第十三話
13------>>
魚醤が焼けて焦げる寸前の香ばしい匂いがする。
屋台街。気取ったところはない。集まった者たちは観光客も住民も垣根なく、愉快に笑い合っていた。こんな光景、そう見れるもんじゃない。
スリだボッタクリだのはなさそうだ。
その代わりになれなれしさがある。
俺が視線を向けると、網に乗せた魚を通した串をくるくる回す親父が「味見するかい?」と笑って言ってきた。
大盤振る舞いだが、親父に声をかけられる前に俺は何度も呼び止められてはほんのひとくち試食をして、毎回購入するという地獄を味わっていた。
この地獄、実に味わい深い。うまくて腹が満たされるのに、もっと欲しくなる。
実際、ひとくちもらうと香ばしい外側のかりっとした身の内側は、ふんわりほくほくとした白身なのだが、外側の香ばしさと内側から溢れる油とが混ぜあい、極上。外側のタレの味がくどくない程度の厚みの魚だ。調整しての味加減なのだろう。
実にうまし。
ちらりと見れば炭火台にのせられた川魚が香ばしく焼き上がっていた。
塩を振られた魚もいるし、それだけじゃない。香草の香りのする魚もいた。
正直、ぜんぶ食べたい。
こうしてコハナに渡された俺の小遣いが減り、お腹が満たされていくという塩梅である。
やるな! 屋台、侮れん!
結局、ぜんぶ買ってひとしきり食べてめいっぱいのうまいを親父に告げてから、ルーミリアの酒で喉を潤して次へ。
「ううむ……ん?」
隣の屋台からは肉の焼ける匂いが漂ってくる。
鉄の串に丸めた肉を直火で炙っているのだ。
分厚い。肉が分厚い! しかも脂身の多さよ!
赤身だけの串もあれば、油たっぷりの串もあり、皮だけの串もあれば、つくねの串もある。
焼き鳥か。焼き鳥なのか!
油と混ざり合ったタレが垂れるたびに、店主がハケですくい取って塗りたくる。
通りにいるのは俺のような食い倒れ好きの奴が多い。
あちこちをきょろきょろ見渡しては歓声を上げる連中は、魚と肉の主食ゾーンにだいぶ参っている。
だが、はやるな、落ち着け。
はやればカモ、はやればカモ。
よく観察して歩いていると、歩き慣れた様子で進む狼の耳と尻尾を生やした街の人間はみな、白いふかふかのパンにシャキシャキの緑の葉野菜と分厚いカットステーキをはさんだものを食べていた。
ステーキの上にトロトロのチーズがのっているが、あれは反則だ。
とろけたチーズが反則級の引力だ。
あれだ。あれがうまそうだ。
噛むたびにじんわり溢れ出る肉汁がきらきらと輝いている。俺も今すぐ溺れたい……!
どこだ。どこにいけばあれが買えるんだ。
それともあれか? パンと焼き鳥を別々に買って合体すればいいのか?
実際、住民と思しき連中がさっきの魚の屋台やら肉の屋台やらで注文しては、筒状の食器に入れた麺だの飯だのに乗っけたり、パンに挟んでいるじゃあないか。
そういうのありなの?
なにそれ。俺もやりたい!
屋台と屋台の総合格闘技だと思ったら、違った。
ここは屋台のオーケストラ。俺たち観客は自由に指揮者になれるのだ。
少人数編成の丼も麺もよし。大勢を集めたサンドバーガーもいい。もっと贅沢に満漢全席もありか。
いや、しかしはやるな。
屋台街だけじゃないのだ。
その隣の区画が、またたまらない。
パン屋を見つけて肉を挟んで堪能した俺は、胃袋が元気な内に食べ物屋が軒を連ねる通りに入り込む。
よく見ると狼たちが集まっている店がある。
甘い香りが漂ってきた。
パンケーキの店だ。生クリームとジャムの匂いに集まる狼たちは、よくよく見ればカップル、若い女性たち、そして孤独なおっさんの比率が高い。
甘味に素直な勢がこの街じゃそのみっつに集約されるわけか。
しかしおっさんもひとりで並びやすい、あるいは並んでしまうほどの店。
気になる――……。
欲望に素直になって列に並ぼうとした時、誰かと手がぶつかった。
謝ろうと顔をあげたら、緑髪の美女が立っているではないか。
「おっと、これはこれは。変なところで会うね……」
ミステリアスな微笑みを浮かべる彼女の口元が肉汁で煌めいていた……って、おい!
「謎めいた感じで出てきたんだろ!? 正体ばれる回まで謎めいていてよ! こんなところで何気なく出てきやがって! しかもなんだ、その口元は! 食いしん坊ですかぁ!?」
「怒るなよ。おいしいものには目が無いってのはさ、味覚がある奴の特権だぜ? これを見てみなよ」
「な、なんだと!?」
よくよくみると、美女の手には袋がいくつもぶら下がっている。
中を覗き込んでみれば屋台の飯がやまほど入っているではないか。
「くっ、食いしん坊キャラだと……!」
「うまいよね、ルーミリアの飯。スフレはスイーツ、ルーミリアは主食がウリだけど、この店はルナティカ姫の肝いりだそうだよ? いやあ、楽しみだね!」
「別に聞いてないからな!」
あと、ルカルーはいったいなにやってんの?
服だけじゃなく、飯まで手を広げてるの?
お前の仕事は姫じゃなくてもはやビジネスなの?
俺、お前にまで稼ぎで頭があがらなくなるの……?
がっ、がんばらねば!
「悩みがあるならうまい飯だよ、勇者くん」
油でつやつやした口元でどや顔してるんじゃないよ!
ツッコミを入れるべきか悩んでいた時だった。
店の中から「残り十個ですー」という声が聞こえる。
「むう……まずい。店の中には五人」
「え」
美女の言葉に急いで店外の人間を数える。
一人、二人組で三人、でもう一人いて俺たちだから――
「失礼」
さっと前に割り込まれて俺は美女の後頭部に思わずチョップをかましていた。
「何しれっと割り込んでんの! 俺の方が早かったぞ!」
「君の世界の言葉にあるぞ? レディファーストってね。男なら女に道を譲りたまえ」
「割り込んで言うことがそれかよ。やくざか! ちなみに本音は?」
「食べなきゃ今夜は帰れない」
めんどくさい奴の匂いがぷんぷんしてくるなあ、おい!
だとしても俺は優者なのでめげない。自分で考えてて意味がわからない。
とにかく彼女の横に並ぶ。
「きみ、何してんの?」
「ほぼほぼ同時だっただろ。半分くらいよこせ」
「今のところ、私は君にとって敵だと思うのだが」
「飯の前に敵も味方もあるか」
「変な男だね」
「この世界に来ていろんな目にあったからな、これくらいで動じてられねえの」
「ふうん」
意味ありげに笑う彼女が片手を差し出してきた。
「なに」
「待っている間おもたいから、半分持ってくれ」
「お前も大概だなあ、おい!」
「楽器より重たい物は持たない主義なんだ」
お前の楽器がどれほどの重さか知らねえし! ったくもう。しょうがねえな。
「もう半分もよこせ」
「逃げるのかい?」
「やかましい。半分くれる礼だよ」
「渡すけど、おごらないよ?」
「だめ?」
「もちろんだめ」
「じゃあそれでいいよ」
「そいつはどうも」
彼女の荷物を引き受けてのんびり立っていると、腕に柔らかい膨らみが押しつけられた。
見れば彼女が俺の腕に抱き付いている。
「なにしてんの?」
「恋人の真似」
「やめてくれます? 俺ここんところ、身内の目がきびしくなってまして。それというのも嫁がふたりご懐妊中でね。多夫多妻が許されるとしても、そういう時期に遊ぶのはよくないだろ?」
「キミの仲間のように、キミに本気ならいいわけだ?」
なんで鋭く突っ込んでくるかね。
「――……だとしても、お前に本気になる理由もきっかけもない」
「それはごもっとも」
彼女が店先を指差す。
見れば店員が注文を確認していた。
残り少ないので一人一つでお願いしますと言って回っている。
俺たちのところへきて、申し訳なさそうに残り一つだがいいかと尋ねてもきた。
「彼と二人で食べるので、一つでいいです。とびきりあつあつに作ってください」
微笑みながら言う彼女に赤面して、店員が慌てて店内に戻っていった。
「ふふっ。無事にありつけそうだ」
「……ほんとに食いしん坊なのな。コハナと知り合いっぽいが、あいつよりは素直そうだ」
「そりゃあ、彼女はいろいろと大変な目にあっていまがあるからね? 面倒くさいと思わず、仲間にしたなら大事にしてあげてくれよ」
妙な言い分だな。
敵とは思えないような台詞じゃないか。
「あいつのこと、そこまで知ってるのか?」
「興味ある?」
頬を擦り付けてくる彼女にため息を吐いた。
「だからよせって。振りはいいし、今日はよしておくよ。飯食べにきただけだろ?」
「おや。つれないな」
「話の持っていき方次第じゃ戦いになるし、いまはパンツもってねえし。せっかくうまいもん食べるっつうのに、あとでこじれんのはめんどくせえだろ。今日はいい日にしてえだけだ」
「――……そ。キミ、聞いてたよりもずっといいね?」
ひとつだけ、と彼女は囁いた。
「魔王はどんな存在でも任意に悪魔に変えてしまう。それを防げるのは女神くらいだろう」
「……まあ、なあ」
前の旅で淫魔にされた俺は身をもってクロリアの力の強大さを知っている。
魔王と呼ばれる奴に備わる力だというのなら、対抗できるのは女神ないし女神に選ばれた奴の力なのだろう。
「私も女神に縁のある者でね。あくまで天の使いの吟遊詩人だからね」
「あくまで、ね」
かつてそう口にした少女が悪魔だったことがある。コハナだ。
つまりは、彼女も……?
「天使で吟遊詩人だったが悪魔にされたってことか。盛りすぎだろ」
「私もそう思うよ。だから都合よく私を悪魔から戻す力を持っている奴と出会えたら幸せなんだが」
意味ありげに見つめられるが、肩を竦める。
時を戻す薬を作れるクラリスはいない。よしんばいても薬を作る材料がない。
となると、残された唯一の手があるにはあるのだが。
「聖女の聖水を浴びる気は? そんな顔するなよ。ないね、ですよね! わかってた! わかってたから、目を剥いて舌を出して青ざめるなよ。どうやってそんな顔してんの!?」
ちなみに聖水とは聖女の水を意味する。
そしてここからが最高にくだらないジョークなのだが、現状用意できる聖水とはおしっこのことである。聖女が俺の仲間の誰なのかまでは、敢えて言うまい。
以前、クロリアに悪魔にされた俺は聖水を浴びて人に戻った。
黒歴史の一つだと言ってもいい。
俺のっていうよりは聖女の黒歴史だけどな。
「しっかり断っておくよ。そいつはごめんだからなあ。飲むなと厳命された悪魔の薬を配り歩くしかないねえ」
ひひっと笑う彼女もまた被害者か。因果なもんだな。
「新たに現われた魔王の命令ね」
「そうとも。私を元に戻せるなら、いつでも味方になるんだが?」
「あいにくその術がまだなくてね」
「じゃあ話はここまでにするか」
「おう……だから、あんまくっつくなって」
肩に頭を預けてくる彼女の柔らかさにどぎまぎしていたら、列がだいぶ先に進んでいた。
決して、決してごまかす意味ではなく、両手足が揃ってしまいながらも前へ進む。
店に入って目当ての商品を買うと、半分にちぎって彼女は俺が持った荷物を受け取り立ち去った。
去り際に一言、
「女を知ってるわりに初心な反応をするんだな」
などと、からかいの言葉を残していった。
余計なお世話だわ! ほっとけ!
◆
美味を食おうと俺の頭は先ほどの美女のことで頭がいっぱいだった。
魔王の手先となに親しんでんのと、クルルがいたら怒っていただろう。
あいつら最近なにやってんのかな……。
「ああ、あちらからもこちらからもおいしそうな匂いがしますわ……」
「ちょっとちょっと、押さないで待って待って! クラリス様、とまって!」
ん? と思った時には膝に何かがぶつかってきた。
見下ろすと手押し車に乗ったクルルぷちと、それを押していたクラリスぷちが尻餅をついていた。スフレ王国の誘拐事件を調べるために行脚している……はずなのだが。
「お前らなにしてん」
「はわわ」「見つかってしまいましたわ!」
あわてて逃げようとする二人をつまみ上げる。
「なーにしてるのかなー?」
笑みを浮かべると二人揃ってさっと目をそらす。
「やだなあ、ただの冒険だよ。使い魔を使ってタカユキの監視をするついでに、ちょっぴり楽しいことしたいなあ、なんて考えてないよ?」
「そ、そうですとも! 誘拐事件を調べていたらルーミリアでも同じような事件が起きていると聞いて来たのであって、けっして……けっして、また浮気してないか気にしているとか、ついでに羽根をのばそうだなんて考えてたりしないですわ」
ぐうの音も出ないことをぽろっと言っちゃうクラリスは心配性だし、クルルはそういうことを言わないだけで思っているんだろうなあ。えっ、それ言っちゃうの? みたいな顔してクラリスを見ていたからな。
我ながらあまり信頼してもらっているとは思えない。
なにせ前科がやまほどあるからな……。
「ふっ、二人とも本体はちゃんとスフレにいるんだよな?」
「そ、それはもちろんだよ!」「毎日うんざりしてますわ」「ちょ、クラリス様!」
「待て。待って? え!? うんざりってなに? なにかあった? 喧嘩でもしてんの? 大丈夫か?」
きょとんとする俺に二人はため息を吐いた。
「妊婦にも運動が必要とか、胎教にいいからって音楽を聴いたりとかしてるんですけど」
「クラリス様のおつきのばあやさんの趣味でさ。ありがたいんだよ? ありがたいんだけど……正直退屈だし、しんどいし。なのに善意の固まりで、あれしたほうがいい、これしなきゃだめってうるさくてさ」
「ならいっそ、赤ん坊の意識ごと一緒に旅に出れば身体に負担はないしいい胎教になるかなあ、なんて」
「こっちの身体でいる分には楽ちんだからね」
なにそれ。
ばあやさんに悪意はないから、余計に大変ってのもわからんでもないが。
だったら最初から言ってくれりゃいいのに。なにを遠慮してんだか。
「で? こっそりついてきたと。話してくれてもいいだろ? その様子じゃ――……スフレで別れてからずっとついてきてたんじゃないか?」
「「 うっ! 」」
なに呻いてんのかな!
俺の言葉に二人揃って視線を逸らした。
「な、なんか育児というか胎教をさぼってるみたいで……言いにくくて、ですね」
でしょうね!
いや、ふたりの精神状態がいいほうが俺は嬉しいけどね!
そのあたり離れた手前、俺からあれこれ言うのは筋違いだし。
話し合いが足りてない。俺たち、そのへん圧倒的に足りてないな。
「ちゃ、ちゃんと運動とかしてるよ? 元の肉体と連動してるからこの身体で動くことにちゃんと意味があるし。だけど……遊んでるみたいなものだから、その。ね?」
いや、いいんだって。いまはそういうことして。
「いまからでも一緒に旅しないか? 離れてるより、一緒のほうがお互い安心だろ」
「それが……そのう」
どしたの? ん? クラリスが微妙な返事って、意外なんだけど。
「誘拐事件を調べているのは本当なので、それが落ち着くまでは……ご一緒したいのはやまやまなのですが」
「一段落つくまでは無理かも。タカユキたちはタカユキたちで、予定があるんでしょ?」
「ここ一週間はひとまず休むくらいだけどな」
「それでもだよ。コハナとペロリ見てると、ちょっと気になるし」
クルルはあのふたりがなにかあるって思ってんのか。
実際、ペロリは思春期ど真ん中なのか、それともそれを通り過ぎて大人になってきたからこそ俺に対していろいろと思うところがあるのか。
コハナはコハナで、いろいろと悩みがありそうだしなあ。
「わたくしたちは調べ物に集中しますので、どうかふたりのことを気に掛けてくださいまし」
「離れてるのは、やっぱり寂しいけどね」
それ以上は野暮だとふたりが口を噤むのなら、俺があれこれ言うのは違うか。
しょんぼりする二人を地面にそっと下ろして、その頭を撫でる。
「俺もふたりも気をつけるから、クルルもクラリスも、あんまし危ないことはするなよ?」
「うん! 安全第一は当然かな!」「もちろんですわ!」
ほっとしてすぐ、嬉しそうに微笑む二人を見送って息を吐く。
コハナもペロリも見当たらない。
こんな様子じゃ、ふたりに任せろと言うにはまだまだ未熟だな。
あの二人は一体どこにいったのか。
もうしばらく街を歩いてみるしかなさそうだ。
つづく。




