込んで誰かが来るのを待っていたそうで、こいつの肉食っぷりはちょっとすげえ。
伊達に耳と尻尾が虎じゃない。
俺の背中を指先が撫でる。
力加減が絶妙で気持ちがいい。
「吟遊詩人と会ったよな」
「見たよ。会った。新しい薬を卸したいっていうから」
「どんな奴だった?」
「んー。商売柄いろんな奴を見たけど、あんなに気持ち悪い、けど気持ちの良い奴は初めてかもしれない」
えらく矛盾した評価だなあ、おい。
「どういうことだ?」
「そもそも男か女かわからないんだ。手も、腕も女なのに、迫力はママってよりパパに近くて。どう扱うか、最初に勇者を見たときと違って掴めなかった」
懐かしい話を持ち出してくるねえ!
「え。待って、俺そんなにわかりやすかった?」
「セーラー服じろじろみてきて、屈めば胸元、足を組めばパンツを見に来る。これ以上わかりやすく下心を向けられたの久々だったよ」
耳元に唇を寄せて「だからこっそり狙ってたけど、ガード堅いね。あんたの仲間」と囁かれた。マジで!? え!? 誰のこと!? っていうか、リコ、そうだったの!?
前回の旅でのことだ。
ハルブに来た俺は組合に顔を出してリコと初めて会った。
確かにリコの言うとおりわかりやすくじろじろ見てしまった。
大層深く反省しています。
いや、セーラー服って元いた世界を思いだして、なんか懐かしくなっちゃってさ。
これって言い訳としちゃあ、弱いわな。事実だけど、下心もありましたし! 反省しています!
「そこいくとあいつは奇妙でさ。同性のようで異性のようでもあるの。天使がいたらあんな感じなのかなって」
「天使ね……そんな奴が悪魔の薬を配るか?」
これまた矛盾してる。
「その薬だけどさ。願いは叶ったかなあ」
「え」
「そいつがいってたの。この薬を飲んだら、あなたの願いがすべて叶うって。冗談だって笑い飛ばせなかった。本気だってわかったから」
肌で感じたの、と。
交渉事に長けたリコが言うのなら間違いないのだろう。
彼女の勘は侮れない。アメリアやジャックがそうであるように。
「で、飲んで……気がついたら、パパとママが昔みたいに仲良くなってた」
「仲が悪かったのか?」
さほど意外でもないが。
「どっちが海に出てどっちかが陸にいるのは……そりゃあ色々理由はあるけどさ。昔どっちが船長に似合いかで揉めたのが原因なんだよね。それにパパ、街のウェイトレスに入れ込んでて。それもママにとっては面白くなかったの」
そりゃそうだ。
「それにあたしは勇者に触れてるし」
ぐいいいっと腰のツボを押されて身悶える。
痛いよ!? なんのツボ!?
ばしばしと床を叩いたら、力が弱まった。助かった……!
「せ、せめて優しく頼む!」
「スフレの潮の流れは気が早くてさ、ハルブの人間はみんなそうなの。よそはどうか知らないけど、波に乗れなきゃ魚の餌になるだけだよ?」
まじか。
「それにしても凝ってるね? 続きしたいんだけど、こっちが気になってきた」
念の入ったマッサージに驚く。
「ジャックやアメリアのマッサージしてんのか?」
「それはあるかなー。これがうまいとハルブじゃ床上手って話でさ」
そ、そうなの?
「あと、触れる相手のことがわかるから。高い薬よりも日常的なマッサージってね」
いまの理由なら納得。
民間療法のひとつと、町の発展と活気に繋げる住民たちの風習であり施策でもあるのだろう。
「さっさといい海の人間を見定めて、くっついてさ。ハルブの海の一人前の仲間入りしたいんだよ。ずっと子供扱いなんて、あたしはゴメンだな」
またしても子供扱いか。
「もう立派に働けるし、場合によっちゃ嫁か旦那がいる年だよ? 勇者の嫁さんもそうでしょ?」
「――……まあ、なあ」
クルルもクラリスも、なんなら結婚の先の段階に進んでるわけで。
たとえば元いた世界でいうなら、学校を卒業したくらいの年の感覚が近いのかもしれない。
だとしたら、だ。
「リコから見てペロリって、どれくらい子供だ?」
「それ、あの子に直接いってない?」
「――……なぜに?」
「ばかにしてるから」
えええええ?
「あたしと一緒だし、あんたの身内と一緒。家庭を持つために相手を探す時期だよ」
「は、早くない?」
「勇者の世界がどんなか知らないけど、こっちじゃそれが当たり前なの」
なるほど! こりゃあすりあわせが必要だわ。
ずっとおざなりにしてきたけど。じゃあ、あれか?
クルルが結婚していい年だっつうなら、ペロリもそういう年になってきてるわけで。
名前と見た目の印象に囚われて子供扱いしたら怒るような思春期まっただ中ですか?
いや、結婚していい年頃ってくらいに育つのが早いんなら、あれか。
成人したのに「ペロリちゃんかわいいでちゅね」みたいな扱いされてるくらいの侮辱なのかな?
世界が変われば常識も変わる。
人も変わるし、育ち方も変わる。
耳と尻尾が生えている時点で、俺の世界の人間とはまた異なるわけで。
そもそも一年が三百六十五日なのか自体、気にしたほうがいい気がする。
仮に暦が一緒だとして、流れる時間そのものが俺の元いた世界よりも長かったら?
常識が乱れる! 宇宙の法則が――……!
とかやってないで、確かめよう。
「酒も弱いし、みんな早めに飲むよな……じゃあ、つまり、あれか? ペロリはもうとっくに?」
「年頃だよ。あたしのように――……」
後ろから抱き締められる。
「で、あたしはそろそろ続きがしたいんだけどな? 他の子の話じゃなくて」
その誘いにどう答えるか迷うし、ペロリとの距離感にも迷う。
つくづく俺を翻弄してくれるな。この世界は!
クルルにしたって、出会った頃には年頃だったわけか。
おばちゃんやおじちゃんの姿をそう見ないが、ジャックやアメリアも意外といい年だったりするのかね? それにしちゃあアメリアは妙齢に見える。
歌が作られ、カリスマとして君臨する彼女の天下はもしかしたら長く続いている可能性がある。ともなればリコが長らく子供扱いされる理由も容易に想像がつく。
なんなら、リコはペロリどころかクルルたちよりもいくらか年上の可能性もあるな。
見た目にだまされることなかれ。
そのうえでペロリもお年頃。出会った頃のクルルのように。
だとしても、ペロリが不機嫌なのはなんでなんだ?
それがわからないんだから困ったものだ。
つづく。