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第六十三話

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 宿ってそういやできているのか? それはどこにあるんだ? 二人がいる場所さっぱりわからないんですけど。

 まずコハナに聞いてみよう。あいつならなんでも知っているに違いない。

 そう思ってコハナの部屋に近づいた時だった。


「――……なの。前の旅での報告は受けているけれど」


 クルルママの声がする。なぜに? 思わず聞き耳を立てる。


「今回はあまり大きな動きはなかったのね。娘の身体に変化はあったのかしら」

「いいえ、まったく。お腹の子も順調に育っておりますよ」

「それを聞いてほっとしたわ。そう……なるほどね、天使か……」

「ところで奥さま、お客さんのようですよ」


 げ。慌てても遅い。

 扉が開いて、コハナがにっこり笑顔で俺を見つめてきた。


「どうかなさいましたか? 今日はコハナの日ではなかったように思いますが」

「い、いやその。クルルのお母さんを探してて」

「なら、どうぞお入りに――……」


 中に引っ込んでしまうコハナを呼び止めることもできず、渋々と部屋に入った。

 コハナが好んで煎れるお茶の香りに混じって、ハチミツの香りがする。見ればクルルママがいて、彼女のそばにあるテーブルには見慣れない小麦色の薄っぺらいパンが置いてあった。蜂蜜とバターがとろとろに混ざり合っていて、非常にうまそう。


「あら。このあと会いに行こうと思ったら来てくれたわ」


 うふふ、と微笑むクルルママ。

 だが、どうだろう。

 コハナと意味深な会話をしている時点で危険信号ともってないか?


「お茶のおかわりをいれてまいりますね」


 ポットをトレイにのせて立ち去るコハナに思わず待ってと言いそうになったけれども、ぐっと堪えた。クルルママがじーっと値踏みするような視線を送ってくるから、迂闊なことはできなかったのだ。


「それで? 私にどんなご用?」


 緊張するなあ。

 考えが読めないし、こちらを試すような視線も変わらないし、かといって敵意みたいな強い感情を向けられているような感じがない。

 強いて言えば優しく見守られているような感覚。ママだけにか。


「あ、あの……クルルのお母さんに話がありまして」

「ママでいいのよ?」


 なんだろう。鳩尾をフルスイングで殴られたかのような衝撃があるのは。

 見つめられた瞬間に身体中に妙な感覚が広がっていくのは、なに。ママって呼びたいからなの? 俺はマザコンなの? 彼女がママになってくれるの?

 落ち着け! 冷静になれ! 地球に隕石を落としたいのか! そうじゃないだろ!


「お、お母さんにお話が」

「ママって呼んでくれないの?」


 なんなの。なにプレイなの?


「……クルルママに、お話が」

「今はそれで我慢するわ。それで?」


 やばい。にこにこ笑顔、そしてクルルよりもたわわなおっぱい、両手を差し伸べられる謎のポーズ! 吸い寄せられそうだ……! 頼む、コハナ! 早く戻ってきてくれ……!


「タカくん、なあに?」


 たすけてー! なぜだか無性に甘えたくなってきたよー! 誰か-!


「そ、その……クルルのお父さんに、結婚を認めていただきたいなあ、と」


 顔を背けてママの誘惑に抗う俺に、彼女は立ち上がってこちらへと近づいてきた。

 ふわっと香る彼女の匂いの懐かしさは、なんだろう。身体の芯から溶けそうなその甘さの秘密はなんなんだろう。


「んー?」


 悩ましげな声を出される。

 いやいやいやいやいや。相手はクルルのお母さんですからね。

 なに色っぽいなあとか思ってるの。


「したいの? 結婚」

「え、ええ。それはもう」

「じゃあすればいいんじゃない?」


 ぴと、となぜかくっついてくるママ。


「なにか問題あるの?」

「い、いや、そ、その」


 震えながら恐る恐る彼女を見た。


「な、なぜに目にハートが浮かんでいるのでしょうか」

「それは……ひみつ」


 人差し指で唇を押された。

 なにこれ。なんなの。俺はどうすればいいの。さっぱりわからないよ!


「んん? だめね。抵抗力が強いなあ。異世界の子だからかな。不思議な耳をしているのね?」


 ふにふにと俺の耳に触れて形を確かめられる。

 その指の熱と柔らかさもさることながら、身体に押しつけられるおっぱいが! ああ! おっぱいが! 見下ろすと谷間がくっきりと!


「あ……訂正。もう! だめな子ね」


 もう、とたしなめるような声に次いで抱き締められた。

 押しつけられ、形を変える二つの丘よ。ああ。丘よ。


「あら? こういうのには弱いのね。女神の力が下着に繋がっていることと因果関係があるのかしら」


 何かを言われているんだが、俺は懐刀が元気にならないように頭の中で死闘を繰り広げていたのでまったく内容が入ってこない。


「ねえ」


 呼びかけられて彼女を見る。クルルを大人にした美女が俺を潤んだ瞳で見つめてきた。


「人妻でも、いい?」


 ふわ。


「あ。おっきしてる。なるほど、コハナが言ってたのはこれか。姫さまとクルルの異種化と関係があるかどうかはいずれ調べるとして……」


 困ったように微笑むクルルママに俺はもう視線くぎ付けです。


「ちょっと困っちゃうかな。そんな目で見つめられたら……でも、だめ。娘の彼氏に悪戯するのは、ここまでかな」


 ぱちん、と耳元で指を鳴らされた。

 すると身体を襲う辛抱たまらない欲情がすっと冷める。

 我に返った俺の混乱に応えるように、クルルママは一歩後ろに下がって微笑んだ。


「ごめんなさい。魅了の魔法をかけていたの。最初にあなたが求めるたのが母性なのは、私がクルルのお母さんだから納得だけど。その後の……それ」


 指差されて見下ろすと、まあ。まあ。懐刀の元気っぷりの恥ずかしさといったらない。


「こ、これは!?」

「ああ、わかってて刺激するような魔法をかけた私のせいだから気にしないで? ただ、そこまで主張が激しいと、ちょっと困っちゃうかな。歴代の勇者はみな、かなりおさかんだったみたいだけど、娘の旦那さんになるならあんまり歓迎したくはないかな」


 笑顔かつ優しい声で殴られる俺、反撃できず。

 なにせなにが元気なもので。ごまかしようがなさすぎてつらい。助けて。


「あの人に内緒にして、すべてを捨てて……私と堕ちたいのなら、考えるけれど?」

「申し訳ございません!」


 土下座よ。もう。即土下座。

 くすくす、と笑われて慌てて付け足すように「すみません」と言った。

 もちろん気づいている。めっちゃからかわれているって。


「うそ、冗談かな」

「わっ、わかってます」

「ほんとかなあ……まあいいか。ごめんなさい、本当はタカユキくんの話も承知してるの。うちの人の説得をお願いしにきたんでしょう?」

「あ……はい。お願いできませんか?」

「顔をあげて、立って? 座っても構わないよ? 東の流儀で謝罪されても、私は知識しかないから重みが実感できないし」


 お願いしに来たはずがめっちゃ手玉に取られている。交渉する以前の状態だ。完全に子供扱いされるわ術中にはまるわ、情けないにも程がある。ここから立て直す方法もわからない。

 ひとまず立つけれども、手近な椅子にとっとと座るのはお許しくだせえ!


「魔法使いはね。理で動くかな。損得勘定ができなければ未来がない代わりに、理があればその魂すらも捧げてしまう。感覚の壊れた、力のためならなんでもする人々の集団かな」


 クルルママの笑顔はクルルとそっくりだ。

 親近感を勝手に覚えてしまうから、気を引き締めて彼女の言葉を聞く。


「身ごもった六つの命の内、五つを吸い取って最も煌めく一つに集まった。私の中の魔力のせいなのかなんなのか……産まれたのはクルルだけだったかな。うちの人と私が次の子を産もうとしないのも、次がどうなるかわからないからなのだけど」

「え――……」

「スフレ……ううん、世界一の魔法使いの私の能力をすべて与えた命がクルルといっても過言でもないかな。あの子はね、私とうちの人の真実の意味で愛の結晶かな」


 優しい声で語られる内容は思ったよりも壮絶なもので。

 俺の頭は真っ白だ。彼女は俺を揺さぶっている。そして引き寄せている。彼女の想定する道筋へ。けれど、今はまだ口を挟めない。


「だからクルルちゃんの魔力に身体が耐えられるように呪いを刻んだりもした。あの子には内緒だけれど……クルルちゃんの世代ではあの子が一番だし、その力であなたは何度となく助けられたはず」


 聞けば聞くほど、最初に感じた彼女への気やすさほどには、彼女は甘くないと感じる。

 いっそ殴る蹴るだのしてくるパパさんの方がわかりやすい。


「いいよ、結婚。許してあげる。あの子の呪いを祈りに変えて、より可能性を見せてくれたあなたを私は買っているかな」


 怖い。


「けどあの人の理解を得たいなら、あなたがあの人より強いことを示さないとだめかな。それで答えになるかしら」

「あ、う、は、はい」


 しどろもどろになりながら頷く。

 差し伸べられた提示を受け取らない理由は一つもない。

 クルルママにとっては、力を示すことこそが答えなのだろうと信じることにする。

 頷いた俺に彼女は満足そうに微笑んだ。


「よかった……そろそろかな?」


 その時だった。

 扉がノックされて、コハナがそっと入ってきた。


「お茶をお持ちしました」

「私のはいらないかな。タカユキくんに振る舞ってあげて、ちょっと苛めちゃったし、もっときついこと今から言うから」


 えっ。な、なんですと?

 微笑みは変わらず、クルルとよく似たその顔で俺に向ける感情は。


「娘が活躍できる国を作り、その催しを開こうとしていることも、娘と姫さまを切っ掛けに天界と魔界への理解をより深められそうなことにも感謝はしているけれど」


 それは額面通りの感謝、なのか。それとも。


「あの子、たぶん一度は言ったと思うかな。私一人を愛してって。だから――……」


 耳元に唇を寄せられて。


「娘を泣かせたことは許さない」


 囁かれた怒りに身体が心底冷えた。


「だから、そんな私さえ許しちゃうくらい幸せにしてあげてね? 幸せな涙しか流さないようにしてあげて。じゃないと私の全力であなたを呪っちゃうかな」


 私からはそれだけ、がんばってね、と。

 最後まで微笑みを残して彼女は立ち去っていった。

 情けないことに……何も言えず、けれど彼女が退いてくれたことに感謝している。

 労るように寄り添い、俺を椅子へと導いてコハナは何も言わずにお茶を入れてくれた。

 いつもならおいしいはずのお茶が、今はただただ苦かった。


「クルルのお母さまは……プリス様は、怖い方です」


 向かい側に座ったコハナが口を開いた。


「コハナは前の旅を終えて何度かお会いしたのですが、あの通り笑顔で誰かを縛り付けられる強さをお持ちです。その理と勇者様の相性は正直に言って、いいとは思えないのですが」


 コハナを見ると、彼女はただ俺を見つめていた。


「道理も気合いでぶっとばす、という旦那さま……ネイト様のような、自分の世界を打ち壊すパワーがあれば、認めてくださる方です。同じ枠組みで戦うなら、クルル様みたいになる必要がありますが、その必要は無い」


 はっきりとした断言だった。


「あなたならできますよ。これまでみたいに。きっと大丈夫です」

「コハナ……」

「これ以上は辞退しますね? どうか……この問題は、クルル様とよくお話になってください」

「……すまん」

「いえ。コハナ、いまはあくまで、あなたの道のりに寄り添いたいので」


 微笑む彼女に湯飲みを差し出した。

 黙っておかわりを注いでくれる彼女に礼を告げて、もう一度口にしたお茶はとびきり甘くてうまかった。


「いつもありがとな」

「……いえ」


 立ち上がり、黒い髪に触れて撫でる。


「……あんまり撫でないでくださいね?」


 上目遣いで見つめる彼女は、


「帰したくなくなるので」


 可愛い、けれど。

 今夜抱き締めたら、俺はそれに甘えてどこにもいかなくなるだろう。

 そして、いまはそのときではないのだ。


「またな」

「どうぞ、頑張ってきてください」


 見送ってくれるコハナに手を振って、部屋を出た。

 しんどいこともある。してきたことのツケもある。

 でも、それでも認めてくれる部分があって、受け止めてくれる人がいて。

 先へ進むために、繋ぎたい手がある。

 短く息を吐いて、俺はクルルの部屋へと向かった。

 顛末をすべて話すのでもなく、甘えて縋るのでもなく。一緒に生きていくために、何をするべきなのか……一緒に考えるために。

 方針は決まっている。

 クルルのお父さんと同じ土俵で戦い、認めてもらう。

 その具体的な手段を考えなければ。




 つづく。

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