ゲームの世界
身体中が痛い。頭から膝から脇腹から足から血が止めどなく流れ、私の周りの赤黒い水たまりをどんどん膨らましていく。もう血液は三割も残っていないかもしれない。意識が朦朧とする。
っていうのは嘘。私は今、三人の仲間と共に草原で寝そべっている。強敵にあっさり倒されて。でも、何処も痛くも痒くもない。代わりに、私のHPはついさっき0になったので、疲労感だけは無駄にあって動けない。だんだん狭まっていく視界の中で、目の前にはドラゴンがピンピンした姿であざ笑うように巨体をゆらゆら揺らしていた。
てれてれてーん。悲壮感漂う音楽がどこからともなく流れて、私の視界は完全にブラックアウトした。
次に目を覚ましたのは、つい十分前に訪れて泊まっていった宿屋だった。体の表面だけの傷は綺麗さっぱり消え去っていて、疲労感も無い。
窓から見える真っ青な空に浮かぶ太陽の位置からして、時刻は昼前くらいだな。そう判断してから体を起こすと、二人の男が私を見下ろしていた。いや、正確にはどっちも見てはいなかったけど。
私は二人に挨拶代わりに溜息を吐く。
「また死んだな」
私の右隣で長身の男が呟いた。壁の方を向いて誰に喋るでもなく、独り言の様だったけれど、私は取り合えず相槌を打った。
「うん。そろそろ飽きないのかな?トールは」
ちらっと隣のベッドで眠る少年を見る。平民が着る服を纏い、腰に剣を刺したまますやすや寝息を立てて熟睡中。窓から差す昼の陽射しに包まれて気持ち良さそう。起きる気配は無い。
「これで何十回目になりますかねえ?オラ、もう他のクエストがやりたくなってきやしたよお」
不平たらたらで私の左隣の椅子に座る小太りの男が言った。むさ苦しいガタイで、声も小太りだ。
「仕方ないでしょ。トールがこのクエストどうしてもやりたいって言うんだから。言ってないけど、絶対思ってるよ」
半ば投げやりになると、長身の男がうんうんと同意した。
「鬱陶しいくらいにこのクエストに執着するね。どう考えても今の俺達のレベルでは到底クリア出来そうにないのに」
「ですですう」
自分が槍玉にあげられている事も知らずに眠る少年ーートールは、このゲームの主人公だから、所詮このRPGの中で設定されているだけの私達は逆らえない。いくら主人公の「旅の仲間」設定でも、トールが行きたいと言った場所に反論する訳にはいかないんだ。
「好い加減モブ討伐にやけになってないで、本編のお話進めてくれないかな?」
腰に長剣を差した長身の男が言う。
「ねー。お姫様を助けに行く為に洞窟に行って宝石を取ってくるんじゃ無かったのかしら?」
かなり中盤をはしょったけど、最終目的と今の目標だけを合わせたらそんな感じ。お姫様を助けに行く為に宝石を奪う事も必要になってくるのがゲームの世界だ。
「きっとトールは忘れてるんですよお。ドラゴンに魅了されすぎて」
「そうだな。今、トールはドラゴン君にお熱だもんな!もうドラゴンと結婚しちゃえばいいのに」
「そうなれば私達もトールと一緒に旅をしなくて良いから一石二鳥ね!可哀想なのは悪の大王に連れ去られたお姫様だけって事で!」
「こうして主人公はドラゴンと一緒に暮らしましたとさ、ちゃんちゃん」
アッハハハ、と皆で笑った。本人に聞こえていないからと言って言いたい放題だ。
「はあ。本当にそうなったらな」
苦労人の溜息を吐いて願望を述べる男。場の空気がまた重くなった。
「シナリオ通りにやらなきゃいけないんですよねえ」
最初に設定された場所で出会って、設定された台詞を言って、設定された行動を起こして、敵に出会って、指示された攻撃をして。
「じゃ、飽きるまで付き合ってやりましょうよ。どうせ私達には、それしか出来ないんだからね。」
にっこり笑った私はベッドから降りて、近くの壁にもたれかかる。もうそろそろトールが起きる番だ。ゲーム内で全滅した後は、最後に止まったセーブポイント(と体力回復も兼ねている宿屋)に強制的に戻されて、そこからやり直しになる。余談だけど、そこで目が覚める順番は何故かいつもトールが最後。やっぱり主人公だからかな。
ぱちっと音が鳴りそうな目の開け方で、トールが目覚めた。と、同時に宿屋の音楽が流れ始める。こういう音楽が何処から流れているかは気にしたら負けだ。ゲームの世界なんだから何でもありなの。閑話休題。
「残念。また負けちゃったね」
何も無かったかの様な笑顔で私がトールに言う。
「何度でも挑戦すればいいさ」
長身が励ます。さっきまで悪口を言って笑っていたヤツとは思えない演技。ま、ゲームオーバーする度に言ってるから当然だ。
「うん」
外見十五歳前後の少年は無表情で頷き、すぐに身を起こして床に足をつけた。
少年の後に続きながら、私達は後ろでほくそ笑む。「トール」を操作しているのは誰だか知らないけれど、テレビ画面ではさっきの私達三人の会話は映されてない。これは全部主人公視点だから、プレイヤーが後ろを振り向かない限り後ろの私達も見えない。
トールは私達を従えて宿屋を出る。毎回思うんだけど、主人公には宿屋の叔母さんに会釈する機能はついてないのかな。いつも泊めてもらってるのに挨拶も無しで出て行ってしまうのはどうかと思う。必要ないって言えばそうなんだけど、なんかねえ。
扉を開けたその先は広大な草原が広がっていた。一面の緑と、遠目に見て所々に宝箱が。因みに全部開けてある。あとはモンスター。スライムやらウルフやら精霊やらがうようよしている。
ちょっと辺りを見渡すと、一際目立つドラゴンが視界に入った。今回のクエストの討伐対象、トールがやけにムキになっているヤツだ。
「またあいつを狙うのかな?」
「多分な」
主人公に聞こえない様に、長身とひそひそ会話する。こしょこしょ話って結構楽しいよね。
四人は其処目掛けて掛け出すーー前に、トールがステータスを確認する。視界の右斜め上に四角い枠が現れた。どうせドラゴンと対戦する前と変わらないのに、と思いながらも、私もちらっと確認する。
トールはレベル21、小太りの男ハリスは19、私はレベル23、長身の男はレベル22。最大は100なのでまだ始めたばかりと言った所だ。因みにクエストは本編とは全く関係ないおまけみたいなもの。
HPとMPは全員満タン。宿屋で回復したから当たり前だ。次にアイテムを確認する。回復薬は所持数99個、何だ全然大丈夫じゃん。他のもそれなりに、いや毒薬(毒コマンドを解除する効果があるから毒薬。)がちょっと少ないけど、それは魔法で代役できるからまあいいかってことで終わる。最後にそれぞれの持ち物を見た。倒される前、つまり最高の状態と何も変わっていない。
ステータスを閉じて、今度こそのそのそ歩くドラゴンに向かって走った。無言で。先頭のトールがドラゴンに触れた瞬間に視界がぐにゃりと曲がって、またすぐ元に戻る。さっきと違ったところは、私達とドラゴンが対峙していて他のモンスターが周りから消え去っている事と、何処からか流れるBGMがのほほんとした曲から戦闘シーンらしいやつに変わってる事。所謂戦闘モードに切り替わったって訳だ。
それぞれが武器を取り出す。トールは剣、ハンスはオノ、私は短剣とジャックは長剣だ。剣の率がやたら高い。それはおいといて、主人校はさっそくコマンドを選択したみたい。盾を身の前に掲げて防御してる。おいおい。
「普通攻撃するよね、普通」
小声で隣のジャックに言う。
「あいつは普通じゃないだろ」
なるほど。まず無謀なクエストを何度もやろうとしている時点でおかしなやつでした。
さあ今度は私の番だ。短剣を片手に持ち、自分が攻撃するのをおとなしく待っているドラゴンさんに向かって切りつける。手応えだけはあったけど、彼の足下に表示された赤い数値は「54」だった。全然駄目だね。このドラゴンのHP30000だよ?54って舐めてんの?
次にハリスがオノで攻撃した。無難な選択だけど、そもそもこいつは防御も魔法もからっきしで攻撃しか出来ないからね。でもダメージ180。なかなかやるな。
最後はジャックだ。お、攻撃魔法だ。広げた右の手の平から炎の渦が発生し、だんだん大きくなっていく。地球儀くらいの大きさになった所でドラゴンに向けて投げつけた。それはドラゴンの皮膚の極一部をちょっとだけ燃やしてすぐ消えた。ダメージ200。おおっ私の四倍くらいはあるよ。流石魔法、MPを消費する分威力は凄い。
ジャックを見るとばっちり目が合って、ウインクされた。気持ち悪い。
私達のターンがあっさり終わり、ドラゴンの番になった。すぐこっちに突進してくる。攻撃名が書かれていないので、スライムの体当たりみたいなやつだ。上級のモンスターだといちいち攻撃名が付いていたりするけどね。「なぎ払う」とか「ひねり潰す」とか「吹き飛ばす」とか。
そんな要らない事を考えてる間に、標的となったジャックが倒された。ダメージ2156、ジャックのHP891。はい即死。
今回は君が最初だったね。バイバイまた宿屋で会おう。傷一つ内容に見えるジャックを見て、呑気にそう言った。
また私達のターンだ。そして性懲りもなくトールは防御。こいつ本当に主人公か?
防御は相手からの攻撃のダメージを半減させる事が出来る。でも、さっきのを見てる限りドラゴンからのダメージが半減したところで1078。どっちにしろ死ぬじゃん。
まあいいや。今回も全滅するんだし、トールが飽きるまで好きにさせよう。いつかは物分りの悪いこいつだって、この討伐が今の私達には無理だって事も悟ってくれるだろう。
私は口の中で呪文を唱える。と、体の中に不思議な力が湧いて来た。手の平を空間に翳すと其処から氷の渦が生まれてジャックがやった炎と同じ様に膨らんでいく。ドラゴンに向けて投げつけると、足に当たってすぐ溶けた。ダメージ179。うーん、ジャックのに比べるといまいちかな。私、白魔法の方が得意だし、まあそんなものか?
ハリスはやっぱり普通に攻撃。ミスとかパリィとかもせず当たった。敵に与えたダメージは実況するのが面倒くさくなってきたので割愛。
「ちゃんと喋って下さいよお」
「うるさいわね。182!」
こそこそ話する。もしこういうのが全部トールに聞こえていたら…恥ずかしいとかそういうレベルで収まるのかな?ゲームの中の人物が変な会話してたら不良品だって売られちゃうかな?でもスリルがあって楽しい。与えられた台詞を言うだけじゃつまらないからね。
攻撃が回ってきたドラゴンは、おっと今度は私を狙ってきたみたいだ。頭上に迫る平たくてでかい足。次は私か。別にいいよ、どうせ痛みも感じないし、今までも何回も死んで生き返ったし。どうせゲームの世界、私はそこの住人なんだから。でもまたあの宿屋からの出発だからおばさんには迷惑かけっぱなしだなー。踏まれる寸前にのんびりそう考え、すぐにまた、私の視界がホワイトアウトした。
…ん?ホワイトアウト?
何でブラックアウトじゃないの?