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第三十七話

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 夜更け過ぎ、牛乳の甘い匂いが満ちた部屋で目を覚ます。

 クラリスに耳掃除をしてもらったのだ。先にしたら、お返しにと。

 それで眠ってしまったみたいだった。

 窓際の椅子に腰掛けてナイトローブ姿のクラリスがテーブルに真剣な表情で向かっていた。

 テーブルの上で眠りに落ちているホムンクルスの腹部に、手に持つ小瓶の液体を垂らすと、不思議なことに腹の中に吸いこまれてしまった。

 そばにあるポットからは白い湯気が出ているが、なにをしているのか。

 じっと見つめていたら、クラリスが俺に気づいて微笑む。


「起こしてしまいましたか?」

「いや……自分で起きた」

「そうでしたか。すこしお香を焚いてみたのですが、ご気分はいかがですか?」


 そっと立ち上がって歩み寄る彼女に近寄る。

 身体が嘘のように軽い。


「だいぶいいよ。コハナのエステも効いたけど、これもいいな」


 疲れが嘘のように抜けている。


「よかった。クルルとわたくしは、最近よく利用しているんです。悪夢を防ぎ、眠りを深くする作用があります」

「それも錬金術か」

「どちらかといえば、古の知恵ですね」


 それはそれで霊験あらたかな効果がありそうだな。


「ありがとな」

「耳掃除のお礼です」

「それを言ったら、俺はもうひとつお礼したくなるなあ」

「お疲れのようでしたね?」


 ふふっと笑いをこぼすクラリスはただただ愛らしい。愛くるしくて仕方ない。


「それでは、寝起きのいっぱいに」


 テーブルへと戻る。

 ポットの中身をそばにあるコップに注ぐと、俺に両手で差し出してきた。

 テーブルに戻されたポットの中身、それは?


「牛乳か?」

「特別製なんですよ? 仕掛けがあるんです」

「ふうん」


 くいっと飲むと、自然な甘さに全身に広がる安心感。

 あったかくてとびきりうまいただの牛乳でしかない。

 けど、不思議とそれが多幸感を生む。


「うまいな……これ」

「クルルと一緒に採ってきた、スフレでも自慢の牧場の牛乳です」

「……それだけ?」

「ちょっとだけ、そうと言われないと気づかない程度に薬草を煎じてあります」


 鼻で嗅いでも部屋に充満した優しい香りしか感じない。

 あらためて飲んでみてもただただとびきりうまい牛乳ってだけ。

 なのに穏やかな気持ちが広がっていく。

 甘さのせいかもしれないし、蜜のような匂いのせいかもしれない。

 シンプルにうまい。


「こ、これ、もう一杯もらえるか?」

「もちろんです」


 微笑み、ポットを手にとってコップに中身を注いでくれる。

 たまった牛乳を飲むとやはりうまい。実にうまい。


「タカユキさま、どうですか?」

「全部飲み干したいかも」

「よかった。落ちた気持ちが和らぐ薬草で。気持ち程度にしか効かないので、蜜を多めに入れちゃいました」

「甘いのが好きなのかもしれないなあ……」

「じゃあ、おかわりを用意してきましょうか?」


 悩ましいなあ。もっと欲しいような気もするし、久々にふたりの時間を満喫したくもある。

 でもって、だ。


「――……母乳って、どんななのかな」

「なっ、なななな、なにをそのような」

「いやほら。生命の神秘というか、気になるというか。一度味わってみたい的な?」

「た、体液ですので。血のようなものだと、乳母に言われましたが……」


 ポットを置いて、クラリスが俺を見る。

 そして俺の視線に気づいてあわてて胸を隠した。


「そ、そのように見られては困ります……」


 照れまくりです。


「……もう出たりするの?」

「こ、個人差があるそうで。わたくしはまだです。出産までまだ日がありますし、そのう……」


 指先を絡め合わせて俯くクラリス。

 顔中真っ赤です。


「おのみになりたいのですか?」

「不謹慎なら忘れるけど、そうでないなら一度は体験してみたいかな……と」

「う、うう……初乳はだめですよ?」


 俺も教わったよ。たしか最初のお乳は栄養たっぷりなんだっけ?

 赤ちゃんのためのもの。

 俺の元いた世界じゃ、粉末の奴も栄養たっぷりになってるんだとか聞いた気が。

 で、問題はそこじゃなくて。


「ということは?」

「もし……もし赤ちゃんが飲めない分があったら、ですよ? おっぱいは赤ちゃんのものですからね?」


 恥じらいながらだめだしをされるのちょっといい……。


「わかりましたか?」

「わかりました」


 すごくいい。先生口調みたいなのもすごくいい。


「も、もう……少し休んでいてくださいまし。ホムンクルスの調整をいたしますので」

「調整して、どうすんの?」

「実験にはなりますが……」


 椅子に腰掛けるのを手伝う俺に礼を告げてから、クラリスは挑むような目つきでホムンクルスを見つめた。


「生命を宿らせることができないか、試します。これは賢者への挑戦なのです」


 レフニク・オヘラトワ……そうクラリスが囁いて、両手をホムンクルスへとかざした。

 突如彼女の手の甲に光が宿る。

 その光はクルルが魔法を発動させるときに浮かび上がるような紋様を描くのだ。

 果たして、その手の紋様が放つ光はそのままホムンクルスへと伸びて、二体を光へと変換していく。

 二つは混ざり、溶け合い、融合して螺旋を描き――……無限の記号と化した。

 白と黒。光と闇。溶け合うそれは突如二つに弾けて壁に激突した。

 黒焦げになったホムンクルス二体はそれぞれに目を回している。


「え、ええと……クラリス、どうなのかな。これはどうなのかな? 成功なの? 失敗なの? どっちなの? ちょっと判断つかないぞ」

「そ、そうですわね……アン、ドゥ?」


 クラリスが呼びかけるが二体はまるで操る糸が切れたように倒れ伏してしまった。そして端から光に還元されて世界に溶けていく。後には着ていた衣服と綺麗な青い石が二体分、残されるだけ。

 石と衣服を拾おうとするクラリスを制して、自分で拾って渡す。


「……ああ、もう」


 また失敗してしまいました、と項垂れるクラリスの背中をそっと撫でる。

 彼女は二つの石を大事そうに手で包むように持って息を吐いた。

 そしてテーブルにそっと置くのだ。まるでそれが二体の魂であるかのように。


「またってことは……そうとう難しいのか?」

「ええ。コハナから契約で得る知識の中にも情報がなくて。スフレに残った伝聞を元に構築しております。手探りなので……あのホムンクルス二体にしても、やっと安定してできた素体だったのに」


 みすみす失ってしまいました、と。すっかりしょげている。


「核石は残ってくれたので、素材さえあれば元に戻せるのですが」


 落ち込む背中に手を添えた。


「気にすんな。困難故に挑戦するんだろ? 素材があればまた作れるってんなら、集めるだけだ」

「それは、そうなのですが」


 励ますも、ホム二体を失ったショックは大きいようだ。


「……命って難しいですね」


 永遠の命題みたいなことを言い始めた。

 人工生命を生み出した錬金術師の言葉の重みよ。


「その、なんだ。俺たちは薬の力を借りたとはいえ、子供ってのは本来できる時はできて、できない時はできないそうじゃないか」

「それは……でも」

「事実だろ?」

「……はい」


 俯く頭に手を当てて、体に引き寄せる。

 胸一杯に息を吸いこんで、吐き出すとクラリスは俺を見上げてきた。


「私は……このままこの道を進んでいいのでしょうか?」


 あまりにも弱々しい問い掛けだった。


「失われた知識を取り戻し、タカユキさまの旅の助けになればと思ってはおりますが……子の母となるのに、命を冒涜するようなことをしています」


 人工生命体を作りながらもずっと抱えてきた悩みなのかもしれない。

 それをいま、初めて聞いている。

 もっとずっと前に共有して、一緒に重さを背負うべきだったのに。

 さて、どうしたものか。

 クラリスの問いに正解なんてない。あるのは行動と結果、それに対する個人の思想だけだと俺は思う。善悪の基準など人による。


「もっと単純に考えていいんじゃないか?」

「単純に、です?」

「ああ。悪いのは技術ではなく、それを扱う人間だ、みたいな言葉を前の世界で聞いた気がするよ」


 頭痛がするけれど、今は構わない。

 屈み、クラリスの両手を握って彼女を見上げる。


「クラリスが真実、ホムたちを大事にして、愛し、守るならそれでいいんじゃないか?」

「……悪用されたら?」

「悪用するやつがわるい」

「……もう、それじゃ根本的な要因を作ったわたくしの責任はどうなります?」


 あきれたようにではあるが、笑ってくれたクラリスに断言するよ。


「そうならないように、俺がみんなまとめて守るさ」

「……そんなの、まるで」

「まるで世界を救う英雄みたいだろ?」

「もう」


 今度ははっきりと、ほっとしたように笑ってくれた。


「じゃあ、がんばってみます。あと……お願いがあるのです」


 照れるのか、はにかんで彼女はねだった。


「今夜は一緒に寝てくださいますか?」


 答えは肯定しかありえない。




 つづく。

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