どこか遠い地からのエピローグ
それでもまだ、旅は続く。
ミサキ行商旅行記・第一巻 エピローグ、始まります。
ある日のお昼前、色取り取りの花が植えられた花公園の、その道の中途にあるベンチで、一人の若い人間と一頭の、狐似の中型の狼が休んでいた。
人間は、腰に短刀と、背中に大きめの年季の入ったリュックを所有しており、リュック脇に備え付けられたポケットには、数々の道具が収められている。それなりの期間旅をしてきた事が伺える装備だった。
「ミサキ、都まであとどれくらいだろうね。花公園に入ったって事は、割と終盤の方だとは思うんだけど」
中型の狼は、若い人間のことをミサキと呼び、その足にじゃれ付いていた。ミサキは脚の上でガイドブックを広げ、目的地の位置と現在位置とを比較して、あとどれくらい歩けば到着するかを計算し始める。
「確かに終盤だけど、残念ながら交通機関が利用出来るようになるまでは後六時間くらいは歩くことになりそうだね。今のうちに覚悟しといたほうが良いよ、カイナ」
今までの経験から慣れきっているのか、計算はすぐに終わり、見えてきた結果は今の疲労感を二割り増しにするくらいの物でしかないということが分かっただけだった。
「六時間かぁ…。なら到着は夕方になるね…。まあ、野宿の心配は無さそうだけどさ」
「それだけが救いかな。携帯食料を齧って寝とくだけで良いなら、六時間くらいは歩いても良いのかなって思えてくるよ」
「それはまた凄い根性だよねぇ。ボクにはよく分からないよ。むしろこのまま寝転がっていたいくらいなのに」
カイナと呼ばれた中型狼は、のんびりと体を伸ばしつつ整備された芝生の上に寝転がっていた。その耳には、近くに飛んできていた小さな白い蝶がとまっている。
「気持ちは分からないでもないけどね。私だって休めるのなら今すぐに、って言いたいけれど、人間の野宿は危険が一杯だからね」
「それは、そうだけどさー」
カイナは耳を動かし、止まっていた蝶を追い払おうとする。しかし今度は鼻先にちょこんと止まってしまい、むず痒いのを何とかしたくとも動きづらい状態になってしまった。
「まあ、一応義父直伝の護身術は身に付けてるし、腰の短刀も使えるから盗賊に襲われてもある程度は大丈夫なんだけど…」
ミサキはそっとカイナの鼻に止まっている蝶を指先で捕らえ、近くの花に移す。鼻を刺激されていたカイナは、少しだけ鼻の頭を動かした後に、二回ほど小さくくしゃみをして終わった。
「本音を言えば、ふかふかの寝床で寝たいっていうことなんだけどね。寝袋だけだと飽きてくるし」
「あー…それは何となく分かるなぁ。ボクも可能なら寝やすい場所のほうが良いからねぇ」
そして、再び自分の鼻頭にとまろうとしていた白い蝶を、鼻息で追い払う。しかし、今度は耳辺りに別の蝶が止まってしまった。
「むむむ…。ボクは花じゃないよ…」
「あはは。虫に好かれたんじゃない?それか良い匂いがするとか」
「えー…と言うか、虫に鼻ってあるの?」
「あるって話だよ。それで花の匂いとかを確認してるとか何とか」
「ふぅん…。どちらにしても、くすぐったいから止めて欲しいんだけど…」
そして再び追い払おうとするが、追い払っても、追い払っても、また止まって来るのだった。しかも今度は、ミサキの肩にも何羽かが止まっている。どうやらここの蝶は人懐っこい性質を持っているらしい。
そうこうと蝶々達に遊ばれていると、花公園の向こう側から、中くらいの箱を荷台に積んだ一台の小型バイクが走ってくるのが見えた。それは小さなエンジン音を立て、それなりの速度でミサキ達の方へと向かって来ており、そして、ミサキたちの前を何事も無く通過して行こうとする。
しかし、途中で何かに気付いたのか、止まって引き返してきた。その突然の乱入者に、ミサキ達の体に止まっていた蝶達は驚いたのか、一斉に近くの花畑へと飛び去ってしまう。
一体何なのだろうとバイクに乗っている人物を見ると、ヘルメットには中央の広域郵便配達員を示す、足に手紙を付けた鳩のエンブレムが施され、その横には配達員のキャリアを示す鳥の羽の意匠を施されたマークが、一つだけ添えられていた。どうやら新人さんらしい。
すると、そのバイクに乗っていた男性と思しき人が、エンジンを切った後、ヘルメットのシールド部を上げ、慌てて微笑を浮かべた。
「えーと、貴方が行商人のミサキさん?そして君がパートナーのカイナさんだね?」
「ええ、そうですけど…」
「ああ、良かった!こちらの方へと向かったと言う情報を頼りに探してたんですよ。街に着いた時に一日遅れで入れ違いになったと知った時はどうしたものかと思いました」
本当に不安に思っていたのだろう、ほぅっと胸を撫で下ろし、次は心からの笑顔を浮かべた。考えてみると、道はあれども、この広大な土地を目的の人物を探しつつ走り回り、情報を得ては向かい、すれ違っては追いとしていれば、肉体的にもそうだが、精神的にも並大抵の苦労では済まないだろう。そういう意味で、広域郵便配達員は世間一般の人々からは尊敬されている職業だった。
「ところで、私に何の荷物を?」
「ああ、そうでした。すみません、つい嬉しくなっちゃって。では、こちらが貴方宛のお手紙二通と小包一つです」
まず配達員は白地の封筒と小麦色の封筒を一つずつ差し出し、ミサキがそれを受け取った後、続けて梱包がしっかりと行われた六センチ四方の箱を持ってきた。
「有り難う御座います」
「はい、ではこれで全部ですので、こちらの帳簿にサインをお願いします。名前だけで結構ですので」
そう言って、綺麗なノートとペンを鞄から取り出し、ミサキに手渡す。
「………よし」
さっと自分の名前を記入しようとノートを開き、ペンを持つ。そして、自分の名前を記入する場所を探す為に記入してある他の人々の名前を順に見ていくうちに、ふと自分の名前について考えてしまった。名前にはそれぞれに意味があると言うが、育ての親に与えられたこのミサキという名前は、これから先、他人との触れ合いでどのような意味を得て、与えていくのだろうか、と。
「これで、大丈夫ですか?」
自分の名前を最後尾に記入し、ペンとノートを返却する。
「あ、はい。これで良いですよ。では、ご利用有り難う御座いました!」
そう言ったあと、配達員はヘルメットを被り直し、バイクに乗って立ち去っていく。
「それにしても、誰からの手紙だろうねー」
バイクが立ち去ったあと、ようやく話に入ることが出来るようになったカイナが、興味深そうに膝に頭を乗せてくる。
「さてさて?箱も気になるけど、まずは封筒かな」
ミサキは、腰の短刀を抜いて封にあてがい、糊付けされている場所を切って行く。白い封筒、小麦色の封筒ともに便箋が二枚ほど入っており、それぞれに綺麗な字が並んでいる。
「ああ……これは」
手紙の内容自体は、ありふれた挨拶から始まり、近況報告へと繋がり、こちらの状況を案じる内容へと収束していき、最後には再会を楽しみにしている旨を伝える言葉と締めの挨拶で終わっていると言う、とても普通のものだった。
そして、その便箋にはいずれも久し振りに聞く名前が書かれてあり、ミサキは表情を緩めていた。
「ねえねえ、誰からなの?」
便箋を広げ、それを静かに、しかし楽しそうに黙読しているミサキに、待ちきれないと言う様子でカイナが手元を覗き込んできた。
「あ、これって。ランティエ小母さんからだ。それにこっちは、マシバさんだね。あの時は、祭が楽しかったね!美味しい物も沢山食べられたし」
「そうだね。折角だから、また近い内に行ってみようか。挨拶も兼ねてね」
「あ、良いね!そうしようか。ならあっちにもお手紙を出さないといけないねー」
「それなら、書く内容も考えとかないと。面白そうな出来事のどれを書くか悩むよね」
「お土産話には事欠かないからねー。こっちは」
互いに、これまでの旅路で体験した出来事や人物などについて思い出してゆく。こうして人と人との繋がりを生み、それぞれが実に有意義な思い出と変わってゆくという事実は、意味があるとか無いとか、そのような概念も越えた先に存在していた。自分との出会い、他人との出会いに意味があるとするなら、このような当たり前で、しかし、実感の難しいものを得ることが出来ることなのだろうな、とミサキは先ほどの意味についての思考に向けて、そう結論付けた。
「ところで、その箱には何が入ってるんだろうね?」
「ん?ああ、これね。何だろうね。ランティエさんの手紙には、自家製の保存食をつめた物らしいんだけど…」
「保存食かー。どんなものだろうね。やっぱりパン関係かな?」
「それじゃ、開けて見ようか」
ミサキは、早速短刀をあてがい、丁寧に箱の封を切って行く。梱包を解くと中からは特に装飾の無い無地の箱が姿を現した。そして箱を開けると、中には硬く焼き上げられた保存用のパンと、小さな封筒が一緒に入っているのが分かった。
「また封筒だー。今度は何かな?何か大事な報告だったりして?」
ミサキはその封筒も同じように封を解き、中身を取り出した。
「あ、これ、写真……」
「ふふ……ランティエ小母さん、楽しそう」
封筒の中には一枚の写真が入っていた。
そこには、見事な黄金色の小麦畑を背景にして、満面の輝く笑顔を湛えたランティエ、クラウス、ジェイムスの三人が、互いに肩を組んでいる様子が鮮明に写っていたのである。
もしもこの三人の出会いのきっかけに、自分との出会いが少しでも貢献出来ていたのなら、それはきっとどのような物よりも価値のある、素敵な宝物なのだろうと、ミサキは写真に向けて微笑み、そして、大切に自分のスクラップノートへと収めたのだった。
ここまで読んで下さった皆様。まことに有難うございます、そしてお疲れ様でした。以上を持ちまして、行商旅行記の「第一巻」にあたる部分が終了となります。
機会があれば、短編と言う形で今後も続きを書き続けるかもしれません。その時は、是非楽しんでいただけたらなと、考えております。
では、長くなりましたが、これにておさらばです!