47 想い
扉を四回ノックする音が聞こえて、リリアナが小さく返事をしたのと同時に顔を出したのは言わずもがなディオンだ。
「僕のお姫様、今日のご機嫌はいかがかな?」
「……良くはありませんわね。ねぇ、叔父様。いつになったらここから出してくださるの?」
リリアナがディオンの屋敷に連れてこられてから、すでに三日ほどの時間が過ぎていた。その間もたまにディオンが様子を見に来るものの、ここから出そうという様子は一切見られない。さすがのリリアナも苛立ちを隠せなくなっていた。
「何を言っているんだい?リリアナはずっとこの屋敷にいるんだ。昔は僕の屋敷で一緒に暮らしたいって言ってくれたじゃないか。ああ、そうだ。今日はリリアナのために人を連れてきたんだ。ジゼル、入っておいで」
ディオンはそう言うと、扉の前から体をずらしてその後ろからジゼルが不安そうな顔を覗かせた。
「ジゼル!」
「――姫様!ご無事でしたか!」
ジゼルはリリアナの傍に走り寄ると、心配そうに眉を寄せて直にリリアナの体に触れて身の安全を確認した。
「じゃあ、ジゼル。リリアナのことを頼んだよ」
「叔父様!」
ディオンはにっこりと笑みを残して、リリアナの質問には答えずにさっさと部屋を出て再び錠をしてしまった。
リリアナは小さくため息を吐いて、その扉を見つめた。この部屋から出して欲しいといい続けて三日。ディオンはその願いを聞こうともせず、しっかりと扉には鍵がかけられたままだ。ディオンが部屋に来て扉を開けた隙にと考えたこともあったが、扉の前には人が立っているのを確認済みでリリアナの身体能力では逃げ出すことは叶わなそうだった。
「リリアナ様……」
「私は大丈夫よ。昔とそう変わらない生活だもの。ただ、前の時と比べると退屈ね」
確かにリリアナの昔の生活というのは、ベッドの上が中心でほとんど部屋の外へ出ない生活だった。今とほとんど変わらないと言っても良いのだが、あの時と違うのは自分が出たい時に出ることのできる自由がないことだろうか。
「リリアナ様……。申し訳ございません!」
困ったように笑うリリアナに対して、ジゼルは大きく頭を下げて中々その頭を上げない。
「何?どうしてジゼルが謝るの?」
「それは……。私が、――私がディオン殿下にリリアナ様のお話をしていたせいでこのようなことになったからです」
「ジゼル?それはどういうこと?」
ジゼルが話す言葉を聞いて、リリアナは眉を寄せた。ディオンにリリアナの生活の様子などが漏れている、とは感じていた。だが、まさかジゼルがとは思いもしなかったのだ。幼い頃からリリアナに仕え、侍女でありながら時には姉として、友人としていつも傍に居てくれたジゼル。リリアナにとってジゼルは家族同然、そして誰よりも信頼している人間の一人だった。
「わた、私は……。ディオン殿下がリリアナ様のことをまるで娘のようにお思いになっていらっしゃると思っておりました。お二人はまるで親子のように仲睦まじく、だから、私はディオン殿下に聞かれるままに全て話してしまって。……本当に申し訳ございませんでした」
ジゼルはそういい終わるとすっかりうな垂れて、頬は涙で濡れている。
「……そう。――ねぇ、ジゼル。貴女の仕える主人は誰?」
「それはもちろんリリアナ様でございます!」
「そうよ。だから、貴女が私の情報をいくら叔父であっても彼に話したことは許されることではないわね」
「……はい。本当に申し訳ございませんでした」
「でも、ジゼルが話したことって何?私が日々どうして暮らしているか、今日はどんなものを食べたか、じゃない?」
そもそも、本来聞かれては困るようなほとんどのことをリリアナ自身でディオンに相談してしまっていた。だからリリアナが自ら話していないようなことと言えば、そのような話しかないのだ。リリアナが幼かった頃であれば、ある程度自ら話したりしていたことだろう。だが、リリアナが年頃になってからは自ずとそのような話をしなくなるものだ。
「それは、そうですが……?」
「……本当にあの人は私の父親みたいね」
リリアナはそう言って小さく苦笑を浮かべた。そうなのだ、ディオンはリリアナが物心が付いた頃から今に至るまでずっとリリアナの父親のようだ。リリアナが悲しみに暮れれば傍で慰め、嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれる。リリアナが嫌いな食べ物を克服した時にはそれこそ自分のこと以上に喜んでくれた。
だから今も、こうして軟禁状態だというのに彼を憎むことができない。彼のこの行動も彼なりの愛情なのだろうと分かってしまうのだ。だからと言って許されることではないのだが。
「さて、ここから出ようと思うの。ジゼル、手を貸してくれる?」
「――はい!」
一転、明るい声で言い放ったリリアナにジゼルは力強く頷いた。
その晩、ベッドに横になりながら脱出方法について考えてみるがいまいち良い考えが浮かばなかった。それどころかベッドの上に横になってから頭に浮かぶのは、隣の国からやって来ている王子のことばかりだ。まだ王城に滞在しているのだろうか、最後に一目だけでも顔が見たかったと思う。もしヴィルフリートがルシールと婚姻を結ぶことになろうとも、リリアナに唯一の感情を抱かせてくれた男性のことを一生忘れることはないだろう。
窓の外からは、すぐ傍に立つ木の葉が擦れる音が聞こえる。どうやら風が強いようで、風の吹く音が鳴る度に窓が揺れている。
今リリアナに許されている唯一開けることのできる開口部は窓だけだ。どうせすぐ傍に立つ大きな木しか見ることができないのだが、それでも気が紛れるだろうかとひざの上で開いていた本を持って窓の傍に寄るとそっと窓の錠を開けてみた。
ガサガサと再び枝が揺れる音がした、そして予想外の人がリリアナの前に現れた。
「――三日ぶりだな、リリアナ様」
「ヴィ……!?」
思わず声を上げそうになってしまったリリアナにヴィルフリートは口の前で指を立てて制した。確かにいくら風の音が強い晩とは言え、声を上げてしまえば気付かれてしまう可能性も高い。リリアナはどうにか声を潜めてヴィルフリートを見ると、ヴィルフリートはひらりと部屋の中に足を踏み入れた。
「静かに。人に気付かれてしまう」
「は、はい。……どうしてここが?」
リリアナがヴィルフリートの言葉に頷いて、声を潜めて質問をした。
「こういうことに詳しい者が居てね。……少し痩せられたか?」
ヴィルフリートの手がそっとリリアナの頬に触れた。その瞳はリリアナを優しく見つめ、葉の間から漏れる月明かりだけが二人を照らす。
「最後に一目、ヴィルフリート様にお会いできたらと思っていました」
「最後?」
「だって、ヴィルフリート様はルシール姉さまと婚姻を結ばれるのでは?」
ぽつりと漏らした言葉にヴィルフリートは怪訝そうな顔で眉を寄せてリリアナを見た。
「ありえない。私はリリアナ様をお慕いしているというのにそんなこと」
ヴィルフリートはそう言って、人一人分空いていた空間を縮めた。
「――私に会いたいと思ってくれたというのは本当か?」
「……それは、その」
ヴィルフリートとの距離が近い。まるで抱きしめられそうなその距離にリリアナの顔は赤く染まる。見上げれば自ずと合う視線は一度合ってしまえば外すことができない、そんな引力があった。
「リリアナ様、私は貴女をこのまま連れ去ってしまいたい。貴女が望めば、たとえどんな場所にでもお連れしよう」
「嬉しい。……それができたらどんなに良いでしょうか」
「では」
「――でも、私は自分の足でこの場所から出なければならないのです。そうしなければ、叔父の心残りを消すことができません。……しかし、私の気持ちがヴィルフリート様にあること、どうかお心に留めておいて下さいませ」
このままヴィルフリートに身を託して外に出てしまいたいと心の底から思っていた。しかし、それでは何も変わらない。きっとディオンは彼の中に残っているメルとの心残りをリリアナで解消したいと思っている。というよりも、今では恐らくリリアナとメルと混同してしまっているように感じる。こんな状況でリリアナが急にいなくなってしまえば、ディオンは心残りを残してこのままもっと病んでいってしまう気がした。
「分かりました。今回は我慢することにしましょう。貴女の心が私にあるのであれば、それだけで私の心がどんなに満たされるのか。リリアナ様は知っていらっしゃるのか?」
ヴィルフリートはそう言って、リリアナの体をゆるゆると抱いてリリアナの頭に自身の顔を埋めた。そして、体を離すとじっとリリアナを見つめる。
そして、そっと二人の影が重なった。
「――リリアナ様、物音が聞こえた気がするのですが?入室してもよろしいですか?」
ノックの音と同時に扉の外から寝ずの番をしている侍従の声が聞こえる。
「何でもないわ。ちょっと本を落としてしまっただけよ。今上掛けを羽織るから少し待ってちょうだい。――ヴィルフリート様、人が参ります」
「そうだな。名残惜しいが、これで失礼しよう。……城で貴女の帰りをお待ちしている。何か助けが必要あれば知られて欲しい。私の使いを寄越そう」
リリアナは慌てて廊下に向かって返事をして、声を潜めてヴィルフリートに向き合った。ヴィルフリートは切なげに目を細めて、最後にリリアナの体を抱きしめて来た時と同じように窓から出て行った。その姿があっという間に見えなくなったと思った頃、扉が開けられた。
「リリアナ様?」
「窓を開けていたから本が落ちたのね。今日は風が強いもの」
リリアナは窓を閉めながらそう言って、本を閉じた。




