第十話
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早朝、部屋に戻る。
寝たい。ぐっすり寝て、昼過ぎまで寝たい。休みたい。
勇者であろうと人間なんです。
たまには休みたくなるんです!
ベッドに倒れ込んだタイミングでペロリが飛び込んできた。
なんの用事か教えてくれると思って目を閉じようとしたんだけど、失敗だったわ。
「ちょっと、起きてよ!?」
開幕のお叱り、なぜ?
中途半端な休憩しか取れてないから、できれば今日一日くらいは休まない?
そう言おうと思ったんだが、飛びついてきたペロリが執拗に俺の匂いをかぎ始める。
すんすんと聞こえる音が腰元から首筋に辿り着いて、すぐに舌打ちが聞こえた。
あれ?
ペロリ、どうしたの?
俺の匂いを嗅いで舌打ち、なぜ?
ぼうっとする頭でふり返ろうとしたら、後頭部を掴まれてベッドに押しつけられた。
耳元に寄せられた聖女さまの唇がなにを囁いたかって?
「本当さあ。お兄ちゃんって罪深いよね? 懺悔してきて。浮気な下半身のね!」
えってふり返ったら、振りかぶったペロリのビンタが炸裂!
で、教会。
「――……最近、よく会うね?」
神父の哀れむ視線を浴びた俺、あっさり死亡。
この旅の死因のほとんどがペロリなんだけど。
あれえ!? おかしくない!? 魔物とか盗賊相手にやられるんじゃなくて、だいたいペロリのおしおき攻撃とかで死んでない!?
今回は特になにが問題か自覚しているので、怒るどころか深く反省するだけなんだけど。
クルルやクラリスが怒るならまだしも、なぜにペロリ?
「ついでに懺悔してく?」
「……そうします」
いつもならペロリが聞いてくれるけど、今回は無理そうだ。
旅を再開しても、それ以来ずっとペロリは拗ねっぱなし。
マフィアのファミリーで例えるなら俺はボスだったと仮定した場合、頼りになるボスじゃないからペロリは怒っているとか?
クルルやクラリスを大事に思っているから、慕っているから、多夫多妻が可能でもゆるめの俺に怒りを覚えてる?
不潔とか、きもいとか、そういうワードは出てない。態度にもだ。
コハナが洗濯を買って出てくれることが多くて、俺も着替えを渡すけれどペロリは混ぜられてもいやそうな素振りを見せない。ま、元々俺のいた世界よりも余裕がないからってのも関係してそうだが。
街中で女子とすれ違うときに挨拶されるたびにペロリの尻尾は不機嫌そうにひゅんひゅん唸る。
縄張り意識みたいなもの? 俺はテリトリーの内側にいる存在で、気軽に外部の連中と絡むなよみたいな、本能的な防御行為?
「くふふふ★ くふふふふふ★」
だとしたら、コハナが不機嫌そうなペロリを見て嬉しそうに笑う理由がわからない。
聞いて答えてくれるような奴でもなし。教えてくれる理由は波乱を巻き起こす原因になることが多々あるから、迂闊にコハナに尋ねられないし。
あれ。意外と今回の旅って前途多難じゃね!?
さっさと海を渡ってルーミリアに行きたいところだ。
コハナ特製の興奮剤を飲んで安静にしとけって言われたくせにハッスルしたせいで、疲れ果てて眠っているリコの面倒をジャックが見るっていうんで、俺たちはアメリアの船を頼ることになった。
船旅にして五日はかかる。
ならばと意気込んで、ペロリのご機嫌を伺おうと張り切るんだけどなあ。
なにもかもが逆効果!
たとえば釣った魚を献上したり、渾身のギャグを披露したりした。
ペロリの不機嫌の理由がもし俺の情けなさが原因だというのなら、行動を改めると話しかけてもみたぞ?
「無理なことは言わないでよ。適当なこと言ってるだけだってわかるし、余計むかつくから」
ううん、つれない!
あと、正論! いままでの旅路をふり返ると、なんも言い返せない!
尻尾で顔を叩かれて気絶する羽目になりましたよね!
アメリアに相談しようとしたら、一部始終を見ていた船長は「ロクデナシに語る口はねえ」とばっさりなんだから、もう!
面倒見のいい船員たちに相談に乗ってもらうも、既にアメリアから箝口令が敷かれているみたいで、俺の話を聞いてはくれるが解決策の提示は一切なし!
逆に言えば、コハナはもちろんアメリアや船員たちすべてが今回の問題は誰のどこにあって、どう解決すればいいのかわかっている模様です。
あれ。
もしかして俺、ばかなのでは?
あらゆる手を尽くしたけれどだめ。
ヒントをもらえないかと平身低頭に努めても無理。
ううん。正直、手詰まりだ。参った!
こんなことで大丈夫なんだろうか。
元いた世界基準で言えば、俺はまだガキか、せいぜい大人に毛が生えた程度でさ。
なのにこの世界の基準で言うと、とっくに家庭を養っていてもおかしくないそうだ。
実際、この世界の連中はみんな早熟だからな。
この世界で生きると決意した結果、俺の体も適応するように変化した。
いまさら、元の世界だとどうこうなんて言ってもしょうがないのだ。
ぶっちゃけ、勇者とかボスとかそういう問題ですらないしなあ。
俺という人間そのものが頼りにならなきゃ、今回のような問題は今後も起き続けるだろう。
なにせクルルとクラリスのお腹の中に、赤ちゃんがいるんだぞ?
親になる。
父だろうが母だろうが立場によらず、それぞれに親として成長したいもんだ。
クルルとクラリスは、俺よりも問題を解決する自力がある。完璧じゃないから弱さもあるが。
俺はふたりと比べてどっちもまだまだ貧弱だ。
表面的な力で戦うだけで済むから戦場を愛する連中もいるのだろう。
それしかやり方を知らないと甘える奴も多いだろうが、そいつは自己満足の美学だ。
そいつを俺は前の旅で何度も思い知らされただろ。
クルルが何度、その身を削って俺を助けてくれた? これしかないと割りきって、あいつは何度ボロボロになったよ。
そういうんじゃたどり着けなかった。クロリアに手を伸ばせなかった。
すべてを止めて、生かした力はトラブルメーカーでもあるあのコハナが大事にしてる、あれだけだろ?
足りねえのだ。周囲に対してはもちろん、自分自身に対しても。
愛が足りねえのだ。
パンツを渡してくれるペロリには、たぶんあるんだ。俺への気持ちが。
仲間としてな。
俺はそれに報いることができてないんじゃないのか?
そう思った四日目の夜に、思いきって言ってみたわけよ。
満天の星空に流星群が見えて、頼もしい船員たちもアメリアさえも俺たちを呼んで、見入っていた。
最高のシチュエーションだ。
だからペロリにそっと伝えてみたわけだ。感動してたし。
だから、繰り返すが言ったんだよ。
「俺さ。まだまだ愛情が足りてねえなあって気づいた」
ここまではよかったんだ。マジで。
「お前は俺の仲間だ! 一生大事にするよ! 仲間として、お前の居場所を守り続けるから!」
次の瞬間、手を掴まれてた。
なんもわるくないメッセージだと思うのに、
「よりにもよって願いが叶いそうな夜になんてこと言うの!」
と怒鳴られながら夜空にほうり投げられたよね。
アメリアの指示で海に激突する前に船員たちの魔法で助けてもらったけど、ブチギレペロリに拒否られて、朝まで寝室に入れてもらえませんでした。
あれえ!?
◆
船員たちの寝室の隅っこで膝を抱えてうとうとして過ごす五日目の早朝、ルーミリア帝国の港町ブリフトについた。
「品を下ろしな! 取引をするよ!」
「アイ・マム!」
アメリアの声に船員達が声をあげる中、何も言わずにぴょんと船から飛び降りてペロリは街に行ってしまった。
取りつく島もない。
わからん。
いままでクルルとクラリス、それにコハナやナコにさえ、俺はどれほど甘えていたか自覚したよ。基本的にみんな前のめりに思ったことは伝えてくれるからな。
ルカルーはその点、あまり多くを語るタイプじゃないが、あれで群れの長としての自覚がある帝国の王女さまだからな。あれで気遣いが上手な奴なんだよ。
そこいくと俺は、それに応じていりゃあ回っていたからなあ。
ぶっちゃけ甘えきってたわけだ。
言えば受け止めてくれる。
聞けば教えてくれる。
こんなに楽なもんはない。
信頼関係があるからこそ、お互いにコミュニケーションを取れるけれど。
揺らいだら、どうする? そこがまさに今回の問題の本質じゃあないか?
ううん!
苦手!
そういうの得意なタイプじゃない!
そんな甘えたことを言ってる場合でもない。
「やれやれ……勇者ってのは甲斐性もないのかい?」
船長の指摘が耳に痛いなあ!
「秘訣とかない? どうしても教えてもらえないかな? 正直、手詰まりだ」
後頭部に手を当てて撫でる。
我ながら情けないことこのうえなし!
「うちの娘の目は節穴か。大穴狙いか? いずれにせよ日常の些細な機微に鈍感だと、このあと苦労しかしないよ。親になるんだろ?」
いっ、いろいろばれてるー!
リコとのことだけじゃない。クルルとクラリスのこともだ。
コハナが言ったか、酔った俺が話したか。別にそこは問題じゃないな。
「素直になれない時期もある。望まない態度に苛立ち、怒りを露わにして周囲を困惑させちまう時期ってのもな。大人になるほど改めにくくなるが、あの聖女さまはまだ若いんだ。あんたは年長者だろ? 歩みよってやんな。それが甲斐性ってもんだ――……ろ!」
思いきり背中を叩かれてよろけた。
「そいつはリコを助けてくれた礼と鯨の報酬だ。とっときな」
「おっとと」
ぽいっと放られた革袋を受け取って中身を確認したら、結構な量の銀貨が入っていた。
「じゃあね。いっぱしの顔になって戻ってきなよ」
つま先から頭のてっぺんまで舐めるように見てから、ふっと笑って立ち去っていく。
激しく凪いだ潮風のようにきつくて、それがなによりたまらない魅力の船長アメリア。
ジャックも渋くて頼りになるが、アメリアもたまらない。
人として育つんなら、せめてふたりに並ぶくらいには胸を張れる自分になりたいもんだ。
「それで勇者さま。追いかけなくていいんですか?」
「……だな」
ひとりで行かせるわけにもいかない。
ペロリの後を追いかけたのはいいんが、姿が見えないのなんで?
かくれんぼなの?
道行く人に尋ねても見てない奴ばかり。
なに。家の上を走って移動したとか? ペロリならそれくらいの芸当も楽勝だ。なにせ、体術の師匠はそのへん楽勝なルカルーなのだから。
「時間がかかりそうですねえ。それに? コハナが一緒だとよくない気がしてまいりました――……ああ、これヒントですから」
なぜにこう、団結して俺を責めてくるのか。
みんなで幸せになろうよ!
「も、もうちょっと穏やかにあともう一声もらえない?」
「ごめんなさい! ペロリさまとお約束いたしましたので」
先手うたれちゃいましたね、このこの! なんて笑いながら俺のほっぺたを指先で突かないでもらえます?
「じゃあコハナはこれより宿の手配、そしてルカルーさまに伝令を飛ばす手配をしてまいります。勇者さまはどうぞごゆっくり」
俺の頬にぺたぺたと触れてから、コハナが一歩引いて離れていった。
俺ひとりでペロリを探せ、と。
それだけの理由があるのだ。
ヒントは集まっている。
だが俺は名探偵ではない。そして名探偵は閃きだけじゃなく、綿密な調査と膨大な分析や思考を用いて謎を解いている。なら、名探偵じゃない俺はもっと考えていい。
さて、どうしたものか。
ペロリが宿にいてくれるのなら、と思ったけど意味がない。
コハナが宿の手配を買って出るくらいだ。まだ取ってない宿に行くほど、ペロリが気を利かせる理由がない。そういう動きをするなら、別に街中を普通に歩いていっていいのだし。
隠れるだけの理由があるわけだろ? 宿屋は違うだろ。
とすると、どこだ?
ふらふらと街中を歩いていたら弦楽器を奏でて歌う声が聞こえてきた。
誘われるように足を進めると、街の中央広場ともいうべき噴水のそばに腰掛ける緑髪の美女がいた。
リュート、ギター、という単語がふっと頭に浮かんでくる。彼女の抱えている楽器の名前かな?
それよりも気になるのは、彼女の歌声だ。
『誰もがみな 大切な誰かを探す旅の途中……
遠い遠い前世 運命の先 かつて出会った最愛を
もう一度取り戻すの
煌めき輝くあの日々を 幸福のかの君を
連れていって――遙かな時を超えてまた巡り会うために』
彼女の声はどことなくコハナに似ている。
アメリアを歌うコハナの切なさと楽器を手にする彼女の切なさが、どこか重なっているような気がしたんだ。
歌が終わってから気づく。完全に聞き入っていた。
風が吹いて目元が冷えた。
驚く。涙を流していたのか、濡れた箇所が冷えたのだ。
彼女が楽器を引く手を止めてと息を吐くと、その場に集まった人々が一斉に拍手をした。
つられて拍手をしていたら、拍手に応える彼女が俺に気づいた。
微笑みを浮かべて立ち上がる。そしてローブを身に纏った。
「――……そうくるかよ」
彼女のローブ姿はハルブで目にしたあの吟遊詩人そのものだったのだ。
あわてて追い掛けるが、如何せん集まった客の数が多すぎた。
人混みに阻まれて、やっとの思いで路地に入り込んだ時にはもう彼女の姿を見失ってしまったのだ。
ペロリだけじゃなく、吟遊詩人にまで届かない。
◆
どれほど凹もうと、めげてちゃしょうがない。
なんだろうなあ。ペロリの不満。
仲間じゃだめ?
なら、家族はあり?
ううん。仲間も似たようなアプローチだと思うしなあ。
家族方面で声を掛けても、クリティカルヒットしなかった気がする。
じゃあ、なんだ?
もう、せいぜい残っているのなんて――……なあ?
この世界における思春期、いい年齢。パートナーを見つけていい時期ってリコが教えてくれた。
もしかして万に一つの可能性として、その対象に選ばれたとか?
ペロリはぶっちゃけめちゃめちゃ強い。
狼のルカルーが習性に素直なところを見ると、獅子のペロリはそうとう肉食系な気がする。
あいつの前で俺より強い奴とはいまんとこ会ってないし、可能性はゼロではない。
ただ、なあ?
クルルやクラリスみたいに露骨な嫉妬をするでもなし。
ナコみたいに積極的にアプローチしてくるわけでもないし。
わかんないんだよなあ。
リコが俺に目を付けてたって教えてくれたが、それにすら気づかなかった俺だ。
可能性がないと思っていたものですら、勘違いの可能性もある。
あるのだが、しかし。まさか。なあ?
あのペロリが?
だとしたら、もうちょっとこう……優しくしてくれてもいいのでは?
嫌われている気しかしないんだよなあ。
俺がくみ取れていないから、アメリアは歩みよれるのも甲斐性って言ってたとか?
ゼロじゃないな。
ゼロじゃないが。
「ううん……」
やっぱり、わからん。
途方に暮れながら歩いていると、賑やかな声が聞こえてくる。
通りを抜けて入る市場通りからだ。
前回の旅で来た時には見られない活気に満ちていた。
魚や野菜、肉のような食料品に留まらず、少し離れると衣服から生活必需品まで売っている。人々が楽しそうに行き交うその通りで、銀色の髪を見つけた気がして走った。
たどりついたそこには確かにペロリがいた。
店先に並んでいる洋服を眺めて、ぶすっとふくれ面で膝を抱えている。
「なあ、お嬢ちゃん。お金がないんじゃあなあ? こっちも商売だから、あげるわけにはいかねえんだよ。綺麗な服だと呼び込んで客を集めて売ってくれるとこまで働いてくれりゃあ考えるがなあ」
「見てるだけだもんね」
「それも座ってな。わかってるなら、野暮はいいたかねえが……まいったなあ。渋い顔して売り物見られると、どうにも困っちまうよ。試着するか? それか、神父様でも呼んでくるかい?」
「どっちも別にいい」
「――……そうかい。参ったなあ」
オッサンが弱り果てた顔して頭を掻いていた。
行き場がなくて服屋の前か。
帝国は王国よりも鉱山業が盛んだ。畜産も進んでいるようだし、なにかと産業が活発である。
王国とはひと味もふた味も違う服はどれも煌びやかで華やかだ。
そういえばペロリに服を贈ったのは、いつの頃だったか。
クルルたちが率先して路銀を管理して、自分たちできゃっきゃとはしゃいで旅のご褒美と称して買っていたし、それに甘えていた。
たまのプレゼントじゃあ足りないわなあ。
こっちの世界の人々だって、毎日同じ服ってわけじゃない。
特に王国の華やかな街や、帝国の市街地じゃあ幅広い層の人がおしゃれを楽しんでいる。
ルカルーとクラリスに至っては王女だけあって、あれこれ着飾るのが当然の生活を過ごしていた。ルカルーは布地少なめおしゃれを、クラリスは逆に布地多めおしゃれを好む。
色にもデザインにもそれぞれに好みがあるし、デザイナーの名前を用いて服屋の店員も込みで盛り上がっていた。そういう輪に入るのはただ、おしゃれに興味があるかどうかの差しかなくて、俺は引け腰。
いっそ全力で褒める方向性にシフトしてる。
みんなが好きだ。で、似合ってると思うから、思ったまま全力で伝えるだけ。
でもそれだけってのもな。
ペロリとコハナに甘えてると気づかされるし、これまでどれほど気にしていなかったか気づかされる。
こっからだな。
「なにか気になった服があるか?」
そっと近づいて声をかけると、ペロリはますますほっぺたを膨らませて膝を抱え込んでしまった。
途端におっちゃんが「もっとうまくやれよ」と言わんばかりに俺を睨んでくる。
俺もそう思う。
なにせペロリが座り込んでいる前にあるのは、服を着たマネキン二体だ。
気にならなきゃ座り込まないだろうよ。
「刺繍が綺麗だな? このあたりが――……ペロリが好きそうな服か」
「ルカお姉ちゃんもね。動きやすくて、色気があって、品のある魅惑の服。そっちのは特にそう」
ペロリが指し示したマネキンの服を見た。
鎖骨と胸元を露わにしながらも、胸を優しく支えてくれる縫製のなされたトップス。
腰履きで裾が足の付け根までのパンツ。腰元から伸びる透けた布地が足首まで伸びたズボンのようになっていた。糸がつやつやと煌めいて見える。糸に金属糸でも練り込まれてんのかね。
腹部と袖も、スカートの透ける布と同じ糸で縫われていた。
なるほど、確かに色気がある。
シースルーってちょっとえっちだよな。
でももう一歩下がってみると、透けて見えるだけで体のラインが曖昧にぼかされるというか、彩られるような気がするなあ。
視覚的効果だけじゃないのかもしれない。魔法の糸とかあっても不思議じゃないし。
「さっき、ひとりならやめろって言われた」
「いや、お嬢ちゃん。違うって。ひとり旅なら、品のない連中が馬鹿な夢をみちまうって話したんだ。彼氏がいないなやらやめときなってな」
「――……ふん」
尻尾が盛大にひゅんひゅんとうなりをあげる。
不機嫌の上にさらなる燃料を投下されちまったわけか。
彼氏というワードはいまのペロリにとっての地雷。
それってもう、なんだか答えのように思えるが。
まだ判断は保留だ。自意識過剰の可能性も大いにあるからな。
「ペロリは気に入ったのか?」
「ん」
なるほど、好きなのね。
何度見ても、たしかに結構刺激的だ。
元いた世界じゃ踊り子のステージ衣装のように見える。
ということは躍動する体を美しく見せるようなデザインってところか?
トップスとボトムスはぴったりしたデザインだが、体を覆う透けた布地はいくらかふんわりしている。
どうせなら布を持ったほうが、踊ったときに空間の広がりを利用できそうなイメージがあるな。手足を強調できそうな印象があるから、さらにダイナミックな動きを見せるとより魅惑できそうな気がするね。
「ルナティカ姫のここ最近のお気に入りでな。姫さまが太鼓判を推した帝都の新進気鋭の仕立て屋ココ・マティカの一品だ。ようやく手に入れた極上品だぞ? 着たら似合うのは一目でわかるお嬢ちゃんが不景気な顔して睨んじゃ、商売あがったりなのさ」
店主の自慢げな説明と愚痴を聞いて見直す。
ひとり旅で出歩いたとき、魅惑の衣装はむしろ盗賊連中の格好の獲物に選ばれやすくなる。
ペロリなら拳ひとつで粉砕できるだろうが、厄介な連中もいる。
たとえばスフレで出会ったマロがそのへんをひとりで出歩いたら格好の餌に見えるし、妙な吟遊詩人が行く先々で現われてるんだ。警戒した方がいいのは確かだ。
「隣のもいいって……」
「そっちも同じくココ・マティカの一品でね。お年頃のお嬢ちゃんにぴったりの品だ。貴族のお嬢さまも裸足で逃げ出す極上品だよ」
隣のマネキンが着ている服は、シースルーを用いた服とはまたひと味違う。
白い長袖ブラウスの内側がワンピースになっていて、ペロリが着たらちょうど太ももの半分くらいの位置で何枚もの布に切り替わる。
気合いの入った刺繍の出来の良さは、素人目に見てもかなりのもの。
マントや腕輪もセットのようだ。
それ以上に目を惹くのは服の胸元。
大きなリボンがあしらわれていて、その中心に煌めく緑の宝石があしらわれている。
「その石に目を付けるとはやるねえ! お兄さん、それね。嘘か誠かスフレの錬金術師が作った賢者の石らしいよ。同じものが腕輪とかにもついているんだ」
スフレの錬金術師って、間違いなくクラリスじゃん。
「なんでも着るものの成長に応じて衣装も成長するとかなんとか」
なにやってんの、金策なの?
しっかりしてんなあ! だってのに俺のだらしなさときたら!
そう思いながら服を眺める。
ボタンやアクセサリーがいくつもついており、それらすべてが本物の金や銀だった。
値の張る一品だ。
マネキン二体の服ともなると、途方もない値段になるだろう。
間違いない。
ペロリが着たらすごく似合うのは容易に想像できる。
そして、アメリアにもらった路銀がすっからかんになりかねない金額だけに、ペロリは見ているだけなのだろう。
着たら欲しくなる。
だから着ない。我慢して着ない。
でもこの場を離れたら、もう二度と出会えないかもしれない。
なにせ俺たちは旅の途中だ。
次にこの街を訪れるのは、いったいいつになるのやら。
「これ買ってくれるなら、仕立て屋指定のニーハイもブーツもつけよう。っていうかできれば大事に着てくれる人に買って欲しいんだよね」
商売っ気があるだけじゃない気がして、おっちゃんを見た。
「というと?」
「帝国はなにかと大変でね。隅っこの港町には、騎士がどれほど気をつけてもいろんな国の連中がやってくる。俺の店で買ったものを、さらに高く売るヤツもいてなあ。そりゃあ、しょうがないと思うわけだ」
妙な話になってきたな?
「だがなあ。やっぱ、気に入った服を気に入った客に買ってもらって、なんなら似合ってると思いたいわけよ。俺、いい仕事したなって。その二着には思い入れがあるんでね。金を積むから売れよなんつう奴よりも、好きな客に売りたいわけ」
「ふっ……ふうん」
遠回しに催促されてんなあ! ええ!? おい!
ちらちらと、アメリアから受けとった報酬がたんまりつまった革袋を見てくるし!
こいつ、俺が二着とも買えると見込んでいる……ッ!
「しっかりお金はとるけど。お嬢ちゃんなら、似合うと思うわけよ。こいつぁ世辞抜きだ。座り込まれちゃたまらないわけ。俺が売りたい客が服をずっと睨んでんだから」
「――……」
むすっとしたまま尻尾を振ってるペロリを見て、深呼吸。
腹を決めろ。
これでどうにかなるとも思うなよ?
そういうことじゃない。
「おっちゃん、相談なんだけどさ」
ペロリから離れるように引っ張っていって、値段の交渉をする。
物理じゃない。もちろん数字ベースだ。
最初におっちゃんが口にした値はぶっちゃけ高すぎた。
吹っ掛けてくるとは思っていたが、それにしたって革袋のコインよりも多い金額を言うなよ!
「賢者の石ってのがさあ、いかにも胡散臭くて値段つけにくいんだよ。どうせなら素直に宝石つけてくれた方がまだ売りやすいんだけど。ただなあ、見ての通りものがよくてさ。無理して買ったわけ」
「おっちゃんの都合でしょ」
「俺よりごうつくばりなら、そもそももっと吹っ掛けてるぞ? 特に布地の多い服は貴金属が多いからな」
「――……そりゃあ、まあ」
「な? 旅をするってんだろ? 服みりゃわかるよ。どっちもそこいらの鎧より、よっぽど頑丈だ。彼氏なら見せてくれよ、気前のいいところを!」
それでも粘ってはみたが、落としどころなんてのは早々みつからないもんさ。
算盤を手にする店主と揉めて、言い合って、最後には握手をしてひと息つく。
きっちり証書を作って、支払えない分はいずれ払いに戻るという約束を取り付けようとするおっちゃんに対し、なんとか手に入れた金額は革袋の中身で手を打ってというもの。
ついでにこの旅で絶対に目を引くだろうペロリに気づいた連中に、この店を勧めるというもの。宣伝するから安くしてよというお強請りだ。当然、実効性が不確かな約束でおっちゃんが折れるわけはない。
パンツの力を使うことで勇者としての身分を証明し、勇者が来て聖女の服を買った店として商売できるように証拠を残すという交渉で決着。
嘘じゃないからな。こればかりはしょうがない。
マネキンの服を脱がして用意し始めるおっちゃんと俺を見て、ペロリが表情に困って黙ったまま俺たちを見ていた。梱包された包みにはおっちゃんのおまけつき。
全部、ペロリに渡すよ。
「あの……無理して、買っちゃだめじゃない? お金ないんだし」
ああ! 痛い!
俺なきそう! ペロリ! お前の言うとおりだ!
言えないくらい情けないから思うだけだけど! 旅路の路銀はいままでのようになんとか稼ぐさ!
大事なポイントはひとつ。
「お前が着てるとこみたいから、もらってくれるか?」
「い、いいの?」
「おう」
「それ……さっきのお金って、いいの?」
離れてからも、ちゃっかり見てたのか!
「ハルブの報酬だしな。今回の目的は魔界に行って叶えるつもりだ。この金の使い時としちゃ、この場は逃せないだろ」
省みながら進む旅もある。
この場にクルルたちがいたらさ、渋った途端に「わかってんだろ」と俺を叱ってきそうだ。
そして、それを敢えて伝える必要はないとも思う。
「似合うとこ、見せてくれるか?」
「――……うん」
そうっと包みを受け取って、ぎゅっと抱き締める。
俯いたペロリが俺の隣を歩いて通り過ぎるとき、ちっちゃな声で「ありがと」と呟いた。
赤面していた。
俺がぼうっとしているだけで、出会ったばかりのクルルや国を必死にまとめていたクラリスのように、ペロリはとっくの昔に俺たちの目線のすぐ近くに辿り着いていた。
不覚にも、すれ違ったあとで俺は片手で目元を覆う。
「――……いい子だな。幸せにしてやれよ?」
おっちゃんの声に答えられない。
出会ったばかりの頃のペロリなら、こんな風にはなってなかった。
きゅんとしていたのだ。
つづく。




