第四十五話
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研究所の扉をぶった切って中へ入り、階段やエレベーターを使って地下へ。
頭痛と共に浮かぶ、こういうダンジョンは決まって誰かのカードを毎階層ごとに手に入れる必要があるという知識に従って、やっと最後の階層に辿り着いた時に俺はクルルと共に絶句した。
通路を挟むように硝子の瓶がいくつも設置されている。
中に浮かぶ肉の塊についた瞳と薄ら見える脳の塊がいかにも不気味だ。
この手の演出は正直勘弁なんだが。
「こ、これ……なんなのかな。嫌な……嫌な匂いがするよ、タカユキ」
拭いようのない生理的な嫌悪感があるのか、クルルが俺の衣服を掴んで離そうとしない。
気持ちはわかる。
生き物になろうとしているのか、なりきれていないのか。
そもそも生きているのか、死んでいるのかすらわからない。
ただ、こいつらが誰かの手によって無理矢理生み出されているのは間違いない。
「とにかく奥へ急ぐぞ」
「うん……」
クルルの手を取って、分厚い鉄の扉を切り裂いて奥へと進む。
部屋に入れば入るほどに、肉の塊には手が生え、足が生えていく。
髪すら生やした個体を目にした時には絶句した。
いつしかクルルは目をぎゅっと閉じてついてくるだけになっていた。
しょうがない。ここは不気味で仕方ない。
これが進化を促進するための研究とでも言うのか。
魔物らしい魔物と遭遇することもないかわりに不気味な生物たちを横目に辿り着いた最奥地で、俺は足を止めた。クルルが俺の背中にぶつかり、けれど目を開けられずに尋ねる。
「た、タカユキ? なにがあるの?」
「……」
クラリスがいる。
椅子に腰掛けている。その手足は椅子に拘束されている。
肉の塊が彼女の頭に取り憑いていて、彼女は口から涎を垂らしている。
何かを彼女は囁いていた。
「れ、んせい――ぁ、ぅ――お、う――ひと、は、あ――」
クルルの手をそっと離して駆け寄り、無我夢中で肉の塊を掴んだ。
引きはがそうとするが、まるで頭に癒着しているかのように離れない。
切り飛ばすしかないのか、そう思いはしたが……今のクラリスが悪魔に変えられているのなら、彼女を無事に助け出せるかどうかわからない。
だが、どうみてもやばい。
天井へと伸びる肉の塊の触手をまずは切り飛ばし、そっと塊だけに刃を立てる。
落ち着け、だいじょうぶ。覚えているはずだ。クラリスを、その形を。
「タカユキ――」
クルルが隣にいた。
けれど視線を向ける余裕はない。集中しなければ。
「待って、」
呼びかけるな。そっと、そっとやらないと。
「待って!」
腕を引きはがされて、怒鳴りつけそうな俺の頬を叩いた。
それでやっと我に返る。
クルルを見たら、彼女は頭を振っていた。
「だいじょうぶだから、まかせて」
間に入られて、クルルが肉の塊に触れ――……何かを囁いた。
直後肉の塊が一瞬で凍り付いたのだ。クルルが端から魔法で切り裂き、そっとクラリスから引きはがしていく。獣耳から出てきた長い触手の用途など知りたくもない。
惚けたクラリスの顔に理性など欠片も残ってはいないようだった。
ぐったりと自らを拘束する椅子に身体を預けている。すぐさまクルルが拘束だけを破壊して俺を見つめてきた。
「逃げよう。ここはきらい」
「……俺もだ」
クラリスを抱き上げる。
膨らんだ腹部を見ても、その中の命が無事かもわからない。
そもそも彼女自身が無事なのかどうかさえわからないのだから……今は急ぐしかなかった。
地階にまで戻り、外へ出た俺たちは魔物たちに囲まれていた。
その最前列に魔王がいる。あの老いた執事と、人形に包まれたクロリアも。
ルカルーの姿はない。
状況を認識した俺に魔王は言った。
「ここから無事に逃げられると思うなよ」
「クロリア、ルカルーは無事か?」
無視して尋ねた俺にクロリアが叫ぶ。
「狼は捕われている! しばらくは無事――うぅっ!」
魔王が手を突きつけると、人形からクロリアに向けて電流が流れるのか。
激痛に顔を歪めるクロリアに俺は大剣を魔王へと突きつけた。
「やめろ」
「……その女を渡せ。地上制圧は我らの悲願だ。邪魔をするならここで首を落とす」
「この世界も、ここで生きてる連中も、たぶんきらいじゃない。だが――……だが、てめえは別だ」
魔王の背後にいる魔物たちが一斉に武器を構えた。
多勢に無勢、だとして追い払うだけの力がないわけじゃない。
ただクロリアを人質に取られ、ルカルーが敵の手の内にある状況で、しかもクラリスを抱えているこちらは圧倒的に不利だった。
体勢を立て直したいが、そう易々と許してくれそうにもない。
「クルル、地上に転移できないか?」
囁いた俺の背中にあわてて手を当ててクルルが目を閉じた。
「チェヌ-!」
けれど、何も起きなかった。
「あ、あれ」
慌ててもう一度唱えるが、しかし何も起きない。
クルルが何度試しても結果は変わらなかった。
魔王は笑いもせず、冷めた目つきで睨んでくる。
「地上へ戻りたいか? ならば穴を抜けろ。しかし……当代の魔王の許しがなければ通れぬぞ。もっとも、女神の力でもあるのなら話は別だが」
そんな力があるはずもない、と断言された。
だが俺には瞬時に考えが浮かんだよ。
正直、あまり気は進まないが……やるしかないか。
「クルル」
横目に見ただけで、彼女は驚いた顔をして……けれどすぐに頷いた。
背負うクラリスのパンツに触れて、息を整える。
「無駄な抵抗はやめて――」
かまうものか。
「イルミエ!」
光りが瞬いた。
俺は全力で大剣を魔王へと投げつける。
読んでいたのだろう、老いた執事が間に入って武器を食い止めた。
だが狙いは一つ。
取り出したブーメランを全力で投げて、クロリアに当てた。
皇女の奪う力によって人形から引きはがされたクロリアが手元に戻ってくる。
クルルの魔法の光がおさまり、老いた執事が、魔王が俺たちを倒そうとする。だが、
「悪いな」
ふっと笑ってみせた。
「テストラ・クト!」
抱きついてくるクルルと一緒にみんなで固まって直後、俺たちは盛大な爆発に包まれて死んだのだ。
デスルーラも使いようってな!
◆
目を開けると、見慣れた教会に戻っていた。
間違いなくそこは常闇の街ルナティクの教会だったのだ。
「おお勇者よ、赤子を宿した妻二人を巻き込んで死んでしまうとは」
ふり返ると棺が三つ並んでいる。
クルル、クラリス、クロリアの三人に違いない。
「情けない……だが、よくぞ戻った! 全力で蘇らせようとも!」
ふっと微笑む神父さまに願い、クルルたちを生き返らせてもらった。
しかしクラリスが意識を取り戻す気配はなく、神父さまにも対処しようがないそうだ。
彼女を抱いて宿へと戻ると、コハナと出くわした。
「勇者さま? いつお戻りに?」
「いまだ。ペロリたちは?」
「既に意識は取り戻されておりますが」
「よし」
クラリスを抱いて真剣に頷く俺を見て事情を察したのだろう。
部屋へと導いてくれた。
中に入ってベッドに寝そべるペロリとナコが身体を起こす。
口を開こうとした二人を手で制して、それからペロリに頭を下げた。
「ペロリ、すまん。病み上がりでなんだが、クルルとクラリスのお腹の子が無事かわからないか?」
「んと、うん。まって」
急いでベッドから降りたペロリが駆け寄り、壁に身を預けるクルルのお腹に触れた。
「……こっちは、だいじょうぶ。すっごく元気に育ってる」
一つ頷いて、それから俺の腕の中にいるクラリスのお腹にも触れた。
そして目を閉じる。
「こっちは……」
「ペロリ」
祈るように名前を呼ぶ俺にペロリは微笑んだ。
「だいじょうぶ……元気すぎるくらいかも。ちょっと心配になるくらい。でもクラおねえちゃん、悪魔のままなの?」
ほっとしたのもつかの間、ペロリの指摘に俺は頭を抱えた。
「そうだった。っていうか、敵に捕まっていかにもやばそうなもので頭をくるまれていた。なんとか治せないか?」
祈る俺の腕からそっとクラリスを離し、腕に抱く。
ペロリがクラリスと額を重ね、目を閉じた。
「ん――……ちょっと、頭の中によくないのがいるみたい」
「力を貸すよ、聖女」
駆け寄るクロリアが、クラリスを挟んでペロリと向き合う。
するとペロリはクラリスから額を離して、クロリアと重ねた。両手を繋ぎあう二人の身体が白い光と黒い闇に包まれた。
その相反する力は回り、巡り、溶け合ってクラリスの身体へと注がれていく。直後、気色の悪い白い肉の虫がクラリスの獣耳から何体も出てきては炭化して消えていく。
「ん、んっ……」
ペロリの顔が苦しみに歪んでいく。
「いけるか?」
「いく」
気遣うクロリアにペロリははっきりと意志を口にした。
二人の身体から放たれる力の波動めいたものがどんどん輝きを増していく。
「……クラリス様を元に戻すんだ」
「身体に残る毒素ごと除去し終えた二人は、お腹の子の悪性も封じ込める気です。悪魔の薬もないのに」
クルルとコハナの言葉に思わず喉を鳴らす。
ペロリとクロリアの健康的な素肌に青白い血管が浮かび、素肌に幾筋もの赤い線が刻まれていく。それは裂け、鮮血を散らしていく。二人の顔が苦しみに歪む。
とても見てはいられない。それは、俺だけじゃない。
「……みて、られない、な」
よろけながらベッドから降りて、ナコが二人の手を自分の手で包んだ。彼女が歌い始めてすぐ、クラリスの身体に黒い紋様が浮かび上がってきた。そのおかげなのか、ペロリとクロリアの力が紋様にだけ直接注がれていく。
すぐにクルルがペロリの背に回って目を伏せる。その背中から天使の羽根が生えていく。
対するクロリアにはコハナが抱きついた。その背に生えたコウモリの翼の迫力たるや尋常ではない。
仲間を助けるためにみんなが力を合わせている。
俺にできることはないのか。
「おにいちゃん、しぶといのがいる。止めを刺してきて欲しいの」
「え――」
ペロリの口にした言葉の意味がよくわからなかった。
「勇者、皇女の悪魔の力の結晶に触れて、その奥にある象徴を打ち倒してくるんだ。それこそが……彼女にとっての薬になる」
「愛の力が薬になるんですね!」
コハナのまとめがいつもの調子なのがちと気になるが、いい加減慣れた。
それにそろそろ素直に認めるよ。
たしかに、そのとおりだ。
クロリアの願う通りにクラリスの下腹部に浮かぶ黒い紋様に触れた。
その途端に指の先から吸いこまれる。
辿り着いた先は暗闇の中に浮かぶ、石造りの部屋だ。
黒い闇が凝縮した人型が、そそり立つ欲望を晒して四肢を拘束されたクラリスに向き合っている。
『さあ……さあ、諦めて我にくだれ。悪魔の力を受け入れ魔王の配下になるのだ』
「や……いや……いや……」
うつろな瞳で、必死に頭を振るクラリス。
白いドレスを身に纏った彼女の目から、口元から雫が落ちている。
どれだけの責め苦に耐え続けていたのだろう。
人型も人型でクラリスに近づけばいいのだろうが、そうはいかない。
小さな小さな光の欠片が、クラリスに人型が近づこうとするたびに人型にぶつかって押し返している。クラリスを守っているのだ。
『しぶとい赤子にしぶとい母親め。諦めて一度でも我を欲すれば楽になるというのに』
「いや……わたくしには、タカユキさまが、子供が……いや……いや……」
ぜったいに、いや。
きつく瞼を伏せて、目の前の闇から視線を外す。
『攻め手を変えよう。一人の男としか経験がないとはいえ、その欲を、快楽を知っているのだろう? ならば一度くらい構わぬではないか』
「あなたを、受け入れる、くらいなら……死んだ方が、ましです……」
必死に戦っている彼女の名前を、呼ぶ。
「クラリス! 悪い……待たせた!」
「あ――……」
縋るように顔をあげた彼女を奪われないように、人型が俺に顔を向けて身構えた。
『ち……どこまでも堕ちぬ女だ。ならば、この男を倒して絶望の中、堕としてみせよう』
「悪いけど、そういう展開はお呼びじゃないんでね!」
拳を固めろ。
『この女の中から消えてなくなれ!』
「そいつはこっちの台詞だ!」
顔面へと伸びるストレートにかぶせて、相手の顎を撃ち抜く。
そのまま消し飛ばす。
瞬間的に光が満ちる世界で、拘束が弾けて地面に崩れ落ちるクラリスを抱き留めた。
「ごめんな」
「……信じて、おりましたから」
縋るように抱きついてくる背中を抱き締める。
そしてクラリスの周囲を浮かぶ光の欠片を見た。
それはあちこちを嬉しそうに飛び跳ねて……クラリスのお腹の中へと戻っていく。
守ってくれたんだな。俺の代わりに、お前が。
ちっちゃな勇者のおかげか。
「一人じゃなかったから……がんばれました」
「だな」
見つめ合い、うなずき合う。
「自慢の子供だ」
「まだ、産まれてもないのに」
微笑むクラリスに口づける。
言わずにはいられなかった。
「それでも……お前は俺の大事な嫁さんだし、こいつは俺の自慢の子供だ」
嬉しそうに顔をくしゃくしゃにするクラリスを抱き締めていたら……どんどん世界に光が満ちていった。
元の世界に戻った俺は目を開ける。同じように目を開けたクラリスは、元の姿に戻っていた。その背に羽根はなく、尻尾も獣のそれに元通り。
喝采を上げる仲間達の賑わいを聞きながら、俺は思わずにはいられなかった。
特別な絆が増えていく。
どんどんその意味が増していく。
俺一人の手で抱えきれるのかどうかなんて悩む暇がないくらいに。
こいつらと一緒にいれることを、心から誇りに思う。
だから……なあ、ルカルー。待ってろよ。絶対に助けに行くからな。
つづく。




