小麦の街の感謝祭 中編
引き続き、ミサキ行商旅行記をお楽しみ下さい。
出会いの物語、再開…再開…。
翌日の朝、ミサキは外の賑やかさで目を覚ました。
気になったので、部屋のカーテンを開けてみると、遮る物無く入り込んできた日差しで、一瞬視界が真っ白になる。そして、目が光に慣れてくるにつれ、建材を持った町の人々が大通りを歩いているのが徐々に見えてきた。
「…お祭りの会場設営かな?後で余裕があったら見に行ってみよう」
ついでに窓を開けて、部屋の空気を入れ替える。外から入ってきた、どこか懐かしい小麦の香りや何処かで焼かれるパンの香りに包まれ、まだ半分ほど眠っていた頭が一気に冴えていくと同時に、眠っていたお腹の虫も目を覚まして空腹を訴え始めた。時計を見ると、宿の朝食の時間にはまだ少しあったので、部屋ごとに十分な量が備えてあるタオルを持って、外にある浴場に朝風呂を浴びに向かうことにした。
(カイナは…起こさなくて良いか。どうせお腹減ったって寝言みたいに言い始めるし)
しかし、だからと言って何も無しのまま部屋を出るのも不味いので、何処に向かうかと朝食の時間を書いた紙を卓に置いた後に部屋を出る。そのまま廊下を歩き、階段を下りると、宿の女将から声を掛けられた。
「あ、お早う御座います。女将さん。今日は朝から賑やかですね」
「ああ、すみませんね。いつもはここも静かなんですけど、明日から祭りが始まるもので、みんな落ち着かないんでしょう」
そう言って、外を行く建材を持った男女を見つつ、苦笑いを浮かべる。仕方ない人達だとでも言いたそうな表情だった。
「そう言えばそうでしたね。さっき部屋の窓から建材を運んでいる人達を見ましたよ。さっき通り過ぎた人達だったかな?」
「実はあれ、うちの夫と、妹夫婦、弟夫婦なんですよ」
女将は、先ほどの苦笑いを崩さないままに教えてくれる。
「へぇ、そうなんですか。一族挙げてなんて凄い入れ込みようですね」
これは意外な事実だった。それだけ祭りにかける情熱と言うものがあるのだろう。
確かに、こう言う町をあげて行われる祭事は、そこに住んでいる人々にとっては象徴的な行事となっていることも多く、特にこの町では、特産品とそれに関する物が中心となっているので、部外者であるミサキにも、祭りに関わる人々が情熱を注ぎ込む気持ちも、何となくだが理解出来るような気がした。
「お陰で宿の仕事が二の次にされるのは困りものですけどね。祭りの中心地にある宿ほど忙しくないので、そこまで困りませんけど」
「あー、やっぱり宿の仕事が疎かになるんですね…。と言っても、みんな笑顔で良いですね。実に楽しそうで」
「そうですね。ふふ」
そう言って、互いに笑いあった。
「そう言えば、今から裏手の方へ?周りがバタバタしていますから、気をつけて下さいね」
「ええ、有難う御座います。それでは」
そして女将さんと別れたミサキは、早速渡り廊下を歩いて裏の方にある大浴場へと向かう。途中で建材を運ぶ集団とすれ違い、その活気溢れる様子を見ることが出来た。先頭を行く逞しい男性が、建材を運ぶ他の男女四人に号令の声を掛けている。女将さんの話によるなら、この先頭の男性が夫で、他の男女が弟、妹夫婦と言うところだろうか。
すれ違う時に、ミサキに挨拶をしていく。何れの声も清々しいくらいに爽やかだった。建材を運び続けていると言う比較的重い労働をしているとはとても思えない。
(力持ちだなぁ…。私だと難しいかも?)
そのパワフルさに感心しつつ、廊下の先に見える建物へと向かう。窓からは湯気が漏れているのが見え、そこが暖かい場所だと言うことを誇示している。その中へ入ると他の宿泊客の声が聞こえた。どうやら考えることは皆同じらしい。その声に誘われるように脱衣室へ入ると、服を入れるための籠が複数置かれているのが見える。中には、既に衣服が入っているものもあった。ミサキもそれに倣って服を脱ぎ、籠に収めた。もちろん、タオルで前を隠すのも忘れない。
(昨日と一昨日は部屋のお風呂だったから、今日はゆっくり入れそう)
色々と準備を終えたあと、浴室の扉を開けて室内へと入る。気温の差か、湯気が一気に体を包み込み、一時的に視界を奪う。そのまま湯気を切りながら歩いていくと、四人ほど人がいるのが見えた。何れも体を洗っており、湯船には誰も浸かっていない。
(ここで洗えるみたいだね)
ミサキは、一度お湯を桶で汲んでから体を洗う場所に向かう。まずは体をお湯で慣らし、洗って清潔にしてから湯船に浸かるのが、こう言うときの礼儀だと育ての親から教わっている。宿で貰える石鹸と、自分がよく使っている洗髪用洗剤の容器を置き、空いている場所で体を洗った。
それから湯船に浸かり、体の芯まで温まるようしっかりと浸かる。ついでに他の宿泊客の様子を見回してみることにした。ついでに会話にも耳を傾けてみる。
こう言う場所での情報収集では、時たま商売をする上で欠かせない情報が混ざっていることがある。それを得ているか否かで、この後の仕事の難易度が大きく変わることもある重要な行為だ。
「昨日は大変だったらしいね。中央の市場で小麦商のいざこざがあったとかで」
「そうそう。何でも、認められていない部外者が小麦商に紛れ込んでたとか何とか。こう言う長閑な所でも、そういう事あるんだねぇ。行商の私たちも気を付けないと」
「そうだね。うちらも文句付けられたら堪らないしねぇ」
どうやら、宿泊客の内二人は、昨日市場に来ていた同業者らしい。そして何やら不穏な会話を交わしている。ミサキには、そんないざこざがあったような記憶は無い。自分が居なくなってから何かあったのだろうか。
「あの、ちょっといい?今の話、詳しく聞きたいんだけど」
思い切って話しかけてみることにした。すると、その行商人は意外そうな顔をしてミサキを見ていたが、もう一人が何かを察してくれたのか、微笑みかけた。
「君、もしかして同業者かい?」
その言葉にミサキは頷き、肯定する。
「急に御免なさい。昨日多分一緒のところで商売してたと思うんだけど、いざこざがあったって言うのは初耳だから、気になって」
そう言って苦笑いすると、もう一人の行商人が移動してミサキともう一人の行商人の前へと移動した。
「あー、なるほど。まあ、いざこざって言っても、一方的な口論だったみたいだけどね。あれは夕方前くらいだったかな。荷台を引いていた小麦商らしい小父さんを、別の小麦商が一方的に追い返したんだよ。認められていないと言うのは、その一方的に追い返した小麦商が言っていたことで、詳しい事は分からないんだけどね。あ、確かその後、その小父さんを慰めてるような小麦商も居たっけ。確か、ジェイムスって言う人だったかな」
そこまで言って、何がどういう事なんだろうなと呟きながら体を伸ばした。ミサキの隣で話を聞いていた行商人も疑問符を浮かべるように軽く首を傾げ、腕を組んで考える。
(これってきっと、クラウス小父さんのことだよね。ん?庇った人?)
実はこの段階で、その追い出された小麦商の正体についてミサキは気付いていた。自分が知る限り、該当者は一人しか居ない。しかし、その庇ったジェイムスと言う人についての情報は初耳だった。
「小麦商の派閥でもあるのかねぇ。縄張り争いとか、そう言うのが。余所者であるはずの私ら行商人には、優しいんだけどね。ここの住人は」
「そこなんだよね。だから逆に、何が悪いか分からないから怖いところなんだよ。下手にそう言う人達の逆鱗にでも触れた日には、出入り禁止にされかねないし。そうなったら致命的だよ」
しかし、考えれば考えるほど、二人とも話が別の方向へと向かっていくようだった。そして当然として、ミサキにも話の流れが向かってきた。
「君は、何か知らないかい?」
ミサキは天井を見上げ、考える振りをする。
「うーん、そうだなぁ。派閥争いもだけれど、単純に、その人と追い出された人の折り合いが悪かったとか。単純に人間関係のこじれ問題もあるよね」
だが、その正体については言及せず、当たらずとも遠からずなことを口にした。
「確かに。それなら、こっちは気が楽なんだけどね。触れたらいけない、入ったらいけない扉が分かり切っているんだから」
そう言って笑った。もう一人の行商人も同じように笑う。きっと二人とも、安易だが、これもまた可能性の高い答えだと思ったことだろう。
ただ、先ほどの自分の言。正確にはこれも間違っていた。実際は派閥争いのような物に人間関係のこじれが混ざった、実に単純で、それでいて複雑な事情だったからだ。だからこそ、敢えて適当にはぐらかす事にしたのだ。人と関わり続ける身として理解は容易だが、それこそ余所者の自分達には関係のないことだ。必要以上の深入りは、お互いのためにならない。
それから少しの間、ミサキはその二人と会話を交わし、他に来ていた宿泊客二人とも交流した。他二人はどうやら、祭りを楽しみに来ている観光客だったらしく、市場に居た時には分からなかった、客側の視点での情報を仕入れることが出来た。時間帯で変わる客層や商店の内容、明日の祭り当日に、何処から何処まで行商として入って良いのか等々、実に有益な情報ばかりだ。予想以上の収穫に懐まで温かくなったミサキは、本来ならばもう少し長く入っているところを、適当なところで切り上げることにした。
「それじゃあ、私はここで。お互い良い商売にしましょう」
「ああ、君も頑張って」
「市場とかであったらよろしく」
ミサキは風呂から上がる前に、最初に話しかけた二人に声を掛けてから脱衣室に戻る。
持って来ていた時計を見ると、大体三十分くらい入っていたようだ。いつもよりも二十分ほど短い。ただ、時間の密度に比して情報は十分過ぎるほど得られたため、損したと言う気分にはならなかった。そして手早く着替えを済ませ、そのまま外へ出る。
帰りに渡り廊下を渡る際に、再び宿の家族達とすれ違った。今度は建材と言うより、布のような物を畳んで持っている様に見える。
「精が出ますねー」
先ほどは挨拶を交わしただけですれ違ったが、今度は余裕があるので、何となく話しかけてみることにした。
「おや、先程の。どうでしたか、お風呂は」
ミサキが話しかけると、先頭を歩くご主人は歩く速度をミサキに合わせてくれ、その上で笑顔を浮かべた。後ろを歩いてきていた弟、妹夫婦もそれに合わせて歩く。
「ええ、とても良いお湯加減でしたよ。ところで、今は何を?」
「ああ、これですか。これはパン職人大会用のテントですよ。審査員の先生方が座る席を別に作るのでね。もし雨が降っても大丈夫なようにしておかないと」
言われてみれば確かに、持っている布は水を弾く事で知られる繊維で作られたもののようで、ミサキが過去に商品として扱ったことがあるものと同じように見える。
「十人ほど来られるそうですが、有名な方も多いんですか?」
「そうですねぇ…。この町の首長と副首長もそうですが、職人ギルドの長が二人、前回の優勝者が審査員として参加しますよ」
「あれ?残りの五人は…」
「あぁ、残りの五人は、一般参加枠なんですよ。外部から来た方や、町の住人から選ばれるんです。どうですか、貴方も審査員に立候補すると言うのは?」
「え?ああ、面白そうではありますが、商売もしたいので遠慮しておきます。それに、味の経験も少ないですからね」
ミサキは苦笑いを浮かべて、顔の前で手をひらひらさせた。パンの細かな判定なんて自分に出来るとは思えず、当日には職人たちが丹精込めて焼いた一級品ばかりが並ぶだろうから、全部美味しいで片付けてしまう可能性が高いことが容易に想像出来た。あと、今回は出場者の事情に一枚噛んでいる為、他の出場者に配慮したいと言う個人的な裏事情もあったが。
「そうですか。それは残念。若い人が審査員になると、夕方の新聞で写真映えするんですけどね」
ご主人は残念そうに苦笑いを浮かべる。しかし、こればかりは仕方がない。
「号外も出すんですか。流石は町を挙げたお祭りですね」
「それはそうですよ。年に一回行われる町一番の職人を決める大会ですから、気合も入ると言うもの。賞品も、小麦畑の一等地が貰えますから」
そこまで聞いて、ミサキは試しにある質問を向けてみる。
「そういえば、今回の大会で有力な優勝候補は誰なんですか?」
これは件の小母さんやクラウスの話を受けてから気になっていたことだった。
町で頂点に立とうと志す職人は多いと思うが、有力な職人或いは店舗と言うものはある程度絞られているはずである。とは言え、参加者でもないミサキ達には関係ないので、観客として気になる情報以上の意味があるようには見えないが、知っておく必要のある情報だった。これは断じて、ただのミーハー根性ではないと付け加えておく。
「優勝候補ですか?そうですねぇ…。町の中心地でお店をしている職人、アムデアさんですかね。前年度優勝者の愛弟子と言う触れ込みなので、期待されてますね」
「ふむふむ…。それは確かに、期待するのも無理ない感じですよね。なるほど…」
「他の参加者も、腕の良い人が多いみたいですから、今年も荒れるんじゃないですかね」
そう言って、ご主人は笑った。しかし、その後に。
「審査員にその師匠が居るのは、少し怪しいものを感じますがね。ははは」
そう続けて、肩を竦めて見せた。
「まあ、確かに…。あまりそう言うのを疑いたくはないですが、ね」
ミサキも苦笑いを浮かべて、同じく肩を竦めて見せた。
そうして、本来の順路から少しだけ遠回りしながら話を続け、後ろの四人とも他愛のない世間話を交わした後、宿の本館へと戻った。
一階では、厨房で宿の女将と従業員の若い女性が朝食の用意をしている様子を見ることができた。その様子から、もう少し時間が掛かりそうだと感じたミサキは、先に部屋で寝ているカイナを起こしに行くため二階に向かい、途中ですれ違った他の宿泊客と挨拶を交わした。顔ぶれは様々で、見たこともない服装の人も居れば、ミサキが元々住んでいた中央街から来ているらしい服装の宿泊客も居た。
(本当色々な所から人が来てるんだねぇ…)
その多彩な人々の往来に感心しつつ、自分の宿泊している部屋へと向かい、寝坊気味の相棒を起こしにかかった。
「ほらぁ!何時までも寝てたら、体が鈍るぞー?」
ミサキは、部屋の隅で猫のように丸くなっているカイナを揺する。念の為に記述しておくが、カイナは一応オオカミの一種である。
「んむむぅ…あと十分ー…」
しかし、寝言のような言葉を口にし、身動ぎこそするものの、起きる気配はない。
「しょうがないな、本当にもう…」
合いも変わらない相棒の様子に溜め息を吐き、ミサキは必殺たる次の一手を打つ。まずリュックの所まで行き、中から昨日焼いてもらったパンを取り出す。次に、横の小物入れから半手動着火装置、中央ではライターと呼ばれている道具を取り出した。
「十分も寝てたら、朝食私が全部食べちゃうぞー?」
そして、カイナの近くでパンの表面を軽く炙るようにライターを使い始めた。数十秒程度続けていると、炙られたことによる香ばしい小麦の匂いが、部屋全体に漂い始める。
「いや!それは困るよ!物凄く!果てしなく!」
カイナは、その匂いに鼻を動かしたかと思うと、これ以上ないと言うくらいに勢い良く飛び起きた。それと同時にミサキはパンを炙るのをやめる。
「効果覿面よね…。はい、お早う。カイナ」
その様子に微笑を浮かべ、さらっと声をかけた。カイナは、顔を上げたときに見えたミサキの悪戯っぽい微笑に全てを悟り、これまた大きな溜息を吐いた。
「また騙されたぁ…。あの美味しいパン炙るとか卑怯でしょー…?」
そして、再びぐったりと床に伸びる。人に例えるならば、脱力してうつ伏せに寝転がった状態とでも言えばいいだろうか。それほどまでにカイナは脱力していた。
「いつも騙される方もどうかと思うけどね。まあ、これですっきり目が覚めたでしょ?」
「そりゃあ、覚めたけどさぁ…。うぅ…自分自身の食い気に勝てないぃ…」
そう言って、寝転がったまま床をごろごろと転がる。
実を言えば、こうなって寝坊しがちなカイナはいつもこの手に騙されており、その度に床をごろごろと転がっていた。今に始まったことではないが、食欲に正直なトーキングウルフならではのこの食い気の強さは、カイナの密やかな悩みでもあった。
「ともかく。今日は市場の調査も兼ねた散歩をするんだから、しっかり起きておかないと。それに市場の飲食店でのご飯もしっかり調査するんだから、健康的に美味しく食べないと」
「それには、まあ、同感かなぁ…」
「そうでしょ?だからほら、ささっと顔を洗う!」
「ふぁーい」
カイナは渋々ながらも起き上がり、洗面所へと向かった。
それから二人は宿屋での朝食を済ませ、早速市場の方へと足を運ぶ。
市場は、朝もまだ早いと言うのに道という道が賑やかで、人通りに溢れていた。活気も熱気も陽気以上に場を暖め、吹き抜ける風と共にその威勢の良い音を辺りに響かせていた。
「うわぁ…朝から凄いねぇ。やっぱりお祭り前だからかな?」
「多分そうだと思うけど…、ボクとしては、歩き難くて困るなぁ。おっと…人を避けるのもいつも以上に大変だしさ」
「それはまあ、そうだけど、我慢だよ我慢。面白いものを提供する前には必ず苦労があるのだよ。売る側も買う側もね。私もその為にここに来てるんだから」
「分かってるよー…。だから早く売り場を決めて、市場見物しようよー」
「焦らないの。こう言うのは巡り合わせが大事なの。それこそ、ぴーんと来るような」
そんな賑やかな街通りを、二人はどうにかこうにか進みながら、祭当日に自分が陣取る予定の場所を探し回っていた。しかし、当然ながら他の行商人や、街の出店関連の人も場所取りに来ているため、中々お目当ての空き場所に巡り合う事が出来ずに居た。
結局、それから一時間ほど歩き回ったものの、これと言った場所が決まらず、市場から少し離れた公園の所まで出たのであった。
「困ったなぁ…。行くとこ行くとこ全部予約済みって」
「みんな必死だろうからねぇ…。選り好みしてたら、そりゃあこうなるよねー」
二人は仕方なく、公園近くの店で購入したホットドッグ片手に、公園中央の噴水前で休んでいた。
「この分だと列から外れちゃうかなぁ。ま、それでも良いけどね」
「えー…外れは勘弁して欲しいなぁ…。何か寂しくなるし」
「それさ、結局人混み好きなの?嫌いなの?」
「んー…昼寝出来るくらいの人混みなら好きかも?」
「中途半端だなぁ…。別に良いけどね。私も似たようなものだし。商売出来るくらいの人混みなら歓迎」
ベンチの背もたれに体重を預けながら、目の前を通り過ぎていく人々を見やる。出店を建てる為の骨組みや、屋根に使う布、何かを焼いたり煮たりする為の器具や薪などなどを運びながら、祭を形作る材料が揃えられていく。その何れもが、街に居る人々の期待と意気込みを表しているようで、一種のオーラとも言うべきものを発していた。
「…それはともかく。どうしよっか。本当に」
言葉とは裏腹に、全く焦りも危機意識の欠片も無さそうな声音でそう口にした。
「それはミサキが考える事であって、ボクは管轄外ですよーっと」
そう言って体を伸ばし、石畳に伏せる。
「それは、そうなんだけどね。たまには協力してくれても、良いんだよ?」
そうしてわざとらしく、今度は営業用の声音でそう言いながら頭を撫でる。
「うっわ、完全に営業のノリだよね…それ。と言っても、商売で協力出来るほどの知能はボクには無いわけで。出来ることと言えば、この行商の看板娘ならぬ、看板狼?」
カイナはそう言った後、やはりわざとらしく可愛い鳴き声をあげてみる。
「そうね、会話の糸口にはなるかもね。間違いなく」
だが、ミサキはその点に一言も発することなく言葉を続け、カイナはつまらなさそうに伏せた。事実として、今まで商売に関してはミサキが一人で手際良くこなし、特に何かが滞ることもなく過ごしてきていたので、今更関わってもどうにもならない事はカイナもミサキ自身も良く知っている。
「でも、どうするの?やっぱりいつもみたいに動いて勝ち取りに行く?」
「そうだねぇ…。そうしようか。一々悩むのも飽きてきたし」
ホットドッグを包んでいた紙を丸めて、近くに設置されている屑入れに捨てる。同時に立ち上がり、ひとつ大きく伸びをした。悩むことを、飽きた、という言葉で表現していい物なのかはともかく、自分にとって時間の浪費にしかならないと判断すれば、思い切って一緒に屑入れに捨てることが出来る切り替えの早さは、彼女の強みであると言えた。
その時だった。
「あれ?君は確か、宿屋で一緒だった…。こんな所でどうしたんだい?」
今し方二人が歩いてきた道の反対側から、つい最近聞き覚えのある声が聞こえてきた。それに釣られて振り向くと、そこには宿屋の浴場で出会った同業者の一人が立っていた。傍には、カイナと同じ大きさの、毛並みの良い猫のような動物が付き従っている。その首には、鷲の意匠を模したエンブレムが付属している首輪を付けていた。
「マシバ、この方ですか?浴場でお会いした方と言うのは」
「そうだよ。あ、隣で寛いでいる狼君の事は知らないけども」
「初めまして、ミサキさん。私はカタリネコのマキワと申します」
隣から一歩前に出て、首を垂れる。振舞いといい、このマキワと言う猫は上品が態度に表れるタイプであるらしい。毛並みが良い代わりに行動が奔放なカイナとは反対の位置に立っていた。
ちなみにカタリネコとは、この国の東方に位置する地域に主に生息している人語を解する動物の一種である。
「これはこれは、ご丁寧に。私はミサキ。この子はトーキングウルフのカイナ」
「よろしくー」
「宜しく、カイナ君」
「宜しくお願いします…」
そして、互いの自己紹介を終えた段階で、本題が引き返してきた。
「それはそれとして、こんなところで何してるんだい?」
「ああ、それは、ちょっと。祭当日の商売で、良い場所が見つからなくて…」
「ああ、そう言うこと。ここは事前の予約組が大体一等地確保しちゃってるからねぇ。飛び込みはきついんだよ。あ、ちょっと待っててくれるかな?マキワもね」
「はい、分かりました」
そう言うと、マシバは近くの飲食店数軒へと足を運び、何やら話を始めた。ついでにその店の食べ物や飲み物も買っていく。
「お待たせしたね」
その数分後、帰ってきたマシバの両手には五軒分ほどの飲食物が抱えられていた。しかもミサキやカイナの分もあるのか、その量は多い。
「これは?」
「欲しい情報を聞くついでに、商品を買う。商売人相手の等価交換と言う奴だよ。さ、食べた食べた。宿の朝食は美味しかったけど、量、少なかっただろう?」
そう言って、手に持っているハンバーガーやサンドイッチ、紅茶などを、それぞれ分け前を配るが如く手渡された。軽く昼食を抜けるほどの量があったが、朝食が少し物足りないと感じていたのは事実なので、有難く頂くことにした。何れも絶品であり、特にカイナは喜び勇んで舌鼓を打っていた。その有様を見て、マキワは呆れていた。
「ところで、何の情報を仕入れたの?これだけ買うと言うことは重要そうな情報みたいだけど」
「んー?空き地の話だよ。商売する場所の。何を隠そう、あたしも飛び入り組でね。場所が無くて困ってたのよ」
「そうだったんだ…。てっきり予約組かと思ってた」
互いにハンバーガーを頬張りながら、談笑に興じる。しかし、商売場所の確保と言う観点で話を進めるのならば、こうして談笑している時間を惜しいと感じることは無いのだろうか。しかし、ミサキならばともかく、マシバの態度からも焦りは微塵も感じられなかった。
「予約する暇も無かったと言うか、話を聞いてからすぐにここに入って、忘れていたと言うべきか。まあ、そんな感じで風の向くまま気の向くままにというわけさ」
「あ、私もそうなんだよね。まあ、こっちの場合は、祭開催の事は完全に初耳だったけど」
どうやら、ミサキとマシバは似た者同士らしい。焦らない理由もそこにありそうだった。ミサキも、いつも風の向くままに行動するが、何故かそれで商売旅が滞ることは不思議と無かった。壁のようなものにぶつかりはするが、結局は、こうして何事も無かったように旅を続けてきている。
「ああ、そうだった。これ食べたら、その場所に行こうか。そこで仕事の話をしよう」
「え?私も?」
唐突な申し出に、ミサキが瞬きをする。それを、さも意外そうな表情を浮かべてマシバは見やる。
「当然じゃないか。互いの商売促進のために場所を確保したんだから。その時の互いの協力をもって、この食事の等価交換とする!」
(あ、そう言うことか…)
マシバの言葉にその意図を察したミサキは、がっついてサンドイッチを食べているカイナと、上品に食べているマキワを見て、笑顔を浮かべた。
「了解、マシバさん。協力するよ」
そして、食事を済ませた四人は、祭会場から少し離れた丘の広場まで向かった。そこは街の市場近くのものとは違い、三本の木を中心に配した緑多い公園になっている。
その一角に、マシバが市場で借りてきた木の机を置き、風呂敷を広げ、近くの木に手製の布の看板をかける。そこには中央共通語で「雑貨販売店」と書かれてあった。ミサキも同じく借りてきた机を並べ、風呂敷を広げ、机の上に円柱型の看板を設置した。そこには同じく中央共通語で「万屋」と彫られていた。
「よーし、これで準備万端っと。そっちも終わったみたいだね」
「終わった終わった。これで安心して本番に臨めるよ。それに、ここは祭の会場がよく見えるし、もしかするとどの一等地よりも良い場所かも知れない。有難う、マシバさん」
「なぁに。祭の時は売るのもだけど、楽しめなきゃ損だろうしね」
「確かに、そうかも知れない」
向こう側に見える軒並みや、噴水広場を見ながら、二人で佇む。行き交う人々の声だけでなく、屋根から立ち上る煙や小麦の香りなど、朝に感じたものとはまた違う空気が、日常の一幕を運びつつ二人を包み込む。
「それに、ここならお昼寝しながらでも商売できるよねぇ…」
「本当にぐーたらしていますね、貴方は。それでよくパートナーが務まるものです…」
「いいんだよぉ…、今までもこうしてきたんだからさ。この場所の空気を楽しもうよ。嵐の前の静けさかもしれないんだし」
ただ、カイナはそのような空気など関係なく、草の上でのんびりと寝転がっていた。
ちょうど喧騒から離れ、昨日と同じく長閑な空気の流れるこの場は、どこか別の場所にいるかのような郷愁にも似た錯覚を抱かせてくる。それでいて、祭と言う大イベントの開催を除いては昨日と何も変わらないと言う摩訶不思議さは、まさに嵐の前の静けさと言う言葉に相応しいと言えた。
ミサキとマシバは、そんな二人の様子を楽しげに見やり、体を伸ばした。
「さてお三方。こうして商売の準備もしたことだし、祭当日までは何もしなくて良いわけだけれど。こうして出会ったのも何かの縁。折角だから街中を回らないかい?」
ストレッチを終えたマシバは、同じく準備体操を終えたマキワの頭を撫でながら、そう提案してきた。
「うん、良いね。賛成。むしろ案内が欲しいと思ってたところだし」
「ようやく普通の散歩になりそうだねぇ。それなら賛成だよ」
「マシバの提案であるなら、断る理由はありませんね」
他三人も、すぐにその話に乗り、そこから数時間ほど四人で街のあちらこちらを純粋に観光として歩き回った。旅の中ではもちろん観光も行うが、常に商売のための配慮を忘れずに行うために、純粋に長時間を、他の人間と一緒に観光として歩き回ると言う行動はミサキにとっては久しぶりのことで、とても楽しむことができた。
ただ一つだけ問題があったとすれば、その純粋な観光散策が楽しくて、今日行う予定について、詰めておかないといけない契約の話を行う時間を、危うく忘れかけていたことだった。
「あ、ごめん。やっておかないといけない事があるんだった。ちょっと待っててくれる?」
「ん?ああ、分かった。ならこちらも、そのうちに用事を終わらせておくかな。お互い済んだら噴水広場で落ち合おう」
「了解。それじゃあ、またあとで」
無論、忘れるようなことは無く、散策の途中でこうして時間を貰い、カイナと共に用事のある場所へと向かった。最初に通った市場の道から狭い路地に入り、その先にある小麦粉取扱いの看板前まで行く。
「ここなの?」
「うん、ここだね。実は朝のお風呂場で、マシバさんやもう一人の行商人から、昨日会ったクラウス小父さんを街の小麦商から庇った人が居たって話を聞いてね」
「それが、このお店の人?」
「そう。マシバさん達の話だとそこまでは分からなかったんだけど、宿屋の人に話を振ったら、親切に場所を教えてくれてね。その人はジェイムスっていう人らしいんだけど、それなりに知名度のある人みたい」
「ふぅん。あ、そうだ。仕事のお話だっけ。それは良いけどお店の人は居るの?約束とかしてないんでしょ?」
「そこは大丈夫。宿屋の人曰く、特定の時間は必ずお店に居るそうだよ。今なら間違いなく店に顔を出しているらしいから、確実。それじゃ、私はちょっとお話してくるから、カイナはここで待ってて」
それだけ言うと、ミサキはさっさと店の中に入って行ってしまった。扉を開けたときの少し重くも涼やかなベルの音が、他に人の居ない路地に響きながら、表通りの喧騒へと溶けて行く。カイナは、近くに立ててある樽の所まで行き、そこに居た犬に話しかけようとすると、逃げられてしまった。
「ちぇっ、そんなに怖がらなくても良いじゃないかー。ま、仕方ないか。ボクは大きいしね」
仕方なく、ひんやりと気持ちのいい石畳の上に伏せて、店の窓から聞こえる中の声に耳を傾けることにしたのだった。
中ではミサキと、何やら渋めの男声の持ち主が話し合っているようで、和やかな雰囲気の会話が続いている。時たま、クラウスについての話や、ミサキの商品についての話、この街についての話など、わずか三十分弱ほどの時間で、話が何度も切り替わって行く。しかし、二転三転する中でもしっかりと商売の話を絡めて行い、軸自体はぶれる事がない。商人という人種は、話術にも巧みであるべしとはよく聞く話であるが、目と鼻の先で会話を交わしている二人は、間違いなくその言葉の体現者だと、この時のカイナは自信を持って言えた。ただ、その二人の会話の中に気になる単語も散見された。
(独占と、連携販売の拡大?何の話してるんだろう…)
全部の会話が聞こえたわけではないので、その全容を把握できたわけではないが、どうにも商人特有と言うか、そのような不穏さを感じさせるものなのは確かだった。
そして数分後。特に何事もなく話を終えたミサキが店の中から出てきた。その手には、小麦粉の袋を握っている。どうやら中で買ったものらしい。
「お待たせ。良い子で待ってたかな?」
「子ども扱いは禁止。それより、中で何話してたのさ。たまに不穏な単語が聞こえてきたような気がするんだけど」
「何って、商売の話だけど。その不穏な単語っていうのが、独占とか連携販売について言ってるんだったら、それはそれ以上でも以下でもないとしか言えないかな」
そう言って、意味有りげな微笑を浮かべる。こういう時のミサキは、大概何かを企んでいる時だった。
「ふぅん。まあ、良いけどさ。犯罪とかでもない限りは何でも御座れ。だってその方が面白いし…だっけ?」
路地を市場へと向けて歩きながら、カイナはミサキの真似をするように、どこかわざとらしく言葉を口にした。
「それが私のモットーだから。じゃないと詰まらないし。それと…」
「何?」
「声真似、下手くそだねぇ。相変わらず」
「……ほっといて、分かってるから」
市場に出る直前に、二人で笑いあった。
それから、用事を終えたマシバ達と合流し、再び街の散策を始めた。
そうして街を歩き回って初めて知ったこととして、意外な街の広さがあった。農耕地区の広さもそうだが、土地の耕作開墾を担当する人々が住む住宅街や職人街、そしてそれを統括する人間の行政の場を含めると、街全体がどうしても広くならざるを得ないのだろう。
しかし、予想より広かった街の散策とはいえ、全てを終えた後の開放された気分で観光したおかげか、疲れは殆ど感じることはなかった。結局そのまま、夕方近くまで四人で散策を続けた。
その後、すっかり祭の為の設備設営が終わった噴水前広場で解散し、ミサキ達は陸に設けた商売場所に赴き、そこから綺麗に見える夕焼けに染まる街並みを眺めていた。
「いやぁ、今日は楽しかったね」
「いや、まあ、確かに楽しかったけどさ。あのマキワって猫だけはどうにかならなったかなぁ…。真面目過ぎるよ」
カイナは、最初にここに訪れた時と同じように寝転がり、ぶつくさと文句を述べた。
「…そうかも知れないね。のんびりしてるのがカイナだもの。今更変えられないしねぇ」
そう言いつつ、ミサキは、あやすようにカイナの体を撫でる。
「それにしても……街はもう祭一色だねぇ」
「そうだね。みんな気合入ってたし、きっと賑やかになると思う。ま、私たちはお仕事だから、楽しむのは二の次だけどね!」
「しょうがないよねぇ…。あ、でも出店の食べ物は食べたいね。そこは譲れない!」
「はいはい。私も食べるつもりだし、それくらいは融通するよ」
「わーい!ミサキ大好き!」
そう言ってカイナは体を撫でていた手を押し退けて体にじゃれ付き始めた。
「はいはい、分かった分かった」
そんな現金な相方と戯れつつ、暮れていく一日の残りを楽しむのだった。
長らくお待たせしてしまいました。小麦の街の感謝祭 中編 如何でしたでしょうか。お楽しみ頂ければ幸いで御座います。
もう少しだけ続きますので、今しばらく、お付き合い下さいませ…。