一日目の夜
姫君と海の大陸はドラクエみたいなやつって考えてください。
徹はテツとも読みますがとおるとも読みますね。
ムカつく奴を戦闘不能にしたところで、改めてデパートに出発!
かと思いきや、「そろそろ日も暮れるし、今から行くのはやっぱりやめよう」なんて徹君が言い出した。
「ええー。なんで日が暮れたら行っちゃいけないの?」
「デパートは九時に閉店する…店に入れなくなる。夜になったら、人間は体と脳を休ませる為に寝るんだ」
「うっそ…」
私なんて何日寝てないか忘れる位に旅を続けてた事だってあるのに。
「人が休むのはHPとMPを回復させる為だけだと思ってた」
「まあ、それと似たようなものだけどね。体力とHPの違いは…多分、普通にしてても減るか減らないかって所じゃないかな」
通常の状態でも減るのが体力。モンスターと戦闘した時だけ減るのがHP。前者は
回復薬では回復しないが、後者は可能。
また新しい違いを見つけた。
「毎日寝なきゃいけないって不便ね」
「そうでもないよ。慣れれば」
今の時間は八時前。何時の間にかこんなに時間が経ってたんだ。昼間はあんなに多かった車や人も、今は相当減って来ている。随分前に、道路や地面を照らす為の電球も点いた(日本人は私ほど夜目が効かないそうだ)。
徹君の後ろを、元の世界でトールについて行ってた様に歩く。
横を向きながら徹君が私に話しかける。
「アンナは疲れたりする?」
「普通にするよ。戦闘不能、HPが0になった時とか、ステータスに毒がついた時とか。多分、痛みの代わりに」
「…本当にゲームの世界はご都合主義だね」
「痛いってどんな感覚なの?」
「自分で感じないと分からないと思うよ。百聞は一感に如かず、なんてね」
「?ひゃくぶん?」
「なんでもないよ」
徹君がふいと前を向いた。なんでもないって本人が言ってるなら良いか。特に気になるものでも無いし。
昼間のやたら明るい街も好きだったけど、太陽が隠れた代わりにいろんな色で彩られた景色も新鮮でいい。同じ光って言っても、窓からもれるのはオレンジや白、微妙に青、クルマの顔にあたる(前面がどう見ても人の顔そっくり)部分から発せられる光は黄色や赤なんてのもある。
夜であることを疑うくらいに周りが光で溢れている。
「ライトかあ。赤い光は炎をイメージして作ったのかな」
「多分違うんじゃないかな」
暫くその景色を眺めつつ徹君の後ろをついて行くと、不意に彼が立ち止まった。私もそれに倣う。
「此処が僕の家だよ」
その視線の先を追うと、一つの直方体の建物が佇んでいた。壁に廊下が取り付けられていて、その奥にドアが等間隔に並んでいる。全体的に汚れている。壁が剥がれていたり、落書きされてたり。周りの建物と比べてみるとこっちの方が古いイメージがある。
「アパートだよ」
「アパート。大きいのね」
「いや、これ全体が僕の家じゃないよ。この中の部屋一つ分だけ借りてるんだ」
「へえー」
脇にある階段を使って二階に登り、一番奥のドアを開ける。壁に四角い枠みたいなのが張り付いていて、「川原」って書いてあった。読めない。
ドアにも四角いのがついていた。「206」なんでにひゃくろく?
徹君に続いて中へ。
普通に他人の家にお邪魔しちゃってるけど、私の世界ではトールなんか挨拶もなしにずかずか入り込んじゃってるからね。それで名前も知らない様な人の家を勝手に漁ってアイテムを見つけて貰って行ったりするし。壺割ったりもするし。…今考えたら、主人公完全に盗賊じゃん!
閑話休題。徹君が壁に取り付けてあった変な形をした突起を押すと、「パチッ」電気が付いた。
「魔法みたい!」
日本人は魔法が使えないって言ってるけど、本当はみんな魔法使いなんじゃないの?
中に入ってみると、三歩で行き止まりになる廊下の奥に部屋があった。廊下にも幾つか扉があったけど、真っ先に目が行ったのが奥の部屋だった。
天井に丸い電球。空間を照らしてるのは照らしてるんだけど、今にもきれそうなんじゃないかって位弱々しい。緑色の床に薄くて汚れた絨毯。壁に棚。部屋の真ん中に低くて丸い台。あとちっちゃいキッチン。
私が見て分かったのはそれだけだ。って言っても、それ以外はほとんど何も無かったけど。
「ダイニング兼台所」
徹君が低い台(ちゃぶ台って言うらしい)のそばに、持ってた黒くて平べったい鞄を置いてから説明した。私もその近くに被ってた帽子を置いた。ちょっと暑かったから。
「何か…狭いけど広いね」
タダで泊まらせてもらう身分で、他人の家に文句を言う気はないけど。私が住んでた家と比べたら大きさ自体はこっちの方が狭いんだけど、家具がほとんど置かれてないから広く感じる。全体的に淋しいんだよね。
「赤の他人の私に服を買ってくれるだけの金銭的余裕があるのかと思いきや、正直言って貧乏そうな家だよね」
「本人の前で言わないで欲しいな…。服の件は、ちょっと気分が上がって勢いで買っちゃっただけだよ」
勢いで買ったって言えるくらいだから、3990円はそんなに高くないらしい。
「いや、今考えたら僕が一ヶ月断食しなきゃいけないくらいに高かった」
徹君は相変わらずの無表情だった。
他の部屋も案内してくれた。
「此処は寝室。詰めれば二人分の布団も敷けるかな」
「ベッドはないの?」
「残念ながらね」
「私、枕が変わると寝られないタイプなの」
「え。じゃあ旅の時はどうしてるの?」
「嘘よ」
「……」
あ、無視された。
「此処がトイレ」
「知ってるわ。用を足す所でしょ?前の世界で、これと似たようなやつをお城で見つけたもの」
「お姫様の住んでた所だね。旅の一番最初に、主人公とアンナとジャンが一緒に訪れるんだっけ」
「そうそう。お城にあったのと同じやつなんて、徹君の家はトイレだけ豪勢なのね」
「いや、そういう訳ではないんだけど」
ジャンっていうのはジャックの最初の名前。
また一番奥の部屋に戻ってきた。
「お茶を出すからちゃぶ台に座って待っておいて」
そう言って徹君は台所で何かを作り始めた。
私は言われた通りに"ちゃぶ台に座って"徹君がお茶を作る後ろ姿をぼーっと眺める。
そういえば。
「あのドアに貼り付けてあったのって何?206ってやつ」
「部屋番号だよ。一杯部屋があるから番号を付けてるんだ。あと読み方は二百六じゃなくてにーまるろく」
「名前の代わりみたいなもの?」
「アンナは賢いなあ。見た目によらず」
「見た目によらずってどういう意味よ」
外見がバカに見えるって事?
ちょっと睨んでやったけど、徹君は私に背を向けたまま、
「天は二物を与えずって言うけどアンナはそうじゃないよね。可愛いのに賢いって事」
そんな事を言った。
「よくわかんないけど褒めてるの?」
「うん」
「ふーん」
じゃあいいや。はぐらかされた気もするけど、褒められて悪い気はしないからね。お茶を作るって言っても、ただ器を用意して、そこに直方体で白い物体に入ってたお茶の入れ物を取り出して注ぐだけの作業だった。
「それ何?ウイーンって鳴ってる白いやつ」
扉が二つついている。
「冷蔵庫だよ…って、」
コップを二つ手に持った徹君が振り返って、私を見て目を一ミリくらい見開いた。分かりにくいけど驚いてるみたいだ。
「なんでちゃぶ台に"座ってる"の?」
「え?だってそう言われたから」
ちゃぶ台は腰掛けるにしては低過ぎたけど、部屋の主の言う事だから聞くのは普通でしょ。
「……」でも徹君の呆れ顔を見てると、私の行動はおかしかったみたい。「徹君が座ってって言ったのに…」と言いながらも、私は台から降りて床に座った。
「私は言われた通りにしただけだもん。悪くないもん」
「ごめん。僕の言い方が悪かったよ」
ぷうっと頬を膨らませた私に、今度は苦笑いしながら徹君が謝った。
お茶は水の味がした。お茶なのにお茶の味がしなかった。痛覚はないのに、触覚とか味覚とか聴覚はちゃんとあるのね、って改めて自分のご都合設定に感心したり。
この部屋には家の中で唯一、窓があった。そこから外を眺めてもただの道路しか見えない。時々、前方をライトで照らし、騒音を立てながらクルマが通り過ぎるくらいだ。
ふと気になって、視線の先を窓から徹君に変えて聞いてみた。
「ねえ。徹君ちはお母さんとお父さんはいないの?」
お茶を飲んだ後だったのか、徹君は自分のコップを見つめていた目を驚いた様に私に向けたけど、次の瞬間には斜め下あたりに逸らしていた。目を伏せたままコップを卓袱台に置く。
「居ないよ。一人暮らし」
徹君らしくもなく、動揺してたみたいだった。でも私はその事に気付かなかった。
「じゃあ私と一緒だ。あ、でも徹君は一人なんだ?私はお婆ちゃんと一緒に暮らしてたけど」
例の物知りお婆ちゃん。私の両親は、私が生まれて直ぐに何者かに殺されたっていう設定。死んだのは私がまだ二歳くらいの頃だって言うから、顔も覚えてないし、思い出して悲しくなったりもしないけどね。
「知ってる。ガイドブックに書いてあったね」
「あ、徹君って『姫君と海の大陸』持ってるんだよね?見せてくれない?」
私が存在してたTVゲームの題名だ。初めて会った時にそんな事を言っていた。
「どんな風になってるのか見たいの」
でも徹君は、申し訳なさそうな顔をして首を振った。
「ゲームは持ってないんだ。友達の家でやらせて貰ってた」
「そうなの?」
「ごめん、嘘ついて」
「いやー、全然大丈夫」
そういう事はあんま気にしないし。機会があればその友達にも会ってみたいな。
徹君はお風呂に入るらしい。シャワーを浴びるだけだから、って言い残してお風呂場兼手洗い場に消えた。
その間暇だったから、もう一度魔法が使えないか試してみた。やっぱり無理だった。
そういえば、今日は折角日本に来たのに徹君以外の人と会話した覚えがない。まあいいや、他の人に接触するのは明日あたりに挑戦しよう。
「デパートは明日行こう。丁度休日だし」
お風呂から上がって、ネグリジェみたいな服に着替えた徹君が提案した。
「休日?」
ヘイジツはガッコウがあるけど、今日はドヨウビでジュギョウが午前中だから終わるのが早くて、明日はニチヨウビでキュウジツだから無いらしい。うーん?よく分からないけど、
「取り敢えず明日デパートにいける事には喜んでおきます!」
「あはは。面倒臭いから学校については明日説明するよ。僕が覚えてたらね」
私がちゃんと憶えてますよー。
「そろそろ僕は寝なきゃいけないな。人間だから」
「私もする事ないし、寝とこっかなー」
寝室に行って布団に寝そべる。ふかふかじゃないけど野宿よりもはマシって感じだ。
隣には同じように寝そべる徹君がいるけど、何かされる心配は無い。'そういう'意味も含めて、ほら、寝てる間にいきなりナイフでグサっとかさ。まず徹君がそんな事をする人とは思えないし、もししたとしても私なら阻止できる自信がある。徹君が他の日本人と同じくスライムより弱いなら尚更、私は身体能力はトールより高いと自負しているのだ!あと気配ーー特に自分に向けられる殺意ーーにも敏感。だから安心。徹君を信用してないわけじゃないけど、一応短剣の場所は確認しておく。一応ね。
隣で静かな寝息が聞こえて来て数分、私の瞼も段々と重くなってきた。
(あれ?今日はなんか眠いな…あんまり眠くならない体質なのにな)
なんて思ったけど、私が私自身の異常について考える暇もなく、瞼は閉じてしまった。
きっと異世界に初めて飛ばされて、自分でも意識しない内にストレスが溜まってたんだ。だから疲労感がいつもより速く溜まって、眠くなったんだ。
それくらいにしか考えてなかった。
徹君は本気で断食をするつもりなのでしょうか?ってか賢そうに見えて彼は馬鹿ですね。考えなしですね。