第六話
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組合所の前に辿り着くと、ちょうど扉を開けてローブを身に付けた何者かが出てきた。
胸に抱くハープが、何者かの身元を露骨に主張している。
『では失礼いたします……おや?』
言葉は認識できるのに、その声はハスキー過ぎて男か女かわからない。
まるでそうとしか聞こえないように歪められているようだ。
「待て!」
『おやおや。意外と早くおつきのようだ。けれどいまはまだ早すぎる。失礼しますよ、勇者さま』
初対面のはずなのにこちらの身元をわざと口にして、微笑む。
けれど松明の明かりは目深にかかったローブの目元を照らすには不十分。
奴のローブの布地がゆったりとしすぎていて体格も伺えない。
耳も尻尾も見えないから、奴が魔物かどうかすら判別がつかない。
知ったことか。逃がすつもりはない。
踵を返す背中に飛びつく。
「させるか!」
たしかに抱き締めたと思った。
だが、体の感触はなかった。間に合ったのに、俺の腕の中で体が地面に吸いこまれるように消えたのだ。布が遅れて俺の腕を通り抜けて、影の中に消えてしまった。
地面をいくら叩こうと、無駄だ。
逃げられてしまった。
魔法か、はたまた魔物の特技か。
いずれにせよ、一筋縄ではいかない相手には違いない。
なら、そんな奴が出てきた組合所の中はどうなっている?
「リコ!」
名前を呼んだが返事はない。
胸騒ぎが膨らんでいく。
いやな予感に汗が滲む。足音を立てながら中へ。
黒い瓶を手にして倒れているリコの姿があったのだ。
◆
リコ。海賊であり船長でもあり、組合の会長でもあるジャックの一人娘。
セーラー服姿で、縞模様の猫というよりは虎めいたケモミミと尻尾を生やしている。くすんだブラウンの髪、気の強そうな猫目。八重歯が目立つが、利発な奴だ。
気さくに語れるタイプな。豪快に酒を嗜む。スフレの酒はクルルくらいの年からいける。
そこを踏まえると、ペロリがちびちび飲み始めたところを見るに成長の速度は侮れないとしみじみ思う。
リコもそうだ。
若く見えるが海の人間としてバリバリ仕事している。
コハナがハルブのアイドルなら、リコはハルブのカリスマになりつつある存在だ。
彼女が眠りについて三日。
コハナを歓迎したマッチョたちのテンションが日に日に落ちていく。
交易の要でもあるハルブに集まるいろんな連中にリコの容態を確かめてもらったが、彼女の症状は具体的にはわからずじまいだった。
当然、原因は明らかだ。
彼女が手にした瓶の中の液体。
飲んで悪化したのは間違いない。空き瓶となっちゃ、液体がなにかを調べる術もなくてもどかしい。
それでも精一杯確かめるとコハナが部屋に閉じこもって経った日数も含めた三日なのである。
ハルブ中が息を潜めるように静まりかえっていた。
教会に通う人数が日に日に増えたし、聖女と崇められるペロリも必死にリコに奇跡を用いたが効果はない。なにせリコの体自体は健康なのだ。目覚めないだけ。呪いだとして、ペロリの奇跡が通用しないんじゃあしょうがない。
ハルブの連中は気が良い奴ばかりだから、ペロリに礼を言い、きちんと労う。
それが無力を実感したペロリには堪えるようで、俺がどんな言葉を掛けても空振り。
焦れるような三日目の夜んして、やっとコハナがかつて住んでいた部屋から出てきた。
扉の前に座って放心していた俺とペロリに、コハナが難しい顔で言うのだ。
「お待たせしてすみません。おわかりだと思いますが、ちょっとばかり難しい状態です」
ついてきてくださいと歩くコハナについていき、リコの眠る家へ。
出迎えてくれたのはジャックの嫁さんだった。
リコをそのまま大人にしたようなきつい顔の美女、アメリア。
「やっときたね、待ってたよ」
浮かべる笑みの迫力よ。鋭い犬歯がよく見える。噛みつかれたら、ずたずたになるに違いない。一瞬で教会送りにされそうである。
ジャックと交代で船長を務めていて、どっちかが陸にいる時はどっちかが海にいるそうだ。
となれば彼女も実質的には組合長みたいなものなのかもしれない。
「待つのは性に合わないってのに待たせたんだ。いい報告が聞けるんだろうね?」
リコの寝室に移動しながら呟く彼女に背筋がぞっとした。
ふざけたこと言ったらぶち殺す、という殺気を浴びる。
そりゃまあ、穏やかな心境ではいられないだろうが、それにしちゃあ物騒だ。
けれどコハナは涼しい顔でスルーして、ベッドで眠るリコへと近づき額に触れ、瞼を開き、リコの状態を確かめた。
それから何かを囁く。
「――……リクラシオ、カンフィルマ」
瞬間、ふわっとコハナの髪が膨らんだ。その瞬間だけ彼女の髪が真紅に染まる。
コハナの指先から青白い光が放たれた。
リコの身体を指先でなぞり、手のひらをかざして全身を撫でるように動かしていく。
最後に胸の合間に手を置いて、そっと光を消した。
「厄介ですね」
「どう厄介なんだい? 治せないとか言うんじゃないだろうね!?」
「端的に申し上げますと――……魂の時間を止められている、ですね」
「つまり?」
「悪魔の薬を飲まされた、と見ています。時を司る、悪魔の薬とでも申しましょうか。シャンブルのものとはまた違い、効果に種類があるようです。助けるためには永遠の時を生きるという白鯨の肝油が必要です」
海にいるとかつて教えられた白鯨か。
俺の世界でも古典からたびたびフィクションに登場し、とある国々の方々はかつて率先して殺しまくった挙げ句、俺の国で捕まえるのを禁止しようと圧力をかけているという……って、そういうのはどうでもいいし頭が痛くなるから考えないことにして。
「これから狩りってことかい。肝油があればリコは無事に戻るんだろうね?」
ただのちんぴらの凄味とはレベルが違う。
ジャックとタメ張る船長がするから迫力がやばい。
けれど、
「お約束しますよ。一時とはいえ、ハルブの潮に生きた女として」
人の凄味じゃコハナには敵わない。
彼女は死神なのだから。
「正直あんたは嫌いだね。人とは思えない得たいの知れない女だ。ろくでなしどもが熱をあげて、あわよくばあんたを抱きたいと歌ってうるさいったらない」
ジャックを横目で睨みつけたアメリアに、ジャックがすぐさま顔を背けた。
ばれてんなあ。あれは。
「だが、ハルブの人間ってのはそうでなくちゃあいけない。あんたの文句は気に入った!」
はっ、と笑ってアメリアは部屋を出た。
少ししてラッパの音が鳴り響く。次いであちこちから怒号が聞こえてきた。
「アメリアのラッパは海戦の合図です。勇者さま、お覚悟はよろしくて?」
娘を助けるため、という理由で海賊女をその手で転がしてみせたんだ。
そう信じさせる言葉を的確に選び抜いたんだろう。
末恐ろしいったらない。それだけで終わっていたのなら。
けれど指先が微かに震えていた。
びびりはしてるんだ。こいつなりに。
俺が見た瞬間にもう片手で覆って、ぎゅっと握って隠されたが。
「戦いになりますよ? 怖くて手を繋ぎたくなっちゃいましたか? あは! 勇者さまもまだまだかわいいところがありますね?」
「――……おうよ。怖くてぶるっちまうよ」
背伸びしやがって。ジャックがリコのベッドに近づき、額を撫でる。
この場でコハナを気遣うと、コハナの言葉の信頼性が陰るかもしれない。
それを嫌って背伸びしたのだろうし。
ジャックやペロリ、アメリアに対してだけじゃなく、俺にも弱味を見せまいとしている。
コハナがわからない。
あけすけに見えるのは、コハナがそう見せているから。そう振る舞えるからだ。
けど、実際にコハナが弱味を俺に晒すことは滅多にない。いや、むしろいままで一度としてあっただろうか。
ペロリと同じで、コハナの心にも俺は鈍感だった。
クルルに対しても、クラリスに対してもそうだ。ナコやルカルー、クロリアに対してすらもそうなのだろう。
ガキはむしろ俺のほうだ。
心配そうにリコを見つめるペロリは、何度目になるかもわからない癒やしの奇跡を試していた。けれど、三日間何度も試して駄目だったんだ。
リコは今も眠り続けるばかり。
彼女には帝国に向かうその船で世話になった。
誰かを見殺しにするなんて選択肢はあり得ない。
俺たちみんな、そのために動いている。
けれど結果が伴うとは限らないのだ。
そして諦めたら、リコが目覚める可能性は断たれる。
大事な連中の気持ちに寄り添うことも同じ。
愛ねえ。愛か。
リコを見つめるジャックの顔を見ていたらさ。
命を救うだけじゃあ、勇者とは言えない気がしてきたよ。
◆
船が出る。
ただの海賊船じゃない。
アメリアの海賊船はこの街にとって意味のあるものだった。
与えられた客室から許可が出るまで外出禁止を言いつけられたが、正直従う以外の手が思い浮かばなかったよ。
ジャックの船にいる秩序はあるがどう見てもごろつきみたいな連中とは、その顔つきから立ち振る舞いから違う。
統率されている。号令ひとつでてきぱきと動く。
操船の手順が合理化されていたのだ。
強いて言えばリコの操船に近いが、それとてアメリアとは比べるべくもない。
まさに精鋭。
まさにエース。
理解する。
アメリアこそ、ハルブの心臓なのだと。
「なんか、すごいね……みんな、派手じゃないけど元気」
「だな」
ペロリの言葉に素直に頷くだけの迫力と精力に充ち満ちた連中だった。
外から聞こえる呼び声が落ちついて、不意に角笛が鳴らされた。
まるでそれが合図だったかのように、
「ハルブの誇り、おお……アメリア!」
コハナが歌い始める。
「そなたは海賊の子」
朗々と響き渡る歌は誇らしげだ。
ジャックのときにはなかった。
女神が飼っていたでかい海蛇のいる海を渡れるジャックにすらない歌を、アメリアは持っているのだ。正直、そうとう震えたよ。
「群がる男を従え、導き、幸運へと舵をきる」
その歌声に誘われたのか、扉が開いた。
真っ先にコハナが外へ。
くるくると舞い踊る彼女の歌声は止まらない。
「強き女、気高き女、弱さを知る女」
廊下を歩く道すがら、いたるところから音楽が鳴り始めた。
笛の音、手を叩く音、旋律をなぞるオルガンの音。
楽団がいるんだ。あるいは海の男たち全員が楽団か。
芸の多い連中だ。鍛えられてる奴らばかりだ。
「彼女に越えられない海はない」
陽気で自慢げで。
「海の祝福を受けた女、おお」
甲板に出て息を呑んだ。
「アメリア――……海に愛されし女」
海からイルカが、魚たちが泳いで併走している。その数が尋常じゃない。数え切れないほどいる。歌い終えたコハナがお辞儀をして、男達が一斉にはやしたてる。
ハルブの魂なのだと理解する。
舵を握るアメリアは涼しげに前を向いていた。それだけだ。
彼らの誇りは揺るがずそこにある。
それこそ最良だと彼女は知っているに違いない。
ジャックが愛し、リコが目指す高みが俺の視線の先で船を導いていた。
「人にはときに王の資質を持って生まれる人がいます」
縁に手を掛けてはしゃぐペロリを横目に、潮風に揺れる髪をおさえてコハナが身を寄せてきた。
「クラリス様やルカルー様のように。けれど、海の王に最も近いのは、そう」
アメリア、と。まるで恋をするようにコハナは確かに名前を呼んだのだった。
つづく。