現実の世界
自分の住む世界が現実だと信じて疑わなかった当時の私は、勿論夢を壊された気分だった。だけど主人公と出会ってから、事がシナリオ通りに進むってことが証明されて、今はもう諦めている。唯一の楽しみと言ったら、台本には無いセリフ、いわゆる「アドリブ」を主人公が居ない時に他の仲間と喋る事だけだった。
「何だか話を聞いてると、君のお婆ちゃんもこの世界に来たことがあるみたいだね」
「いやそれは…無きにしも非ず。あの人何でも知ってるから」
テレビの存在も教えてくれたのはお婆ちゃんだ。そんでそれをジャックとハリスに教えたのは私だ。てへ。あ、何か無性に恋しくなって来た。実家で元気に暮らしてるかな?会いたいよお婆ちゃーん。あくまでお婆ちゃんだけ。他の奴には別に会いたくない。
「そーいえば私が居た誰かさんのデータはどうなってるのかなー。私抜きでお話が進められてたりするのかな?」
「まだクエストに拘ってると思うよ」
「だろうねー。いい加減飽きなさいよ馬鹿トール…」
ま、ゲームの世界に戻る必要もない、と言うか私が戻りたくないので、ゆっくり現実を満喫しましょうかね。
よっこらしょ、と地面から立ち上がる。ずっと硬いアスファルトに座っていたからお尻が痛かった。それから徹君に誘導されて、「その前にせめて腰の短剣だけ隠して」「あ、はーい」大通りとやらに出た。
おお、これが!と私のその時の感動は多すぎてとても書ききれなかったので兎に角感動したとだけ書いておく。筆者が書くの面倒臭かったからとかじゃないから。断じて違うから。信じて。
「その悪目立ちする服を何とかしようか」
さっきからずっと周りの人にジロジロ見られている。きっと私の服がヘンだからだ。私からすれば皆の着ている服の方が変な訳だけど、逆に皆からすれば私の服はおかしいんだね。
連れられて入ったのは防具屋…ではなく、洋服屋というらしい。忙しなく目をキョロキョロさせながら店内へ。他の人に変な目で見られている様な気がしないでもないけど敢えてスルーで。
ぱっと目に付いたカードを手にとる。白い札に書かれた数字は1890。って事は、これを装備すれば防御力が1890アップ…!?
「それはただの値段だから」
つまんないの。
日本人の服というのがよく分からなかったので徹君に選んで貰う。あれれ、使う言語は同じな筈なのに、書かれている服の名称が読めないぞ?私達と同じミー語じゃないの?
「それはカタカナって言うんだ」
へえー。納得したのかしてないのか微妙なままお買い上げ「3990円なりー」リルに直すといくらぐらいになるのかな。
店から出た所で、ふと疑問に思った。
「ご好意は有難いけど…こんな見ず知らずの子に服なんか買っちゃって大丈夫なの?」
色々な意味、主に金銭的な事で。
徹君は相変わらずの無表情で
「僕にとっては君は、十分見てるし知ってるからね。それにゲームの住人と接触出来る機会なんて滅多に無いじゃないか」
「…ふうーん」
ふーんとうーんの中間位の相槌を打った。
そうは言っても、徹君は会ったばかりの他人な訳で。全くの他人にここまで親切にしてくれる人なんて、私宿屋のおばさん以外に見た事ないよ。
「それにもう他人でも無いでしょ」
「うーん」
「それと、今買った帽子被っといて」
「?うん」
この人が何を考えてるのか読み取るのは、カタカナよりも難しかった。
しかし、見てて本当に飽きないなー!何処を見渡しても一面の緑、緑、緑だった元の世界とは大違い。私の前を箒の魔女より速いスピードで駆け抜けて行くクルマなんか、一台一台それぞれに形や色が違うのだ。「こうそうびる」も面白い。ある一つのビルをずっと見上げていたら首が痛くなった。
何もかもが新鮮だった。魔法と剣が使えないのは不便だったけど。
それで一番不思議なのは徹君だった。トールでもまだこれより表情があるぞって位に無表情だった。嬉しそうにしたのは私がアンナだって分かった時ぐらいだ。
三時過ぎ位に「ちょっとお腹空かない?喫茶店でも寄ろう」という徹君の提案で、その喫茶店とやらに入った。私は旅をしてるから、そんなに頻繁にお腹は空かない体質なんだけどね。ほら、運が悪いときは丸一日何も食べなかったりするけど、ゲームの設定なのか全然平気だから。同じ理由で眠くもならない。
でもやっぱり興味がある。
中が透けて見える扉を引くとチリンチリン、とベルが鳴る。瞬間、何とも独特な匂いがして来た。
甘いような、苦い様な。
「珈琲だよ。コーヒー豆から挽いて作る飲み物」
「こーひー」
席に座ってそれを注文し(徹君がやってくれた)、飲んでみたら苦かった。砂糖を入れたら甘すぎた。あと熱い。
「冷ましたらどう?」
しばらく待ってから飲んだら、今度は温くて不味かった。細かな調節が必要なんだそうだ。
「こんな面倒臭いのよく飲むわね。旅には持っていけないわ」
「ははは」
べ、と眉を顰めて舌を出す私を見て、徹君が楽しそうに笑った。
また大通りに戻って来ると、前方に見える徹君が一際大きな直方体の建物を指差した。
「今度はデパートに寄ってみない?面白いものが沢山あるよ」
「おおー!」
クルマが通らない方の道をてくてく歩く。今の所、私が警戒してるのはクルマだけだ。どうみても魔法で動かしてる様にしか見えないクルマだけど、ちゃんと原理があるそうで。
いやしかし、モンスターが居ないって平和だなあ。いつ襲われても対処出来る様に、常に周りに気を張り巡らせる必要が無いからとっても楽だ。完全に観光気分で鼻歌なんか歌ってると、「お?」
さっき、家と家の間の細い道に、人が居た様な。そんな暗い場所に集まりたがるなんて、
変わった人達だなあ。日本人はそれが普通なのかな?
興味を持った私が後ろ歩きで戻ると、前を歩いていた徹君も、首を傾げながら戻ってきた。
「何か見つけた?回復薬とかお金とか?」
「ううん。そこの暗い所で集まってる人は何してるのかなーって」
明らかに他の日本人達と雰囲気が違う。よく見ると、一人が数人に囲まれて「金を出せ」と言われている様だ。
「盗賊?」
「いや、日本ではカツアゲって言うんだよ」
「かつあげ…美味しそうな名前ね」
「君の居た世界って、コーヒーは無いけどカツはあるんだね。お話に出てこなかったから知らなかったよ」
「カレーもあるよ。カツカレー美味しいよね」
「うん。あ、食べたくなってきたな」
そんなどうでもいい会話をしていると、あ、盗賊もどきのお兄さんがこっちに気がついたみたいだ。いかつい顔をして私達の方に歩いてくる。
「おうおう何ジロジロ見てんだよクソガキども」
わー喋り方まで盗賊そっくり。この世界にもやっぱり、似たような人間がいるんだな。
「いえ何も。失礼します」
しれっとした顔で徹君が答え、その場を立ち去ろうとする。けど、お兄さんが徹君の腕を捕まえる方が速かった。
「てめーらよお。コイツ見たからにはタダで帰れると思なよ」
お土産を持たせてくれるらしい。このお兄さん、実はいい人みたい。
なーんて思ってたら、
私まで細い道に連れて行かれて、周りをお兄さん数人に囲まれて逆に「金出せや」と言われた。
あれ、何時の間にかさっき囲まれてた子供逃げちゃってるよ。
どうしよう。私無一文なんだけど。「お金なんて持ってないよ」と正直に答えたら「そんな訳ねえだろ」と凄まれた。
あーあ、興味本位で突っ込むんじゃなかったな。面倒臭いので、盗賊退治のクエストだと思って討伐したいんだけど。いやー参った参った。ここでは魔法も剣も使えないから、盗賊もどきを退治しようとしても難しいんだよね。厳つい顔をしたお兄さん達が段々イライラを募らせて行く。
ちらっと隣を見ると、徹君が無表情なりに迷惑そうな顔をしていた。これは大変。徹君が困ってるよ。元もと私が巻き込んだんだし、ここは私がどうにかしないとねえ。
「ねえ徹君。この人たちのHP幾らぐらいか分かる?」
「この世界ではHPは無いよ。君の持ってる短剣で刺せば一発くらいで死ぬ」
「え。スライム並みに弱いねそれ」
盗賊もどきですら無いじゃん。弱すぎてびっくり。
「スライム以下かー」
「なにゴチャゴチャ喋ってんだよ。ああん?」
だったら、剣無しでも倒せるじゃん?
私はドラゴンと対戦する時に短剣を使ってたけど、一応素手でも攻撃できるスキルは身につけてある。
顔を前に向け直して、お兄さん達の数を数えると私の所に三人、徹君の所にも三人。合わせて六人。
「アンナ。何秒で行けそう?」
私が何をしようとしているか、もう察してくれたみたい。て言うか徹君、さっき初めて私の名前呼んでくれたね。私はにっこり笑って
「六秒」
「ガキども、さっさと有り金全部ーー」
お兄さん達の言葉を全部聴かずに、私は目の前に居た一人をまず足の裏で蹴り倒した。鳩尾にクリーンヒットした私の足は、大の男を向かいの壁まで吹き飛ばした。って言っても狭い幅だからそんなに飛ばなかった。残念。
「な、」
驚きで動けない右側の奴の、同じく鳩尾を狙う。私の肘が当たると何とも醜い顔をしてその場に崩れ落ちた。お腹を抑えながら。
「ひいっ」
私の所に蝿の様にたかっていた残る一人は、私の顔を見て恐怖に晒されながらも懐からナイフを取り出してきた。
「あ、ずるい。私、短剣は駄目だって言われたからちゃんと使ってないのに」
そう呟いている間に、屋根の隙間から見える太陽の光で鈍く反射したナイフが私に迫ってきた。
「遅い」
スライム並みに遅い。切っ先を難なく除けて、うなじの辺りに手刀をお見舞いしてやった。案の定、「うっ」とかうめき声を上げて気絶した。うわ、弱い。
「さて、」
ここからが本番だ。けーさつがなんなのかは知らないけど、先に剣は使っちゃいけないっていうルールを破ったのはそっちだから、私も使っていいよね?
私は仕舞っていた短剣を取り出して、残る徹君を囲んでいる三人に刃を向けた。みんな恐怖で顔が歪んでいる。
その醜い顔に言う。
「私はただ興味があって見てただけなの。折角の異世界観光、邪魔しないでくれる?」
二秒後には、三人ともが血を流してその場に倒れていた。
「わー。血が出てる」
あっちの世界では、戦闘モードに入るとHPが無くならない限りは、敵に斬られても踏み潰されても痛くないし血も出ないからね。
私は目の前に赤い水たまりが広がって行くのをワクワクして眺めていた。赤い赤い。試しに触ってみると、手にべちょーって紅がついた。
「うん、確かに。戦闘する度に血が流れてたら気持ち悪いもんね」
戦闘モードの設定を作った人の気持ちが分かった気がする。
「助かったよ。怪我とかない?」
やっぱり無表情のままで徹君が言った。私は立ち上がって短剣を仕舞い、ちょっとズレた帽子を被り直した。
「全然大丈夫。だってあの人達、六人集まってもウルフより弱かったもん」
「なら良かった。…死んだかな」
「さあ?ねえ徹君、死ぬって戦闘不能になるのとどう違うの?」
「…一度死んだら、生き返らない所」
「ふーん。じゃあ悪いことしちゃったかな。まあいっか、盗賊もどきだし、半分は殺してないし」
私が短剣を使わずに昏倒させた三人の方だ。かなり手加減したから、HP(なる何か)はまだちょっと残ってると思う。
笑って言うと、徹君は何故かポケットからハンカチを取り出して私の顔を拭いた。
「日本人はモンスターと戦ってない分かなり弱いから、扱いには気を付けた方がいいよ。アンナが触っただけで壊れちゃうかも」
私の顔を拭き終わったハンカチには、どうやら血が付いていたみたい。
「返り血ってやつね。拭いてくれたんだ、ありがとう」
「どういたしまして」
言いながら徹君は、また先頭にたって大通りに出て歩き出す。私も後ろに付いて行く。
さっきの出来事なんて無かったかの様に。平然と。
「さっきの話だとつまりこの世界の人は、御人形さんみたいに扱わなきゃいけないって事だね」
「そうだね」
二人でこっそり笑い合う。
この世界は面倒臭いけど、やっぱり新鮮で楽しい。
無自覚で残酷な女の子を書きたかっただけです。