いざ出発
勇者、とは。
唯一魔王を屠ることができる光の剣に選ばれし者、の事らしい。なんでも、人界ではその中央に大きな神殿があって、その奥には光の剣が納められ来るべき日を待っているそうな。勇者たり得る資格を持つ者がその剣に触れるとその柄にはまった宝玉が光り輝くので、それで勇者が現れたことがわかるのだとか。
勇者が誰なのか確かめるため、人間の男子は15になるとその神殿を訪れるという。
シェルメリアとしては、その剣に選ばれたからといって、もとはただの人間である勇者が魔王様を倒せるかどうかというと…かなり厳しいのでは、と思う。
特に、当代の魔王様なんて、絶対に無理だ。第167代魔王オリビエールは、過去の魔王の中でも類を見ない程の強さを誇る。強いというか、なんというか。天災級の彼は文句無しで最強だろう。だが、その強さで圧政を敷くことも無く、力の弱い者のことも考え、問題が起こらないように完璧に魔界を統治している、まさに文句の付けようのない完全無欠、理想の魔王である。
シェルメリアとて、腹黒な魔王様に普段から溜まった私的な恨みはあるが、彼が倒されると困る。いや、万が一にもあり得ない想像だとは思うが。現に先代勇者はオリビエールに完膚なきまでに叩きのめされていた。可哀想だがそう何度も公務の邪魔をしてもらうわけにもいかないのだ。こういう虫は徹底的に叩いておかないと後が困る。
「…勇者の側にいて、情が湧いちゃったらどうしよう」
三年間も一緒にいるかもしれないのだ。さすがに知り合いが目の前で魔王様に殺されるのは魔族の自分とて心が痛むのでは無いだろうか。
(…まぁ、その時は魔王を倒す、なんて無理だって教えてあげて、諦めさせればいいか)
あまり深くは考えずに思考をやめて、作業していた手を止める。
「できたー!」
鏡の前でクルリと回るシェルメリア。そこに映っていたのはアッシュブラウンの長い髪を一つに編んで肩に流し、白いシャツと黒の細身のズボン、少し褪せた青のベストにコートを身に纏う少年だった。イメージは貧乏貴族の四男か五男…またはちょっと裕福な商家の息子あたりだ。
シェルメリアは自分の男装の出来栄えに満足げにふふん、と笑う。少々女顔と思わなくも無いが、まあ振る舞いに気をつければ男に見えるだろう。
(お兄様の昔の服が残ってて良かった…)
最後に仕上げとして、紅い瞳に魔法をかける。瞬きをして鏡を見れば…真っ赤な瞳が深い藍色に変わっていた。
「よし、完璧!」
シェルメリアは、せっかくの人界行きを楽しみ尽くしてやろうと心に決めていた。それには、少女よりも少年の姿の方が良いと考えたのである。
王城に潜り込むとなれば、侍女か騎士あたりに扮するのが妥当だろう。そして、更に勇者の魔王討伐の旅に着いて行くつもりならば当然侍女よりも騎士の方が都合が良い。イヴェールでは女騎士は認められていないらしいし、何より。
(王子も同性の方が友達になりやすいんじゃないかな!)
そう考えたのだった。
この時点で、シェルメリアの頭の中には「淫魔の能力を使って王子に取り入る」という普通なら至極当たり前に思いつくだろう案は存在しない。
あと、単純に男装の麗人とかやってみたかった。先日手に入れた人界の小説の主人公が男装して王子を守ろうとしていて、その冒険譚に胸を躍らせていた彼女は、いつか機会があったら男装してやろうと考えていたのだった。
その点に関しては、まったく成長しない彼女の胸が初めて彼女の得になったと言えるかもしれない。幼い胸元はほぼ締め付ける必要が無かった。少しだけ悔しい。
手に馴染んだ白銀の長剣を腰に帯びて、荷物を詰めた鞄を手に取り、部屋の隅でじっとこちらを見守っていた黒衣の美女―――シェルメリアの敬愛する母親、公爵夫人ヴェールフォンセ―――に声をかける。
「じゃあ、行ってきます」
「くれぐれもばれないように気をつけるのですよ。しっかりと勤めを果たして帰ってきなさい。母はここで待っていますからね」
にこやかに、しかし厳しい眼差しで諭すように告げるヴェールフォンセ。美しく妖艶な、まさに淫魔らしい淫魔。憧れの母の激励に深く頭を下げて、
「お母様も、どうかお元気で。…では」
大きく開けた窓から飛び立つ。目指すは魔王城に用意されている転移陣、そして人界イヴェール王国王都。
(お兄様達にくれぐれも見つからないように気をつけなきゃね)
シェルメリアを溺愛する兄二人である。ちょうどこれまた魔王様に命じられた任務のおかげで顔を合わせていないけれど、見つかったなら連れ戻されるのは間違いない。
このタイミングの良すぎる采配も、きっとわざとなのだろうな――一瞬遠くを見つめるような目をして、一つ首を振る。
総ては美味しい食事と自分の楽しみのために。シェルメリアは任務を忠実に遂行するべく羽に力を入れた。