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ミサキ行商旅行記  作者: ラウンド
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小麦の街の感謝祭 前編

人助けをしたことがあるかって?無いかな。私は商売人だから。

その結果人が笑顔になったり、幸せになってるだけだよ。だから人助けとは違うと思ってるんだけど。

 とある町の中を、一人の若い人間と、中型犬ほどの大きさの、毛並みの良い獣が一匹、一緒に歩いていた。人間のほうは、身形を見る限りでは年齢は十代半ば、可愛らしい顔をしている。背中には計算機のような物を提げたあまり厚くないリュックを背負っており、腰には短刀を一振り帯びている。獣のほうは、狼と狐を足したような、そんな容姿をしていた。

 町の住人は、その二人を興味深そうに眺め、すれ違う人が皆挨拶をしたり、歓迎の言葉をかけたりしていた。

「ねえ、ミサキ。ここは皆爽やかで良いね。気持ちが良いよ」

 獣は、道行く人々を眺め、道に敷き詰められている石畳を叩きつつ感想を述べた。ミサキと呼ばれた人間は大きく伸びをし、体一杯に空気を吸い込む。小麦畑の中を流れる穀類の香りが、胸がすく様で実に心地よかった。

「うん。まるで、この風みたいだね。この分なら今日の商売も捗りそうだ」

「そうだと良いね。ここなら良いパンも買えるし、しばらくは朝食に困らないね」

 二人は、町を歩きながら軒並みを見て回る。煉瓦造りの家もあれば、木造の家もあり、大通りの赤と白の石敷きと並んで、実に調和した風景を作り出していると、ミサキは思った。今は何故か、祭り前のような飾り付けを各家で行っているようだが、それもまた町並みの雰囲気と合っており、趣深い。

 今まで見てきた中にもこう言う景色はあったが、ここまで澄み渡った調和を実感として抱いたのはこれが初めてだった。自分で決めた商売の期日を引き伸ばして、しばらくここに滞在していたくなるほどに、その体験はミサキの印象に残った。

「行商人さん、行商人さん。ちょいと」

 そんな時だった。通りを行く小母さんが声を掛けて来たのは。

「何でしょうか」

「ちょいと、行商人さんに頼みたいことがあってね」

 小母さんは、辺りの人目を気にするように小声で話しかける。そして、そのまま近くの民家へとミサキ達を招いた。

「ふぅ。これでゆっくり話が出来るよ」

 小母さんは二人に紅茶とミルクを注いで出し、特産の小麦で焼いたパンで出迎えた。

「やっぱり美味しいね、ここのパン」

 カイナは、供されたパンを器用に前足で掴み、齧る。そして、焼きたてパンの香りを存分に堪能しながら、それを飲み込んだ。

「そうだね。後で何個か買っちゃおうか」

 同じくパンを堪能しながら、カイナの頭を撫でる。

「気に入ってくれて嬉しいわ。欲しいなら、後で何個か分けてあげるよ」

「本当ですか?是非是非」

 小母さんは、二人の満足そうな表情を見て和やかに笑ったが、すぐに表情を曇らせた。

「楽しげなところ悪いんだけどね。本題に、入って良いかい?」

「ええ、良いですよ。…ところで、周りを憚る必要があるような、お話で?」

「聞かれちゃまずいことでもあるの?小母さん」

 ミサキとカイナは、食べかけのパンを皿の上に置き、話を聞く態勢を取る。ミサキはリュックからメモ帳を取り出し、いつでも書き込めるようにする。

「いやぁ、別に、犯罪に手を染めようとか、そういう感じの後ろめたいことでは無いんだけどね」

 そう前置きしてから、小母さんは話を始めた。

 それによると、この町では二日後に今年の収穫を祝うお祭りが執り行われるそうなのだが、その時に、同時に町一番のパン職人を決める大会が開催されると言うことで、町で開業している全てのパン屋はもちろん、腕に自信のある町の住人も参加する事になっているそうである。

「そして、その大会で町一番のパン職人になれたなら、この町でも有数の小麦畑を貰うことが出来るんだよ」

「小母さんは、町一番の職人になって、パン屋でも開くの?」

「いいや。あたしは別に、商売がしたいわけじゃないんだ。どちらかと言うと、その小麦畑が欲しいんだよ」

 そう言うと小母さんは立ち上がり、暖炉の上にある写真立てを手に取る。そこには、一人の若い男性と一人の若い女性が写っている。そして、その女性は何処と無く小母さんに似ていた。

「その理由、聞いても良いですか?」

 何となく興味をそそられたミサキは、紅茶を一口飲んでから、椅子に座りなおした。

「そこを話さないとねぇ。実は、その土地はさ。この写真に写ってる男……まあ、私の夫なんだけどね。元々この人の土地だったのさ。それが…夫が事故で急死してから接収されてね」

「ふむぅ…複雑なところですね。権利とか、無かったんですか?引継ぎとか」

「この町だと、それは出来ない決まりになっていてねぇ。生前にそう言伝が無い限りは、町の所有物に戻るのさ」

 そう言いながら、何とも言えない複雑な笑みを浮かべている。

「何とも味気ない悲しい話だね。合理的だとは思うけど」

 カイナは、あまり興味なさそうに前足で遊んでいる。そもそもこう言った込み入った話には首を突っ込みたくないのだ。

(町の空気は爽やかでも、人の心の中まで澄み渡っているとは限らない、か)

 一方ミサキはメモを取りつつ、話の骨子を纏めている。

「つまり、小母さんはその土地を取り戻したいという事ですよね?取り戻して、どうするんですか?」

 ミサキはそこが疑問だった。この小母さんが、その畑で取れた小麦でパンを焼いて夫の功績を知らしめたいわけでも、なんとしても思い出の土地を取り戻したいという風でもないからだ。

「うん?ああ、行商的には理解が難しいかもしれないけどね。あたしは、そこの小麦でパンを焼き、ただ、それを夫の墓に供えたいだけなのさ」

 ミサキは、小母さんの言葉を一つずつ頭の中で考える。それでも疑問は残った。

「事情は分かりました。でも、私に出来ることは無さそうなんですが。出来るとすれば、良い粉の選別とかくらいですよ?」

「それだよ!それをお願いしたいのさ」

「え?」

 意外だった。パン焼き職人としての経験は小母さんの方が間違いなく上で、それに関する知識も上だとばかり思っていた。しかし、話を聞く限り、自分で小麦粉の選別を行ったことは少ししか無いのだという。

この町では、小麦粉自体は共同で作られた物を市場で購入するか、自分の畑で採れた物しか使えない決まりのため、そもそもそれ以外の選別作業が行えないのだという。つまり、良い小麦粉を仕入れられる人間は限られ、より品質の高いパンを作る事が出来る職人は限られていると言うわけだ。

「なるほど…。所謂ひとつの不平等があるわけだ。そりゃあ、いい素材を使って腕の良い職人が作れば、いい物が出来るのは当然だよね。しかもそれを独占できる可能性があるなら尚更勝ち目がないよ」

「それなら確かに、私でも役に立てそうですね」

 ミサキが肯定的な意見を出したことに、小母さんが微笑を浮かべる。希望が見えたといった感じだ。ただ、ミサキの表情は和らがない。それは、彼女が商売人としての姿勢を崩していない証拠だ。

「協力することには、やぶさかではないですが。条件があります」

(あ、始まった)

「ああ…。そうだよねぇ。旅人さんは行商人だもの。タダで、と言うのは虫が良すぎる話よね。お金はあまり持っていないんだけど、出せる限りは…」

「あぁ、いえ。別に多額の依頼料を取ろうと言うつもりではないですよ?」

 そこでミサキは、小母さんの言葉を遮る。そして、お金の代わりとして、ある条件を提示した。その条件に小母さんは目を瞬かせ、カイナは笑った。

「そんなことで良いのかい?それじゃ、あんまりお金にならないんじゃ…」

「何もお金を取ることだけが、商売じゃないですよ。色々と、あるんです。ともあれ、これで契約成立ですね」

 ミサキはそう言って悪戯っぽく笑い、書いたメモ帳を閉じ、万年筆をしまう。その後リュックを確認し、立ち上がった。

「ところで、何人分の小麦粉を手に入れましょうか。それによって、難しさが変わるんですが」

「そうだねぇ…。審査員分だから、十人分くらいかねぇ」

「分かりました。では、後は私たちに任せて、小母さんは当日、しっかりとパンを焼けるよう備えていてください。さ、行くよ。カイナ」

 それだけ言うと、ミサキはその場を後にした。そして外に出た後、まっすぐに市場の方へと足を向ける。その顔は、これから待つ出来事への期待で、輝いていた。

 優れた技術を持つ職人が作り出す、純粋な思いを乗せた渾身の逸品。それが生まれる瞬間をこの目で見ることが出来るかも知れないと言うだけでなく、自分がその一翼を担うのだから、商人としては栄誉と言って差し支えなかった。

「ミサキ、楽しそうだね…」

 横をついていくカイナが、少しだけ呆れ気味に見上げている。それなりの月日を共に旅しているはずだが、未だミサキの商売人としての性向が掴み切れていない。だからこそ面白いのだと言う向きもあるだろうが、それに付き合う側からすれば厄介な話でもあった。

「それは、もうね。こんな機会、あんまりお目にかかれるものじゃないからね。しかも私の商売で運命が決まるって言うんだから、盛り上がらないほうがおかしいって」

 ミサキは心底楽しそうに語って見せ、軽やかな足取りで進んでいく。

「あ、そう…。ボクが理解するにはちょっと人生経験……いや、獣生経験が足りないかも」

「あと行商人生経験もね。ま、ともかく。この商談、絶対に成功させてやるぞ!」

 そうやって意気込みながら、市場の入り口を潜って行き、二人は人混みの中へと溶け込んでいった。

 しばらく歩いただろうか。情報収集は足だと言わんばかりに、自分が露天を出した辺りから聞き込みを始め、その時に店を訪れていた客や、近くで商売をしていた同業者、そして近くに店を構えていたパン屋にも聞き込みの範囲を広げてみたが、これと言った情報は掴めなかった。

次に、小麦粉を取り扱う商店に足を運び、聞き込みと試食を行って回る。何れの店も独自の小麦畑を所有しており、そこに行き着くまでに、その美しい風景をゆっくりと眺めることができた。しかし、苦労の甲斐なく、何処の商店も既に契約を交わしているか、そもそも大会に出せる小麦がないと言う解答ばかりで、これまた何も収穫を得られず仕舞いであった。

「ふぅ…なかなか、難しいねぇ」

「ちょっと、疲れたよ…」

 ここまで歩き通しで、少し歩き疲れたミサキ達は、小麦畑が見渡せる高台の公園で休憩を取っていた。手には先ほど回っていた店で購入したサンドイッチを持っている。それを頬張りながら、二人は眼下に広がる広大な穀倉地帯を眺めた。二人の疲労をよそに、ゆらゆらと風に揺れるそれらの姿は、実に心地よい音を立てながら二人を癒す。

「市場とかの活気と、この光景の対比ってさ。何か不思議だよね、カイナ」

「そうかな?」

 小麦畑と横に位置する市場を交互に眺めながら、唐突にミサキが笑う。カイナにはその意図が分からず、首を傾げてしまう。

「うん。どちらも人が作り出してる光景なのに、目的が変わるだけでこうも印象も雰囲気も変わるなんて、不思議だよ」

「あぁ、言われてみれば確かに。それにしても唐突だね」

「仕事が進まない時には、別の事が解決の糸口になったりするからね。こうして足を止めるのも仕事さ」

 ミサキの言葉にカイナは笑い始める。

「それ、サボってる時の言い訳に聞こえるんだけど?」

「物は考えようだよ、カイナ。闇雲に突っ込むだけじゃ、いいものは手に入らないことも…ある…か、ら?」

 すると、自然な流れで小麦畑の一角に視線を流したミサキは、唐突に言葉を詰まらせてしまった。カイナがその視線を辿ると、畦道を一人の初老の男性が歩いているのが見えた。男性は、何やら穀物の入った同じ色の袋を、いくつも荷車に載せて運んでいる最中だった。

「ミサキ、あの小父さん…。持ってるよね?」

「うん…小麦粉だと思う。でも袋は見たことの無い柄だし、それに、私が回っていた時にあの小父さんは居なかった」

 そう言いつつ、すっと立ち上がる。先ほどまで蓄積されていた疲労感は、もうとっくに吹き飛んでしまっていた。それだけの衝撃が走ったのだ。

「行ってみよう、カイナ。これはもしかするかも知れないっ!」

 そして、次の瞬間には、その衝撃に背中を押されたように駆け出していた。

「あ、ちょっと!待ってよ、ミサキぃ!」

 カイナは途中まで食べていたサンドイッチを強引に飲み込み、異様に速く走るミサキに置いて行かれないよう、出来る限りの速度でその後ろをついて行った。

 そこから小父さんの居る所に着くまでは十分と掛からなかった。その男性は町外れの小さな一軒家に住み、そこで小麦粉畑の世話をしているようだった。ミサキは、早速お爺さんの荷物運びを手伝い、そのあと話を聞くことにした。

「有難う、旅人さん。年を食ったとは認めたくないけど、この荷物はきつくてね」

 荷台を納屋に運び込んだお爺さんは、実に柔和な笑みを浮かべ、ミサキ達を歓迎してくれた。その後、二人を家の中に案内する。

「もう妻も亡くなり、大した持て成しも出来ませんが。どうか、ごゆっくり」

 そう言って、お茶を淹れに向かう。

「あぁ、小父さん。貴方は、ずっとここで小麦栽培をされているんですか?」

「ああ、そうですよ。もう、十年になりますか。とは言っても、納得出来る形になってきたのはここ最近のことですが…。いや、お恥ずかしい」

 小父さんは、少し恥ずかしそうにパンケーキと紅茶を提供してくれた。その二つの良い香りが部屋中に広がり、空気に溶けていく。

 ミサキとカイナは、試しに一口、パンケーキを食べてみる。

「美味しい…。これ、美味しいですよ!小父さん」

「本当だ。さっきサンドイッチ食べたばかりなのに、どんどん食べられるよ」

 ミサキにとって、心揺さぶられる味だった。単純な、素朴なパンケーキでしかなかったそれは、飾りつけも何も施していないはずなのに、様々な味のようなものを感じた。正確には味覚に訴えるものではなく、感覚に訴える匂いと言った方が正しかったが。

そして、その匂いの雰囲気は、先ほど高台で見た穀倉地帯の景色を連想させ、とある予想をミサキに抱かせた。

「ここまで喜ばれたのは、本当に久しぶりです。特に若い人に喜ばれたことなど、それこそ、ここ数年聞いていませんでしたよ」

 二人の幸せそうな顔を見て、小父さんは満足そうにゆっくりと頷いた。出来ればその表情も、パンケーキもゆっくりと味わいたかったが、そうも言っていられない。ミサキは、早速本題に入ることにした。

「ところで」

「ん?なんですか?」

「先程、高台から見ていたんですけど、荷台に大量の袋を載せていましたね。あれ、売り物の小麦粉ですか?」

 小父さんは一瞬、何かを考えたようだったが、すぐに顔を上げ、そうだと答えた。しかし、窓の外に見える納屋を見ながら苦笑いを浮かべる。

「しかし、中々売れないので、赤字続きですよ。ははは…」

「そこですよ。さっき頂いたパンケーキ、本当に美味しかったんですよ。あれ、小父さんの小麦粉を使って作ったんですよね?」

「そうですよ。やはり自分で作ったものを使うのが一番使いやすいですからね」

 良い笑顔で笑う小父さんの顔を見ながら、ミサキは真剣な表情で本題を切り出すことにした。先程から感じる胸のざわめきが気になって仕方なかったのだ。

「唐突で申し訳ないんですが、使っている小麦粉、見せて頂いても良いでしょうか?」

「小麦粉を?ええ、良いですよ」

 そう言って、早速台所から小麦粉を入れている容器を持ってくる。中には、良い色でさらりとした小麦粉が大量に詰まっていた。粉を少しだけ手に取り、舐めてみる。

 その瞬間にミサキは、自分の予感が確信へと変化するのを確かに感じた。

「何故、売れなかったんですか?この小麦粉。こんなにいい物なのに…」

 容器を返却しながら疑問を投げかけてみる。良い物であるにもかかわらず何故か売れないという矛盾は、商売をしていれば少なからずぶつかる問題ではあるが、頭では理解は出来ても納得できるものでもなかった。

「単純な話ですよ。私が、他所から来た入り婿だからです。しかも、私の妻はこの町の有力者の娘さんだったんです。知り合ったのは私の故郷で、ですけどね」

「ふぅん。大恋愛だったの?」

「それはもう。未だに出会いから覚えていますよ。恥ずかしながら、アルバムを見るたびに当時の出来事を思い出してにやけてしまうくらいで…ははは。妻は積極的な人でしてね。押し切られる形で…」

「小父さん、顔真っ赤だよ。可愛いなぁ」

 カイナの不躾な質問に、小父さんは先程までの暗い表情はどこへやら、照れ笑いを浮かべ、髪が白くなり始めている頭を掻きながら思い出話を始めた。その表情はとても晴れやかで、心の底から妻を愛していたことがうかがえた。

 一方、ミサキは対照的に苦笑いを浮かべていた。さっきの話を聞いて大体の事情が分かったからである。

 要するに、人間関係の縺れから、この男性は大っぴらに商売できないのだ。余所者だけを除け者にするようなやり方ではなく、事情から特定の個人のみを弾き出すと言うのは、別段珍しいことではない。そして、有力者との結び付きは、それがどのような経緯のものであれ、商売人にとって有利に働くこともあれば、こう言う具合に障害になることもある諸刃の剣なのである。

「そういう事だったんですね。なるほど、大よその事情は分かりました。どうでしょう、一つ提案なのですが、この小麦粉を私が買っても良いでしょうか?」

「え?」

「これが、ここで誰にも知られずに居るのは、勿体無いと思うんです。人間関係の柵がそう簡単に解けない事も承知していますが、これではあまりにも勿体無い。それに、貴方が苦しんでいては、近くで見守っておられる奥様も悲しむと思うんです」

「……」

 敢えてパン職人大会の話は出さずに感情面の話に持っていったが、重い沈黙が辺りを包み、気まずい雰囲気になってしまったかと思われ、ミサキはしまったと感じたが、意外にも小父さんはすぐに顔を上げ、笑った。

「分かりました。こんな小麦でよろしければ。しかし、大丈夫なんですか?商売の方は」

「心配無用だよ、小父さん。ミサキは、結構やり手の行商人だから!」

 小父さんの少し不安の色を感じている声に、カイナが割り込むように話し始める。重い空気がどうにも苦手なカイナらしい反応の切り替えだった。

「そこは大丈夫です。あ、すっかり自己紹介が遅れました。私はミサキ、さっきこの子、カイナの言うように、行商人として、もう数年ほど旅をしています。やり手かどうかは、自信はないですけど」

「カイナだよ。宜しく小父さん!」

「なるほど、そうだったんですね。こちらこそ失礼しました。そして宜しくお願いします。ミサキさん、カイナ君。私は、クラウスと申します」

 二人の自己紹介を聞いた後、小父さん‐クラウスは深々と一礼した。元々から礼儀正しい性分らしい。

「はい、クラウスさん。そして早速ですけど、小麦粉保管場所に案内して頂いても?」

「ええ、行きましょうか」

 二人同時に立ち上がり、そのまま外へと向かった。

「カイナは、ちょっと待っていてね」

「ほーい」

 どの道このままついて行っても、納屋に入った瞬間に粉を吸い込んでくしゃみが止まらなくなるのが目に見えていたので、カイナは言葉に従ってのんびりとその場に伏せた。

 そして、クラウスの案内で小麦粉保管場所に案内してもらい、何袋残っているのかを確かめる。その上で、この町での小麦粉の相場をメモ帳で確認し、頼まれた分よりも少し多めの小麦粉を購入する。さらに自分の商売用として追加で何袋かを購入した。

「有難う御座います。他の町でも、きっと人気が出るでしょう」

「いえいえ、こちらこそ有難う御座います。まさか売れる日が来るなんて」

「むしろこれが売れない、世の人に知られない事の方が損失ですよ。良い物をしっかりと作れる人は報われてしかるべきですから。そう言う意味でも、クラウスさんは報われて欲しいと、私は思います」

 クラウスの感動した表情を見つめ、ミサキは微笑む。

 各地を渡り歩きながら商売を繰り返す彼女は、そう言うものは広めたいという欲求を常に持つようにしており、そのチャンスがあればこれを見逃さない。例え、良い物を作っても売れない事があると言う矛盾が世の中にあるとしても、その地点での妥協はしないのが彼女の流儀だ。

「…有難う御座います。私としては、もう貴方のその言葉だけで十分に報われた気がしますよ」

 微笑む彼女に向けて、クラウスも同じように微笑んで見せた。

 そして諸々の作業や代金の支払いを終えたミサキは、クラウスと共に家の方に戻り、依頼人の所へと戻る支度をし始める。購入した小麦粉の袋をリュックに入れ、ほかの荷物を整理していく。善は急げ、行商は拙速を尊ぶのである。

「おや、もう行かれるんですか?」

 その様子を見ていたクラウスが話しかける。ミサキは作業を続けつつ答える。

「ええ。仕事で少しやりたい事があるので、今から市場の方へ向かおうと思っているんですよ」

「ああ、なるほど…行商ですか。良い巡り合わせがあることを祈っていますよ」

「いえいえ、もう小父さんとの出会いが十分に良い巡り会わせですから、今回の仕事はきっと上手くいくと言う確信がありますよ」

 ミサキは顔を上げ、にっこりと笑ってみせる。

「……」

 そう言って笑うミサキを見て、クラウスもまた微笑した。

「よっと。では、色々とお騒がせしました」

「いえいえ、こう言う賑やかさは歓迎ですよ。また、是非いらして下さい」

「小父さん、またねー。病気とかしないように気をつけてー」

「ええ。カイナ君もお元気で」

 そうこうと支度を終えたミサキは、カイナと共にクラウスの家を後にする。先ほど歩いてきた道を戻りながら、クラウスと話した事や、紅茶の味、パンケーキの味などを思い出していた。

「これで依頼は半分くらい終わったね、ミサキ」

 隣で、同じくパンケーキの味を思い出していたカイナが、ミサキを見上げて話しかける。

「ん、そうだね。まあ、まずはこれを届けないと。その後は、小母さん次第かな」

「職人勝負だもんねー。そう言えばミサキは、お祭りは見に行くの?」

「ん?見に行かないよ」

「何でー?面白い催し物とかあるかも知れないのにー」

 ミサキの迷いない言葉に、カイナが首を傾げる。目の前で面白そうなイベントがあるというのに、それに参加しないというのは、美味しそうな肉が目の前にちらついているのにお預けを食らっているようなものだ。

「忘れてない?私たちの目的はあくまで行商。観光も目的だけど、商売人にとってお祭りは書き入れ時。これを逃す手はないわよ」

 そう言って笑う。ミサキにとっては楽しく時間を過ごす事も大事ではあるのだが、まずは主目的の達成が優先事項であった。稼げるときに稼がなければ、次の稼ぎ時までに身がもたなくなる。

「そういうもんかー」

「そういうもんよ。さ、その時にすっきり商売をするために、まずは小麦粉を届けないと」

 丘を登りつつ、向こう側に見えてきた小母さんの家を見ながら力強く歩いた。

 家の前まで行くと、ドアに付けてあるドアベルを鳴らし、中へと入る。

「小母さん、小麦粉を仕入れてきましたよ。どうぞ」

 早速リビングへ向かったミサキは、リュックから小麦粉の袋を取り出し、並べる。

「もう手に入ったのかい?ふぅむ、流石は行商人だねぇ!」

 そう言いながら、小母さんは小麦粉を少しだけ手に取り、舐める。

「…どうでしょう?私なりに吟味してきましたが」

「うぅん…これは良いねぇ。こいつなら間違いなく良い物が焼けるよ。それにしても、この小麦粉は初めての感触だ。世の中には、素人のあたしが、少し触っただけでも良いって分かる小麦粉を作る人がいるんだねぇ」

 小母さんは、そう言いながらミサキを見る。

「そうですよね。私もこれと出会った時に同じことを思いましたよ。これは買うしかないと思いまして」

「まあ、と言っても。後はあたし次第なんだよねぇ。ここまで用意してもらったんだ、絶対に勝たないとね」

 小母さんは袖を捲り、ミサキ達に力強くガッツポーズを取ってみせる。その姿に、ミサキは母親特有の、人間性や包容力の大きさを垣間見た気がした。

「はい!当日は仕事の関係で、応援に行くことは出来ませんが、頑張って下さいね!」

 ミサキもまた、ガッツポーズで返し、にっこりと笑って返した。

「小母さん、頑張って優勝してね!ボクも応援してるからさ」

「ああ、任せときな!」

 小母さんはそう言いつつ、早速小麦粉を釜のところへと持っていった。

 それから再び、パン焼き作業に戻ったのを見届けた辺りで、ミサキ達は家を後にして宿へと戻った。

「小母さん、勝てるかな?」

「それはもう、当日のお楽しみでしょ?ふふ…」

「そっか、それもそうだねー。でも明後日かー」

「どうせすぐに当日になるよ。気が付いたらね」

 部屋に戻ったミサキ達は疲れを癒すため、二人一緒にゆっくりとお風呂に入りつつ、そんなことを話しながらその日一日を締めくくった。


ミサキ行商旅行記の続き、如何だったでしょうか。こう言うのんびりとしたファンタジーもたまには良いのではないでしょうか。

これはまだ前編のため、そのうち後編或いは中編を出そうと思います。


それでは、ここまでの閲覧、お疲れ様でした

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