54 未来へ
リリアナが自室へヴィルフリートの連れられて来ると、ユリシアとルシールが今にも泣き出しそうな顔でリリアナを待ち構えていた。ヴィルフリートがリリアナの部屋にあった三人掛けほどのソファーにリリアナをそっと下ろすと、二人は待ちきれない様子でリリアナに駆け寄って来た。
「――リリアナ!心配したのよ!」
「まぁ!そんなに可哀想な姿になって……!怪我はありませんか?」
確かに、リリアナの服を見れば所々に汚れやほつれなどが見られる。恐らく連れられて行ったときや、逃げている時に引っかかったりしてしまったものだろう。
傷に関してはサラマンドラが治してくれたが、この姉たちの様子を見ると、怪我なんてしたらどんな騒ぎになったのだろうと思う。
「お姉さまたち。ご心配をお掛けして、申し訳ありません。私の騎士も守ってくれましたし、こうしてヴィルフリート様も来て下さったので怪我はありません」
「いいのよ!貴女が無事に帰って来てくれて本当に嬉しいわ」
「ヴィルフリート様。リリアナを助けて下さり、本当にありがとうございます」
ルシールがリリアナの頬に手を寄せて、その汚れを侍女に持ってこさせた水を含んだ布で拭う。それを見て、ユリシアは長姉らしくしなければと思ったのだろう。ヴィルフリートの方を向いて、礼を述べる。その瞳には安堵のためか涙が浮かんで、うるうると潤んでいる。ヴィルフリートがユリシアに恋をしていた。そのことを知っているリリアナはどうしても不安を隠せなかったが、その不安も杞憂だったらしい。それまで姉達に遠慮していたのか、少し離れた位置に居たヴィルフリートがリリアナの横にやって来る。そっとリリアナの肩に手を置いて、リリアナににこりと笑ってからユリシアを見た。
「いえ。私は自分の想い人を守っただけですので。きっとランベルト殿も同じことをされたでしょう」
「まぁ!ヴィルフリート様とリリアナが?そうでしたの?」
ヴィルフリートの言葉にユリシアは目を丸くして、二人の顔を見比べている。
「これから、お父様に許可を戴きたいと思っています。ルシール姉様、その……」
「あら?私のことは気にしないでいいのよ。私には、その、ね?」
先日、ヴィルフリートを交えての晩餐会の中で王が離していたが、彼はルシールとヴィルフリートが婚約することを願っているようだった。だから、ルシールに一つ声を掛けておかなければと思っていたが、ルシールはふわりと照れたように笑って応えた。
「――リリアナ様。先ほどの言葉は、返事と思ってもいいのだろうか?」
シンと静まり返った部屋でヴィルフリートがリリアナの顔をまっすぐに見つめる。部屋の中にはゆらゆらと蝋燭の光が揺らぎ、二人の顔を照らす。
リリアナはヴィルフリートを見つめ、ゆっくりと頷く。
「私をヴィルフリート様のお傍に置いて下さい」
そう言って、ヴィルフリートの手を取ろうとした時。
「――リリアナ!無事なのか!」
二人の空気を破り、リリアナの部屋に入って来たのはフェルディナンだった。ここまで走ってきたのか、いつもはキチンとセットしてある髪も振り乱れ、取り乱した顔だ。
「お、お父様!」
リリアナはヴィルフリートに伸ばしかけた手を慌てて下ろす。そして慌てて立ち上がろうとすると、それをフェルディナンが制する。
「よい、よい!そのまま座って居なさい。無事なのか?怪我はないのか?」
「はい。ヴィルフリート様と騎士のおかげで怪我はありません」
「そうかそうか!ヴィルフリート様、この度は娘のためにご尽力いただき、本当にありがとうございました。……しかし、何故ヴィルフリート様が?」
フェルディナンはリリアナの顔を見て、安心したように息を吐いて近くの椅子に腰を下ろした。そしてはっと気付いたように首を傾げて顎の髭を触る。
「この場で突然このようなことを申し上げること、真に申し訳ありません。リリアナ様を――フォンディア第三王女のリリアナ・メル・フォンディア様を私の妃として、ガルヴァンへお越しいただきたいと思っております」
ヴィルフリートはフェルディナンの前に立つと、片膝を立てて屈んだ。
「ヴィルフリート殿下!?リリアナを?ヴィルフリート殿下の妃に、ですか?しかし、我が国にはルシールもおります。ルシールではいけないのですかな?」
「先日もお話にありましたが、濁してしまい申し訳ありませんでした。私はリリアナ様とこれからの人生を歩んで行きたいのです。それに伴って、リリアナ様にはガルヴァンでこちらの文化などを学んでもらえればと思っています」
ヴィルフリートはまだ状況が読めない様子のフェルディナンにそう言うと、リリアナを見てにこりと笑う。
「しかし、だな……」
「お父様。どうか、お願い致します」
「あら。お父様。フォンディアの姫がガルヴァンと婚姻するのに私もリリアナも変わらないんじゃなくって?」
それでも渋るフェルディナンに深々と頭を下げたリリアナを援護射撃するかのように、ルシールがにこりと笑って告げる。
ルシールの言うことは尤もであるが、少し無理な話でもある。きっとフェルディナンはルシールを他国の王子と婚姻させたかったはずだ。
「お父様。こうして二人が想い合っているのですもの。私からもお願い致しますわ」
そこでユリシアの一言だ。彼女は普段から実の父である彼を「お父様」と呼ぶことはない。その彼女がこう呼んだのには意味があるのだろう。
「……分かった。リリアナをよろしく頼む。詳しい話はまた日を改めてしよう。今日はリリアナも身体を休めないといけないだろう」
「お父様!ありがとうございます!」
「フェルディナン陛下、感謝致します」
フェルディナンはそう残して、二人の言葉には返事も返さずに部屋を出た。
「私も上手く行くことを祈っています。――けれど、リリアナには温かいお湯と休息が必要ですわね」
「それもそうね。リリアナの顔も見れたことだし、私たちはもう行くわ」
「姉様。今日はありがとうございました」
姉たちの顔を見上げて言うと、姉たちは優しく笑いリリアナの頭を撫でる。それはまるで幼い頃のようだ。リリアナがベッドに伏せてばかりだった頃、こうして姉たちは代わる代わる顔を出してはリリアナを励ましてくれた。
「ふふ。いいのよ。私も二人に負けないように頑張らなくちゃ」
「今日はゆっくり休むのですよ」
二人はそう言うと、笑みを残して部屋を出て行く。
「……それでは、私も行こう」
ヴィルフリートは立ち上がると、リリアナの傍で足を止める。
「――はい。……あの、今日はありがとうございました」
ヴィルフリートはただ目元を緩めて、リリアナの手の甲に口づけを落とした。
「リリアナ様が目指す先に辿り着く日まで、私はリリアナ様の騎士であろう」
「いつも私ばかり、助けていただいてしまって何だか」
恥ずかしさと申し訳なさで顔を俯かせると、ヴィルフリートはぽんぽんとリリアナの頭を撫でる。
「そんなことはない。私は貴女が居るだけで救われている。貴女がこれからの人生、傍に居てくれるだけで十分すぎるんだ」
そう言ってヴィルフリートは手の甲でもなく、その位置はまるで口づけをするかのように距離が近い。ドキドキと胸が高鳴って、ヴィルフリートを見るだけで精一杯だった。
リリアナはこの世界に再び生まれ、「リリアナ」として生きているつもりが、いつしか「記憶が残る別の誰か」になっていたように思う。だからこそ、どこか現実感が薄く、今生きていることをまるで他人事のように感じている部分もあった。
でも、リリアナは思い知った。この世界で今生きているのは、誰でもない自分自身なのだということを。
自分の行動一つで誰かを犠牲にしてしまうことも、誰かに強く恨まれるてしまうかもしれないことも。
リリアナは今まで以上に自分のこと、そして国のことを考えて行動しなければならないと身を引き締めた。しかしそれと同時に、世界が鮮やかに色付くのを感じた。それは誰でもない、彼が傍にいてくれるからだろう。
ヴィルフリートの手がリリアナの肩に止まり、ゆらゆらと蝋燭の灯りが揺らめく中、二人の影がどちらともなく近づいた。それは触れるだけのそれなのに、リリアナにとっては心臓が飛び出してしまいそうなくらいだった。一瞬のようでも、まるで数刻ほどの時間のようにも感じるそれは、触れたときと同じようにどちらともなく離れた。
瞼を開けると、目の前には優しい顔をしたヴィルフリートが微笑んでいる。
「おやすみ。よい夢を」
「はい。ヴィルフリート様も。おやすみなさい」
今は挨拶をしたら離れてしまうこの距離も、いつかは一緒に夢に落ちる日がくるのだろう。
そしてそれは遠い未来の話ではない。




