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03.夫と妻

 その日から、幸照(ゆきてる)は例の帽子を必ず(かぶ)り、出歩いた。

 妻の目が気になって、家では脱いだ。福子の留守は、部屋の中でも帽子を被り、頭に触れる。

 楽しみができた近頃、いつもの街のいつもの景色、いつもの日課、全てが光り輝いて見え、幸照は溌溂(はつらつ)として日々を送った。


 洗面所には育毛剤が列を()し、幸照の努力の日々を物語る。風呂上りには欠かさず使い、帽子なしでも有るように、肌の手入れは休まない。

 福子は特に何も言わない。

 かと言って幸照は、帽子の謎を茂田氏ら、友達に語る事なく胸に秘め、何食わぬ顔で過ごした。


 一度だけ、呆れ顔した福子が言った。

 「外から見えんのやったら、有っても()うても一緒やん。ちゃんとしたヅラの方が、みんなに見える分、まだマシやわ」

 幸照は力なく笑って、何も言わずにおいた。


 夫婦二人の帽子の秘密。

 誰も知らない黒髪のその存在が、夫婦の日々を明るく照らす。


 妻は、夫の(まぶ)しい笑顔、喜び様に、そんなにも嬉しいものかと、半ば呆れ半ばは共に喜んで、今日も一緒に夕飯の買物に出た。

 以前なら、カートを引いて一人行く、この道を夫と二人、手を繋ぎ、足取り軽くのんびりと行く。


 若い頃すらなかった事だ。

 世の中は何が起こるかわからない。しみじみと噛み締めた。

 穏やかに日々は流れる。


 本格的な夏が訪れ、日除(ひよ)けの為に日傘、帽子が欠かせない時節になった。

 苦瓜(にがうり)が窓に茂って実を下げる。影を通った外の熱気が、網戸を抜けて部屋に来る。


 そろそろ勘を取り戻し、自力で生えていい頃だ。根拠なくそう思う。

 「そんな夢みたいな事……」

 女房は笑うが「夢」は否定せず、生ぬるく見守った。

 この帽子、そのものが夢かも知れず、迂闊(うかつ)な事を言ったが最後、消えてなくなるかも知れなかった。


 帽子を失くし、夫が生きて行けるのか。

 入れ()(よう)に妻は帽子の無事を祈った。


 台風が巻き、風が次第に強くなる。空はまだ晴れていた。

 むっとする強い湿気に、汗の(ころも)(まと)わされ、買物に出る。

 「帽子蒸れへんか?」

 「いいや。涼しいで」

 「さよか」


 雲速く、(のぼり)はためく道すがら、他愛ない話をしつつスーパーへ行く。

 「カラアゲとビールがえぇなぁ」

 「クソ暑いのに、揚げもんさすんかいな」

 「出来合(できあ)いのやつ、()うたらえぇやねぇ」

 「そんなんでえぇんかいな。野菜も食べ」

 「フクも暑うて料理する気せんやろ。何か()うて半分こしよ」

 「ほな、野菜炒めでも買おか」


 南の海の風が吹き、帽子が飛んだ。

 幸照が見た事のない速さで追って、飛び付いた。手の中にリネンを捕らえ、立ち止まる。

 「危ない!」

 福子が叫び、通行人が息を飲む。ブレーキにタイヤが(きし)み、悲鳴を上げる。

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